日本は年々貧しくなっているようだけれど、実はそんな日本も「江戸時代」は豊かであったという話をしてくれた人がいる。

江戸文化というのは、町も栄え、リサイクルも文化も発展していたのだそうだ。

そして、江戸といえば「士農工商 」という身分制度が儒教の教えとしてあった。


ここでいうところの「士」というのは、武士というよりも支配階級を指していて、たとえば孔子 の「論語」などを読んでみると、文武両道の潔い指導者たる生き方があり、福島県にある「日新館 」(会津藩校)は日本有数の真のエリート教育をしていた例といえるだろう。

 

孔子をはじめとする中国の教えは、「伝統的に土地に基づかず利の集中をはかる商工よりも、穀物を生み出す土地や農耕を重視し、経済よりも政治を優先させる姿勢をとってきた。商人や職人に自由に利潤追求を許せば、その経済力によって支配階級が脅かされ、農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事による耕地の荒廃、ひいては穀物の生産が減少することによる飢饉が発生を招き、ひいては社会秩序を崩壊させる事を恐れたのである」(Wikipedia より抜粋)

 

ここでポイントは、

「農民が重労働である農業を嫌って商工に転身する事による耕地の荒廃、ひいては穀物の生産が減少することによる飢饉が発生を招き、ひいては社会秩序を崩壊させる事を恐れたのである」

というところにある。

 

いまの日本は、やたら「商工」に偏向し、ベンチャー企業といえばハンで押したようにIT企業ばかりが目立つ。

「金があれば何でもできる」と言い放つ人が尊敬される社会にした責任は誰にあるのだろうか。

 

今回、姉歯秀次建築設計事務所が「震度5で崩壊する設計」をした建物は200件以上に及ぶという。

理由は「やらなければ、儲からないから」というのが理由であるという。

 

昔は「職人」という言葉があり、それは金銭ではなく「誇り」があった

学校の先生は「清貧」という言葉があり、貧しくとも、地域の人々から尊敬される地位と「生き方」があった。

 

「尊敬する経営者」というトラバのお題から、果たして経営者として、金ではなく、心をつくりだす心を持った経営者とはどんな人だろうと考えてみた。

 

トラバさせていただいたブログには本田宗一郎 氏や盛田昭夫 氏、松下幸之助 氏などがあったが、彼らは「ものづくり」の職人であり、思想家でもあり、日本を創った人たちでもある。納得できる点がたくさんある。

同じような立身出世でも、ビル・ゲイツ はなんとなく「尊敬」する気にはならないし、どんなにたくさん不動産を持っていてもドナルド・トランプ が魅力的な経営者には見えない。

(だって、彼らは単なる「成金」なんだもの)

アンドリュー・カーネギー は死ぬときにすべての財産を文化施設などに注ぎ込んだというが「尊敬」されているという感じではないし、日本の文化(の一部)を担った西武の堤義明や、角川春樹 氏は尊敬されるどころか犯罪者になってしまった。


すべて主観であるが、

こうやって考えてみると、立派な経営者はたくさんいるけれど、「尊敬」に値する人物というのは案外、思い当たらないものだなあ。


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