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2007年12月30日

とんかつ屋で会ったなつかしい人

息子は朝5時前に自分で起きて「行って来る」と出て行った。この時期だとまだ真暗。学校は遅刻のくせにアルバイトはえらく早く出て行くし、この間なんか一晩中嘔吐していたくせに、翌日は出勤して行った。娘は昨日から山の祖父母の家に行った。朝方、友人が来てコーヒー飲みながらしばらくおしゃべりして帰った後、朝帰りだった夫が「ご飯食べた?」と聞くから「朝パン食べた」と答えたら、どっかに食事に行こうと言うの...

2007年12月27日

いつの間にか当たり前になった光景

お隣の町に用事があって車で出かけた。暮れのせいか割り込む車が多いように感じる。また割り込みだ、しかも大きな積載車、と思っていたら突然停車してバックで脇道に入り始めた。なんてマナーの悪い運転手なんだと顔を見たら、どう見ても日本人には見えない。多分パキスタン人だと思う。中古車ビジネスはパキスタン人の参入が多く、ネットワークができているからだ。私の友人にもやっている人がいる。で、今は結構羽振り...

2007年12月25日

今日と明日は延ばすにも限界の仕事

やっと片付いた。もうちょっと残っているけど大勢に影響がないので強制終了ということにする、事務所兼自室の大々的なレイアウト変更。ずっと移動してなかった仕事机もパソコンも移動して本も資料も大幅処理。どうせあと何年生きるんだ、と思うと思い切りが良くなる。とってもすっきりして今日から頭も気持ちも切り替えるのだが、自分がすっきりしても家族、中心は息子がどうにもだらしないので気持ちも頭も萎えてしまう...

2007年12月22日

予想通りの展開となった面談

昨日は事務所の全面的模様替えをする間に2人の個人面談へ。娘は前の人が大幅に時間をオーバーして、やっと始まったと思ったら次の人がドアを開けてしまうしで、ほとんど何も話せずに終わりになった。先生が何より優先させたのは、今年の大きな話題のひとつであった全国一斉学力調査の結果報告であった。「全国でこうして1人1人に報告するんですか」と聞いたら「あ、全国かは分かりませんが、県では全部…」と先生。国語と算数の分野別の点数分布が棒グラフで表され、全国の何パーセントの子が各問題について○か×かが示され、その子との比較がなされ、加えて合計点数も比較できるようになっている。娘の場合はだいたいが分布の多いところにあるかそれより少し上程度。なにしろ今は表もグラフも簡単に作れる時代であるから一目瞭然。でも、それでこういうのを知って何だって気は常にしている。「これで平均だして、それで何の意味があるんですか」と聞いたら先生も「ううん…」と言って答えてくれなかった。大きな経費をかけているんだし、いろいろ論議された割にはあっさりしたものだ。国数の他に生活についてのアンケートもあってその結果も報告された。「この学校の子の場合は、生活時間がきちんと決まっている子の割合が全国平均より少ないですね」と先生。

「それ、どういう意味ですか」「テレビは何時から何時までとかゲームは1日何分とか、そういうきまりです」「ウチも特に決めてません。そういうのって決めたほうがいいんですか」「いや、そういうわけじゃなくて、ただこの学校の特徴ってことで」という、ほとんど意味のないやり取り。もしやそういう子の多い学校だからウチの子も楽しく行っているのかもしれない。「学力の点は問題ないでしょう」「はあ」「友達関係は、おとなしい子とよく遊んでますね」「はあ」。一方の息子も、いつもと同じ。多分先生にしてもこのようなある種の典型的タイプの子にはテープみたいに繰り返している内容だと思うが「通知表の成績がこんなに悪い」「一学期よりこんなに落ちている」「テストがここまでできているのになんでこんなに成績が悪いのか」「それは宿題やらず提出物を出してなくて授業態度が悪いからだ」「遅刻が14日って何だ、これ」「この間もパンを食べて袋をそのへんに捨てていただろ、だらしなさ過ぎる」「とにかくだらしない」「お前の人生これでいいのか」「やり直すなら今しかないぞ」「ダメだよ、それじゃあ、オマエなあ!!」。息子の面談でこれ以外の事を言われたことは中学以来1度もないから、それを聞いている私も代弁できそう。それに私が言っているのも同じことだし。多分脳のどこかがプッツンしているのだ。しかし今までは半分は笑えたが、このところ、これで社会生活ができるのか本気で心配になっている。しかし、日本語の語彙って罵倒語が貧弱だからこの程度で済む。タイにいたらもっと豊富な語彙でメチャクチャ言われていたかも。いや、タイならいい子ちゃんだったかも。分かんない。

2007年12月21日

雪が積もっていた朝、模様替えプラン

つい最近までの数日間は就職活動に関心があったのに、早くも挫折して気持ちは来年からの仕事に移っている。もともと関心は仕事に偏っている傾向はあるが、とういうかほとんどそれしかない、とも言えるが、弱気になっている時に本棚を見たり書類の整理をしていると、あの時はあれもこれも考えていたのに、どうせもう無駄じゃないか、単なる無駄遣いだ、捨ててしまえ、というところまで追いつめられて泣けてくる。病気かもしれない。そういえば昨日も夫が「○さんが、話し相手になってくれるだけで時給1000円くれるそうだ。誰かいないか」と話していた。○さんは鬱病で治療している。タイ語だと「悲しくなる病気」と表現する。日本語が抽象的だとタイ語の方が具体的で理解しやすい場合は多い。で、彼は寂しさからよく店に来ているが、そこで泣くこともあるそうだ。夫は病気っぽいタイプでないので、共感が難しいようだが、私は分かる気がする。よって家族の中では「母は病気」ということになっているらしい。息子が父親にそう言ったようで、それ以後夫は鬼の首でも取ったように事ある毎に「母は病気」を発している。自分自身心当たりがなくもないが、私の場合は相当な状況になっても「これではいけない」と自分を責めたりはしない。しょうがない、いけないのは周囲だ、社会だ、環境だ、政治だ、技術革新だ、グローバル化だ、と思うことにしている。よって本格的な病気は多分避けられているように思う、今のところは。

そしてありがたいことに、どん底に張り付く前に何らかの手が下りてくる。そもそも年末というのは私の場合は結構クライ。新たな仕事が生じるわけがなく、勤め人はボーナス等あるらしいが関係ないから買い物もしないし、スペシャルなこともない。しかも寒さが身に染みる。苔むしたトンネルに入って行く感覚。しかし一方で多くの人は来年はどうしようと計画を立てる。それはトンネルの先の一縷の光明である。そんな話しが昨日、友人とランチしている時に出た。面白いアイデアだった。いきなり楽しくなって、ちょうど部屋の模様替えをどうしようか迷っていたところだったから、そのアイデアに沿ったレイアウトにすることに決めた。が、それだと大掛かりになる。体力使うから朝食をたくさん食べ、コーヒーも2杯分飲んだ。今週中に片付けたい仕事が少々残っているのをどうする。家具を動かしながら考えよう。ということができるのは、やはり自営の利点ではある。大切なのは、弱気にも強気にも傾きすぎずなるべく平な状態でいることだ。容易ではないが。

2007年12月20日

個人面談の前日の感想

明日は息子と娘と2人の面談が重なった。小学校は2者で高校は3者。ここまで親業をしてくると、先生が言いそうなことは分かっているから面談なんて形式みたいなものである。ただ、息子の方はテストの成績等一切言わないし、私の方も知るとうんざりするから聞かないことにしたので明日は知ってうんざりするのは分かっている。この高校だったらトップにいないと大学はムリって最初から言ってあるが、彼の場合は、多分どこに行っても中間にいるのである。もっと偏差値の高いところにいったらいったで中間にいるかもしれない。そんな気がする。それも特技であるようにも思えてくる。いずれにしろ、もう勝手にしてくれ。今更何を言ってどうなるってものでもあるまい。何事も慣れるものだ。娘の小学校生活は残り僅かになった。この間は制服を注文して、今はトレーニングシャツやパンツの注文書が手元に来ている。この子が中学でどうなるかは、なかなか予想しにくいものがあるが、明日の面談はいつものように特別な話題はなくて手持ち無沙汰になるであろう。話題に詰まって「太ってますよね」と言うと先生は「給食の残りを食べてもらっているからかなあ」と言う。明日もそう言ってみよう。

私の方も先生に伝えたいことは特にない。学校の先生が子供をどう見るかは先生の自由だし、それが親の見方と同じであれば、当たっていると思うし、違うとそういう見方もあるのかって思う。が、ウチの場合は意外性が皆無なのである。ウチの子の意外な一面を知りました、なんて感動してみたいがしたことない。中学からは3者面談になって、3人で話すことなどますますないと思っていたら、先生が親のいる前で息子に説教するというスタイルなのだった。で、その説教は、私が常々彼に言っているのと全く同じである。言葉の使い方まで同じ。先生から「何かありますか」と聞かれても「いつも私が言っていることと同じですからありません」となる。ここまで同じだと、彼が二重人格でないことは確か。ただし不安になるのは、家と外が同じではマズイだろうということだ。家であんまりだらしなくても外ではある程度は常識的なふるまいをしていると期待したくなるのが親だと思うが、それは裏切られまくり。これにも慣れてしまったが、そろそろ成長してくれないかなあ、それともどっかで飛躍的に…。少なくとも明日成長を聞かされないのは、現時点で確実である。