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GWを利用して宮崎県延岡市のシンボル、
行縢山(標高831m)に登りました。
行縢山は雄岳と雌岳(809m)の双岩峰で、
その間を行縢の滝が流れ落ちます。
垂直に連なる花崗斑岩の岩壁は絶景で、
県の名勝や祖母傾国定公園に指定されています。
行縢山は遠くから見る姿が馬に乗るときの防具、
行縢の形に似ていることから日本武尊が名付けたとされます。
行縢山は地質学的にはリングダイク(環状山脈)と云います。
大崩山は1400万年前にマグマがせり上がってできた
花崗岩の山塊です。
大崩山を造ったマグマがせり上がるときに地下に裂け目ができ、
そこにマグマが貫入し、岩脈ができました。
その一つが行縢山で、マグマの冷え固まる速度から
花崗斑岩の山となっています。
大崩山の環状岩脈の規模は日本最大ということです。
行縢山の主要登山口は行縢神社で、
行縢の滝分岐を経て自然林をジグザグに登っていき、
上り詰めたところが山の神峠です。
山の神峠から一旦下り、行縢川を渡渉し、
見通しのない林を登っていくと行縢山頂に着きます。
360度の眺めは時間を忘れてしまいます。
山頂の岩場から谷底を覗くと、足が震えてしまいますよ。
2012年5月26日
4月末の笹子雁ヶ腹擦山、GW後半の滝子山に続いて、
笹子駅から登る富士山の見える山、
大月市選定の秀麗富嶽12景に数えられる清八山・本社ヶ丸に登ってきました。
いつものように始発電車で笹子駅に降りたのが7時半ごろ。
降りた人は10人にも満たなかったか。あちこちの山に散らばっていき、
本社ヶ丸方面に向かったのは自分だけのようで、静かな山登りになりそうです。
きれいな青空が広がっています。

国道を笹子峠の方向にしばらく歩いてから、標識に従って清八峠に向かうみちへ。
今日は天気が良くて日差しがまぶしい。
周囲に広がる里山の風景

田植えを終えたばかりの苗が揺れる田んぼに映る山影

あちこちに植えられた桐に、淡い紫色の花が咲いています。
豊臣家の家紋に見えます?

半月前には柔らかい新緑だった森も、色濃くたくましい葉に変わってきています。

さて、登山口まではしばらく舗装道路が続きます。
てくてく歩く1時間ほどが我慢の時間。

やがてこんな鉄塔が現れるとまもまく水力発電所

川を横切った先の広場からは、荒れた道をまたしばらく進む。

ここは森の中、沢沿いの道なのでホッとします。

やがて目の前がぱっと開けて伐採地となりました。
ここに登山ポストがあります。
今日は太陽が照りつけていて開放的な斜面もちょっと煩わしくさえ感じます。

斜面をしばらく登り振り返れば、ひと月前に登った笹子雁ヶ腹擦山の三角形のピーク。
あのときはみぞれ交じりの雨が降るような気候でしたっけ。

さて、伐採地を終えて、森の中に入ります。

ここからは清八峠まで一本調子に登っていきますが、
木漏れ日が気持ちの良い尾根道。
快調に高度を稼ぐことができます。

時折、道端の花に目を停めながら


高度を上げるにつれ木々の色合いも柔らかい若葉の色に変わっていくようです。

下草も日の光を求めて精一杯葉を広げています。


ようやく主稜線らしきものが近づいてきました。

峠に出ました。
ここまで誰にも会うことなく静かな山道でした。

ここからはまず三つ峠側に登ります。
清八山のピークはすぐそこ。

直ぐに目の前が開けて清八山に出ました。
素晴らしい富士山の展望台。

ここまで登ってくる途中にもちらほらとミツバツツジが咲いていましたが、
山頂付近には結構群生しています。
富士山手前のこのツツジはまだつぼみでした。
これが満開ならいい写真が撮れたでしょうに。

それでも何とか富士山と合わせて写りこむよう
山頂の周りをしばしうろうろ


写真を撮っていると
単独の男性が到着、引き続き3人組のパーティーも到着。
3人組は宝鉱山から本社ヶ丸、三つ峠をまわる周回コース、
単独さんは鶴ヶ鳥屋山を通って初雁まで。
私も初雁までと思ってましたが、この景色を前にあんまり急ぐのももったいない。
山頂でしばし、まったり。
続きます
2012年5月26日
天気予報が割と良さそうでしたので早起きしました。



今晩別の用事があったのでちょっと忙しい山行になってしまいましたが
何はともあれ富士山を見れば満足。
詳細はまた
偶然、登山専門店で十年来の付き合いがあるトレッキング・ツアーの参加仲間と偶然会い
『一度トレッキング行きましょうか』 という話になり・・・
『上高地に気になるニリンソウの群生地を見つけたのでそこに行きましょうか』とういうことで・・・
五日後に、連絡を取り合い四名で上高地へ向かいました。
現地の天気予報は晴れマークだけ・・・しかし残念、青空は出なかった。
▼田代池
雪解けの伏流水が多いのか透明度が増していた。

▼平均年齢●▲歳・・・中高年・・・バン〜ザ〜イ〜♪♪

▼ヤマエンゴサク

▼今までこの場所から撮ったことのない焼岳(2,455m長野・岐阜)

▼バスターミナルまで続くカラマツ並木・・・ホテル側から
▼ホテル側から・・・

▼河童橋からのカラマツ並木

▼河童橋から、岳沢、明神岳(2931m)、前穂高

▼河童橋からの焼岳(2,455m長野・岐阜)

▼今日は懐かしさもあってか、どうも記念写真が多い模様です・・・

▼コミヤマカタバミ

▼ツバメオモト

▼ハシリドコロ

▼エンレイソウ

▼コミヤマカタバミの群生

▼サンカヨウ

▼古池付近の群生地でサルが葉っぱを選んで食事中

▼いたるところニリンソウ

▼明神館前で

▼散策路に沿ってお花が咲き誇っています。

▼ニリンソウ

▼緑のニリンソウ ・・・数多くありました。


▼すばしっこい小鳥

▼大群生地
こんなの・・・見たことない〜〜!!
何か所もありました。

▼山桜もありましたが見ごろは済んでいました。

▼徳沢のお猿さん

▼徳沢で
回り中ニリンソウ
好みの葉っぱを選んでます・・・

▼お猿さんはニリンソウを食べているのではなく
好みの葉っぱを選んで食べているみたいです。

▼桃源郷にでもいるような ・・・

▼徳沢園も大群生地

▼帰り道、小梨平キャンプ場からの岳沢

▼エゾムラサキ

▼夕方、平日なので河童橋もめっきり人が少なくなりました。
珍しく、人が少ないのがいいですね〜♪
静寂で趣があります。
・・・ということで
久しぶりでのトレッキング・ツアー仲間との再会。
ニリンソウの大群生地もあったりで感動の一日でした。
宮崎県延岡市の行縢神社は、
養老2(718)年に熊野大社から勧請したとされ、
ご祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、そして日本武尊で、
行縢山と行縢の滝をご神体としています。
戦国時代末期、キリシタン大名の大友宗麟が
日向の土持氏の松尾城を攻め落としたときに
焼き討ちにあい、その後、再建されました。
長寛2(1164)年に鎮西八郎為朝が
武運長久を祈願したという言い伝えも残っています。
現地案内板より
大和朝廷の初期、日本武尊、熊襲征討の折、
この地の山の形が行縢(むかばき、毛皮製の乗馬用下半身コート)
に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。
秀麗な山と荘厳な瀧は、古代の山岳信仰を起こし、
これらを御神体として、社殿建立が行なわれた。
養老二年(西暦718年)紀州(今の和歌山県)
熊野大社の御分霊が奉祀された。
祭神は伊弉尊ほか二神で行縢嶽三所大権現と称し、
日向代々の藩主の崇敬があつかった。
長寛二年(西暦1164年)鎮西八郎為朝が
当社に参籠して武運長久を祈願した。
行縢山と行縢の滝は、現代人の私でさえ
神様が宿ると思うほどの荘厳さですので、
古代人なら尚更のことでしょう。
景行天皇が熊襲討伐のために息子の
日本童男(ヤマトオグナ)を筑紫に派遣した。
そのころ行縢山に川上梟師(カワカミタケル)
という勢力のある者がいて、
大和政権に納める年貢を取り上げていた。
ヤマトオグナは今の延岡市の東海の港に乗り入れた。
既に日
が暮れかけていたが、オグナの意思が通じて、
日はしばらく西の山の端にかかって沈まなかった。
ヤマトオグナはカワカミタケルの住んでいる山が
馬に乗るときの防具、行縢の形に似ていることから
行縢山と名付けたと云う。
ヤマトオグナが行縢山の近く(今の舞野)に来たとき
7日間留まりカワカミタケルを討つ策を練った。
このとき雄岳と雌岳の間の滝が流れ落ちる窪みが
矢筈の形に似ていることから矢筈と名付けたと云う。
ヤマトオグナは美少女に姿を変えて、
酒宴の中でカワカミタケルの油断を誘い討ち果たすことができた。
カワカミタケルは死の間際にオグナに対して
「一つ聞きたいことがある。あなたは勇敢な人だ。
名前を教えてくれ」と言った。
オグナは「私は景行天皇の息子で日本童男(ヤマトオグナ)だ」
と答えた。
するとカワカミタケルは「これからは日本武尊(ヤマトタケル)と
名乗るがよい。」と言い残し息絶えた。
日本武尊は大事を成し遂げて豊後に戻っていった。
人々は日本武尊が居を置いたところを武宮と呼ぶようになった。
延岡地方には日本書紀の日本武尊の地名伝説が多く残っている。
日本武尊がヤマト政権に従わない豪族を
女装して騙し討ちにした話だが、
それにしても熊襲の頭領は立派な人物ですね。
<北海道>
071116 十勝岳 (mimi)
060917 十勝岳 (TiCA)
070806 幌尻岳 (三脚マン)
070710 礼文島 (三脚マン)