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2007年10月10日

チェ・ゲバラの誤算

che gebaramusicabolivia

エルネスト・ゲバラ(チェ・ゲバラ)の誤算

人は腹が減ると裏切る。!ボリビアの乾燥高原地帯で仲間に売られたゲバラ

まず断っておかなければいけないのは、私は「チェ・ゲバラ」の研究者でもないし、会ったこともありません。でも私の第二の故郷ボリビアで何度も「チェ・ゲバラ」に会った農民に出会い話を聞きました。この中で彼がなぜ、ボリビアの特殊部隊に見つかり処刑されたかを「彼のボリビアでの行動」から、彼が考えていたこととボリビアの現実とのすれ違い・誤算があるのです。

このボリビアで彼の:「革命家・リーダー・コマンダー・政治家」としての失敗が見えてきます。

ボリビアはフォルクローレで有名「コンドルは飛んで行く・ランバーダなど」なインカ帝国(12世紀〜16世紀:エクアドル・ペルー・ボリビア・チリまでの高山地帯に作った帝国)末裔の、独自の言語・文化を持った人たち、16世紀征服者 「スペインの豚飼い商人・フランシスコ・ピサロ」 たちのスペイン系移住者達に抑圧された、インディオ「アイマラ族 ケチュア族」がアンデス高地に住んでいます、(彼らにこそ抑圧からの解放が必要だった)、

低地の平原やジャングルには広大な牧場がありスペイン系の人たちが多く(アマゾンのジャングルの中に突然飛行場があり、個人のジェット機がおいてある)、また南のパラグアイやアルゼンチン近くの乾燥した高原には「グアラニー族」と呼ばれる人たちが住んでいます。ゲバラの行動はこの乾燥した高原地帯を中心に活動していたようです。この乾燥した高原にはゲバラが入り込む前から「カトリック系の教会(イエスズ会)」が多くあり、神父たちがそこに住んでいる人たちに、「協同組合」をつくり、彼ら自身・自分達の生活ができるような指導をしていました。このあたりの農作物はジャガイモととうもろこし、後は野生の鹿をハンティングするぐらいで、生きるのが精一杯の生活です。

ゲバラの革命部隊はすばらい革命思想は持ってきましたが、残念ながら彼らにおなかいっぱいにする食料を持ってきていないのです。アルゼンチンの首都ブエノスアイレス(イタリアを思わせる美しい都市です)生まれの医師ゲバラにとって、ここで必要なものは革命ではなく、明日食べる食料である、ことが理解できなかったようです。彼に会った農民は「とてもやさしい、紳士」だったと言っていますが、ゲバラを追っていたボリビアの特殊部隊(アメリカで訓練を受けた)は農民達に「とてつもない量の食料と懸賞金を」渡したのです。腹が減った人はまずおなかをいっぱいにすることを考えます。そして彼は自分の部隊の内通者に密告されつかまりました。

ここで教訓

1.腹が減った人には、まず、おなかをいっぱいにしなければならない。

2.思想 理念の前に食い物ありき。

3.人は 裏切る。

100名近くいた、ゲバラの部隊には「日系の医師:ブラジル生まれ」が同行していました。キューバを出たゲバラはボリビアでの戦略の間違えから挫折してしました。そして日系の彼はゲバラが捕まった後、消息不明になっています。その後南米のペルーでは毛沢東主義者が相変わらずゲリラ活動をして解放区まで作っています。ボリビアではインディオ出身(Presidente ファン・エボ・モラレス・アイマ)の大統領が当選し、ペルー・フジモリにつづく日系大統領候補(Senor Morishita)がボリビアでも出現しました。

ボリビアは世界一革命・政変が多い国のひとつです。しかし、金、銀、銅、天然ガス、石油、多くの地下資源を持った国、ドル札で満タンの金庫の上に座る「こじき」がボリビアです。

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2007年10月06日

シベリアのブリザード

Mi-8-2北極に近いシベリアで、ブリザードに遭遇・ヘリコプターは軍事基地に強制緊急着陸・外は氷点下30度

基地に無断侵入したわれわれに待っていたのは、コマンダー(指揮官)の容赦ない質問と圧力

笑顔で対峙するか、コマンダーに負けない高圧的態度で相手をねじ伏せるか。

 日本に一番近い外国は「ロシアです」。極東シベリアの州都「ハバロフスク」(新潟から直行便で2時間)からチェルスキー(北極海に面した街)までは航空機で一直線、約4時間、途中「コムスクレアムーレ」に立ち寄って、夕方北極圏に入る「何にもないツンドラの白い世界」に降り立ちました。ここまでの話で地図が浮かんだ人は、よほど地理が得意か、または旧ソ連を研究している人の違いありません。これから話すところは日本の北に当たるシベリアでのことです。カムチャッカ半島、北海道のず〜と北にある、の付け根あたりをイメージしてほしい。ここには「トナカイの遊牧民」(ヤクート人 チェコト人)が住んでいるのです。私達と同じ顔をしています。

さて何でこんなところに来たかというと「白熊」を観察しに来たのです。北極海に浮かぶ「ウランゲリ島」(人口0人 白熊2000頭)までが今回の目標地点です。北緯70度近い北極圏のチェルスキーは、とんでもない近代的な都市です、集中暖房・モスクワとの直行便(大型機がじゃんじゃん飛んでくる)いったんここには・何があるんだ〜。「」です。「希少金属」です。「石油」です。「軍事的に重要な地点」です。ここから、極点を越えればすぐアメリカ・ヨーロッパなんです。と言うわけで、ここには真っ白な氷の世界の下に「発電所・戦闘機の格納庫」が隠されていました。

その日、私達はMI--8(30人乗ヘリ)でチェルスキーからウランゲリ島へ飛びたったのですが、あっという間に視界0m、のブリザードに遭遇・パイロットは「墜落して氷の海に浮かぶより・秘密軍事基地に緊急着陸して捕まったほうがましだ」と真っ白な平原に「ぽつんと立っている「トーチカ」のそばに着陸。あっと言う間に「ロシア兵」(毛皮の帽子に、カラシニコフ銃)をもった若い兵士10名にヘリは取り囲まれました。銃を向けられるのは「本当に怖い」・彼らは、かなり丁重に強引に私達外国人を、トーチカに連れて行きました。小さいと思ったらとんでもなくでっかい(地下5階ぐらいある)、さらにおくにつれてこられると「コマンダー・指揮官の部屋」に入れられました。

さてここで貴方なら「初めてあう、軍事基地の指揮官に対し、どんな顔で会いますか?彼らはロシア語以外理解しない。通訳とヘリのパイロットは別室に連れて行かれました。

 1.笑顔満面で「イヤー どうもどうも とお辞儀をして、場を柔らかくする」

 2.誰かロシア語で挨拶てできるやつはいないか。と言って、自分は一歩下がる。

 3.何語でもいいから「私が責任者です」と言って、コマンダーの前に行って握手を求める。

この日の夕方、本当に突然、地下から現れた「ミグ戦闘機」が2機、びゅ~ンと北に向かってと飛んでいったのです。氷点下60度にもなるツンドラの地下に大きな格納庫と軍事基地があると確信しました。私達は天候の回復(3日後でした)までこの基地の一室に閉じ込められて、荷物をすべて開けられて、毎日缶詰の魚と、硬いパン・腐りかけたスープを飲まされていました。

さてコマンダーは、私に向かって「こんにちは」と日本語で言ったのです。180cmもある大男でしたが通訳をつれてきて「ここにはおいしいものは無い。天候がよくなったら早く目的地に行ってください。ただしここに来たことは忘れること」私は「ほっと」しました、初対面の人と会う、特に言葉に通じないえらそうな人は難しいです。1を選んだ人、この日本的な方法は外国では通じません。2.を選んだ人こうしたことは瞬時に判断して「一番おとなしそうなヤツを一番前にする」も手かも知れません。皆が下がればいいんです、1名以外 3.が順当な接し方でしょうか。常に堂々と、妥協なしに、でも最後は笑顔です。

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2007年10月01日

北京の浴地(風呂や)

天壇

■風呂屋で起きた緊急事態

君ならどうする?貴方の「現地生活溶け込み度 」を考察 (冒険家のセンスを問う)

中国旅行の楽しみの一つに「浴地(風呂や)」めぐりがあります、最近北京あたりの、現地に昔からあるこうした浴地が、じゃんじゃん壊されているのは「好!中国大陸旅遊」としてはチョットさびしい限りです。中国の人は「お風呂」にはいるという習慣はありません。ですから、通常は各自が属している企業などで会社にあるシャワールームを利用する、また休日に大衆「浴地」に行って、のんびり、雑誌を読みながらお茶を飲んで「垢すり」とか「サウナ」に何度も入って終日過ごす。だから、ほとんどの家庭(アパート・9階建てなのにエレべーターが無い、旧式のアパート)には、シャワーも無いし、もちろん浴槽などと言うものはありません。では組織に属さず(一応中国は 社会主義国家ですから、必ずどこかの組織に属してる)定年後の生活を送っている人や、地方からの出稼ぎ人(1000万人ぐらいいる)はどうしているかと言うと、家庭の洗面器にお湯を張って、頭と足を洗って、カラダはタオルで拭く、が 正統的中国式、普段の健康生活です。最近は違うぞと言う人がいますけれど、田舎やチョット郊外にいたらこんなもんです。

さて、私の楽しみも北京の庶民的な路地を出て、大衆的な浴地でのんびりが、山から帰ったり(なにしろチベットやウイグル自治区あたりから北京にかえってくると目を回さんばかりに人の多さに卒倒)したあと、長安街横に入った四川大街の浴地に行ったときのことです。 

「天地浴地」がそのお風呂屋さんの名前です、入場料「1元」これに「垢すり5毛」中に入って、ベットが並んだ(100ぐらい)番号に行くと、脱衣した服入れとお湯が入ったポット、に茶碗、タオルが備え付け、ベットは1.8m×0.5m 制限時間なしなので、熟睡している人も多い、ここですっ裸になって、ますは「垢すり」、中国人(北方系)はすね毛が薄い、さて「まな板の鯉」とは私のこと、はだかのまま横にされて、裸の大男がタオルをもって、私の体をごしごし、な・なんと大男の男性自身が私の顔をこするんです、「きもちわる〜い」でも大男は「にっこり」あ〜これが、中国の男色の世界だ〜。おまけに今度は私の男性自身をつかんで、それは丁寧いにこすり、次は後とケツの穴まで、ごしごし、でした、「ふう〜」とため息、このあと私はとんでもない事態に!

私のおなかが「ごろごろ」そうです、完全な一刻を争う「下痢」になったのです。私はともかくこうしました。

  1.トイレはどこだ〜。と探し回り、やっとの思いで待合室の便所にたどり着いて処理した。

  2.浴地ではシャワールームとトイレは兼用、だから端っこに穴が開いていてそこで皆がシャワーを浴びている前で、ウンチをする(女性も同じ)

  3.浴地のトイレはあまりに不衛生なので、目の前のホテルまで着替えてから走っていき外人専用ホテルで処理した。

北京の浴地では、裸になるとそのまま、トイレもシャワーも、垢すりも、入浴も全部済ませます。シャワーをあびるところには、ずらりと並んだシャワーの奥に穴が4つほど空いてて、「そこには糞がで〜んとおいてあります」 シャワーを浴びる=ウンチをしてあらう。小便をする・です。おまけに浴槽は「垢が10センチ」ほどたまり、皆んな浴槽の中でごしごし洗うのです。こうして垢すりで、ケルの穴まで垢をすられ、シャワーで糞と小便を流し、ベットでのんびり、中国チャを飲んで、時間をすごす。これが「大陸・中国の時間の過ごし方です」

  1.3を選んだ人:やっぱ現地の人と同じことをしないと。

  2.を選んだ人 貴方はどんなところでもその生活になじみサバイバルできるでしょう。

■「食う」ことと「出すこと」は=イコール 、時の英雄は男色に遊び、女を愛し、戦略を練る。肌を接し、お互いを確認して、10センチ離れて唾が届く距離で大声で主張する、大陸的な「人間コミュニケーション」です。

パンチョ


2007年09月21日

チベットを行く

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■チベットを行く

標高4000mチベット高原の悪天はわずか10分で夏(気温25度)から吹雪(氷点下10度)になる。

生死を分ける「現場で瞬時の判断」貴方は隊員の命を守れるか?

「孤独な隊長の決断」とは?:隊長は本当に孤独です(安部総理に同情=でも、それに耐えられなければ、やらないほうがいい。)

今年、開通した「西蔵鉄道:西寧〜ラサ」はなんと標高5300mを通るとかで、大手旅行会社での「天空列車」と銘打ったツアーが大流行です。私のところにも「5000m、を超える駅での注意点は?高山病は?」など旅行会社の添乗員派遣会社から質問が来ました。

さて私がチベットに行ったのは、この鉄道がまだ建設中のことです。チベットはラサを首都としているいわゆる「チベット自治国(標高3500m)」と西寧を首都とした「青海省」(アムド地方:標高4000m)からなっています。この青海省は、昔・昔 毛沢東主席(中華人民共和国を作った人)がアメリカや旧ソ連:ロシアとの戦争を想定して「第3次国内防衛線」が作られているところです。なんだそれ、と思う方には、簡単に言うと「北京や上海が占領されたら、皆でチベット・アムド地方に逃げて、そこから指揮を執る施設がある」と言うことです。日本の5倍もあるとんでもない大きさの大平原の地下に「地下都市」があるんです。草原に突然、地下から電線が出てきたり、鉄塔があったりします。

この話はおまけです。さて私達は男4名+女2名の日本人隊員と中国連絡官+通訳2名(チベット語→漢語→日本語)馬方(チベット人4名)馬17頭 (乗馬用9頭 荷馬8頭) にまさに大騎馬隊で馬多(マートー)を出発しました。チベットの馬はモンゴルの馬に比べてでっかいいんです。いわばアラブ種に近いように見えました。おまけに調教が「荒い」つまり私達日本のひ弱な若者なんかに「乗馬を楽しんでチベットを走ろう」なんて馬が許してくれませんでした。私は3日間で4回落馬し「あばら骨を3本骨折」あとの隊員は「チベット人に馬を引かれている」状態で何とか進んでいました。4日目あたりから馬も「こいつらなかなかいい奴だ」と判ったのか、突然走る・止まるがなくなり、チベットの馬方と同じスピー度で走れるようになったのです。馬は本当に乗っている人間を見ています。馬の視界は270度、つまり馬は馬に乗っている後の奴の顔が歩きながら見えるんです。

20日後、標高5600mの山を乗馬したまま登頂し、帰り道チベット人が「ここで今日は泊まろう」と言いだしましたが、まだ午前中「もう少しいけないか」チベット人は「後30分以内に嵐が来る・吹雪になる」でも空は快晴。無風。です。こんなとき貴方の判断は 気温23度 快晴 無風 そばに池がある、草がある。全員まとまっている、決定権は日本側にあるので「行け」と言えば進む。

さて、ここで隊長(私)は判断しました。

   1.判った。チベット人の言う通りここでテントを張ろう。

   2.判った。 まだ天気がいいので雲が湧いてから嵐をすごす準備をしよう。進め!

   3.判った。日本の隊員と相談して決める。

貴方は 1.2.3.どれを選択しましたか。隊長(リーダー)の決断の鉄則がここに隠されています。貴方は本当に日本人隊員5名の運命を握っているのです。

■標高4000mでの嵐はそれはすざましいものでした。気温は23度からあっという間に氷点下10度、雨は横殴りと思っていたら吹雪(氷)になり、風は風速20-30mで立ってられません。そんなときでも馬はじっと立っています。、もうタテガミは凍りついています。私達はテントに入り(通常は男性テントと女性テントに分かれる)がこのときばかりは1つのテントに全員が入って風に飛ばされないようにしました。チベット人は馬につけた鞍をはずして円形に並べ、その中に入り込んで嵐をすごしました。彼らの燃料は「ヤク:高山牛の乾燥糞」です。嵐が過ぎると彼らは、糞を燃やし、お茶を沸かしました。食事は「バターチャに塩」・「カチカチのチーズ」を食べて終わり、私はこのとき初めて「甘い」と言う味覚は「実に高級な味覚」である、ことを知りました。塩入バターチャはなんとも奇妙な味です、しょっぱくてバターが浮いたお茶、ここには甘いと言う味覚は無いんです。こうして私達は2時間に渡って荒れ狂った嵐をすごし、夕方、池の水を汲んでコッヘルで乾燥米をたいて「おいしい日本食と乾燥肉いりのシチュウ」を作って食べたのです。

■ここで隊長の判断について、

1.を選択した人、「最善」の判断です。でも隊員の中から「モット先にいけたはず」など愚痴をこぼす人が出たときには、かならず、隊長の判断が最善であることを確認することが必要です。こういう人は毎回愚痴をこぼして隊の雰囲気を壊します。

2.を選択した人、「現場の天候など一番知っている人は現地の人です。その根拠をしっかり聞きだしてから、行動しましょう。」今回はわずか20分後に嵐がきました。もし進んでいれば凍死まで行かなくても隊員がダメージを受けたでしょう。

3.隊長が、やってはいけないことです。判断は必ず自分で下します。それが最終的に間違っていてもはっきりとした指示を出すのが隊長です。皆で決めようは「お友達やサ−クル」的な判断はいいですが組織デ動いているときは必ずトップの判断が最優先です。ですから隊長は孤独です。

以上 チベットの話でした。後日談:通訳を務めた王さんは日本に留学して3年後奥様とアメリカの大学に招聘されて、貿易会社を設立しました。

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2007年09月20日

アマゾンを行く

                ■アマゾンを行く究極の選択 

アマゾンで考えた!

君は生き残るために「動物の生き血を飲めるか?」                        

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■とてつもないでっかい川・橋が河口から上流まで1本も掛かっていない世界随1の川・これがアマゾン川です。なにしろ河口での川幅はなんと100KM わたるのに飛行機で10分も掛かる とてつもない川なのです。上流はペルーアンデス・ボリビアアンデス・エクアドル。ベネズエラの山岳地帯に源を発しています。河口から3000km行ったブラジル・マナウスまで6000tの貨物船が大西洋から直接入ってしまうんです。ま〜ともかくでっかいとしておきましょう

さて・私達は私が学校の先生「日本学科・小中の日本と同じ教科を日本語でやる」をしていたボリビア国サンタクルス州サンファンから「いかだ」で下った時に起こった話です。(写真は木をくりぬいたカヌーでいかだではない)

サンファンのジャングルには「バルサ材(工作で使う軽くて加工が簡単な木)」がたくさん自生しています。いかだはバルサ材(高さ10m 直径20-30cm)を10本切り倒して作りました。(ジャングルの木を切るのに許可はいりません) サンファンを流れるのはアマゾン川の支流「リオ・ヤパカニ」ですが、河口から6000kmの奥地でも川幅は1km近くあります。河岸でバルサ材を.ながさ3mに切りいかだを組みました。「何も知らないことは、前途を明るくします。ワクワクします」つまりすべてが新鮮と言うことだと思います。

私達はこの川を「サンファンの若者に見送られて」出発しました。持ちものは [マチェッテ(刀)拳銃1・なべ・ライター・寝袋・塩・タバコ(食料と交換用)] 意気揚々と川にこぎだしゆったり流れるアマゾンに浮かんだのでした。1日経ち2日・1週間が経ちました。食料は魚と川岸にある竹に似た植物の先っぽを煮て食べました。このときに私達は「パパイヤ・バナナ」など南方の食料はジャングルには自生していない、つまり人間が植えたものであることを初めて知ったのです。2週日目あたりからカラダの変調がはじまり「鳥目:暗くなると見えなくなる」夜襲ってくる蚊の大群やブヨの攻撃で「虫刺されの跡が化膿する」など「このまま行ったら栄養失調で生きて帰れない」まで状況は悪化しました。こういう状況で「笑顔が絶えない人が人生の成功・人の信頼を得る」と思いました、貴方はどうですか。

■そこで私達は次のことをしたのです。

 A:これ以上このゲームには参加しない:気持ち悪いから→貴方のサバイバル度 0点

 B:ともかく何とかこの状況をクリアーして日本に帰りたいから、こうしました               

  1.魚(なまず)を釣って 生の生き血を飲んでビタミン補給した

  2.ジャングルに住む「カピワラ:大きなねずみ・現地食」を捕獲して生き血をすすった。

  3.ジャングルにわけ入り、木の実や何かを探してみる。ともかく何かあると確信して行動する。

私達は、魚釣り(なまず)はよくしました。亀の卵を川岸で探し食べました(ピンポンボールぐらいだが、ゆで卵にならない)、カピワラはよく川を泳いでいます。アリクイは結構見かけました。夜になると「とんでもないうなり声」がジャングル中に響きます。これが「吼えサル」と知ったのは街に帰ってからでした。

さて回答です。私達は釣った魚の生き血を飲み生魚の肉に食らいついたのです。(B-1)そのおかげで私は「マイソン鍔口虫」という奇妙な寄生虫を宿し、日本の国立感染予防センター・などなどの大きな大学病院で「これは珍しい(南米感染第1号)」と人間見本として今でも生きています。(症状は数年に一度顔に大きなコブができて毎日移動するのです。痛くもかゆくもありません。最近は発症していません)

  私は思います。もし貴方がAを選択したら・貴方の人生はつまらないものになるでしょう。

  もし貴方がB-1 を選択したら・健全な常識的な人生でしょう

  もし貴方がB-2 を選択したら・サバイバル度50点の人生を開拓するでしょう

  もし貴方がB-3 を選択したら・サバイバル度満点のユニークで人の信頼を得るリーダー

            になるでしょう。

■  さて貴方の人生のサバイバル度・リーダー度は? 

※ アマゾン川の支流「ヤパカニ川」を一本の木をくりぬいたカヌア(カヌー)で下る。

※写真:著作権は(C)masujima 無断使用厳禁(データ移動禁止)


2007年09月14日

アラブの常識

UAEの駱駝

■アラブの常識(回答掲載)

食い物を持ってくる奴は誰だ!

今回の話は、今までと違って少々面白く、切ない話です。ディープな決断が多かったですから。

●その彼女の名前は「朱美さん」(仮称)当時は26歳です。彼女は英語とスペイン語が堪能、大学時代にメキシコに3ヶ月留学して「スペイン語は発音が楽〜 Yo soy Japones !Que Tal Tu?(私は日本人 元気ですか)」はあっという間にクリア〜。大学卒業後は大手出版社で「気が狂うような残業と終電車の生活」に「や〜めた」と「青年の船」(総理府)の通訳に転進、6ヶ月アジアとアラブを回ってきました、が、帰国後音信不通に、10年後に彼女から突然「手紙」が舞い込みました。

●手紙の内容  「私はUAEにいます(アラブ首長国)結婚して6人のママ、相手はアラブ人の青年です。」とありました。さらに続きます「青年の船で知り合ったUAEの青年と恋に落ちて、横浜を出てシンガポールでは手をつないでいました。彼がドバイ(UAE)でおりてしまいがっかりしていると、なんと帰り(その船は横浜〜シンガポール〜インド〜ドバイ〜横浜)のシンガポールの港で彼が待っていたんです。求婚されOK,帰国後、国際交流が大好きな両親に話しましたが”アラブ人はだめだ” 日本の親ほど人種差別をする親はいない。私は、すべてのものを日本においてパスポートだけを握り締めて、3日後彼から送られた片道チケット(シンガポール航空+エミレーツ航空:UAE航空)でドバイに飛びました。私は思いました。日本で私が生きていくのに絶対必要なもの。例えば友人の住所録、手帳、携帯、お金 化粧品など、こんなものはこのアラブの砂漠に沈む夕日を彼と子ども6人(すごい=〜)と見ていればなんと、ちっぽけなものだったんでしょうか。」

  生きて行く上で絶対必要なものなんか ない と判りました。

 さてこれからが問題です。彼女は6人の子どもをつれて里帰りしましたが(こうなると両親は孫がかわいい 6人のいるんです)日本ではイスラムで食べられる「牛肉 羊肉」は結構高いんです。なんと1ヶ月の食費は30万円に達しました。さすがに手持ちのお金がそこをついたので、UAEの彼に電話しました「肉が高くて買うお金がない」すると彼はこういいました。

   1.判った。そんなに日本の肉が高いのなら、すぐ帰れ!

   2.判った。10000ドル 送金する。それであと1ヶ月 両親と過ごせ!

   3.判った。牛を10頭 チャーター機で送るから、解体して皆でたべろ!

さてUAEの彼はなんと言ったのでしょうか。

※彼は35歳 国費留学でアメリカの大学卒業後政府高官、アラブでは買物は男の仕事、スーパーマーケットは男ばかり、

■回答は山から帰った9/18日に掲載します。皆さんじゃンじゃんコメントください。

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日本での食費が余りに高いのでUAEのだんなに電話すると彼はこういいました。

「判った。友人の牧場で飼っている牛5頭と羊10頭を、シャーター貨物機で送る」正解は「3」です。

問題は電話の内容までなので、本当にこの回答通りに行かないことは明らかです。税関、検疫などの問題でアラブの家畜を生きたまま日本に輸入は不可能です。「それは無理、だって牛を解体するほど大きな台所は日本の家にはない」、だんないわく「そんなに東京の家は狭いのか。アラブには土地がいっぱいあるのに」UAEの彼女の家は4件あり、いずれも3階建て、本家とメイド宿舎付きです。

そんな非常識なと考える方もいらっしゃると思いますが、日本でも「金送れ!」と親の脛をかじると「田舎から米・味噌・野菜 また獲れたての魚を生で:クール宅急便で送ってきます」 魚の解体はなれている日本人にとって、大型家畜の解体はチョット、と言う人が多いようですが、欧米やアラブ・チベット・モンゴルあたりでは魚の解体のほうが残酷だ〜、と嫌がります。しかも「魚の生きずくり」には卒倒!


2007年09月10日

明日の食い物

ヒマラヤへの道

明日の食い物(回答掲載中)

■貴方の人生の戦略とは:釣った魚で判る


ヒマラヤの遠征は2−4ヶ月にも渡る長ちょう場です。これだけ長く山に入っていると「食い物」についての話がどうしても多くなります。たとえば「う〜ん 吉野屋の牛丼が食いた〜い」「漬物と生卵でご飯をかきこみた〜い」「贅沢はいわないから・おにぎりを出してくれ」などなど、それはそれは身に迫った「人間の要求」がアッチのテント、こっちのテントから悲鳴のように聞こえて来るのです。遠征隊の食料のほとんどは「ベースキャンプ用」の現地調達食材で作る「にわか日本食」と上部(5000m-8000m)のキャンプで食べる「レーションパック」(レトルトやドライフルーツ・嗜好食料が日付を入れてパックされている)に分かれます。上部キャンプに行ったときはこのレーションパックでもいいですが、やっぱり川が流れているようなベースホーム(3800m)では「モットまともな人間の食い物が食いたい」と思います。

さて、私はこのときこの遠征に同行した中国人連絡官をはじめ通訳(カザフ語から中国語に訳す通訳と中国語からに日本語に訳す通訳が居た)たちと日本人隊員の川(シャクスガム川)で釣った魚をめぐる食べ方に「人生の戦略の違い」を見たのです。

その川には「雷魚」ににた30センチほどの魚が結構泳いでました。ほとんど人間の入ることはない山奥ですから、魚は「人間の仕掛けたわな」にがんがんかかってきました。小さいもので15センチ、大きい奴で40センチもあります。日本側約100匹 中国側40匹、と言うわけでこのにわか「魚釣り日中友好大会」は日本に勝利に終わったわけです。それ祝賀宴会(「酒はなし)と日本人隊員は、天ぷらと焼き魚に醤油をぶっ掛けて「それはうま〜い」と狂乱して食い尽くしたのです。

そこで問題です。中国人グループはこの釣った魚をどう処理したのでしょうか。なを中国人グループの構成は「連絡官:リエゾンオフィサー2名 通訳2名 コック1名 羊使い1名)です。遠征は4月から9月までかかりました。

  

   1.もちろん中国人コックが最高の「魚中国料理を作って食べた」

   2.半分の20匹を食べて 残り20匹で「保存用燻製」をつくった。

   3.大きな池に魚をはなし、「モット大きくして食べよう」と皆で池を掘った。

さあ・あなたは、中国人達が「釣ったさかな」をどうしたか。考えてください。そこには「人生の戦略」が隠されているのです

●回答

魚の話」
正解:3

中国人の連絡官は「直径5mの池を作り、釣った魚を入れて」 1ヵ月後2倍の大きさにして「食べた」  そのときに、にわかずくりの「極上中国料理店」でご馳走に同席したのは5人の日本隊員(隊長含む)「やっぱ本場の中国料理はうめ〜」

後日談 : 遠征が終わり北京で中国登山協会との「精算」時、(結構細かい4日はかかる。)そのときの請求に「極上中国料理店」の5人分の食事代がしっかり1名/10000円入っていました。

これが、中国的 人生の戦略です。侮れません。

※写真:ヒマラヤ最奥地の6000mの峠を駱駝に乗ってシャクスガム川に入る。

この写真の著作権は(C)masujima・無断使用厳禁(データ移動含む)


2007年09月06日

主張することと 生きて帰ること

ヒマラヤのいでたち■主張すること そして生きて帰ってくること

ヒマラヤ8000mでの世界初登頂の栄誉は、登山隊に参加したクライマーにとっては絶対ほしいものです。「何でもそうですがー(初)がつくことをするのは本当に大変です。しかも世界初の登頂ともなれば、それはオリンピックで金メダルを取ることに匹敵します。」ただ残念ながら登山はオリンピック種目にありません。 ヨーロッパなどの西洋諸国では冒険・探検・登山での「初」登頂は「国を挙げての英雄」となります。また中国では「生涯 人民会議代議員の資格」が与えられますが、日本では個人のこうした「遊び」はとても軽い行為になっているようです。

ここで僕はこんな話をしたいと思います。それはヒマラヤでの世界初登頂を掛けた隊員達の「誰が最初に登るか」をめぐってのベースキャンプでの会議です。

■その日、天候が1週間安定する:つまり頂上への攻撃(アタック)開始する・ことが天気図からわかりました。何しろ8000mでの悪天での行動はそのまま「死」を意味します。頂上へいく隊員は12名、しかし一度にその人数を生かせることは途中のキャンプに泊まれる人の数が決まっているため、1次隊・2次隊・3次隊と4名づつにわけて出発することになります。ここで26歳の一番若い隊員が2次隊と決まったとき「僕は絶対最初に頂上に立ちたい」と主張したのです。隊長は「わかった、ただし途中のテントに泊まらなければ1次隊と一緒に出てください」と、ヒマラヤ登山はベースキャンプ5000mから頂上8600mまで4日間(つまり途中のキャンプ:定員4名 に泊まっていく)かかるわけです。

この後、1次隊Aは4名登頂成功 26歳+29歳の1次隊B2名は1名登頂 1名は8500mから下山、2次隊4名登頂成功 3次隊2名登れず。でしたが26歳の1次隊Bは登頂成功後8000mから転落して帰ってきませんでした。途中のキャンプに泊まらず、無理して登ったので体力が残っていなかったのです。

まだこの話は続きます。彼には同い年の恋人がいました。ベースキャンプに残された彼のテントの中には「日記と彼女にあてた手紙3通」が残されていました。私はこう思いました「もしこの書かれた日記と手紙を日本にもってかえれば、たぶん彼女はその届くことの無い手紙をもって、生涯結婚しないだろう。日記をもって帰れば彼の主張したことが自殺行為であること、なぜ隊長はそれを許可したか」を言われるだろう。私は彼のテントに残された日記と手紙をクレバスのなかに誰にも見られないように捨てました。私は帰ってこない人の思い出に浸る人生は送りたくなかったのです。私はそのときの行為を今でも間違っていなかったと思っています。

 ■ここで彼が主張したこと・「生還率50%以下なのに最初に登頂させろ!」が正しかったか?

   1.当たり前 自分の意思は最優先、人がなんと言おうと主張すべし。

(欧米・インド・中国ではあたりまえのです)

   2.一応隊長には言っておきますが、あえて最初じゃなくてもいい。一応主張する

   3.最初から隊長の意見に従うから、自分の意見は言わない。

いわれた通りにすれば間違いない。

さて、あなたは、頂上からの生還率50%でも、世界初登頂したいですか。自分には力があるのに、1次アタック隊に選ばれないときどうするか

命を掛けて主張しますか。

あなたの人生における「自分の主張度」1.2.3  どれでしょうか

※写真の著作権は(C)masujima にあり、いかなる場合も転載・使用(データの移動)をお断りします

※写真 ヒマラヤのいでたち(C)masujima


2007年09月03日

自信があること

自信の

■自信について

人は皆、自信のあることは大きい声で話します。

逆にちょっと自信のないときは小さな声で「ぼそぼそ」なんていうのははよく経験しますよね。写真は「女子100m走 決勝」その一人ひとりの背中には「大きな字で自信」と書いてあるのが見えますか。この場に居る選手は誰しも「勝つという自信」があってこの場に勝ち進んできたんですから。

こんなことがありました、ぼくは山登りが大好きですから、まだ雪の残っている北アルプスや、ヒマラヤの山なんか登りに行きました。このときの鉄則は「落ちた奴は助けに行くな」です。「え〜。だって誰か助けに行かなくちゃ、大変なことになるんじゃない」その通りです。ここで確認しておきたいことは「山は危ない。そこに居る奴は皆危ないところに居る」ということをまず知っていなくてはいけません。事故が起きたら、それを救助しにいったら、もっと危ないところに行くわけです。ここでその人の「自信」度が判ります。

  1. 自信のある奴は、絶対に助けに行かない
  2. ある程度自信のある奴は 周りを気にしなが助けに行く振りをする。
  3. まったく自信のない奴は、「パニックになって早く助けにいかなくっちゃ」とさけぶ。

意味がわかりますか、あなたは1.2.3 どのタイプですか。

■結論  冒険・探検 ヒマラヤ では事故がおきたときに、その事故が拡大することを防ぐのが「最優先」つまり事故をほっておく。こうすれば事故は拡大しませんね。そう事故者を見捨てるんです。自信のある奴はそれができるんです。

どうですか。あなたは自信を持ってこの状況をクリアーできますか?


2007年08月29日

冒険のお約束ごと その1

“冒険のお約束ごと”は仕事上で、人生で決断するときの約束事を10の事例でまとめたものです。

■序章

私が行った多くの冒険・山登り・河下り・騎馬隊などで多くの組織の統率、リーダーシップ、深刻な局面での決断、人間関係のもつれ、などなどまるで大きな企業組織を動かしているようなことがありました。何ども、大自然のなかで行動していると、そのときの問題解決の約束事がおのずと見えてきたのです。

1.8000m 生か死か ここでは人を助けることはありえない。なぜなら       ばここでは自分が生き残るだけで精一杯だから。

2.標高4000mチベットの大平原で、突如襲う嵐、気温は1時間でなんと30度も下がった。

3.インドとパキスタン国境のタール砂漠で駱駝に乗っていると、山賊がやってきた。

4.南米ペルーの山奥インカ帝国の末裔が住む村で、野犬が私達の食料を全部食ってしまった。

5.アマゾンでは極左ゲリラが外国人を狙って、身代金目的の誘拐をしている。

次々に起こる問題に対処する約束を10回に渡り、連載開始します。


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