TOP>2006年09月

2006年09月29日

廻転妄想

どうでもいいことなんだけど、話してることとやってることが違っているのは案外あるよね。
あと、前話してたことと、今話したことが違ってることも。
あと、考えてることとやってることが違ってることもあるような気がする。
概して、ぼくは自己の一致を一向に見ない人間なのかもしれないな、と思う。

他の人はどうなんだろう。
あなたはどうですかね。
画面の向こうにいて、読んでいるであろう、あなたに聞いてみたい気もするときもある。
だけど、ぼくも画面のこちらがわで、安穏と手前勝手なことをつらりつらり書いているのだし、書いていることと感じていることが違っていることもあるのだし、すべて本当のことを書いているわけでもない。
だから、そんなこと聞いても、答えをそのまま素直に受け取ることもしないかもしれない。

そもそも、ぼくは他人に興味がないのかもしれないな、と思う。
「○○ちゃん、他人に興味ないんでしょう?」と断定的に聞かれたことがある。
鋭い、というか、見たまんま、というか、返答に困るところだけれど。
どうだろう。
興味のある人はもちろんいるけれど、どこまで知る事ができるかは、相手の同意が必要な気がする。
だから、立ち入ったことなんて聞けないし、ぼくはその距離を他の人より遠く取る傾向があるように思う。
冷たい人間に思われてもしかたないな、と思っている。
だから、ぼくは反論しない。
そう思うに任せるだけで、思ったことは言わないんだ。

誰かに興味を持ってもらうことを期待するのは大変面倒で、いろいろ無駄に気を回るので、そういうことを止めたいなあ、とつくづく思う。
だけど、それがうまくいかないのも面白いところだ(いや、全然面白くないです)。
寂しさは恋するためには必要な感情の一つだと思えば、そういう類いの期待も可愛い気がしなくもない。
他人に対する興味が欠けているから、諸処の人間関係に支障を来したり、反対に全く来さなかったりするんだろうか。
よく、わからないけれど。

こうやってぐずぐずと何を言いたいのか。
無駄なことで書き連ねることができてしまうのは暇つぶしにはよいのだけれど、どうにも孤独な悪徳だと言わざるを得ない。
差し当たって、先の見えない不安、再適応のストレス、内的葛藤といった、卑俗的かつありふれた悩みに、青春小説の登場人物のごとく悶えるのがこれから数ヶ月の見通しであることがなんとなくわかって、今から先読みのし過ぎで、起こってもいない事柄で気が塞いだような心持ちになったりしているだけなのである。

なんとも、平々凡々なる学生の陥りそうな廻転妄想であることよ。
一体、ぼくは何がしたいのか。
振り返るとわけわからなくなります。
振り返らなくても、わからないのですが。

2006年09月29日

『アフターダーク』を読む

 仕事で、人に会う約束が、1つキャンセルになった。それで、3時間、という時間を、潰さなければならなくなる。最初は、映画を観ようと思った。黒沢清監督の、新作にとても興味がある。  書店に立ち寄り、情報誌で上映時間を確認すると、しかしどうも具合が悪いことがわかる。次の機会を待つのが上策と考える。それに諦めて、うろついていた店内で、文庫本になった『アフターダーク』を見つけたのだから。  書店の隣のカフェ...

2006年09月29日

泣ける状況を自らつくってまで泣くということの悲しさ

 誰もいない、ひとりぼっちの部屋で、思い出し笑いなんかしていると、そのあとで、かえって虚しくなったりもする。笑いとは、2人以上の誰かと共有する、ポジティブな生理現象だというイメージがある。  反対に泣くことを、人前でするのには抵抗がある。これは僕が、男として育てられた男だから、ということもあるかも知れない。涙は、誰もいない、ひとりぼっちの部屋でこっそりと流すものだというイメージがある。これは人に見...

2006年09月29日

誤魔化し

朝食べたもの

カレー

お昼に食べたもの

ほうれん草のオムレツ、トマトのスライス、白飯、ほうれん草のベーコン巻き、ほうれん草ジュース

晩に食べたもの

ゴーヤチャンプル、秋刀魚を焼いたの、枝豆、長芋、御御御付、白飯

学校という場所を好きだったことが、あったっけ。
きっとあると思う。
小学校は好きだったような気がする。
ような気がするだけで、はっきりとは思い出せない。
中学校に入った最初の頃は、どれくらい小学校が好きだったか、繰り返し思い出したように思う。

電車に揺られて通学する間、ぼくは本を読んでいる。
たまには音楽も聴くけれど、ウォークマンはかさばったし、MDは使わないし、iPodは最近父親のを使わせてもらい始めたばかり。
何かしているように見えるけれど、目の前をびゅんびゅん通り過ぎていく景色や、どこか虚ろな乗客たちを観察しているうちに、心臓の裏側あたりでいやな感情が蟠るような心持ちになる。
「あ、ぼくは学校がきらいなんだ」とびっくりして気付く瞬間。

怖いこともないし、いやなことがあるわけではない。
今日は工学部の建築科の研究室に行くためだったから、どこがどう結びついてそれほどのいやな気持ちになるのか、自分でも不可解なのである。
それはたぶん、条件反射みたいなもので、景色を見るだけでいやな記憶が反射的に思い出されるからだろう。
どうしようもない。
間違えたことは正しくはできないから。
正しかったと繕っても、後からつらくなるだけ。
わかったふりをしていても、ぼくは若造に過ぎないのだと、何度も思い知らされる。
底の浅さ、無責任さ、知ったか振り、怠慢、冷淡。
欠点ばかり目につくくせに、いつかすごいことしてやるぞ、とか、何もしていないくせに妄想して満足してる。
まるで、「いつか小説家になるんだ」と呟くばかりで、一度も小説なんか書いたことのない、学生のように。

ぐらぐらして、寄辺ない夜。
見上げた空が曇っていることさえ、とてもさみしく思えた。
白々と輝く街灯を見て、目を細めるだけで、目が痛くなって、涙がこぼれそうになった。
なぜだろう、わからない。
でも、わかってる。
わかってるのに、わかってないふりしてるだけ。
悔しいから、つまらないプライドがじゃまをして、弱音なんて吐かないぞって、そう思うんだ。

誰しも、誰にも言わない言葉があって。
心の奥に仕舞われる思いがあって。
自分以外に見ていなかった、小さな、でも重要な事件があって(例えば、冷蔵庫から取り出したマヨネーズになめくじがくっついていたとか)。
ないことにされてしまったものがあって。
それらは、もしかしたらその人以外にはわからなかったのかもしれないに違いないんのだけれど、くだらないことなんかじゃ、ない。
ただ生きているだけで、そんなことたくさんある。
言わないからこそ、気付けた時に、もしくは気付いてもらえた時に、感じられることがあるだろう。
どっちだってかまわないんだ。
気付いてもらえても、もらえなくても。
この世界には、誰にも気付かれることなく失われた命が無数にあるのだし、退屈な日常の中でそんなドラマみたいなこと起きやしないんだから。

僻んでも詮無いことだ。
誰かを羨んでも、何も変わらない。
暗い方へと進んでも、光は見えない。
間違ったなら、間違ったと思うしかない。
それでも、進むしかない。
間違いは繰り返さないと、呟きながら。

でもぼくは、今日という一日の中に、何か特別なことは見つけなかったよ。
いろいろ思ったり、感じたりはするんだけど、ごまかしなんだろうね。
見つけても、忘れちゃうんだ。
見せかけばかり繕って、中身は何もないんだよ。

また、友達に会う。
彼女は、ぼくの空虚を見透かすだろうか。
そばにいる人はぼくがいかにだらしのない人間か知ってるだろう。
だから、共に何かするということが、ほとんどないのかもしれないな。
ひとりで、もしくは誰かと、へんてこりんなことをするのが性に合ってる。

それとも、それもただの言い訳?
ぼくは会う人会う人に縋り付きたいだけなんだろうか。
違う。
探してる。
とにかく、探している。

逃げてばかりいるぼくは、いつかまた、痛い目にあって。
何度も繰り返すのかな。
忘れては、覚えて、また忘れて。
なんとも業が深いなあ。

さあ、泥にまみれてのたうち回ろう。
これは廻転舞曲。
気違いじみた旋律こそがお似合いだ。

もう、ぼくは壊れているのだろうか。

2006年09月28日

百科事典をめぐる思い出。

そういえば、以前は、どの家でも見かけました。 友達のうちに遊びに行っても、大抵、居間の本棚とかに、観光地で買った雑多な置き物なんかと一緒に、二十巻くらいがズラリと並んでいました。 これだけで、かなりの場所を占めていました。 あの頃は、テレビにしろ、ステレオにしろ、多くのモノが異様にデカかったですね。 (洗濯用の洗剤も、現在のコンパクトタイプと比べると、めちゃくちゃデカい箱に入っていた!) コンパク...

2006年09月28日

生み出すべきは結果、伝えるべきは過程

物事には順番がある。 結果や結論は、最後に出てくるものだ。 初めからあるものではない。 そこに至るまでの過程を一つずつ辿ってきたからこそ、結果や結論はあるのだ。 その過程を無視すれば、 結果は結果でなくなってしまい、結論は結論でなくなってしまう。 単なる事実でしかなくなる。 結果を結果として伝えたければ、 その結果に至るまでの過程についても、しっかりと伝えなければならない。 結論を結論として伝...

2006年09月28日

ハノイの塔

ハノイの塔って知ってますか? これは、パズル研究家のリュカが考えたゲームです。 3つの台の上に、それぞれ3本の棒が立てられています。そのうち、1本には何枚かの円盤が差し込まれています。そして、円盤は下へいくほど、大きくなっています。 この円盤をすべて、別の2本の棒のうちどちらかに、移動させるんですが、その回数をなべく少なくするゲームです。 ルールは下です。 1回に円盤は1枚しか動かせ ...

2006年09月28日

生命の匂い

生命は毎日新しく生まれている今日も君の生命を感じたい今日も君の生命に触りたい毎日君の生命の匂いに包まれながら生きていきたい...

2006年09月28日

いやいやえん

中川 李枝子, 大村 百合子, 子どもの本研究会 いやいやえん―童話子供の頃に何度も何度も繰り返し読んでいた本がこの「いやいやえん」だったたぶんその読んだ回数は100回とかじゃ済まないと思うただひたすら繰り返し繰り返し「いやいやえん」だけを読んでいた何がそんなにAngelaをひきつけたのか?それが知りたくてこの本をもう一度手に入れて読み返してみた・・・おもしろい!!!早速子供達に読み聞かせたら大好...

2006年09月28日

「できない」という枠

 僕の父親は、キセルをしていた。まだJRが「国鉄」を名乗り、駅に自動改札が導入される以前の話だ。会社のある駅から、すぐ隣の駅までのものと、自宅のもより駅から、隣の駅までのもの、2枚の定期券を使う。彼は子供の僕に、お父さんは頭がいいだろ、というふうに、その古典的なやりかたを自慢する。僕は父が恥ずかしかった。  父親として恥ずかしい人だと思っていた。友達のお父さんで、キセルをしている人はいなかった。少...

【広告】

サイト内検索

メンバー紹介

このサイトに自分のブログを載せたい!
(ブログの登録は無料です。)