たまに「炎上」しているブログを見かけることがある。
誰が言い出したのか「炎上」とはうまい表現だ。つまり、ブログの何らかの記事が、多くの読み手の何らかの感情を激しく刺激してしまい、コメント欄が書き込みで埋まってしまう現象のことである。書き込みが多数寄せられれば何でも「炎上」となるわけではなく、記事への異論・反論・抗議・中傷・誹謗・罵倒…などで埋まると「炎上」となるようだ。
違法行為や非常識な行動を得意気に日記に書いたり、過激な表現を使ったりしているブログは炎上しやすいような気もするけど、それが当てはまらないブログであっても炎上しない保証はどこにもない。
政治家や評論家、作家などのブログが炎上している場合は、ある種の議論を巻き起こすためにわざとやっているのかもしれないし、おそらく慣れているだろうからあまり気にならないが、匿名の普通の人のブログが炎上すると大変だろうな、と同情する…こともある。しないこともあるけど。
ネットで文章を書くことは、とても怖いことだ。
単なるひとりごとのつもりでも、ネットで公開した瞬間、それは世界中の人が読むことのできるコンテンツとなる。繁華街とか駅前で街頭演説したり、TVで自分の見解を発言したりするのと同等、場合によってはそれ以上の強さで、自分の声が他者に届いてしまう。
でも、それに気づかないままブログをやっている人も多い。見ていてあまりに危なっかしくてハラハラすることもある。
匿名だから大丈夫、って安心してる人多すぎです。ちょっとその気で調べれば、あなたがどこの誰かなんて簡単にわかっちゃうもんですよ。
会社の上司の悪口とか、先方に伝わっちゃってるかもしれません。私生活の秘密も、会社のみんなに知られているかも。
日記ブログで私生活を赤裸々に書き散らしている人とか、明らかに仕事中とおぼしき時間帯にブログを更新している人とか、ホント、危ないので気をつけてくださいね。
それにしても「炎上」は、どうにかならないものか。
活発な議論とか情報交換とかは有益だと思う。けれど、それが行き過ぎて「炎上」になってしまうと、たちまち不毛な焼け野原ができてしまう。
ネットやメールの文章は、手書きの文字よりもマイナスの感情が増幅して伝わりやすい。
筆圧とか筆跡とか行間とか文字の大きさとか、書き手の言葉にならない気持ちを伝える記号が混ざっていないから、ちょっとしたコトでもオオゴトになりやすい。
ブログの「炎上」現象は、この「マイナスの感情が増幅する」というのが大きな原因だと思う。書き込みの中に有益な議論とか、発展的な情報交換とかになりそうな火種もまざっていても、ちょっとした1つの言葉が発火材になってしまうと、それらの火種が必要以上の強火になり、あるいは爆発し、もうどうしようもなく燃え広がって収拾がつかなくなってしまうのだ。
そうなると、ただの文字が、とても怖いものに変わる。
もしも使うのが危険物ならば、それを取り扱うためのしかるべき免許を取得しなければ使えないのだが、言葉を使うにはそうした免許は要らない。
誰でも、どんな使い方もアリで、止められない。
対面の会話なら、その場の雰囲気や相手の反応がブレーキをかけてくれることもあるけれど、ネットではそうしたブレーキがかからない、働かない。
だから余計に、被害が広がりやすいように思う。
で、結局一番多い解決法として、炎上したブログは閉じられてしまったり、記事そのものやコメントが削除されてしまったりという形が取られる。
それで鎮火に成功すれば幸いだ。しかし、成功しなかった場合、さらに被害は広がる。ミラーサイトやキャッシュを利用され、ブロガーはどこまでも追い詰められる。やがて記事の内容から大きく外れて、ブロガーの人格攻撃や誹謗中傷に形を変えることもある。ブロガーが匿名だった場合、個人情報を晒そうと躍起になる人まで出てくる。
わたしは、そうやってブロガーを追い詰めるやり方を支持しない。
けれど、攻撃的になる側の人の気持ちも、なんとなくわかるような気がする。特に、サイト閉鎖や記事削除、コメント削除という形で鎮火しようとするブロガーに苛立つ気持ちは想像できる。
きっと、自分の話を聞いて欲しいのだ。できれば同意して、共感して欲しい。怒りに対しては謝罪、助言に対しては実行、のような解りやすい反応が欲しい。
自分の気持ちを伝えたい、そして伝わったという実感が欲しい。
それなのに記事が削除されたりブログが閉じられたりしてしまうことは、自分が無視されていることに他ならない。無視されるのは寂しい、あるいはガマンならない。だから、許さない、逃がさない…そんな感情が炎上させる側の人間の行動をエスカレートしてしまうのではないかと推測する。
誰かのブログを炎上させたい程に、何かを表現したがっている人、何か意見の言いたい人がいるわけで、そりゃブロガーそのものだって増えて当然だ。
ブログがある限り、「炎上」現象はこれからもあちこちで起こり続けるだろう。完全に防ぐことはできないし、完全に防げるような社会も怖い。
そんなこんなを考えながら、わたしは今日もいろんな人のブログを渡り歩いて読ませていただいている。
運良く、まだ炎上の当事者にも関係者にもなったことがなく、ブログのおかげで知らなかった世界を垣間見ることができたり、書き込みがご縁で思わぬ人脈がつながったり、今のところ楽しく利用している。
とはいえ、ネットの怖さはいつも肝に銘じていなければならない…というか、基本的に小心者なので、ネットに自分の書いたものを公開したり、掲示板に書き込みをしたりする時はいつもすごく緊張している。緊張しつつ怖がりつつも、それでもブログを開いているのだから、わたしという人間も、モノを言いたい欲が強いということだろう。
よく、「日本人は自己主張が苦手だ」とか「議論がヘタだ」とか言われるけれど、ネットの登場によって少しずつ変わっていくのではないだろうか。
ブログだの掲示板だのメールだのが発達したおかげで、郵便しかなかった時代よりも確実にみんな筆まめになったし、文章をやり取りする機会も格段に増えた。それは、いいことだと思う。
言葉も、ネットも怖いけれど、怖いからといって使わないわけにはいかない。逆に怖いからこそ、どんどん使って、時に失敗しながらも、使い方を覚えて、自分なりにうまく使いこなせるようにならないと。言葉は、武器であり防具でもあり、時に毒薬でもあるけれど時に癒しの薬にもなるのだから。
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