- 松浦 暢
- 英詩の歓び―青春、そして夢と追憶
たまには日陰で読書もいいですね。
日射病には気をつけて。
遠い思い出です。。。
身近な方が試練を乗り越えて
いまでも元気でやっています。
頑張りましょう。
美女はもちろんのこと、
女性は若いうちから
健康診断は必ず受けるようにしましょう。
- 尾瀬 あきら
- 夏子の酒 (1)
「光の追憶 夏子の未来」
(1)
次女の夏子がようやく成人式を迎えた。夏子が生まれたのは、私がまだ十五歳の時である。私は兄とは十二歳も離れていた。
兄が佐和子さんと結婚し、挙式の翌月には長女の明子が誕生している。その一年後に夏子が生まれた。兄は明子が生れて三ヶ月目で他界していた。夏子は亡き兄の子である。その時、夏子はまだ私の姪であった。今では戸籍上は私の次女である。あれからもう二十年の歳月が流れた。
佐和子さんの容体は、依然予断を許さない。悪性の腫瘍が全身に転移している。二年前、私は佐和子さんの乳房にしこりを感じた。検診時は二センチほどのごく初期の乳ガンだった。
それから何ヵ月が過ぎ、腫瘍の塊が急に肥大化していた。放射線治療で、一時凝りは小さくなったかのように思えた。安心したのもつかの間、医師からは温存か切除か判断を迫られた。塊が五センチとなったときである。
佐和子さんは胸を失うのは死に等しい言う。女にとっては命の次に大切なシンボルなのだ。病院に行っても同じ悩みを持つ婦人が多い。私は女の裸体を描くのが仕事である。絵のモデルは佐和子さんがほとんどである。だから、彼女の一部が一つでも欠けるのは耐えられないのだ。彼女の胸の起伏は私の命でもあるのだ。
私は十代から彼女の一部になっている。佐和子さんは、四十代の半ばになっても、体形は変わらない。瑞々しい肢体。衰えることを知らない女体。当然、周りの男たちは放ってはおかない。
放射線による温存療法ということで、私たちの意見は一致していた。別の病院でも見解は同じであった。だが、私の思惑とは裏腹に、経過は最悪の状況になっていた。
一年前、担当女医からは、あと半年ぐらいですね、告知なさいますか?と言われた。私に告知など出来るわけがない。限りなくステージ四に近いということだった。インフォームドコンセントやセカンドオピニオンなどは慰めにもならなかった。
- 木立 玲子
- フランス流 乳ガンとつきあう法
(2)
私は佐和子さんの胸に呪文を唱えた。覚悟を決めて、毎日毎日、佐和子さんの乳房を泣きながら愛撫した。私にはそれしか出来なかった。いつ不測の事態になっても、佐和子さんの記憶を体に染み込ませておこう。そう自分に言い聞かせるためである。
だが、その半年が一年を迎えた。緊張した中にも私にとっては、嬉しい誤算だった。その誤算が永遠に続け、と私は吠えていた。
女医の告知は幸いにも外れたことになる。佐和子さんは夏子の成人式には間に合った。だが、一寸先は分からない。佐和子さんは、元気そうに振る舞っている。とにかく明るく振る舞う。明日の事なんか分からないし、悩んでもむだでしょ。その日その日が大事なのよ。元気を出しなさい、と佐和子さんはしきりに言う。
家族の私たちが逆に病人のように見える。佐和子さんの開き直った柔らかな笑顔。その物腰に私は幾分救われていた。
その裏側には、恐怖の海が待ちかまえている。私はそう感じた。今は、これでも彼女の二代目の夫なのである。
佐和子さんにとって、私は夫として無力に見えるのだろう。だが、彼女への想いはずっと変わっていない。
兄は明子が生後三ヶ月を迎えた頃、原因不明の突然死で亡くなる。私はまだ中学生で、包茎から脱出したばかりだった。女に少しずつ興味を持ちはじめていた頃でもある。
夏子や明子は父の温もりを知らないまま、青春を通り過ごしていた。二十六歳という夫の死に、佐和子さんは茫然としていた。佐和子さんはまだ二十四歳になったばかりである。
私はそんな佐和子さんが気の毒に思っていた。私なりに必死に言葉で慰めてもみた。だが一向に埒があかない。それもそのはずで、私自信も動揺していたからである。
佐和子さんにとっては、子供の同情は少しも慰めにもならない。初めて佐和子さんを見たときから、確かに落ち着きがなくなっていた。
私には兄嫁への憧れがあったのだろう。私には初恋だった。それと同時に女への関心が強くなっていた。兄も私が兄嫁を慕っていることに、薄々気付いていたに違いなかった。
兄のいない時は、よく佐和子さんに浴室に誘われていた。彼女の背中を流すのが日課になっていた。
彼女はまだ私のことを、子供だと思っていたのだろう。中学生といっても、私は年齢の割には背丈も低く童顔だった。
周りからはまだ小学生に見えていた。女の子からのいじめにも遭っている。私には欲情などはまだ無かった。佐和子さんの裸体は眩しく見えた。
白くて滑らかな肌。大きな乳房。柔らかな太ももだった。私の方を振り返った途端、彼女は目の色を変えていた。それからは、私への態度が変わった様な気がする。
それ以来、私と佐和子さんとは歳の離れた兄妹のように、気持ちが通じ合えるようになっていた。
兄の初七日が過ぎた辺りから、それが顕著に現れた。佐和子さんは時折、私へ熱い視線を送るようになった。
その妖艶な眼差しは生前の兄を見つめる時と同じであった。佐和子さんの体が疼いている。大人だったら分かるのだろうが、少年の私にはそれが、わかるはずもない。
私は兄と風貌が似ていた。佐和子さんは、たぶん私にも以前から好意を寄せていたのだろう。佐和子さんは暫く未亡人のまま、私と二人の姉妹を育てた。兄の死後五年間は生命保険金や、佐和子さんの実家からの援助で、かろうじて生活は凌いでいた。
- 田島 知郎
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(3)
佐和子さんの実家は秋田市内にある。老舗の大きな旅館で、彼女は女将として采配をふるうはずであった。私と籍を一緒にするまでは、生活費の援助もあったようである。明子と夏子が小学校に入学したころである。
佐和子さんが女子大生の時である。彼女の友人、吉川峰子さんが、自分と一緒に佐和子さんを広告代理店に推薦した。
ところが、意外にも、佐和子さんはイメージガールに抜擢されてしまう。峰子さんも意外と美形で、本人も自信があったようだ。
推薦した方の峰子さんは、かなり落ち込んだようである。その後二人の交友はない。その峰子さんは偶然にも、中学の担任教師になっていた。
家庭環境は峰子さんに筒抜けになっていた。
佐和子さんの事になると、態度を変えていた。兄が亡くなった後、家庭訪問に一度来たことがある。佐和子さんは居留守を使って、会おうとはしない。峰子さんと兄とは愛人関係でもあった。佐和子さんは許すはずがなかった。蛯名からの誘惑もあったからそれどころではない。
佐和子さんは、ミスキャンパスにもなったほどである。だからプロ受けはする。その容姿は二人の出産を経ても、ずっと変わっていない。
その時兄はオーディションの担当であった。それ以来、佐和子さんと親しくなっていった。
兄には佐和子さんを慕う、蛯名というライバルがいた。
彼の幼なじみである。オーディションを受ける前、健康診断書を書いてもらうときに蛯名は一目惚れをしていた。
兄は焦っていたのだろう。佐和子さんと知りあって脱兎のごとく一緒になった。峰子さんは蛯名の元恋人であった、兄は峰子さんとの関係に負い目もあった。蛯名には傷つけられた遺恨も、あったかも知れない。
兄の死後、外科医の彼は佐和子さんに接近し始めていた。その強引さに折れる形で、佐和子さんは蛯名と関係を持つようになった。彼女は素直なせいか、流されやすい。夜になると自分を抑えきれなくなる。聖女と娼婦が同居している。蛯名にはすでに妻子がいた。彼女をめぐって、私は彼と激しく争うことになる。
吉祥寺南町のマンションは、兄の死亡時点でローンの支払いはなくなっていた。マンション購入時に、団体生命保険の保証料を一括で支払っていたからである。兄の生命保険金は潤沢ではなかった。
だが、ある事件のお陰で、佐和子さんには資産が出来ていた。二人の子供のためとは言え、表ざたには出来ない。私と佐和子さんはいつも慎重であった。私の美術学校の入学金や授業料にも使われた。
私は入学してからは、果敢にアルバイトにも精を出した。私は佐和子さんへの、恩返しの気持ちも働いていたからである。在学中に運よく絵の新人賞を手にした。それ以来、私は中退して画業に励むようになった。売れた絵は生活費に回した。
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(4)
兄の死後、蛯名は執拗に佐和子さんに関係を迫っていた。佐和子さんは、蛯名が物足りなくなっていた。だが、蛯名は佐和子さんに溺れている。佐和子さんは、蛯名に別れ話しを持ちかける。彼女は困り果てていた。蛯名は医師の割にはあまり健康体ではなかった。彼は性欲は強いが、心臓が弱いらしい。佐和子さんは蛯名が弱っていくのが分かっていた。
佐和子さんは私には心配しなくて大丈夫よ、と言う。秘策を考えている顔だった。私は女のしたたかさと怖さを覚えた。それでも、私は追い込まれた彼女には同情していた。早く手を切ったら、と進言をしている。
二人で完全犯罪でも、と考える様になっていた。私は佐和子さんに、一任することにした。
蛯名は狂ったように、これが最後と、佐和子さんの体を求めた。それがいつも口癖になっている。彼女との行為の途中で蛯名は、突然心筋梗塞で倒れた。蛯名は国立大学病院の勤務医だった。
もちろん、上腹死だったという話は公には出ない。蛯名の上司は、スキャンダルには神経をとがらせていた。そうでなくても、医療ミスや名義貸しで、大学病院はマスコミの標的になっていたからである。
結局、蛯名は単なる病死ということになった。病院側は佐和子さんに口封じを迫る。水面下では多額のお金が動いた。佐和子さんは私だけには、事の真相を話してくれた。そのお金には手を付けないことにした。秘密の口座を作り、子供の養育費に充てていた。
佐和子さんと籍を一緒にしたのは、その時からである。佐和子さんは兄が亡くなり、秋山から仁科という元の姓に戻った。私も佐和子さんと結婚して仁科の姓を名乗ることになった。十代にして私は突然二児の父親になった。そして妖艶な妻も手にしていた。
夜になると佐和子さんは、私を休ませてくれることはなかった。一晩に三度も四度も愛し合う。佐和子さんは底なしだった。いくらやっても疲れた気配がない。佐和子さんにとって私は、薬きょうの切れないマシンガンである。佐和子さんの満ち足りた表情をみて、私はそう感じていた。
明子と夏子にもの心がつき始めると、どうしてお父さんは十五しか離れてないの、とよく言い寄られた。学校の調査書を書くとき、彼女たちに発覚した。二人はいつもイジメの対象にもなっていた。頻繁に不登校も繰り返すようになった。
私と佐和子さんは、ある時期がきたら話すと約束した。二人がまだ中学生の頃、佐和子さんと私は、再婚したのだということを告白した。私は継父ということで彼女たちは納得していた。たしか、二人が初潮をむかえた頃だと思う。それ以降、二人は立ち直っていった。
ちょっと頼りないが、年の離れた兄貴がいる、と思えば気が楽だわ、と夏子が言う。私は次女とはよく気が合った。
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(5)
兄が大学を卒業すると同時に私の両親は、交通事故で他界していた。家は西荻窪の借家だった。両親が残してくれた財産は、微々たるものだった。兄は借家の権利を売り、僅かだが立退き料を手にしていた。そして、兄と私は近くのアパートでしばらく暮らしていた。
その後、兄は広告会社にする。入社三年目を過ぎてマンションを購入していた。九十年代のバブルの頃の物件だから、金利も毎月の支払いも高い。たしか頭金はそれほどなかったはずである。銀行からの強引な貸付が、後を絶たなかった時代である。
人々はマネーゲームの感覚で動いていた。周りでは不動産や株の取引が、盛んにおこなわれていた時でもある。マンションに入居して一年が過ぎたころ、佐和子さんと兄は一緒になり、同時に子供も産まれた。
私を含めた団欒の日々は、三ヵ月というごく短いものとなった。兄は亡くなる前日まで、激しく佐和子さんと愛し合っていた。夜の夫婦生活は、私の部屋からは筒抜けだった。二人の発する夜の声は私には耳障りであった。
それまで大人の夜の行為は、一体どういうものなのか、女の白い体はどうなっているのか、私はよく分からないまま過ごしていた。私はいつも気になっていたのである。この頃、私はまだ童貞だから仕方がない。女への関心が深まったのは、二人の夫婦生活を知ってからである。
ある夜、寝室での叫び声を聞いて、私は二人の具合でも悪いのかと心配になっていた
私は二人が病気だと勝手に思い込んでいた。心配になって、とうとう兄の寝室に押し入ってしまった。兄と佐和子さんはあらわなままでいた。佐和子さんは、白い胸を揺らしながら仰向けに寝ている。幹夫さん、幹夫さん、と佐和子さんは叫んでいた。
陶酔した彼女の顔をみて、私は不思議な感覚を抱いた。それまで抱いた事のない大人の世界があった。彼女の汗がベッドのシーツに沈んでいた。佐和子さんと私の目が微妙に合ってしまう。私は近くまで忍び寄った。兄は目を瞑りながら行為をしていたから、私にはしばらく気づかなかった。
兄は彼女の白い胸に顔を埋めている。佐和子さんの股間に激しく腰を押し付けていた。私はその時、二人はアクメの最中だとはまったく判らなかった。目を瞑りながら、私は立ちすくんでいるだけであった。兄が気づいて怖そうに私を睨んでいた。
兄は慌てていた。おいお前、なに見てんだよ。ガキの来るところじゃねえんだよ。早くでていけ。と兄にきつく言われた。兄は分別を知らない弟に嫌気がさしていたのだろう。兄はおそらく弟という存在が、以前から重荷になっていたのだろう。
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(6)
兄は佐和子さんと結婚して以来、ますます冷淡になっていた。それまでの穏やかな表情は影を潜めていた。佐和子さんが失神しているとき、私は素っ裸の兄に激しく叱責されていた。私は兄に思いっきり顔を殴られた。そのあざはいまでも消えていない。心の痛みも。兄が亡くなる一週間前の事である。
佐和子さんはそのことは知らないはずである。殴られたのは部屋の外でもあったし、だいいち彼女は性行為の疲れで、安らかに眠っていたからである。兄はそれ以降、私と口をきかなくなってしまった。
兄はすっかり豹変してしまっていたのだ。黒い交友関係も噂されていた。兄は覚せい剤を常用するようになっていたらしい。検視でそれが判った。二人の夜の行為は、私が大人の雑誌に目を通すきっかけを作った。
アクメという言葉を知ったのは、それから後になってからである。男女に関する本を読み漁るようになっていた。
だが、それは私にとっては苦痛でもあった。女に関する情報をいくら頭に詰め込んでも、少年の想像力などたかが知れている。なぜ大人は訳の分からない事に固執するのか。いったい、体と体の接触がそんなに楽しいものなのか。私の貧弱なイメージだけでは限界だった。
明子が産まれて以来、佐和子さんは育児や夫婦生活に疲れきっていた。兄が以前の女たちと、再び関係を結びだした。彼女のお腹が目立つようになってからだ。
兄には佐和子さんが妊娠して以来、夫婦の関係を築けないもどかしさもあったのだろうと思う。出産後はなおさらである。
兄は結婚前プレイボーイの名を、欲しいままにしていた。世帯を持つようになってしばらく平穏な生活は続いた。
私には素敵なカップルに見えた。だが、長くは続かなかった。佐和子さんは兄の動向がいつも気になっていた。
私には時折、本音を吐いて憂さを晴らしていた。
貞淑な佐和子さんにとっては、兄の浮気は許しがたい行為だったのである。佐和子さんは私に気持を移し替えようとしていたのかも知れない。そんな気もする。
私は育児に懸命な佐和子さんを、微笑ましく思っていた。兄への妻の役目どころではなかったらしい。
兄は明子が生れる前から、家を空ける事が多くなった。毎月の給料も必要最低限しか渡さなくなっていた。
それでも、佐和子さんは献身的に妻の努めを果たそうとしていた。二人の夜の行為は月に数える程度になった。
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(7)
兄の初七日が終わり、私は熱を出して寝込んでしまった。佐和子さんは明子の育児のかたわら、私を看病してくれていた。だが風邪ではなかった。今想えば、生前の兄と佐和子さんへの気遣いが、重荷になっていたのかもしれない。熱は三日三晩続いた。
佐和子さんは、私が風邪だと思い、子供に移るといけないわね、と言い、私と添い寝をしてくれた。
頭がぼんやりしている以外は、体の状態はは普通であった。私に夢精があったのはこの頃である。寝込んでいる間、私は佐和子さんと兄の光景が頭から離れない。
私が寝込んでいる間、しばらく明子には母乳ではなくて、粉ミルクを与えていたらしい。よく覚えていないが、熱でうなっているいる時、私の体に異変が起きたようである。
私の体が誰かと接触しているのである。佐和子さんなんのかどうかは、判別できない。体の中心が何かに吸い寄せられた。柔らかくて温かいものに包まれた。二つの白くて大きな膨らみが私の顔を覆う。私は、苦しい苦しいと言ったが、止むことはなかった。腰が重くなっていた。二つの膨らみの向こうに、女の顔がぼんやり見えていた。
私の口に何かが入った。乳首見たいなものが私の口に入った。誰かが水分を飲ませてくれているのだろう。これはやはり夢の中だと私は思い込んでいた。それが毎晩続いた。佐和子さんとは離れられなくなっていた。
知らない間に私は、佐和子さんの体の一部になっていた。佐和子さんとの交渉は、それが当たり前のようになる。私はいつも彼女のなすがままでいた。
佐和子さんの乳房は圧巻で、私は彼女の虜になっていた。蛯名との関係も同時期に続いていた。
私は次第に蛯名への憎悪が生まれていた。佐和子さんの悩みは私の悩みでもある。蛯名は、兄の友人だという理由をつくっては、勝手に出入りするようになった。
いま思えば、蛯名の死は不可抗力の何物でもなかった。たしかに情死が原因というのは事実である。
だが、その裏には人には言えない秘密があった。蛯名への殺意。私と佐和子さんには、暗黙の殺意があった。佐和子さんへの嫉妬心。蛯名から佐和子さんを取り戻したい。
そういう気持があった。あともうひとつ、気掛かりなことがあった。佐和子さんと関係した兄と蛯名は、同じような状況で亡くなっている。私自身もそうなるのかと不安になっていた。
佐和子さんはそんなの考え過ぎよ、と一笑に付した。あなただけは特別よ、あなたは大事なペットなんだから、と言いまくられた。
確かに彼女から見れば、私は檻に入った性豪のようである。佐和子さんは、お兄さんはあなたに嫉妬してたんじゃないかしら、と言う。確かに兄は私の性器を見ては、よく自分の股間を気にしていた。その時私は意味が分からなかった。私はうなずくだけであった。
忘れもしない。次女の夏子はあなたの子よと、佐和子さんが私に告白したのは、佐和子さんが亡くなる日の前の日だった。
夏子がそれを体でしっかりと受け止めてくれるかどうかは、明日になってみなければわからない。私はその時気が動転していて、そう思うしかなかったのである。
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