「病気が治る」ということについて2000年の8月からずっと考えています。
心身症やうつやパニック障害などの病気の人が「あーあ昔の自分だったら毎日料理作れたのになぁ」「前は電車に乗るの怖くなかったのに・・・」と落ち込んでいたとします。
数年そんな状況が続いたあとのその人にとって「病気が治る」ってなんだろうということを考えています。
ヨガをやれば、カウンセリングをすれば、心理療法をすれば、自分を受け入れれば、手術をすれば、病気は治る?
昔のように毎日料理が作れて、きちんとメイクが出来て、約束の時間にきちんと行けて、電車や飛行機に乗ってどこにでも行けるようになることが「病気が治る」ってことなんでしょうか?
薬を飲んだり、呼吸法とかリラックスするテクニックを覚えたりなど症状を抑える方法はいろいろあることを知りました。
病気になっている本人にとっては出来なくなったことが出来るようになりたいというのはとっても重大なことと思います。
症状が抑えられるというのは本人にとってはすごく自身につながります。
でも出来ることが出来なかった数年の間に本人は気づかないかもしれないけどとっても意味のある経験をしています。
ほかの人にとっては簡単で当たり前のことが当たり前に出来ないときそれをするのに病気の人はどれだけがんばってきたんでしょう。だけど当たり前のことをしただけなので誰にも評価はされません。
そのことを繰り返しているうちに「過去の自分」への執着や病気が治った「未来の自分」のことを考えるのじゃなくて「今の瞬間」を感じることを理論じゃなくて実体験で経験して来ていると思います。
それは病気の人にとっては当たり前のことだけどきっとほかに人には感じ取れない貴重な経験です。
意識しないでも多くの人にとって当たり前のことが当たり前に出来た自分と決別して本当に自分の出来ることと向かい合って"生きる瞬間"を実感するときが「病気が治る」瞬間で、そのときを境にサングラスをして見ていたようなグレーの景色もぱっとカラフルになるんだと思います。
「自分自身を受け入れる」っていうと簡潔でいかにもきれいな言葉ですが病気の本人にとってはそれほどつらいことはありません。
「そんな自分を受け入れてるくらいなら死んで終わりにしてしまったほうが自分のためにも世間のためにもいい」と考えるほうが納得いくのです。
アシュタンギ、アシュタンギーニは、Practice and one day will come! を合言葉に、毎日毎日練習に精を出しているそうです。
なんか僕がいつも考えている「病気の治る」ってことと「Practice and one day will come! 」ってひょっとして似ているなぁと思って恥ずかしながら書いてみました。




