TOP>寺社仏閣/史跡

2012年05月27日

柳沢から秋葉山 1 一之宮神社



携帯からの方はこちら


a-DSCN5332

JAに来ました。




aaDSCN5332
JA大洲柳沢支所

JA大洲は平成11年4月1日にJA内子町・JA長浜青果・JA五十崎町・JA肱川の5JAが合併して「JA愛媛たいき」として発足した。



a-DSCN5400

Aコープ


a-DSCN5401
柳沢店




a-DSCN5333
右折したところに立派な建物があった。




a-DSCN5334
県道54号



a-DSCN5335
分岐点に出た



a-DSCN5337
ここに神社があった。



a-DSCN5338


a-DSCN5339
比較的新しい鳥居





a-DSCN5351
昭和9年4月



a-DSCN5341

この大木は?



a-DSCN5352
これで大きさが分るかな?




a-DSCN5343
一の宮神社 (ム)クノキ エノキ シラカシ群生地

一部不明瞭









a-DSCN5340
壊れた狛犬



a-DSCN5342
その他石像物




a-DSCN5344
向拝



a-DSCN5353
獅子と象?


a-DSCN5348
古い扁額


aaDSCN5348
一宮大明神

天保七丙申歳 初冬


 a-DSCN5350
寄付記念


a-DSCN5346
絵馬や写真が奉納されている



a-DSCN5347
これは?


aaDSCN5347
慌てん坊将軍様の話では「飛行甲板が三段だった頃の航空母艦『赤城』」



a-DSCN5354
外にはベーハ小屋


これより秋葉山、標高722mを目指します。








もう一つのブログも見てね

ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログへにほんブログ村 健康ブログ 整体へ

2012年05月24日

『清良記』巻二十三「橘合戦の事」其丿四


 さて今回から合戦の舞台は大内へと移ります。土佐は大将率いる先陣を討ち取られ、それ以上岡本城には近付けなかったようです。面白いのは、その後休息の時間を取り、その中で土佐方と土居方の代表者が問答する様が描かれているところです。戦の礼儀とでもいうものでしょうか。敵同士が率直に情報交換し合うのも戦国時代の情報戦というものなのかもしれません。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


前回(「橘合戦の事」其丿三)の続き


さてまた、内蔵助を打ちしとは又八郎が言葉にてこそ知りたりける。この所は堂ヶ内とて篠竹生い茂りたる内なれば、土佐方後陣の勢あわてけれども、こほど味方を討たれたりと知らで、ただくずれたるばかりと心得、裏仏に支えければ、先陣の討ち残されも東の藪をタテにして川端に支えける。土居方よりも足軽を先に立て、矢いくさにこそなりける。
されども土佐勢は、水田の中を三、四町追われけるとき、火なわをぬらし消えたりしかば、鉄砲打つことかなわずして、即時に打ち立てられ、佐竹太郎兵衛親則がひかえたる裏仏へ逃げかかる。
善家、桜井、古藤田より大内堺へ押し寄せ、旗を立てれば、清良も川を越えて皆一緒に寄り集まり、しばし息をぞ休めける。

かかるところに土佐方より使いと見えて、栗毛の馬に乗りたる侍、はるかに扇を上げ、その間五反ばかりへ乗り寄せ、
いかに清良の御陣へ申し候。元親近年義兵を起こし、阿讃両国をしたがえ、伊予も大半討ち取るといえども、宇和郡いまに静まらず。それに付きたびたび手遣いあれども、土居殿ご防戦強きによりていまだ本意をとげず、元親無念に存じ、今たびはぜひの安否を定めんために、久武内蔵助、佐竹兄弟が大将を承り打ち向かうところに候。内蔵助、肥前は先陣にて岡本の城を給いて警固のためかしこへ籠りて候。佐竹信濃守、同太郎兵衛後陣にて、先陣の軍(いくさ)の音ばかり承りて待ちかね申し候心のまま一戦つかまつり、土居殿のおん手すさびにこの親則まかるべしと存じ、部輪新左衛門則宗を差し遣わされて候。清良へこの旨を申されて給わり候え
と、さわやかにこそ述べたりけり。

清良方よりも観音寺を出して、土居も内々その望みの由申せとありければ、佐渡三反ばかり乗り出し、
いかに則宗どの、これは観音寺佐渡と申す者にて候。清良内々弓矢の心がけありて、一条廉政より今、長宗我部元親まで、三十度に余り、四十度におよびて相戦うといえども、大敵にて小身なる土居をあなどり給う故か、ついに心地よき合戦つかまつらず。あわれ今かびはと下下我らまで存じあるところに、はや初合戦に先陣をうたれたる大将、親信肥前を討ち取り申し候えば、さだめて親宗、親則も深きことあるまじと存ぜられ候。しかしながら、さもなくて武名を恥じたまい面白き軍(いくさ)もあれば、互いに手をくだき、鑓(やり)のさびをもおとし見申したく候。前々は若き御衆故にや、はや引きをなされ、いくさ暫時に果て、敵味方ともに心騒がしきばかりにて候ぞ。この旨を佐竹殿へよく申され候え
と、言いければ、新左衛門重ねて申しけるは、

元親も今までは若輩ばかりを差し越し、たびたびおくれを取り、いか程か無念に存ぜられ候故、今たびは我らへもそのさまを直々申し含められ候しが、さては内蔵助と肥前ははや討たれて候か。さてゆうべ参り候者ともはいかがつかまつり候やらん
と尋ねける。
佐渡答えて、
手に立つ衆は即時に打ち留め、生捕りの分はあの城の本丸に入れ置きて候
と、言いければ、新左衛門が言う、
内蔵助と肥前守両人は土居殿の御手へ討ちとられて候や
と、あざ笑いてまことにはせざりけり。
土居方にても、首はとらず不審には思いけれども、又八が言いしばかりにてこそ打ちとりたりと知りければ、しょせんその間のことしろしめされたくば、そのとき討ちもらされのお味方に尋ねられるべしと、佐渡は帰りぬ。

その後、太郎兵衛備えを直し、土居方よりも足軽を先に立て、新手を入れ替え、三度までせり合い、四度目には蔵人、武蔵むんずと打ってかかり、土佐方佐川玄蕃が百ばかりの備えを六、七反突きしざらかして、裏仏の田中に旗を立てさせたり。
清良これを見やりて、
土佐方の新手入れ替わりなば、両人無援なるべし。外記詰め寄りて、いま一しおつけて引け
と、ありければ、土居外記そのころ二十三歳なれども、弓矢打ち物功者にて、蔵人が三反ばかり後ろに控へけるところへ、
若藤若狭守家氏と名乗り、二百騎ばかり真っ黒に突きてかかる。

外記はふだん雁行の備えすきなれば、得手の備えにて家氏が人数を二つに突き分けて攻め戦う。武蔵、蔵人、横ヤリに入りて家氏、佐竹を打ちくずし、さらさらと引き取りしに、土佐方、跡をしたいたきなる体と見えしが、久武、国吉が討たれることかくなれば力落ちし、あわて騒ぎて引き色に見えしかば、清良兵を進めて、
今日のいくさに首取るべからず、ただ討ち捨てにすべし
とて、総勢百二十騎、ヤリに鉄砲立てかえ、三町ばかり突きくずし、えいやえいやと声を出して押しかかり、ぞんぶんに攻め戦う。
ここは場よきうえに、土佐方は大勢なれば敵に引き包まれざるようにと、下知し、鐘をならしてさっと引とれば、土佐勢つづいてかからんともせず一ところに打ち寄りければ、清良も諸勢を集め、岡本のふもとに控えたり。

土佐方みはこれを見て、
あの土居が小勢を手延べにして大将久武を討たれ、その他国吉備前守を始めあまたの味方を失い、あまつさえ引き入りし勢はいまだ岡本の城に取りこめられて我われをまねくを、なさけなくも見捨て帰りなば、二度と人に面をむけがたし。まして親信は元親のおんためには嫡子信親同然とおぼしめされ当家一の家老なり、たとえ我ら残らず討死するとも、このままにては帰られまじく、敵鬼神なりとも一あて当て勝負をせよ、者ども
とて、人数をくり直し、佐竹信濃守親宗先陣にてぞ寄せ来りけり。


次回(「橘合戦の事」其丿五)に続く


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


 土佐方は大将久武が本当に討ち死にしたことを知り戦意を喪失。しかし、清良は土佐が依然多勢であることを注意して、包み込まれないように押して引く戦を命じ、また今日の戦では首を取らないようにと命じています。清良は全軍を手足のように掌握し大変緻密な戦をしていることが分かります。一方の土佐勢も捕虜を取られ大将を討たれたまま生きて帰る訳にはいかぬと、決死の覚悟で清良に戦いを挑みます。さてこの結末は如何相成りますか。残り二回となりました。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

2012年05月22日

永昌寺ぼけ封じ観音ご縁日

CA3I0044   CA3I0043
 20日、恒例の松丸永昌寺のぼけ封じ観音、三世観音のご縁日法要がありました。

 星野尚禅住職の法要と、永昌寺ご詠歌講の梅花講の皆さんによるご詠歌のサポートです。

このぼけ封じ観音は、三世観音と同じく、ぼけ防止、闘病平癒、家内安全、世界平和を祈願する観音様です。ボクはMC進行役を仰せつかりました。


CA3I0046  CA3I0051
 松野名物、鬼城太鼓のパワフルな演奏もありました。

ジュニアチームも練習の成果が上がって可愛く力強く演奏してくれました。







CA3I0050   CA3I0052
 生憎、・・・・というか、想定通りに??演奏前に雨が降ってきましたが、本番前に奇跡的に一時上がり、何とか予定の曲数をクリアーできました。

鬼城太鼓の皆さん、いつもご苦労様です。


CA3I0049
 そしてフィナーレは景品付きもちまきです・・・・・・・。が・・・

今年のお餅は出来立てほやほやで柔らかく頭に当たっても痛くなかったそうです。理由は発注責任者が、注文を忘れてて、仕上がりがギリギリになったのだそうです。やれやれ・・・またかい・・・・。

小雨がぱらつく割にはお客さんがいっぱいきてくれてうれしかったです。

2012年05月20日

夏季 青少年団体ご利用&ご相談 承り中です

いつも当宿をご利用いただきまして、まことにありがとうございます。
さて、早や5月も下旬。夏のお問い合わせをいただいく季節となりました。ご不明な点は
ご遠慮なくお尋ね下さい。なにぶんにも標高80メートルの森の宿です。車のルートが
道幅狭い点、ご容赦くださいませ。マイクロバスはふもとの宇和津彦神社前まで乗り入れ
可能です。神社〜YHの間の荷物の運搬につきましては、ご相談ください。シンプルな
施設ですが、どうぞご活用ください。ありがとうございます。

(玄関前のポーチの屋根、波板を張り替えました。これで雨の日も安心!)

facebookページも、できるだけ更新中!

http://www.facebook.com/MorinoyadoUwajimaYH

2012年05月19日

四国八十八箇所霊場第四十番札所 観自在寺

愛南町には、四国八十八箇所霊場があります。
第四十番札所の観自在寺です。

第1番札所より最も離れた場所であることから、『四国霊場の裏関所』と呼ばれているそうです。

立派な山門
上を見上げてみてください。

鮮やかな方位盤があるんですよ~sei

新緑が美しい

こちらの井戸は、弘法大師がトンッと杖を突いたら湧き出たという井戸
勅使井戸といいます。南2号が調べた伝説とトッポ話はこちらshokopon

平成26年、四国八十八箇所霊場ご開創1200年を迎えるそうです。
各霊場寺院では、記念事業を行うそうです。

久しぶりに両親と訪れたのですが、さわやかな風を感じて清々しい気持ちになりました。

第 四十番札所 観自在寺 HP
aya 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1
sei 0895-72-0416

2012年05月18日

帝京第五高校前の徳右衛門丁石



携帯からの方はこちら


a-DSCN6404

帝京第五高等学校前にお地蔵様と共にある徳右衛門丁石


「(梵字) (大師像) これより菅生山へ十り」


「施主 新谷町」


「越智郡上村 徳右衛門」


「施主 新谷町」



間口は広いが奥行き無し


徳右衛門丁石について

 今治市の富田地区を中心とした地域に府中二十一ヶ所霊場があって、今も根強い信者を擁しているという。

この府中二十一ヶ所霊場の開創者が武田徳右衛門である。

この武田徳右衛門のもう一つの大きな業績に遍路行をする者のための丁石の建立がある。

ところで彼は、僧侶ではなく、格別信仰心が深かったわけでもなく、元々はごく平凡な一人の農民であった。

その彼の身に降りかかった不幸というか、あるいは苦悩というか、そうした耐えかねるほどの悲しみの重さが彼自身を、そして彼の人生を大きく変えるきっかけとなった。彼がそこで出会ったものがお大師様であり、四国遍路の旅であった。


武田徳右衛門 ―亡き子の菩提を弔うために―



BlogPaint
この写真を撮っているとき、高校生らしき学生さんがGPS測量の実習をしていた




a-DSCN6406
右 へんろみち


a-DSCN6407
石灯籠や手水鉢もある

水準点もあるようだ。

標高は約16m


a-DSCN6409
台座の傾斜を直したと言う記念碑



「伊予のへんろ道」によると
その後、道は新谷の町を過ぎる辺りから帝京第五高等学校の敷地を斜めに横切り、矢落川に架かる高柳橋に至る。

『四国遍礼名所図会』には「高柳橋町はなれ土
橋也、」とあり、かつては小さな土橋が架かっていたが、現在は歩行者用の小さな鉄の橋が架かっている。

この高柳橋の辺りは遍路の休息する場所
でもあったという。その橋のたもとには、武田徳右衛門道標と(自然石の)道標の2基があった(現在は2基とも帝京第五高等学校前に移設されている)



この場所は、お地蔵様や石像物があって道しるべがあっても違和感の無い場所だが、道路の改修などで多くの道しるべが移転されているが、これもやはり移転されたものらしい。

a-DSCN7395
国道56号に架かる小さな橋



a-DSCN7396
これが高柳橋か?

地図などに拠ればこの橋で間違いないと思われる。




a-DSCN7404

向こうに見えるのは帝京第五高校の校舎




a-DSCN7401
国道方面


松山自動車道が見える








a-DSCN7399
矢落川下流









a-DSCN7397
上流方面


これがへんろ道の跡か?



 道は高柳橋を渡って矢落川の左岸を進み、二軒茶屋を経て、やがて五十崎町黒内坊の三差路に至る。この分岐点に徳右衛門道標がある。
伊予のへんろ道









もう一つのブログも見てね

ブログランキング参加中 ポチッと押してね♪


にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログへにほんブログ村 健康ブログ 整体へ

【広告】

サイト内検索

メンバー紹介

このサイトに自分のブログを載せたい!
(ブログの登録は無料です。)


アーカイブ

アクセスカウンター

ツイッター

SEO


  • seo






みんなで作る南予の辞書
愛媛のブログ作成はこちらへ

宇和島のポータルサイト

アクセスランキング A

QRコード

QRコード




amazon 検索