上海で発行されているフリーの週刊紙「Jブリッジ」にこんなニュースが載っていた。
1988年に上海で起きた列車事故の慰霊式が、24日、この事故に巻き込まれて修学旅行中の生徒28人が死亡した高知学芸高校で営まれた。雨模様の中、遺族や卒業生などが約千人が参列し、当時、引率で列車に乗っていた教頭先生が亡くなった生徒を読み上げた後、全員で黙祷し、事故が起きた午後2時19分に遺族らが献花した。・・・
19年も前のニュースを取り上げたのは他でもない。数日前に知り合ったばかりの上海人が、ちょうどその話をしていたからである。現在、ある日系企業の副総経理をしているその人は、当時、上海で旅行会社に勤めており、この高知の学生たちを接待したらしい。「純粋で活発な子たちだったよ」と彼は語った。
その後、彼は事故のあらましについて教えてくれた。列車の運転手は、日頃からその地点で赤信号を無視して進行していたのだが、その日は運悪く反対側から貨車がやって来て正面衝突し、列車の2両目と3両目が山形に盛り上がったのだという。しかもこの運転手は、衝突が回避できないと見るや、自分だけ列車から飛び降りて無事だった。「本当にひどい話だよ。学生たちがかわいそうで仕方がなかった」と彼は続けた。
彼は事故後、遺体の確認にやって来た遺族を迎えたのだが、「両親は遺体を見ても泣くことがなく、中には笑っている人さえい」て、そうした遺族の反応が不思議で仕方なかったという。「笑っていた」というのは何かの間違いではないかと思いながら、私は「日本では、葬儀でまったく泣かないということはないけれど、大声を上げて取り乱すというのはみっともないと思われる」と解説した。「中国では考えられないことだね」と彼は言い、「葬儀で泣かないと心が冷たい奴だと思われる。あの江沢民でさえ、鄧小平が亡くなった時に必死で涙を出そうとしていた」と付け加えた。
私は中国で葬儀に参列したことはないが、故人の位牌の前でみな大声を上げて泣き喚く様子をドラマで見たことがある。中国では葬式の雰囲気を出すために“泣き女”まで雇うというが、私は「それは逆に日本人にとっては考えられないこと。本当に悲しんでいるのか怪しく感じられるでしょうから」と説明したのだった。



