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2008年12月30日

米原万里対談集『言葉を育てる』

仕事が終わらない。いつもならしている模様替えどころか掃除もできない。本も読めない。何を取るかで本をとった。一晩に1冊ずつで最初に読んだのが『言葉を育てる』という米原万里の対談集だった。面白くて眠れなくなった。この人が亡くなってしまったのは日本にとっての損失だろうなと思う。本当に残念だ。今の社会情勢にどういう発言をするのか、知りたかった。誰か影武者となって書いてくれないだろうか。亡き人である...

2008年12月27日

ダメな時は悪あがきしないで遊ぶ

ささやかな日常を送っている中にも、ツイてると感じる日もあれば逆もある。用事と用事の間に時間があいて、家に帰るには半端だしどっかでお茶でも、と思っているジャストその時に「ねえ、お茶飲まない」という誘いの電話がかかってきたり、結構詰まっている日のちょっとした空き時間にストンと別の用事が収まったりは私的には前者。で、昨日はもう典型的な後者だった。朝9時に約束があったので外出モードになりながらパソコンを立ち上げたところ、前日に入力した文書をどうしても呼び出せない。そいつは一太郎で打ったものだ。ワードが壊れて以来、一太郎を使っていて、こっちの方が使い勝手がよろしいのでそのままになっている。パソコンの調子は快調というほどでもないから、内部にも外部にも保存していたから最初はそうあせらなかった。しかしどうやってもダメなのである。友達に電話で泣きつくが外出の時間になってしまった。外は雪である。歩こうと思っていたがパソコンのトラブルで時間が経過したから車にする。荷物を放り込んで出発。でも嫌な予感は的中して、いきなり渋滞である。本日の用事は絶対に遅刻できない。

迷う。距離的には遠くないから、渋滞がひどく感じられても走り出せば案外早く到着するものである。しかし雪道で事故車などが出たらどうしようもない。救急車が走ったりしている。別の道を行くか、戻って車を置いて走るか自転車か。予定を変更するなら決断は早くしないとならない。道を変更しようと思ったら、そっちの方向からどんどん車が来ている。これはあっちの渋滞がひどいという証左だろう。家に戻って車を置いて、サドルにたまった雪をササっと払って自転車にした。徒歩は絶望的だから。しかし滑って転んで怪我したらもっと絶望的。でも時間がない。結局なんとか間に合った。が、先方でいつになく待たされる。ここらへんで今日はツイてない日と決め込むことにする。文書はいろいろ試みたがダメだった。この方面の専門家の夫の兄にいつものように助けを求めると、タイに発つ直前の成田空港にいて「それはソフトウエアの故障ですね、7日に戻るから間に合うなら見る」。問題外だ。1度書いたものだから思い出す、というのはそういう頭脳をもった方であって、私は記憶力悪い。機械なんて大嫌いだ、でも手書きなんてもっと嫌いだからしょうがない。言葉も出ないほど落ち込んでいたら友人から「落ち込んでいる、お茶付き合ってくれないか」という電話があった。こっちもちょうどいいから付き合う。ついでに「忘年会しちゃおう。美味しいもん食べて飲もう」とまで悪ノリになってしまって仕事は完全に諦めて深夜まで。悩むより転換で、そこまでしちゃったせいか後がないから今日はマジメになっている。友達には助けられている。

2008年12月21日

本気で追い込み態勢

タイ行きを決めておいて、その後「ドバイの弟が帰宅できなくなったから」と撤回していた夫が突然「やっぱり行く」と言って、しかもチケットはもう買ったという。となると、私は絶対に正月早々には仕事を終えていないとならない。ということは今しかない。ということで、今日は仕事をしていた。幸い、一時期どうも食欲がなくて、このままダメかと思ったのが盛り返して今日は朝から空腹感があって食事だけでは足りずにポークジャーキーを口にくわえていたところに玄関のチャイムがなり、こちらがドアを開けるのを待たずに客人が勝手にドアを開けた。ウチは生活スペースと外の間の緩衝地帯ともいうべき玄関の相当する空間がないからポークジャーキーをくわえているところも何もかも丸見えだ。その人は小さな建築会社の社長である。カレンダーを渡される。どーぞ、と上がってもらったものの、部屋の状況は惨憺たるもの。一応事務所だからいつ人が来てもいいようにしている、と言いたいところだが、今はそれどころじゃなくて散らかり放題である。それでも「コーヒーでも飲みますか?」と聞いたら「いいよ、飯食いにいくから、アンタも行く?」と言う。食べたばかりだったがまだ入るから付き合うことにした。

付近のうどん屋へ。建築会社は倒産が多いし、私の友達でもつぶした人がいるが、この社長は愚痴愚痴言うよりも新しいアイデアを次々と出してくるから話していても楽しい。「今日、地鎮祭だったんだよ」と言うから「それはおめでたいじゃないですか」と言うと「でもさあ、次があるかなってすぐ考えるんだよな」「そりゃあ社長だもん、一生その心配でしょ、アタシだって社長じゃないけど同じですよ、ウチなんかみんなそうですよ」と、まあ、共感できるものはあるのである。私は今はちょっと取り込んで部屋もあんな状況で失礼しましたが、来年は暇ですからねえ、毎日掃除してきれいにするかもー、などと言いふらす。こう言っておくと仕事をくれるかも。うどん屋では「小盛りを」と頼むと「はい」と受けてくれるから「機転のきかない所が多くて、何か注文つけると対応できない店もあるのにいいですよね、小盛りもできるのは」「だからって値段が変わるかどうか知らねえがな」などと話す。マニュアル通りの電話なんかが続いた後だと生きたコミュニケーションにほっとする。足下を見ることである、特にこんな時代は、と思った。

2008年12月18日

コミュニケーション力を鍛える研修をお願いします

家にいると、日によっては電話が多い。本日もそういう日に当たってしまったようだ。固定電話が鳴ったので日本人らしく「もしもし」と出ると、こちらの反応とは次元の違う世界からのように「こちらは…」と始まったので、ああ自動音声によるアンケートか、さしずめ麻生政権への賛否を問うものであろうか、と思って聞いていたらカード会社で、なんだ営業電話も自動音声になっているのかと思ったところで、自動じゃないことが分かった。カード会社が傷害保険を勧誘しているわけである、らしい。一方的にしゃべっているから「もしもし」と挟んでみると一瞬中断という反応をする。が、その後はまた擬似自動音声。それで「あの、すみません、こちらがもしもしって言っているんですから、それに対していったん反応してから用件を伝えて下さらないと機械と話しているみたいなんですが、そういう口調で話すように研修受けているんですか」と聞いてみたら「そういうわけではありません。そうでしたら失礼しました」とガチャンと切れた。で、その音声も擬似自動風。もうなあ、人間が機械を真似る時代なんである。ああ、恐ろしい。

しばらくしてまた固定電話が鳴った。これはよくあるタイプで学習塾の勧誘。塾の紹介をあんまり品のない声でするから「それはそれはごくろうさまです」と言ったら「すでに塾には通ってらっしゃいましたか」と尋ねる。「通ってらっしゃいましたかって、つまり過去のことをお聞きになっているんですか」と尋ねたら「いえ、現在通ってらっしゃいますか」と聞き直す。「あの、塾の勧誘なんだから正しい文法でお話しいただけませんか」と言ったらとたんにガチャンと切れていた。遠まわし表現が丁寧であるという考えもあるわけだから、意識的にそういう言葉を使っているなら説明すればいいのであるのに、ガチャンとはひどいもんである。こっちも気分が悪いがあっちだってヘンなおばさんだと気分を害していることだろう。そういう嫌な気分が社会の底辺に流れると殺伐とする。私はそんな社会を好ましいと思っているわけじゃないけど、でも一体こういう電話にどう対処すればいいのだろう。コミュニケーションのない社会が最悪だと思っているので、その点でこういう対応を自分なりには好意的にしているつもりなのに、この始末だ。それでこういう電話で効果があるんだろうか、仕事のやりがいはあるんだろうか。分らない、怖い。

2008年12月17日

ラオス・ビジネスセミナー

ライスビジネスセミナーというイベントがあって、駐日ラオス大使も話すというから行ってみることにした。朝一番から仕事で朝二番も仕事でずっと人と会いっぱなしだったので疲労感があったが参加。ラオス語が母語で最近、弟の妻がラオス人だからラオスでビジネスをするのがいい、などと言っている夫も誘うと珍しく行くということで珍しくお揃い。こういうセミナーって、通訳が入って逐次訳すと時間がかかるから、段落ごとに原稿を読むというスタイルがあるが、それだと形式的でつまらんな、と思っていたら逐次訳していて、時間はかかったが誠実なのが良かった。大使のテーマは「ラオスの外資受け入れ方針」。ラオス語はタイ語と似ているから聞いていても面白い。夫は珍しく母語を聞いて喜んでいて、質問するのだと最後まで待っていたのに質問の時間がなくて残念だった。大使に続いて、日本ラオス協会参与という方が演題に立った。タイトルは「ラオス並びにインドシナ地域でのビジネス展開」というもの。

ずっと現場にいた方なのでニュートラルに網羅していていい話しだった。汚職についてもきちんと説明する必要があるということで、汚職事情が入っていたのもなかなか。タイがリーダーになるかってところで今回の政治の混乱である。もちろんテーマからしてそれに触れないわけにはいかない。夫は「タイはいろいろ恵まれているのに人だけがダメだ、残念だ」を繰り返している。メモっておきたいことはあるのだが、体調すぐれず。食欲ないしアルコールも受け付けない。明日は本気で在宅仕事しないとならないので早く寝ることにする。夜は友達が忘年会を夫の店でやるというので顔を出したが、濃厚な日だったり不調だったりで疲れて早々に失礼した。

2008年12月16日

びっくりした機内のサービス

この間のインド旅行の時の航空会社はJALだった。JALを利用するのは初めてだった。2年前にタイに行った時はタイ航空で、終始ものすごい揺れで吐気がするくらいだったのに何の説明もなく、バンコク-成田間なんて、週末よく利用してます、くらいの常連さんが多そうな機内で「こんなの初めて」という声が何度も上がるくらいだった。食事も喉を通らない。単純に物理的に、揺れて食べられない。ところが今回のJALはいちいち「気流の関係で揺れます」とアナウンスするからどの程度かと思うと、揺れって呼ぶかなっていう程度だった。しかしこういう時の説明は安心感をもたらしてくれる効果はある。という面もあったが、びっくりしたのはフライトアテンダントが全員女性だったことだった。これも初めての経験だと思う。

飛行機は嫌いだし観光旅行もしないので、そんなに利用しているわけではないが、乗らないわけにいかない、という利用だけでも何度かはある。ミャンマーとかラオスのがどうだったか覚えてないが、国際線のジャンボ機で男性を1人も見かけないってすごく違和感だった。荷物を持ち上げてもらうのにも、何か頼むのにも、男性の方が頼みやすいのは、タイにいたせいだろうか。食事の取り分けもたいてい男性がするし、サービス精神が旺盛なのは男性という思い込みが自分にある。まあ、自分を基準にするとこうなるか…。タイ航空だとかシンガポール航空だとかはその点が楽しみだし、こっちはこっちで安心感を得られる。男性がいないのは不思議だな、何か特別な事情があったのかと思っていて、この間書店で航空会社についての新書を立ち読みしていたら、あった。JALでは男性アテンダントの導入がされていないそうだ。友達にこのびっくり感を伝えたら「サービスは女性がするものって発想があるんじゃないの」と事もなげだったが、なるほど。JALの子会社はタイ人の女性アテンダントをたくさん採用しているけど、タイ人男性も採用したらいいのになあ。そしたら楽しみが増えることは確実。

2008年12月15日

これも面白かった『仏教ではこう考える』

先日久々に書店に行ったら嬉しくて1万5千円ほどあった手持ち金は全部本に化けた。高額な専門書がないから冊数はいったが、すぐ読めるのが多いと、読む方の冊数もいくからどっちがお得か、なんて判断で買っているわけじゃないからいいんだけど。この本はその中からの2冊目。最初のは完全に仕事のためだが、こちらは半分以上は趣味。学研新書で釈徹宗著。とってもとっても面白かった、私の好みの筆致だった。京都新聞に連載していたものだそうで、読者からの質問に仏教ならこう考える、という発想でお坊さんが答えるというスタイル。問答形式というのはユーモアがあって笑えないと私は苦手だが、これはその点がいいし、それに宗教思想が専門の学者さんが住職としてフィールドワークしているみたいなものだから、現場にも理論にも強いということになる。しかもキリスト教ではこう考える、神道だとどう、イスラムだとどう、みたいに比較してくれるので実に分りやすい。大きな活字で読みではないが、情報量的には満足できる。こういうのが新書の良さではないかと思ったりする。

こういう本を読むと仏教っていいなあと思う。何しろ、常識を疑え、である。べき、で考えなくていいのである。これを読んでいてちゃんと仏教徒になろうかと思ったが、この方は浄土真宗で、その前に読んで仏教徒になろうかと思ったのは浄土宗。次に別の宗派を読んで、また良かったらどうしたらいいのだろうか。仏教の入門書としてはとってもいいんじゃないだろうか。前半は新聞紙上問答を再現しているが後半は、住職というフィールドワークから得られた情報を元にして仏教的に考察するというもの。仏教だ、神道だ、慣習だ、地域性だとぐちゃぐちゃ絡まった糸をほぐしてから解説してくれるので、表現的には子どもが対象かと思うほどの易しさだが、少なくともいい大人の私には満足の面白さだった。

2008年12月14日

巣鴨で坦坦麺を食べながら

昨日上京ついでに久しぶりの友人に会うことができた。突然の連絡に応じるような身軽さのない人であるから「今、有楽町だけどお昼食べよ」と言っても「嫌よ、遠いもの。何よ、突然に」と簡単に断られている。「夕食ならいいわよ」と言われていたが、こっちは用事が済んだら急いで帰りたい。それでいつも合わないのだが、昨日は私が遅くなる決意をした。娘は実家だし息子はバイトだし、急いで帰る必要がなかったこともある。アジア文化会館でタイ語を習っているというから、そこにお迎えに行くことにする。それから巣鴨の駅前の、知らない中華料理屋に入った。彼女の夫は中国系タイ人でバンコク在住でお互いが行き来している。私たちはバンコク在住時に知り合って、私が先に帰国した。「最近はいつ行ったの?」と聞いたら「空港占拠の直前に帰ったから良かったけど、友達は取り残されて、もう!ジャムロンなんか大嫌い」と語気が強まった。ジャムロンというのは、この間の民主化(なのか?)要求で空港占拠のグループを率いたリーダーのひとり。私達がバンコクにいた頃は知事をしていて、結構人気があったはずの人で、今回の件は一体どういうことなのかよく分らないので「どうなってんの?」と聞いたら「狂ってんのよ」で済まされてしまった。

彼女は牛肉のあんかけご飯、私はビールと坦坦麺、そして2人でカキのピリ辛炒めをシェア。広い店内に客はなくて3時間近くいたんだろうか。彼女はテレビっ子がそのまま大きくなったような人で私はテレビを見ないし、社会的関心の持ち方も全然違うし、子どもの有無、職業の有無、そもそも不労所得で生活できちゃうお方で配偶者も中国系金持ちと、まるっきり正反対の当方。なんで友達なんだ、という感じで、話しはことごとくかみ合わない。「バンコクに戻ってもすることないしねえ」「絵を教えるとか、日本語教えるのはどう?」「嫌よ、アタシは人に教えるなんて嫌いなの!」確か、労働も嫌い…だったよね。夫のKさんも家業の工場の経営を引き継いでいるから「快適だもん、日本で働くなんて絶対できないわよ」である。弁護士のタイ人と結婚した友人がノイローゼ気味だという話しもでた。念願の豪邸マイホームを建てて住み込みのお手伝いさんが何人もいて、子どもはもう大学生で、夫は週末ゴルフ三昧。「いいなあ、みんないい生活なんだねえ」と私が羨ましがっていると「でもねえ、することがないのも大変そうよ」とか。彼女自身、親の介護で帰国して役割を終えたもののバンコクに戻る決心ができないのもこのへんにあるようだ。でも病院はバンコクにすると言っていた。お母さんの介護でさんざんな目にあって病院不信になっている。「東京はひどいわよ」と言うから「東京の方が恵まれていると思うけど」と私。「どっちにしても、タイだったらお金さえあればあんな目に合わないから」。確かに一考の余地はある。

2008年12月12日

やっつけ仕事をしながら来年の構想アレコレ

何やらいつの間にか日付が変わっていてもう1時過ぎている。今日はパソコンに向かって入力作業をしっぱなしの不健康な1日だった。入力作業で腱鞘炎になったという友人がいたが、そういうこともなく無事でいるのはありがたいことだ。とりあえず、最もやっかいなヤツを残して片付けた。そして最もやっかいなヤツが終わったら限りなく暇になるから、アレしたい、コレしたいということばかりを、最近は考えている。珍しく前向きである。一番したいことのためにはタイに2-3か月滞在する必要がある。ずっと考えていることだが、子どもが小さい時は現実味がなかった。今だとある。

娘はまだまだと思っていたが、この間のケンカ以来、私の中でプッツンしたものがあって、とっくにプッツンしている息子とプッツンしたての対娘感情をもってすれば、もうキミ達は勝手に生きてくれ、という心境だ。それと今の我が家は安心安全先取りの家になっている。昨日も自転車で帰宅したら隣のおじさんが「いいなあ、漬物もらえて」と言うから何かと思ったら、母が漬物を持参して草取りしているのが「隣だから全部見える」のだそうだ。そりゃあ、そうだ。で、問題の反対側の隣も我が家に向かって全面開放の家を建築中で、両方から全部丸見え。しかもみんな勤め人じゃない自営業者の監視体制。息子は新しいバイト先を決めたそうだ。賄い食目当てで焼き肉屋。娘がやっかな年頃になっているが、息子の方はもうどうしようもない、と言うと語弊があるが、別の言い方をすると、落ち着いている。なんだか一番落ち着いてないのが一番年齢はいっている自分のような気もする。

2008年12月07日

1月の里帰り宣言

娘は田舎の実家へ、息子は親が寝ているうちに出ていったから、多分部活だろう。というわけで静かな日曜日。私が9時頃から仕事を始めたら夫も珍しく起きてきて、私の車のタイヤ交換をしてくれた。ちょっと早い気もするが山道に入るのが好きなので安心でもある。昨夜、夫の店に友人たちの予約があったので私も行った。その時に「1月にタイに帰る」と夫が突然言った。ううむ、ビミョウな時期である。私の仕事がはかどってほとんど終わっていれば、もう、どこにでも行ってくれ、という時期だが、そうじゃないと苦しい時期に当たる。つまり彼がいないと私が店番しないとならないから、ものすごい負担なのである。それを言うと、アルバイトを頼むか、店を休むか、と言うが、どっちもそう簡単ではない。それで、その場になったら考えようで、この件は後回しとする。綱渡り生活もここまでくると、その場になって対応するしかない的思考を中心に据えないとやってられない。

しかし、そんなチケット代の高い時になんで行くのか、と思ったら「遺産の話し合い」ということだった。父親も歳を取ってきたので、ここできょうだい6人で田畑をどう分けるか取り決めておこうというわけである。「何が欲しい?」というから「犬でももらえばあ」と言っておいた。で、きょうだい6人のうち3人が外国にいる。2人が日本で1人がドバイ。となると盆だ正月だといって集うのもままならない。今年はちょうど一番忙しいと思われる日本在住の兄が家族で年末年始の里帰りをするので、それに合わせて集まることになったそうで、ドバイの弟も戻る。「20年ぶりにみんなが集まる」と夫。女の子が家に残って後取りとして農家を継ぐという村の伝統の通り、しっかり者の女の子の1人が農家、もう1人が看護師、どうでもいい男は外で、今日まで麻薬などのありふれた犯罪者として刑務所に行ってないのは幸運である。ここまで飛び飛びだと日記といえなくなってきた。明日からもうちょっとまじめに書こう。