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2012年05月26日

[転載]河本生活保護問題に一言

 人気お笑いグループ「次長課長」の河本準一さんの母親が、生活保護を不正に受給していた問題で、昨日河本さんが記者会見をし「安易にやってしまった。反省している。受給費は全額返還する。」と表明。この問題を受けて、小宮山厚労相は昨夜、生活保護受給の制限縮小について検討を始めると表明した。
 一連の報道の中で「あちゃ~お痛やなァ」と思ってしまう所は多々あったが、その他報道も見ながら少し深読みをして行く中で、実は恐るべき世論が形成されつつあるのかとも感じた。
 そもそもこの問題のきっかけは、自民党の片山さつき議員が公表した物である。片山氏と言えばコイズム信奉者の最右翼に居る人物で、社会保障縮小論の論者である。こうした人物が、今回の問題を提起する過程で、河本氏に関する情報を如何に仕入れて来たのか?。
 当事者たちはツイッターで議論した過程で出た云々と語っているが、社会保障関係に関する情報は、如何に議員だろうが民間人だろうが、そう簡単に外部へ漏れない。つまり、社会保障費の削減を目論む陣営の協力者が、厚労官僚に相当数いて、そうした人物が情報リークをしていると想像しても決しておかしくは無い。昨日の夕刊フジで、在留外国人の生活保護受給者の一覧数が出ていたが、こうした内容もトーシロウ調べでは出て来ない。裏はあるのだ。
 そして次第に明らかになって来るのが「財政再建」をお題目にした弱者切りと言う大綱。民主党政権下で「国民生活重視」と政策を打った結果、赤字国債残高が1000兆円を超え、あと2~3年でデフォルトの危機を迎える中、あせった自民公明を始めハシストらが「弱者を犠牲にしてでも国家を立て直さねばならない」と吹聴しまくり、「派遣切り」ならぬ「生活保護切り」を始めようと世論を扇動しているのだ。「派遣切り」が横行した結果どうなったか?。よもや「派遣村」の事を忘れてはいないだろうか?。その現場に自民公明の議員も居た事を知っている。今度は「生活保護村」に現れるのだろうか?。
 一連の報道や議論の中で忘れ去られてる事は、生活保護受給者が如何に憲法で保証されてる「基本的人権」を蹂躙されてるか?と言う点が全く論じられない事だ。外国人受給者数とて、その多くが中国残留孤児帰国者やその家族であること、そしてそれら人々が仕事に就けず、その子弟にも貧困が及んで犯罪に手を染めるケースが多い現実を、何故マスゴミは隠し続けるのか?。
 さらに「親族の扶養義務強化」と言っても、過去の家族間のトラブルで、いわば「縁切り状態」になる「無縁化」が、急速に社会で進んでいる事も触れていない。NHKが「無縁社会」なる番組を放送して話題にはなったが、わだかまりが解けない親族を「生活保護寸前だから扶養しろ」とお上から言われたところで、親族は決して納得しないだろう。そう言う事を言う前に、親族間のわだかまりを
溶く為のケースワーキング強化などが謳われない所に、日本の社会保障の貧しさを感じざるを得ない。
 更に言えば、生活保護受給と自立支援が、全く別の形になってる事も以前から私が指摘している点である。生活保護から一刻も早く脱出させるには、就労や技能訓練の機会を並行して与える事が望ましいが、例えば失業保険受給対象者外の給付金付き就労訓練が月額10万円に対し、生活保護が月20万円なら、どう考えても生活保護へ流れるのが自然な考えだ。こうした「歪んで放置プレイされた社会保障」の軌道修正をするなら、今言われている社会保障と税の一体改革となるのだが、ただいたずらに「歳出削減」を目的とした生活保護や社会保障費のカットは断固認められない。
 今永田町で、こうした怪しい議論をしてる人間の殆どが、こうした問題点を奉仕し続けて来た人間である。それら魑魅魍魎に、社会保障の何たるかを議論されたくないのがホンネと言ったところか…。
 

転載元: 小言多言

2012年05月25日

慌てん坊将軍の鍾馗様



携帯からの方はこちら


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慌てん坊将軍さん

とある商店前に車を停めると走り寄った!



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その軒先には!


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鍾馗様だ!



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惜しい事に指が欠けている。



そうこうしてると店内から声が!


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訳を話して、色々とお話を伺った。


ご婦人もこの鍾馗様がどのような経路でここに架けられたか知らないと言う。

若い頃住んでいた京都では、近所と競うように鍾馗様を飾ったとか。


思わぬ山中に、このような発見をした将軍様に敬意を表したい。






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2012年05月23日

『清良記』巻二十三「橘合戦の事」其丿三


 前回は、橘の額に隠した鉄砲が四百五十、堂の裏から井口にかけて隠した鉄砲が百五十、合わせて六百の鉄砲隊が三発づつで千八百発。土佐方の大将がいる本隊が近付くまでひたすら待ち伏せた様子が描かれていました。そして今回は、遂に土佐本隊との遭遇です。無駄玉一つなく打ち尽くし、千余人の土佐勢を打ち伏せ、橘の岸の額に土居家の家紋「楓」の旗がひるがえります。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


前回(「橘合戦の事」其丿二)の続き


さて、敵しだいに近付きされば、本丸に巻き詰められたる土佐方の者ども、
このふもとは清良の旗本なり
とて、采配をふって寄せ来る味方に教えければ、久武方には、
急ぎ寄せよ
とて招くと心得、われ先にと進みけり。
そのとき、善家、桜井北の方より、清良の旗本の土佐にせ勢へ打ってかかる体にて、から鉄砲を打ちかけ打ちかけ鳴ってかかれば、清良かにせ勢からも打ってかかり、同士討ちするところに、善家、桜井、清良の勢をまくり立て、山の越へ追い上げる。
清良、山の越へ逃げ上りて、土佐方の旗、指し物を振り上げ、ひらめかして、久武を招きければ、久武これを味方と心得、橘の岸の下へさざめて入りけるところを、かねて待ちもうけたる伏せ足軽、五間、十間の間へ待ち付け、見下してとうとう打ちければ、ところはせばし、敵は前に込みあいたりしかば一矢をもはずるべき。一放ちにて二、三人は、打ち落とせどもあだ矢とては一つもなし。

土佐方の大将久武内蔵助をはじめ国吉肥前守、佐川、谷脇、依岡、和食などいう者どもを先として暫時が間に雑兵合わせ千余人目の前に打ち伏せ、馬、人ともにいやがうえに落ち重なりて死しければ、討ちもらされの土佐勢引かんとすれども、味方の死人多く、馬、物の具、足まといになりて歩みえず。後陣の勢は大内裏松の沖に引き退けば、先陣の打ち残されは度を失いてうろめくところへ、左兵衛、外記、新左衛門、右京進、河野、萩森、堀口、白木、鎌田、赤口、中島、松浦かれこれ六十余騎、一度にさっと突きかかり、三町ばかり押くずす。土居の旗本はいよいよ陣を堅くして、橘の岸のひたいに、家の紋カエデ(楓)の旗押し立て控えたり。

かかるところに、年の程十七、八ばかりなる若者、白きかたびら、向こうはち巻きして、ひたい髪はれやかになで上げて、みがき筒をひっさげたるが、土居勢の敵をくずし行く中をもれて、清良の旗本を目にかけてさらさらと走り来る。
諸人、これは敵か味方かとてあやしむところに、近づくままに持ちたる鉄砲取り直し、岸の下より上なる敵を討たんとす。
清良これを見て、
彼はしれ者なり、さがれさがれ
と下知(げち)しければ、めいめい柴の中にかがみて見れば、
久武内蔵助が内にて今藤又八郎、生年十七歳なり。内蔵助討ち死するうえは命を惜むにところなし。土居殿のおん方にてわれと思わん人あらば打ち留めたまえ
と名乗り、土居方の中の物の具を選みて、あれかこれかとしばしため居たり。
土居方にては鉄砲は皆先に置き行き、また鋼(やり)は届かず、岸は高し、周り合いて打ち向かう者もなりしところに、又八郎待ちかねて、ためしてどうと打つ。土居方にて伊藤藤兵衛が胴板を後ろへつつと打ち抜かれいぬいにどうと倒れて死す。

その間に土居方の法師武者、木ノ本円長、弓手の岸を回り、三尺三寸を抜きかざし切ってかかれば、又八郎は一尺八寸ばかりの打ち物を抜き渡り合いけり。
円長は元より聞ゆる荒法師の大力なれば、さらりさらりと打ち払い、なぐりかかれば、又八郎も若者、早足はききたり、ひらりひらりとはずし、とんぼ返り、水車、飛燕、右往左往互いに戦うありさまは、いにしえ牛若公、熊坂長伴に渡り合いし赤坂の宿にての秘術もこれには及ばじと目をおどろかす。
さしのに勇(たけ)き円長法師も、この小冠者に切り立てられ、すぐに危く見えしところへ、円長が被官甚五郎という者走せ寄り、鉄砲に火をはさみ、火ぶたをあけて差し出せば、それ打てと言われて、又八郎が脇つぼに押し当てとうと打ち、けるがん、また打ちはずしけん、又八少しもひるまずして、
土居が方にてはたれなるぞ、名乗れ、名乗れ
とののしり、脇目もふらず円長に切ってかかる。
円長三度まで後ろの岸にまくり付けられ、四度目にいかがしたりけん、円長仰(あおのけ)に倒れければ、又八、得たりやと胸板に乗りかかり、円長が首をかかんとす。
円長も下より又八が手をひしと取ってもちかえさんとしたりけるか、大勢入り込みたる後の泥深き水田の中へ、よろい武者あおのけに押し付けられれば自由ならず、すでにこうと見えしを、円長が被官に長助というもの、鋼(やり)をとって又八郎を突き倒し、押し付けて首を取りたりけり。

円長はさきほどより、今を最期と思い、死出の山を半ば越て人心地もなかりしが、少し上の軽くなりたるように覚えて目を開き、
ただ今の若者は
と、問いたりけり。長助、
こは何をのたまうぞ、それが突き伏せ、はや首を取りて候
とて、円長を引き起こせば、円長どろまぶれにて、起き上がり、大息をばつとつきて、
さても手ひどき若者かな
とて、身ぶるいしてこそ居たりけり。


次回(「橘合戦の事」其丿四)へ続く


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


 はらはらする法師木ノ本円長と土佐の若武者との渡り合い。その若武者の言葉があって、大将久武内蔵助を討ち取ったことを知ることができたようです。実は清良、土佐方の旗を使って敵を騙したのは今回が初めてではありません。それでもこの合戦が「最大の勝利」といわれる由縁は、西園寺殿の後詰なく他の武将の加勢もなかった中にありながら、土居の侍だけで土佐勢を押し返したこと。その中で土佐の大将を討ち取ったこと。そして、その褒美として西園寺殿より西園寺家重代の太刀と戦場となった「堂ヶ内」を領地として得たことに拠ります。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


 「堂ヶ内」は、天正九年六月一日より、中野殿の領地から土居殿の領地となり「堂ヶ内村」となります。それが「土居垣内村」の始まりでした。実は『吉田古記』に岡本城は古藤田村分にも記述されています。もしかすると古藤田村分から三間川を境に岡本城を分けたのが「土居垣内村」だったのかもしれません。現在、土居垣内地区は、岡本城のある地区、また三間町内で最も戸数の少ない地区として関心が持たれています。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

2012年05月21日

ヒヅメ気分( ̄(エ) ̄)v


今日の記事はひめりんご満載のお話ですヽ(^。^)ノ

以前ご紹介したことがあるのですが、ひめりんごはその日の気分でオモチャ箱から
好みのモノを自分で引っ張り出して遊びます。



今日のオモチャは~・・・


気分♪


『牛のヒヅメ。』 ... Σ(゚ω゚)


ひめりんごが『ヒヅメ』をチョイスするのは大変稀なことなんですよ。。。

ひめりんごの 『好みのオモチャベスト3』 は

① 噛むとピューピュー鳴るぬいぐるみ

② 噛むとピューピュー鳴るボール

③ 紙ひこーきやヘリコプターなどの空を飛ぶオモチャ


・・・となっており、ガムやヒヅメなどのいわゆる 『噛むオモチャ』はランキング外なのです。アボーン(´・ェ・`)


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むききっ


噛み噛み系のオモチャはワンコにとって歯磨き効果があるらしく、ママンといたしましては、

『どんどん噛んでちょうだい~♪』 (≧ ≦)Ω ヨッシャ!

と、久し振りにヒヅメで遊ぶひめりんごを大喜びで見つめておりました♪


歯は命


昔、歯磨き粉のコマーシャルで、『芸能人は歯が命』っていうフレーズがありましたが、
ワンコだって 『歯は命』 なのです。

どんどん噛み噛み系のデンタル・トイで遊んでほしい~・・・と、願うママンなのでした。*:.。☆..。.(´∀`人)

それでは、また~(^^)/


2012年05月20日

シャクヤク

今日は、「シャクヤク園」からお届けします。

シダレエンジュの木の下で品種の異なるシャクヤクが
今を盛りに咲き誇っていました
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シニアのアマカメラマンが多く来られていましたね (*^-^)ニコ
どうしても人物が入ってしまいます
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シャクヤクとボタンは、よく似ていますね
同じ仲間だそうですよ
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「ミス・アメリカ」 と書かれた札を見つけました  白、ピンクなどもあるようです
面白い名前ですね♪ どんな由来があるのでしょうか? ☆\( ^ ^)/~〃。.:*:・'°
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淡いピンクが入っていて とてもキレイでしたよ
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初めて見る豪華なシャクヤクに見惚れるばかりでした~ o(*^▽^*)o~♪
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                     ご訪問頂き有難うございます。

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