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2006年06月18日

敗戦を糧に、勝利をつかむには

オーストラリア戦をコメント欄に寄せられた意見から振り返ってみる。 arashichoさん中盤を厚くしてのポゼッションサッカーと守備を固めてのカウンターという堅守速攻のサッカー。今の日本は、どっちつかずの戦術を続けているように感じます。折衷案といえば聞こえはいいけど、それじゃ世界では勝てないですよね。 僕もこれに近い感想を抱くが、敗戦のなによりもの原因は2点目が取れなかったことと、守りきれなかったことだと思う。 追加点を奪うチャンスはあった。しかし、FW陣のシュートに対する消極さと、パスの不正確さでつぶしてしまった。また人数をかけて前がかりになったときに、パスを奪われたりなどのミスで、逆襲を食らったのが何度かあった。あれで中盤が消耗していった。しかし、リードをすると不思議に元気がでるものだ。追加点を挙げられれば2-0で勝っていただろう。 失点は1失点目は仕方がない。もちろん川口を責めることはできるが、あれだけ止めてくれた川口のみに責任をかぶせることは僕はできない。問題は2点目だ。空中戦で負けるのは折り込み済みだったはず。問題はその次だ。ボールをバイタルエリアでもたれているのに、チェックにいく選手がいない。中盤の選手がガス欠だったのだ。失点の場面がまさにそうだった。あのときにバイタルで守れる稲本もしくな中田浩あたりが、ボランチに入っていれば・・・と、どうしても「たられば」を言ってしまう。また、引き分けでも十分と思っていれば、試合展開も違っただろう。でも、日本は果敢に攻めに行ってしまった。 クロアチア戦は勝たねばならない。先発組MFの足が止まったら、動ける(とくにバイタルを守れる)選手を早めに入れて欲しい。相手が前がかりになっているとき、ここで奪って、前線に早くつなげれば、得点機につながる。 sr400yoshiさん私はむしろ反対でした…なんで引くんだぁと思いました。(中略)あれだけ暑い中でトルシエや岡田監督時代のリアクションからのショートカウンタではもたないしね…サンドニで木っ端微塵になったトルシエ戦術を思い出すなぁ 僕のサンドニの評価は違う。 トルシエはフラット3の印象から、「守ってカウンター」の印象が強いがそれはトルシエ時代の終盤の話であり、当初はポゼッションサッカーを志向していた。その頂点が2000年10月のアジアカップの優勝だった。その翌年3月に行われたのが「サンドニの悲劇(もしくは虐殺)」と言われるフランス戦だった。 サンドニでの敗戦を機に、ポゼッション志向を捨てて、「守ってカウンター」を基本とした現実路線へと大きく舵を切った、というのが僕の印象だ。次のスペイン戦では、守備に徹して、負けてはいるが、世界トップクラスの攻撃力を誇るスペイン相手に、後半ロスタイムの1失点のみでしのいだ。(サンドニの惨敗は、勝っているチームを大きくいじり、3ボランチなんて試したことのない戦術で戦ったトルシエの最大の失敗だと僕は思う。その後に与えた影響も大きかったので、いろいろ語ることはあるのだが、あまりにも余談になるので、この辺で終了) 話を元に戻す。 ポゼッションサッカーで勝てれば、最高だろう。しかし、対戦する両チームが同じ戦術を志向すれば、総合力が上のチームの方が、有利なのではなかろうか? 僕は(1)ポゼッション同士になった場合、(2)「守ってカウンター」同士になった場合、(3)日本が「守ってカウンター」、オーストラリアがポゼッションになった場合、(4)そしてその逆、といろいろ考えた。 日本は中盤では素晴らしいボールポゼッションを見せる。その力はある。しかし、目的はゴールを奪うことで、ボール保持率を上げることではない。日本がゴール前でも中盤で見せるほどのボールポゼッションができるなら、もちろん、それをやれ、と言う。でも、ゴール前になると、その精度がガクンと落ちる。そして、シュートより、パスを選択する選手が少なくない。ゴール前で一人で局面を打開して決められるスーパーな選手はいない。直前のドイツ戦では「守ってカウンター」で素晴らしい攻撃ができることを証明した。そう考えると、日本の勝ち目があるのは(2)か(3)だと思ったのだ。 だから、クロアチア戦で密かに期待しているのは、攻めに行くとみせて、その実、相手に「持たせて」(持たれるとは違う。パサーにプレッシャーを与え、パスの受け手をマークし、パスの出所、出し所をなくし、最終ラインや浅いサイドでパス交換させること)、高い位置でボールを奪ってカウンター、という戦術をとることだ。もちろん、ポゼッションから相手を崩して素晴らしいゴールが決まれば言うことはない。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票 最近のサッカー関連の記事 ●「私たち」の戦い ●ファンが望む戦術が日本を予選敗退させる...

2006年06月17日

「私たち」の戦い

フランスW杯アジア第三代表決定戦。ジョホールバルで延長を迎えた日本代表が円陣を組んだときに、NHKの山本浩アナウンサーはこう言った。 「彼らは、彼らではありません。彼らは私たちそのものです」 そうなのだ。 サッカーを愛するものにとって、日本代表は私たちそのものなのだ。 グループリーグでの敗退は、彼らの敗退ではなく、私たちの敗退に他ならない。オーストラリア戦前に僕はこう戦ってくれたら勝利に近づくと信じて、記事を書いた。でも、そう戦わなかったからと言って、応援しない、なんてことは絶対にない。勝て、勝て、と念を送りながら、代表戦を見た。次の試合もそうだ。今度は絶対に勝たねばならない。ラッキーでも、審判のミスでもなんでも良い。くだくだでも見苦しくても良い。とにかく、クロアチア戦は日本がリードをしている状態で、終了をホイッスルを受けねばならない。 コメント欄でarashichoさんから、 中盤を厚くしてのポゼッションサッカーと守備を固めてのカウンターという堅守速攻のサッカー。今の日本は、どっちつかずの戦術を続けているように感じます。折衷案といえば聞こえはいいけど、それじゃ世界では勝てないですよね。 という意見をいただいた。僕もこれに近い感想を抱く。 ジーコは3-5-2から4-4-2へとシステムを切り替えるようだ。つまり、中盤を厚くしてポゼッションサッカーをやるんだ、と宣言したわけだ。僕としては、3-5-2で「守ってカウンター」を徹して欲しいと思うし、3バックが崩壊したとも思わない。敗戦の原因は2点目が取れなかったことと、守りきれなかったことだと思う。 追加点を奪うチャンスはあった。しかし、FW陣のシュートに対する消極さと、パスの不正確さでつぶしてしまった。また人数をかけて前がかりになったときに、パスを奪われたりなどのミスで、逆襲を食らったのが何度かあった。あれで中盤が消耗していった。しかし、リードをすると不思議に元気がでるものだ。追加点を挙げられれば2-0で勝っていただろう。 失点は1失点目は仕方がない。もちろん川口を責めることはできるが、あれだけ止めてくれた川口のみに責任をかぶせることは僕はできない。問題は2点目だ。空中戦で負けるのは折り込み済みだったはず。問題はその次だ。ボールをバイタルエリアでもたれているのに、チェックにいく選手がいない。中盤の選手がガス欠だったのだ。失点の場面がまさにそうだった。あのときにバイタルで守れる稲本もしくな中田浩あたりが、ボランチに入っていれば・・・と、どうしても「たられば」を言ってしまう。また、引き分けでも十分と思っていれば、試合展開も違っただろう。でも、日本は果敢に攻めに行ってしまった。 コメント欄でsr400yoshiさんから、 私はむしろ反対でした…なんで引くんだぁと思いました。(中略)あれだけ暑い中でトルシエや岡田監督時代のリアクションからのショートカウンタではもたないしね…サンドニで木っ端微塵になったトルシエ戦術を思い出すなぁ という意見をいただいたが、僕のサンドニの評価は違う。 トルシエはフラット3の印象から、「守ってカウンター」の印象が強いがそれはトルシエ時代の終盤の話であり、当初はポゼッションサッカーを志向していた。その頂点が2000年10月のアジアカップの優勝だった。その翌年3月に行われたのが「サンドニの悲劇(もしくは虐殺)」と言われるフランス戦だった。 サンドニでの敗戦を機に、ポゼッション志向を捨てて、「守ってカウンター」を基本とした現実路線へと大きく舵を切った、というのが僕の印象だ。次のスペイン戦では、守備に徹して、負けてはいるが、世界トップクラスの攻撃力を誇るスペイン相手に、後半ロスタイムの1失点のみでしのいだ。(サンドニの惨敗は、勝っているチームを大きくいじり、3ボランチなんて試したことのない戦術で戦ったトルシエの最大の失敗だと僕は思う。その後に与えた影響も大きかったので、いろいろ語ることはあるのだが、あまりにも余談になるので、この辺で終了) 話を元に戻す。 ポゼッションサッカーで勝てれば、最高だろう。しかし、対戦する両チームが同じ戦術を志向すれば、トータルのチーム力が上の方が、有利なのではなかろうか? ジーコはそこまで日本とクロアチアの差はないとふんだのだろう。その予想が当たることを、心の底から祈る。 前の記事で「クロアチア戦の展望を書く」と書いたが、「私たち」が4-4-2で、ポゼッションを志向して戦うことを決めたのに、僕がここで3-5-2でこうやって戦え、と書いても、それは「彼ら」が負けたときのアリバイに過ぎない。意味がない。 今、僕が「私たち」に望むのは、勝つという気持ちを最後まで捨てずに走り続けることだ。ポゼッションで勝負するなら、スペースを空けるための無駄走りを数多くこなさねばならない。ボールホルダーを孤立させずにフォローに行くこと。フォローした選手が開けたスペースをカバーする。そして何よりもシュートを打つこと。FWは当然ながら、2列目の飛び出しからのシュートや、ミドルも必要だ。 奇跡は起きるのはではなく、起こすもの。W杯アジア予選でも、アジアカップでも絶体絶命と思ったときは何度もあった。そのたびに、選手たちは信じられないような甘い果実を僕らに与えてくれたではないか。だから、今は選手やジーコを信じて応援しよう。批判や愚痴は試合が終わってからでも遅くはない。 走れ、そして打て。  望むのはこれだけだ。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票 最近のサッカー関連の記事 ●ファンが望む戦術が日本を予選敗退させる ●久保落選の裏側(中:本当の久保) ●代表FW問題の基礎知識 ●久保落選の裏側(上) ●日本代表の根深い問題...

2006年06月16日

ポーランドの守備を讃える - 歴史に残るドルトムント対独防衛戦

ポーランドの国歌は「ドンフロフスキ将軍のマズルカ」と呼ばれるもので、ポーランドが第三次分割によって国土を完全に消失した18世紀末に作詞作曲されている。「ポーランドは未だ滅びず、我らが生ある限り、外敵が力で奪い去りしものは、剣をもて奪い返さん、進め、進め、ドンブロフスキ、イタリアの地からポーランドへ、汝の指揮のもと、我ら民衆と合流せん」。この歌は五輪などでは殆ど聞く機会がないが、確かワイダ監督の映画「鉄の男」で流れていた記憶があり、短いながらも美しい曲の響きが頭の中に入っている。民族の苦難の歴史が滲みながら、控えめで澄みわたった素朴な旋律。決してそれを雄々しく高らかに構成的演出的に歌い上げようとしない。そこにポーランドらしさがある。一方のドイツ国歌は対照的に押し出し満点で、音楽で国民を統一するとはこういうことだと言わんばかりに完成度の高い楽曲になっている。が、私はこのドイツ国歌も大好きで、聞く機会があれば自然に耳を澄ましている。その二つの国歌がドルトムントの競技場で流れた6/14のW杯予選A組ドイツ・ポーランド戦は、予選ながら歴史に残る感動的な試合となった。すでにエクアドルに一敗しているポーランドは、この試合を落とせば予選敗退が確実になる。競技場の観衆はドイツの応援団一色で、ポーランドのサポーターは客席の片隅に僅かしかいなかった。試合は怒涛の勢いでポーランドゴールに押し寄せるドイツの猛攻を、ポーランドの守備陣が守りに守るという展開になり、90分間、見る者を釘づけにして離さない感動的なドラマになった。この試合を解説する者は、実況のNHKであれ、試合後に記事にしたスポーツ新聞であれ、攻めるドイツを主役にして、復帰したMFのバラックを中心としたドイツの攻撃陣のパフォーマンスの高さにばかり注目している。ポーランドがいかによく守ったかを言おうとしない。残念ながら、確かに戦力はドイツが上で、特に攻撃能力では差があった。 だが、ポーランドの守備の素晴らしさを記事に残さないのは間違いである。スモラレクの鬼気迫るディフェンスは素晴らしかった。後半二枚目のイエローを受けて退場になったソボレフスキの守備もよかった。主将のボンクもよく走って守った。ゴールキーパーのボルツは神がかり的だった。スモラレクがレッドカードになって10人になったポーランドは、終盤、さらにFWのイェレンが足に故障をきたして走れなくなり、事実上9人で守っていた。テレビの画面には出なかったが、実況と解説者が、足を痛めたまま無理に敵陣営まで走り、自陣営に戻れなくなったイェレンの話をしていたのがロスタイムに入った頃で、交代が適った直後、試合終了間際に俊足のオドンコルから老練のノイビルに繋がれて1点を失った。ドイツは選手交代の采配が功を奏したが、ポーランド出身の二人のFW、クローゼとポドルスキは、まるで歴史の神に睨まれたかのように簡単なゴールを何度も外していた。 NHKの実況は、最初から最後までバラック絶賛モードの中継だったが、私の見た限りではさほどのパフォーマンスの見せ場もなく、むしろ初戦のコスタリカ戦で初ゴールを上げたDFの16番ラームの才能の方が見応えがあった。ドリブルの突破力やシュートの正確さ、敵のカウンター攻撃が始まった瞬間に後ろから走って追いつく足の速さ。見せる個人技としてはドイツの選手の中で図抜けていたのではないか。試合の途中、ポーランドのサポーターが、「ポーランド、ポーランド」と言っているのか、あるいは「ポルスカ、ポルスカ」と言っているのか、大声で応援するのが聞こえたが、その声が、どうやらすぐに満場の「ドイッチェランド、ドイッチェランド」に被らされて、かき消されてしまっていた。何か歴史を重ねて見るようで、民族の残酷さと民族の悲哀の二つを感じてしまう。第二次大戦でドイツの侵略と占領を受けたポーランドは、人口の五分の一、六百万人の犠牲者を出している。 できれば引き分けにさせてやりたかった。開催国であり、スター選手を抱えるドイツ代表チームには常にスポットライトが当たって、世界中がドイツの決勝進出を後押ししているような環境がある。一方のポーランドは、日陰の存在で、言わばドラマの「負け役」的な立場だった。フィールドに立つ選手たちの表情に、どことなくそういう「場」の雰囲気が影を落としていて、こちらの主観かも知れないが、気の毒な気分になった。ユニフォームのデザインもあまりセンスがよくない。安物を着ている。これは、ポーランドだけでなく東ヨーロッパのチームに共通している。典型的にはセルビアがそうだ。デザインが垢抜けていない。それと、気がついている人間も多いと思うが、あの今大会独特のフォント(書体)の問題。ユニフォームの背中に入っている名前のフォントが、ほぼ共通仕様で、独特の丸い細いアルファベットの書体だが、セルビアとかは同じではないのである。東ヨーロッパは違うフォントを使っている。 これは何故なのだろう。何か特別な意味があるのだろうか。気になる。

2006年06月15日

スペクタクルなW杯 - ロナウジーニョ、ロッベン、R.カルロス

ブラジルとクロアチアの一戦は見応えがあった。噂どおりロナウジーニョが素晴らしい。開始早々の前半2分、挨拶がわりの3人抜きのドリブル突破を見せて、いきなり観客の度肝を抜いたが、さらに前半15分にはボールを低くバウンドさせて地を這わせる新技術のシュートを披露し、見る者をすっかり魅了してしまった。ロナウジーニョのステップは華麗で美しい。他の選手と動きが違う。画面のどこかにロナウジーニョが入って来るとすぐに分かるし、ボールとカメラがロナウジーニョを中心に絵を作る。まさにドラマの主人公。クロアチアはロナウジーニョがゴールに接近すると、4人がかりで取り囲んで防御していた。前半30分には5人で囲む場面もあった。囲んだ5人をロナウジーニョが引き摺っていた。体も強靭で簡単に崩れない。4人に囲まれても正確にパスを出す。ロナウジーニョがディフェンスを引きつけるから、パスを受けた選手の前にスペースが空く。そういう場面が何度かあってブラジルは決定的なチャンスを作っていたが、FWのロナウドの動きが緩慢で、シュートする前にボールをクロアチアに奪われていた。そのクロアチアは評判どおりの強豪チームで、ブラジルとも互角の力で試合を戦っていた。前半は押され気味だったが、後半は逆に攻撃の主導権を握ってブラジルのゴールを脅かしていた。カカが前半に決めたミドルシュートは、カカの天才を誉めるべきで、クロアチアのディフェンスには何のミスも無かった。だから王者ブラジルも90分間で1点で終わっている。今回のW杯全体でブラジルを1点で押さえられるチームが他にあるだろうか。セルジオ越後もスポーツ紙で「日本よりも実力は上だね」と断じている。豪州戦の日本とブラジル戦のクロアチアを比較して、日本の方が実力が上だと言う人間はいないだろう。対戦は午後3時からで、また炎暑の中での試合が予想される。普通に考えれば、蒸し暑い気候に順応しているはずの日本人の方が暑さを味方にできそうだが、豪州戦を見るとそうは言えない。ロートルが並ぶ日本の方が先に足が止まるのではないか。中田英寿はその点が不安だろう。クロアチアが零封されたのは、ブラジルの守備が完璧だったからで、ブラジルのディフェンスはドイツより上で世界一だ。 ブラジルのパレイラ監督は、「クロアチアのマークが厳しく、決して初戦だから苦労したわけではない」と試合後に語っている。本音だろう。クロアチアの闘争心は見事だった。個人的にはこのチームを決勝Tに進出させたい。ブラジルと再戦させてみたい。日本にとってラッキーなのは、日本の中田英寿(あるいは宮本恒靖)と同じ司令塔の役割でゲームメイクする主将のニコ・コバチが負傷して離脱したことだろう。このコバチが魅力的な男で、つい心を惹き寄せられる個性を持っている。印象として、頭がよく勇敢で強いリーダーシップを持ったナイスガイ。34歳。私が女なら、こういう男を好きになる。豪州戦を見たあと、「日本はあの実力では一次リーグ突破は不可能だ」とテレビで言い切ったが、そのときの表情がよかった。言葉もよかった。ブラジル戦前半で見せたドリブルもよかった。離脱は惜しい。ここまでの観戦で印象に残ったのは、クロアチアのN.コバチ以外では、オランダのFWのロッベンがいる。ロッベンについては事前知識がなく、こんな凄い選手がオランダにいたとは知らなかった。これまで無名だったのだろうか。 明らかに、ロナウジーニョに次ぐ世界第2位の実力の持ち主と言っていいだろう。俊敏で軽快。よく言われるところの「日本代表の決定力不足」という場合の「決定力」のまさに理念型がロッベンである。背が低く、プレーも欧州の選手というより南米の選手の型に近い。オランダと言うと、トータルフットボールで組織的機動的に試合運びをするイメージがあり、欧州型のスタイルの典型かと思っていたが、今回のロッペン中心に得点する方法はそれとは全く逆で、意表を突かれた感じがする。ロナウジーニョ、ロッベン、それに続く三番目の選手を挙げると、やはりブラジルのロベルト・カルロスになる。W杯の常連で年齢も33歳になったが、能力は全く衰えた様子を見せない。守備的MFの位置からゴールに上がって攻撃参加する。左足からのミドルシュートが絶妙で、クロアチア戦でも得点にはならなかったが名刺がわりの一発があった。ロベルト・カルロスのミドルシュートはドラマティックで興奮と余韻が残る。ベッカムの柔らかいファンタジックな弧を描くミドルとは対照的なストレート。その後の表情を変えないマスクがいいのだ。 さて、川渕三郎が滞在先のデュッセルドルフからボンまで車を飛ばし、ジーコを励ます絵をマスコミに撮らせていた。いつもながら川渕三郎の心遣いと優しさには人を感動させるものがある。立派な指導者だ。が、今回は川渕三郎も何となく予選突破で任務完了の雰囲気が漂っていた。日韓のときは決勝T進出が課題だったが、ドイツはそこまでの必達目標が求められていない。「ご苦労さま」と慰安する感じだっただろう。ジーコは日本のあと欧州の国の代表監督への就任を希望しているらしいが、あの豪州戦を見てジーコをオファーする国が出てくるだろうかと心配になった。日本から離れなくても、言わば「政治家」としてジーコはJFCで頂点に近い名士である。ドイツ大会出場の実績は大きいし、日本のサッカーをここまで育てた最大の貢献者の立場である。監督を離れても、何らか川渕三郎とコンビで指導的位置を保ち続けることは可能だと思うが、果たしてどうなるのだろう。中田英寿は選手としてW杯に臨むことは最早ない。これが最後の大会になる。で、どの時点かで日本代表監督になるはずだ。本人も指導者をやりたいだろう。 私は、思い切ってポストジーコを中田英寿にしてもよいのではないかとも思うのだが。それは早すぎるだろうか。

2006年06月13日

日本負けた。ドイツ応援しよっと。

日本代表、決勝トーナメントに進めそうにないですね。組み合わせが悪いので、しょうがないというのもあると思うんですけど、、、。選手は良くやっていると思うし、ジーコの采配もいろいろ議論はあるんだろうけど、あんなもんだろうと思います。オーストラリア監督のヒディングの術中に上手くハマッた。今回の負けは誰のせいでもない。あれが今の日本代表の実力なんだろうと思いました。ただ、これで全てが終わったわけでもないと思

2006年06月13日

勝負を分けたジーコとヒディンクの差 - トルシエ型独裁が必要

日本代表はよく戦ったが、結果的に監督のヒディンクとジーコの采配の差が出てしまった。実は近所の商店で予想クイズのような催しがあり、私は日本代表の三戦全敗と賭けていて、どうやら賞品が狙えそうな状況になった。私が引き分けなしの三戦全敗と賭けた理由は、正月の記事に書いたとおりである。豪州チームの実力について事前の知識は特に無かったが、日本代表の実力とヒディングの監督能力を鑑みて、総合的に豪州の勝利を予想したのだった。サッカーは監督の差が試合結果にハッキリ出る。チーム作りもそうだし、試合運びもそうだ。昨日の試合では、後半にヒディンクが投入した攻撃要員のケーヒルとアロイージが、39分から次々と得点して試合を決めた。豪州の交替選手の活躍は目を見張るものがあったが、日本側の選手交替は遅れに遅れ(いつものことだが)、攻撃要員の大黒将志を投入したのは後半のロスタイムで、しかもそれも裏目に出て守備が薄くなり、最後の3点目の失点を許した。1点を守り抜くのなら、稲本潤一を出さないといけない。セルジオ越後がスポーツ新聞でやはりジーコの采配を酷評している。前半終了時点か後半の早い時期に疲れていた福西崇史を代えて、遠藤保仁か稲本潤一の守備的ボランチを使うべきだったと書いている。福西崇史を代えた方がよかったかどうかは分からないが、柳沢敦を代えるのはもっと早い方がよかった。茂庭照幸の起用も正解だったのかどうか。逆にヒディンクの選手交替は素晴らしかった。まさにヒディンク・マジック。前半、日本はラッキーなゴールで得点はリードしていたが、試合全体を見れば豪州の方がボールを支配していて、むしろ守勢に回っていた。日本の方が暑さに強く、足も速くてボールを支配する確率が高いだろうというのが事前予想で、中田英寿もそのようにゲームを想定したようだが、蓋を開けてみると、日本代表のパスワークは決して素早いものではなかった。スピードで劣り、試合の主導権を豪州側に握られていた。が、日本にはいつものように鉄壁のディフェンスがあり、宮本恒靖と中澤佑二がボールをゴールに寄せ着けなかった。 フリーキックは川口能活の天才が止めていた。守備は見ていて安心だった。日本代表のディフェンス能力は世界の中でもかなり高い。W杯開始からの十試合ほどを見たが、日本代表の守備は他のどこのチームより上ではないかと思わされた。日本代表のフォーメーションは菱形の四角形になっていて、ゴール前の宮本恒靖、トップの高原直泰の二つの頂点をMFの中田英寿と中村俊輔が中継管理する。攻撃の司令塔は中田英寿と中村俊輔の二人で、守備の司令塔は宮本恒靖。中村俊輔と中田英寿の守備参加も抜群で、日本の守備は見応えがあった(逆に攻撃は常に見応えがない)。その鉄壁の守備が一瞬に崩れたのだけれど、二つの問題があって、一つは交替要員の問題。後半に入ると豪州の選手の動きが悪くなって、いかにも暑さで疲れているように見えた。特にビドゥーカに疲れが出ていて、いくら攻めても日本のゴールが割れず、半分諦めたような表情さえあった。ところが、ヒディンクが後から送り出したケーヒルとアロイージは全く違って元気いっぱいだった。 この二人の勢いに圧倒された感じがする。豪州の先発攻撃陣の方が先に疲れて動きが鈍くなっていたが、日本の守備陣の方も少しづつ疲れが出ていたはずなのだ。ケーヒルとアロイージのスピードは他の選手とは全く違っていたように見えた。もう一つの問題は、川口能活の油断で、あそこでロングスローにパンチングに飛びかかったミスがある。それまで、川口能活は三度か四度スーパーセーブのパフォーマンスを見せていて、流石だなあと唸らされていたが、あの場面の判断は少し冷静さを失っていたのかも知れない。2点目と3点目は、やはり1点目の失点の動揺が大きかったのではないだろうか。1点を失って、日本代表の全員に疲れと焦りが出た。選手たちはどうか分からないが、周囲は豪州戦を少し安易に考えすぎていたところがある。ドイツに入って日本代表の調子がよく、特に開催国のドイツ相手に2対2で引き分けていた結果が、気分的に過剰な自信に繋がっていたのではないか。中田英寿が試合前に不満を口にしたのは、それを警戒していたためだろう。 もう少しチームとして緊張して張り詰めていてもよいのだ。最後まで弛緩しないように固めなければいけないはずだ。ジーコはチームを緊張させようとしない。トルシエは徹底的に緊張させた。自分の意思に従って最後まで動くように全員を統制した。今度の代表は事実上の監督を中田英寿がやっている。中田英寿がトルシエの役割を受け持っていて、アジア予選のときは福西崇史のような若い選手と激突しながら、連携を厳しく統制する働きを示していた。誰かがそれをやらないといけない。ドイツへ来てから、チームの調子がよく、あまり口煩く言わないように努めていたのだろう。トルシエのときは皆が嫌々ながら服従してついて行っていた。当時のメンバーも多く、気持ちとしては個性と自由を尊重してくれるジーコの方が誰でもやりやすい。特に中村俊輔はそうだろう。MFの技量で中村俊輔に劣った事実を認めた中田英寿は、二人司令塔体制を組み、トルシエ的な独裁をチームに徹底させることを憚った。四年前のトルシエ日本に対する複雑な思いを現在の代表は引き摺っている。 トルシエ型だったから決勝Tまで進めたと言える。王貞治が何度も言うように、勝負事は勝たなきゃいけない。三戦全敗では話にならない。

2006年06月12日

ファンが望む戦術が日本を予選敗退させる

オーストラリア戦で日本がボールキープを続け攻め込む・・・というのが一番まずい展開だ。 この予選F組の中で最も強いのは、ブラジル、次いでクロアチア。日本はオーストラリアと同レベルか、もしくはその下だろう。英国公認のブックメーカーもこの順でオッズ(掛け金倍率)をつけている。 基本はオーストラリアに攻めさせて、ボールを奪ってカウンター。ゴール前でファウルをもらいセットプレー。これが一番現実的な得点の仕方だ。 ファン/サポーターの多くが、ボールキープから崩して美しくゴールというプレーを好む。僕もそんな日本代表を見てみたい。しかし、その戦術を取れば日本は予選敗退の可能性が高くなってしまう。W杯本番で最も必要なのは内容ではなく結果。そもそも、「守ってカウンター」は日本代表が勝つための現実的な戦術というだけでなく、どこの国にとってもカウンターこそが得点に最もつながる戦術なのだ。 2002年に日本代表コーチだった山本昌邦のデータによれば、流れの中のゴールのうち75%はボールを奪ってから15秒以内のものであり、60%が3本以内のパスから生まれている、という。 守り→攻めの切り替えを早くして、少ないパス数でゴール前まで運び、シュートにつなぐ。そして最後のボールホルダーは少ないタッチで、シュートすること。タッチ数1(ダイレクト)が75得点、タッチ数2が18得点で、85%が2タッチ以内から生まれている。 実力が拮抗するほどカウンターが試合を決する。死のグループといわれる予選C組のオランダvsセルビア・モンテネグロ戦で、オランダのロッペンが奪ったゴールもカウンターであった。自陣深くでボールを奪うと、中央でファンベルシがボールを受け、ロッペンがDFラインをトップスピードで抜き去る直前に浮き球のスルーパスを出した。ロッペンは1タッチ後、2タッチ目にシュートを決めた。 日本の相手は実力拮抗かそれ以上。日本は「守ってカウンター」を局面の戦術ではなく、試合全体の戦略として貫く必要がある。 そして1戦目は無理をしないこと。 もちろん一番望ましいのは勝ち点3だが、F組の組み合わせを考えると、勝ち点1以上を取っておけば、予選突破の可能性が出てくる。 1戦目でブラジルに負けているであろうクロアチアは、第2戦の日本戦では攻めにくる。カウンター&セットプレーという日本にとってはベストの戦術ができるはずだ。3戦目はすでに予選突破を決めているブラジル。日本の監督は自国の英雄ジーコ。引き分けは多いにありえる結果だろう。 本番直前の2試合を思い出そう。守ってカウンターを戦略としたドイツ戦(というかドイツの圧力の前にそういう戦い方しかできなかったのだが)での日本は守り→攻め、攻め→守りの切り替えが早く、流れの中ではドイツより多くの得点機を作り出し、そして流れの中の失点は許さなかった。マルタ戦では引いた相手にボールキープはするものの、攻めあぐんだ。 問題はセットプレーだ。 ドイツ戦を再び思い出そう。攻めで言えば、セットプレーからの得点の匂いはなかった。ゴール前にあげれば競り合いになり背の高いドイツ人には勝てない。俊輔の武器である直接シュートを打てる距離のFKもなかった。 守りで言えば、2失点はともにセットプレー。1失点目はファーで宮本がクローゼに競り負け、2失点目はシュバインシュタイガーのマークがはずれフリーでニアで合わされた。 日本代表はオーストラリア戦の前日、セットプレーの守備に時間を費やしたという。それは当然だろう。2002年のW杯でも全161点のうち流れの中の得点が109点、セットプレーからが49点、オウンゴールが3点と、セットプレーが占める割合が少なくない。さらに言えば、競った戦いになればなるほど、セットプレーはものを言う。ネットサーフィンをして見つけたサッカー系のブログによると、「EURO2004の決勝トーナメントでは、13得点中7得点がセットプレーから生まれた。さらに準決勝以降は5ゴール中、実に4ゴール(残り一つはオウンゴール)がセットプレーによる得点」だ、という。 攻めのセットプレーにおいては、直接狙えるところは直接を基本とすること。とにかく、シュートで終わるように心がけ、カウンターを浴びないことが重要だ。 守っては、まず不用意なファウルを犯さないこと。ガツガツと当たるのはハーフラインに近い場所で、それより内側になったら、2人3人と複数で囲んでボールを奪い取ろう。 日本は守ってカウンター。そしてセットプレー。逆の展開になると厳しい。知将ヒディンクが日本に攻めさせる戦略を取ってくるのが、今一番僕が嫌がっているシナリオだ。 この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票

2006年05月31日

「反日」的な日本代表の応援方法

今日は朝早くに起きて、サッカーの日本vs.ドイツを観戦。 高原の2ゴール、気持ちよかったですね。 で、ここからが今日のネタ。 一昨日、産経新聞が「君が代」の替え歌について報道してましたが・・・・。

2006年05月31日

久保落選の裏側(中:本当の久保)

次のビデオを見て欲しい。本当の久保がここにいる。 中は書くつもりはなかったのだが、マリノスサポーターサイトで紹介されていたこのビデオを見て、どうしても書きたくなった。最近の久保の印象しかない人はぜひ見て欲しい。見たら分かるはずだ。僕らマリノスサポーターが、なぜ現状の久保に大きな不満を抱きつつも、W杯での奇跡の復活を信じたくなる理由を。 YouTubeの久保ゴール集 広島時代の久保は宝石の原石のような存在だった。トルシエ時代にも代表に呼ばれたが、ゴールはゼロ。「代表での球の受け方が分からない」とこぼした。2003年に横浜に移籍し、奥、ドゥトラ、佐藤由といったパサーに恵まれ、パスサッカーに慣れていった。そして、チームでも代表でもゴールを量産した。 選手にはピークというものがある。それはもちろん、振り返ってみて分かるのだが、例えば、代表FWに選ばれた高原のピークは2002年だったように思える。あの年、高原は得点王とMVPを獲得した。 マリノス者の僕にとって、2002年の2ndジュビロ戦は忘れられない試合だった。もちろん、ウィルの暴行という思い出したくない愚行のためでもあるが、試合を決められた高原の2得点は鮮やかだった。開始1分、中山のオーバーヘッドシュートのこぼれ球を右からえぐって切り返し、角度のないところから決める。2点目は松田、中澤という日本屈指のDFラインの裏を取り、クロスの角度を頭で変えてゴール。わずかに残っていた優勝のチャンスが断ち切られた瞬間だった。 これまでを振り返ると久保は2003年だった(もちろんマリノス者としては、これからの活躍を信じているので、「今のところ」のピーク)。1st序盤の悪い流れを断ち切る鹿島戦でのハット、首位に立ったガンバ戦の2発。2nd連敗から立ち直る仙台戦のハット、そして最終節、エノテツの愚行で1人少ないなか、同点で迎えたロスタイム。ゴール前でワンバウンドし高く上がったボールを久保は信じられない高さの打点でヘッド。ボールは磐田GK山本の頭を見事に越してゴールネットを揺らした。そして、2-0で勝っていたはずの鹿島が同点に追いつかれ試合終了。奇跡の両ステージ制覇を果たした(そのいくつかは上で紹介したビデオに映っている)。 「日本代表の根深い問題」で「本当の久保の武器とは動きだしの良さだ」と書いた。あの記事で書かなかった久保の良さがもう一つある「対人プレー」だ。 対人プレーというとすぐ浮かぶのが鈴木隆行だろう。運動量の豊富さ、接触プレーをいとわない心身の強さ、それを生かしたポストプレー。ゴールの少なさゆえに代表選出に非難が集まることが多かったが、MFに多くの才能が集まる日本代表の特性上、ポストプレーでボールをキープし、ボールをため、MFの上がりをまったり、ゴール前でファウルをもらえる鈴木は貴重な存在でもあった。そして今回、久保の代わりに選ばれた巻。巻に求められているのは、鈴木のような強さであろう。 それでは久保の対人プレーの良さとは何か、と言えば、しなやかさだ。朝日新聞の紹介された広島のエースだった高木琢也の言葉がそれを象徴する。 アサヒコムより抜粋高木さんが一番注目したのは、対人プレーでのしなやかさだ。「相手の当たりをグニュッと吸収する。手を引っ張られても体の芯がぶれない。まねできない天性のもの」と目を見張った。 当たりに負けない、というよりは、当たりを受け流す強さ。体のあちらこちらにショックアブソーバーがあるような感じだろうか? しかし、度重なる怪我がそのしなやかさを奪っていった。マリノスサポとしては、十分ではない状態の久保を呼び続けたジーコに不満がある。不満というか、恨みに近いものだ。しかし、ここではこれまでにとどめよう。 とにかく、2002年日韓大会に高原が出られなかったとのと同じように、2006年ドイツ大会に久保が出られないのは、マリノス者として、いや、日本代表を応援し続けてきたものとして非常に残念なのだ。 (今回は「中」ですが、内容的には独立した記事に近いものです。流れ的に「上」に続く記事は「下」となります) この記事が面白かった/興味深かったと思った方は→ブログランキングに1票

2006年05月29日

サッカーもいいけど・・・

本当だったら今の時期はサッカーのワールド・カップの話題で盛り上がってなきゃいかんハズなんですけども・・・共謀罪だの教育基本法改悪だのジャワ島の大地震だのですっかりそんな気分じゃなくされてしまった今日この頃です。 で、 ドイツといえば今年はサッカーもさることながら ラブパレード が開催されます。 これはベルリン市で毎年初夏に催される街あげてのテクノのイベントだったりします。 このイベントの集客は凄くって毎年100万人単位の観光客が世界中から押し寄せてました。