ツイッター、Facebookなどソーシャルコミュニケーションが台頭し、つながり、つながり力なるキーワードを多く目にするようになりました。
昔の友人、友人の友人、そして。またその友人と簡単につながることができるのも、前にはない新しい関係です。
そして、数字化されることで、つながりの量が比較されるようになり、自慢となるのも自然な流れ。
フォロワー数、フォロー数、友達数などをやみくもに数を上げようとする。あたかも、フォロワー数やフォロー数、友達数の大きさがその人の影響力を示すかのように。
本当に大事なのは、つながり方のはずなのに、つながりの数に固執する。それは、数字化できるのが、つながりの中身ではなく、つながりの数だけであるから。
また、つながり数を誇示するのは、自慢したい気持ちもあるだろうが、仕事に活かしたい、仕事につなげたいという思いのあらわれである。プライベートの目的だけであれば、自慢したい気持ちを除けば関係のない人とのつながりなんて価値がない。自慢自体も意味がなくなってくる。
その流れが、つながりの接点の創設に注力し、つながりの中身、強さ、重み、継続には無関心になる。これが、今の流れなのだろう。
とはいうものの、つながりの中身、強さ、重み、継続などと言葉でもって、説明している時点でもはやネット病、ソーシャル病にかかっている...(笑
ごく自然に、心地いいつながり、頼りになるつながり、なくてはならないつながりなんてものは、意識せずとも中身、強さ、重み、継続に時間と頭を使っているものだ。
もちろん、意識しなくてもつながる関係になるには、運、縁、恩が必要だと思う。ネット上のつながりの関係でも、意識せずにつながっている人もいる。つながりの多様化は確かにある。つながっていることでの安心感も理解できる。しかし、どうもつながりを意識しすぎると暴走してしまうこともあるようだ。
不確かな、目に見えないつながりを意識するがために、自己表現を強調しすぎたり、誇示しすぎたり、背伸びしすぎたり、自慢しすぎたり... 不安定なものを安定させようとすることに無理が生じる。
大事なのは、自分自身。自分自身を成長させるために必要な関係でなければならないと思うのだが、強調、誇示、背伸び、自慢は、自分自身を崩壊させるきっかけとなる。そんなつながりだったらいらない。
大切なつながり。そんなつながりを求めていきたいし、作っていきたい。一つ一つのつながりは大切なものである。大切なつながりを大切な関係に、育てていきたい。それには、数も限界がある。個人差はあると思うけど。
最近のつながりの多様化の流れ。もちろん、否定はしない。積極的に利用していきたい。その中で、自分自身の成長とか、自分自身の確立がなければ、社会の流れに飲まれてしまう結果になってしまう。






















































