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2010年03月17日

『疑似科学入門』

岩波新書のこの本を少し前に読んだけど、買うんじゃなかった、この厳しい経済事情の時に失敗。あとがきによると日本ではこういう本があまりないそうだ。アメリカでは疑似科学を糾弾する本が多いそうだ。疑似科学を糾弾ってこういうことを言うのかなあ、良く分からない、と思った。私がなんでこういうタイトルの本を買ったかというと、一見隙のない科学のように見えて実はこっちのデータを隠しているとか、こっちから見るとこうだとか、そういうのをイメージしたからで、自分のような者にはハードルが高すぎて分からないかな、それでも挑戦してみようと覚悟していたのだが、見事に外れたみたいだった。厳密さよりも扇情というか、何を目的に誰に向けて書いているのか分からない。学生かなあ。といっても理系じゃあるまい。文系の学生への説教かなあ。まあ、少なくとも私のようなモンではあるまい、とまでは予想できる本だった。しっかり読む気も最初から持てなくて就寝前に、失敗したけどせっかくだから読まないと、みたいな貧乏性丸出しでページをめくっていたに過ぎない。岩波新書が読めないと思うようになって長い。まあ、元は大ファンだったかというとそんなことはないのだが。あるいは勝手に期待が大きすぎのか。来年度の目標は慎重な本選び。そう決意させてくれた本。

2010年03月09日

戦場にかける橋

1957年制作の古い映画を昨日見に行った。アラビアのロレンス同様にアカデミー賞受賞作特集のひとつ。することがなく怠惰な時間を過ごしている息子も行かせた。一緒に行きたくないみたいだったから現地集合で離れた席で。さすがに古いから音声も良くないし字幕が極端に見にくい。日本語まで聞き取りにくいのはなんでだろうか。これは息子には理解できないかもな、と思っていたら携帯で内容を調べながら見たということで、なんというか、映画はしっかりその場で見て、調べたいことは後で、そもそも視点も違うんだし、という考えの自分にはもうついていけない若者行動である。これを見ることにした一番の理由は、やはり舞台がタイとビルマの国境で、若い命をなくした英国人、豪州人などの名前と年齢を刻んだ広いお墓を見た時の衝撃を忘れられないからである。20歳とか21歳とか、息子とそう違わない年齢の子達の墓が、この戦場にかかる橋のあるタイのカンチャナブリーにある。戦争博物館には行かずに戻ってしまった。

映画の内容は予想していたのとちょっと違っていた。戦争がテーマかと思っていたら、それはもちろんあるが、どっちかっていうと人間物語の面が強いという感じだった。皮肉なストーリーになっていて、後半は特にスリリング。でも何かしらの物足りなさは何だろうか。うまくできているけど、何か足りないっていう感じが残った。悲惨な最期なのにクワイ川マーチで威勢良く締めくくられた時に、物足りなさはこの執着のなさかな、などと思った。ずっと考えていたことは極寒で死ぬのと猛暑で死ぬのとどっちがマシかなあということだった。もちろん舞台は猛暑のジャングルである。寒いのは嫌いだが、猛暑の中よりは、極寒の方が静かに意識が薄れて静かに死ねるかもと、考えていた。アラビアのロレンスが砂漠が舞台で、猛暑続きだったのもその怖さに拍車をかけた。ここで新田次郎とか見たら考えは変わるかもしれない。地元のタイ人がもっと登場するんじゃないかと期待したがそうではなく、タイ語はほんの二言、三言だった。戦後から12年後、今から50年以上前の制作ではあるが、名作というのは色あせないものであるな。

2010年03月04日

書類関係雑務片付け

ぐちぐち言っている場合ではない、気合いを入れないともう限界である、という気分にやっとなった。気分転換できる程度に机を片付けて少々すっきり。やるぞ!何を?やるべきことを。本題に入る前に、入管とか役所とか銀行とかの雑用のひきずっていたのを一気に片付ける。入管は追加書類を出してもう結果待ちのみ。ダメだったら店はどうするんだろう、というような不安は持たないに限る。どうにもならないから。その時はその...

2010年03月04日

書類関係雑務片付け

ぐちぐち言っている場合ではない、気合いを入れないともう限界である、という気分にやっとなった。気分転換できる程度に机を片付けて少々すっきり。やるぞ!何を?やるべきことを。本題に入る前に、入管とか役所とか銀行とかの雑用のひきずっていたのを一気に片付ける。入管は追加書類を出してもう結果待ちのみ。ダメだったら店はどうするんだろう、というような不安は持たないに限る。どうにもならないから。その時はその時だ。それと息子のアパートの保証人を父親で契約していたのが面倒なことになっている。息子によると契約の時も面倒だったそうだが、外国人にするのと母親にするのとどっちが面倒かは、多分母親にする方が面倒だったということだろうか。とにかくその契約に印鑑証明というのが必要なのである。これは大人になると使う機会が多いし、私も確か車購入の時に登録してあった。しかし夫はそういう存在さえ知らない。タイも欧米風にサインなので印鑑なんぞ使わない。かといって日本だと何でも印鑑なので「ハンコ」という言葉は日本語のままタイ人の会話の中によく出てくるし、印鑑そのものはみんな持って使っている。夫もそう。ただ印鑑登録というのが分からない。

契約書は夫の名前で作ってあって実印欄がある。こっちを変更してもらうのは多分難しい。となると印鑑登録に行く方が手っ取り早い。平日の昼間は夫があまり出られない。そこで自分で勝手に登録しちゃおうと思って行ったところ、代理人だと当人の依頼書が必要だったり、それを提出した上で郵送で送られてくるのを待ったりと手間のかかること。せっかく気合いが入ったのにがっくりしてしまう。当事者が来ればその場でできるというから当事者に電話して来てもらった。楽しい事だったら先延ばししてもいいけど、こういう面倒なだけで何の楽しみもない事は思い立った時に終わらせたい。外国人の場合はこういうことも外国人窓口で行う。よって他より空いている。職員も丁寧。外登証見せて本人確認後「もう本人いなくてもいいですか」と聞くと「印鑑をお返しする時はいて下さい」と言われて渋々待っている。男権の強い国から来た人と結婚した友人によると「戸籍筆頭者」に女である妻がなるのかけしからんとごねられたそうだ。そういうのもストレスだと言っていた。タイ人にもそういう人がいるのかどうか知らないが、概してこだわりはないように感じる。各種書類の形式にまず母の欄が来て父が次というのもタイでは普通。日本だと父母という順番を普通に感じてしまうが。とりあえずやることはやった。この程度の用事が気合い入れるようなことなのか。なんてエネルギーのない自分なんだろうか。いや本題はこれからだ。