さて今回から合戦の舞台は大内へと移ります。土佐は大将率いる先陣を討ち取られ、それ以上岡本城には近付けなかったようです。面白いのは、その後休息の時間を取り、その中で土佐方と土居方の代表者が問答する様が描かれているところです。戦の礼儀とでもいうものでしょうか。敵同士が率直に情報交換し合うのも戦国時代の情報戦というものなのかもしれません。
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前回(「橘合戦の事」其丿三)の続き
さてまた、内蔵助を打ちしとは又八郎が言葉にてこそ知りたりける。この所は堂ヶ内とて篠竹生い茂りたる内なれば、土佐方後陣の勢あわてけれども、こほど味方を討たれたりと知らで、ただくずれたるばかりと心得、裏仏に支えければ、先陣の討ち残されも東の藪をタテにして川端に支えける。土居方よりも足軽を先に立て、矢いくさにこそなりける。
されども土佐勢は、水田の中を三、四町追われけるとき、火なわをぬらし消えたりしかば、鉄砲打つことかなわずして、即時に打ち立てられ、佐竹太郎兵衛親則がひかえたる裏仏へ逃げかかる。
善家、桜井、古藤田より大内堺へ押し寄せ、旗を立てれば、清良も川を越えて皆一緒に寄り集まり、しばし息をぞ休めける。
かかるところに土佐方より使いと見えて、栗毛の馬に乗りたる侍、はるかに扇を上げ、その間五反ばかりへ乗り寄せ、
いかに清良の御陣へ申し候。元親近年義兵を起こし、阿讃両国をしたがえ、伊予も大半討ち取るといえども、宇和郡いまに静まらず。それに付きたびたび手遣いあれども、土居殿ご防戦強きによりていまだ本意をとげず、元親無念に存じ、今たびはぜひの安否を定めんために、久武内蔵助、佐竹兄弟が大将を承り打ち向かうところに候。内蔵助、肥前は先陣にて岡本の城を給いて警固のためかしこへ籠りて候。佐竹信濃守、同太郎兵衛後陣にて、先陣の軍(いくさ)の音ばかり承りて待ちかね申し候心のまま一戦つかまつり、土居殿のおん手すさびにこの親則まかるべしと存じ、部輪新左衛門則宗を差し遣わされて候。清良へこの旨を申されて給わり候え
と、さわやかにこそ述べたりけり。
清良方よりも観音寺を出して、土居も内々その望みの由申せとありければ、佐渡三反ばかり乗り出し、
いかに則宗どの、これは観音寺佐渡と申す者にて候。清良内々弓矢の心がけありて、一条廉政より今、長宗我部元親まで、三十度に余り、四十度におよびて相戦うといえども、大敵にて小身なる土居をあなどり給う故か、ついに心地よき合戦つかまつらず。あわれ今かびはと下下我らまで存じあるところに、はや初合戦に先陣をうたれたる大将、親信肥前を討ち取り申し候えば、さだめて親宗、親則も深きことあるまじと存ぜられ候。しかしながら、さもなくて武名を恥じたまい面白き軍(いくさ)もあれば、互いに手をくだき、鑓(やり)のさびをもおとし見申したく候。前々は若き御衆故にや、はや引きをなされ、いくさ暫時に果て、敵味方ともに心騒がしきばかりにて候ぞ。この旨を佐竹殿へよく申され候え
と、言いければ、新左衛門重ねて申しけるは、
元親も今までは若輩ばかりを差し越し、たびたびおくれを取り、いか程か無念に存ぜられ候故、今たびは我らへもそのさまを直々申し含められ候しが、さては内蔵助と肥前ははや討たれて候か。さてゆうべ参り候者ともはいかがつかまつり候やらん
と尋ねける。
佐渡答えて、
手に立つ衆は即時に打ち留め、生捕りの分はあの城の本丸に入れ置きて候
と、言いければ、新左衛門が言う、
内蔵助と肥前守両人は土居殿の御手へ討ちとられて候や
と、あざ笑いてまことにはせざりけり。
土居方にても、首はとらず不審には思いけれども、又八が言いしばかりにてこそ打ちとりたりと知りければ、しょせんその間のことしろしめされたくば、そのとき討ちもらされのお味方に尋ねられるべしと、佐渡は帰りぬ。
その後、太郎兵衛備えを直し、土居方よりも足軽を先に立て、新手を入れ替え、三度までせり合い、四度目には蔵人、武蔵むんずと打ってかかり、土佐方佐川玄蕃が百ばかりの備えを六、七反突きしざらかして、裏仏の田中に旗を立てさせたり。
清良これを見やりて、
土佐方の新手入れ替わりなば、両人無援なるべし。外記詰め寄りて、いま一しおつけて引け
と、ありければ、土居外記そのころ二十三歳なれども、弓矢打ち物功者にて、蔵人が三反ばかり後ろに控へけるところへ、
若藤若狭守家氏と名乗り、二百騎ばかり真っ黒に突きてかかる。
外記はふだん雁行の備えすきなれば、得手の備えにて家氏が人数を二つに突き分けて攻め戦う。武蔵、蔵人、横ヤリに入りて家氏、佐竹を打ちくずし、さらさらと引き取りしに、土佐方、跡をしたいたきなる体と見えしが、久武、国吉が討たれることかくなれば力落ちし、あわて騒ぎて引き色に見えしかば、清良兵を進めて、
今日のいくさに首取るべからず、ただ討ち捨てにすべし
とて、総勢百二十騎、ヤリに鉄砲立てかえ、三町ばかり突きくずし、えいやえいやと声を出して押しかかり、ぞんぶんに攻め戦う。
ここは場よきうえに、土佐方は大勢なれば敵に引き包まれざるようにと、下知し、鐘をならしてさっと引とれば、土佐勢つづいてかからんともせず一ところに打ち寄りければ、清良も諸勢を集め、岡本のふもとに控えたり。
土佐方みはこれを見て、
あの土居が小勢を手延べにして大将久武を討たれ、その他国吉備前守を始めあまたの味方を失い、あまつさえ引き入りし勢はいまだ岡本の城に取りこめられて我われをまねくを、なさけなくも見捨て帰りなば、二度と人に面をむけがたし。まして親信は元親のおんためには嫡子信親同然とおぼしめされ当家一の家老なり、たとえ我ら残らず討死するとも、このままにては帰られまじく、敵鬼神なりとも一あて当て勝負をせよ、者ども
とて、人数をくり直し、佐竹信濃守親宗先陣にてぞ寄せ来りけり。
次回(「橘合戦の事」其丿五)に続く
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土佐方は大将久武が本当に討ち死にしたことを知り戦意を喪失。しかし、清良は土佐が依然多勢であることを注意して、包み込まれないように押して引く戦を命じ、また今日の戦では首を取らないようにと命じています。清良は全軍を手足のように掌握し大変緻密な戦をしていることが分かります。一方の土佐勢も捕虜を取られ大将を討たれたまま生きて帰る訳にはいかぬと、決死の覚悟で清良に戦いを挑みます。さてこの結末は如何相成りますか。残り二回となりました。
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