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2007年04月22日

家族のありようの変化が大きい時期

遅い時間に息子が起きてきた。食事について尋ねる。何しろこういうこともバラバラな個食家族である。朝からご飯は重たいと言うことが多いので「スパゲティ?トースト?サンドイッチ?」と聞くと「サンドイッチ」と答える。「オープン?それとも挟む?」と聞くと「フツウに挟む」。言葉遣いを一段丁寧にしたらファーストフード店である。ファーストフード店化する核家族って誰か提唱していそうなコンセプトだな。ベーコンエッグと水菜をパンに挟んでいると「K(妹)とパパは?」と聞く。「Kは映画でパパは田植え」と答えると「小学生だけで映画に行くのは禁止だよ」と言う。そういえばそうだろうな、何かヘンな感じはしたんだ。こういういい加減な親の子には同じような子が友達になるらしく、最近親しく付き合っている友達が何の抵抗も示さずに行くことになったからあんまり疑問を抱かなかった。次に息子は「稲刈りには行くよ。虫がいないから」と言う。これは、夫が田んぼを借りた時に、趣味も特技もなく勉強もしない息子を連れ出そうと誘ったのに対し、バンコクの都会育ちの息子は「虫が嫌だ」と拒否したことへの彼なりの心痛の表現であると捉えておこう。昨夜も説教で気まずかったから私も今朝は少し抑えることにして、彼の方もさすがに昨夜の態度は反省したと見える。

全く憎たらしいだけだ、と思う時と、こういうコミュニケーションができる時の楽しみが毎日交錯するのが子育てというものだ。息子は昨夜も無断で帰宅が遅くなったことについて「ついその場その場で行動しちゃうんだ」と自己分析。そんなのはさんざん聞かされて、その場その場の行動の行きつく先を話して…という繰り返しで何の進歩もないヤツである。とにかく親としては自己管理能力を高めて欲しいだけなので、自己申告して、申告内容は遵守することと、例外は認めるから例外の時はそれも申告せい、と言うしかない。管理能力ない親としては、こっから先の責任はアンタねという線を設定しておくのがいいのだが、その線と行動の間の距離を測るのが難しいのが息子のようなタイプなのだ。なんて話しているうちに映画に行った娘の帰宅が遅れていることに気付き、心配になり探しに出た。一緒に行った子のウチに電話したら兄ちゃんが出るだけで親は留守。映画館に自転車はない。しかしさびれているとはいえ中心市街地の白昼である。まさかね、と思って自転車でウロウロしていたらフルネームで声かける人がいて振り返ったら娘だった。頼むから兄のようにはならないで欲しい。

2007年04月22日

独立へ進む人々の中での自分

店の唯一定休の日曜日だ。父親っ子の娘がいつもだと夫にまとわりついているのだが、今日は朝から友達とコナンを見に行くと出かけてしまった。早朝からそわそわしていた。子供達だけで映画館に入ったことは何度もあるが、今日のように送迎なしというのは初めての事。こうしてみるといよいよ家族のバラバラ行動にまた歩が進んだって気がする。次に夫が外出。着替えを袋に入れて田植えである。「誰と行くの」と聞くと「誰とも行かない」というから1人で田植えするらしい。「行きたい人はいるが、どうせ寝坊するに決まっているから待っているのが面倒」と言う。タイ人との約束はやはり日本にいてもアテにならないのだな。それにしても子供が小さい時の求心力というのは大きかったと、今になると思う。最初にそれが崩れたのは息子が3年だか4年の時に少年野球チームに入った時からで、週末も長期休暇もかなりそれに振り回されるようになる。弁当作ったり当番で行ったりまだ小さいので帰宅時に家にいるようにしたりと。

夫が店を始めたのがちょうど5年前だ。それから家族揃った食事なんて月に1度あるかどうか。店をやっているとタイ人日本人の知り合いが増えるから、週末もそっちの方の活動が中心となる。輪をかけるのは私の仕事の仕方で、週末を在宅仕事に当てたくなる事はとても多い。それでもたまには家族ドライブと思っても、小さい時は車好きだった息子がまず「車嫌い、乗りたくない」とくる。その意味は家族より友達と遊びたい、に違いない。娘はまだそこまで行ってないが、とにかく夫と私が同行するという機会がほとんどなくなってしまったからどっちかに付かざるを得ず、ほとんどは夫の方である。この孤独感にみんな耐えているのか思うと、すべての人をいとおしく感じる、なんて余裕はなくて、これだったら最初っから1人の方が今頃は1人のエキスパートになっていたんじゃないかと思ったりもする。

2007年04月20日

逆に元気が出ているように見える夫

コックさんの逃走について入管に提出するレポートを書いた。夫の店でビザを取っているので放置しておくわけにもいかず入管に行ったら「経緯と店での状況、気付いた事を文書で送付」と言われたそうだ。それで私が書いた。日付を見たら、計算したようにちょうど5か月目でいなくなっていて、ビザの残りは丸7か月ある。ただ店は料理も上手なタイ人女性を雇うことで合意したとのことで、ひとまず安心というところ。彼女は暇をもてあまして毎日のように店に来てビールを飲んでいたから、その印象の方が強いが、とてもよく働いてくれているように見える。皿洗いもすれば料理の手伝いもすれば、日本語もまあできるので接客もできる。このような綱渡りがいつまで続くかは分からないけど、その他のタイ人女性達もよく出入りして、アレコレ世話を焼いているようだ。「男はダメだね」とか言いながら。夫も来日からちょうど11年。オリジナルな人間関係を築いているようだ。

そのひとつが今年から始めるという米作りだ。前から水田をやりたいとは言っていたが、地主が亡くなって放置されそうな水田を借りることになったという。彼は米農家の出身なので稲作はお手の物。私の方は水のない土地の百姓の家だから米は全然ダメ。ただ、美味しい自家栽培米が食べられるのは今から楽しみだ。彼は早速今日から整地などの準備に朝から出かけた。モチ米も作るそうだ。彼の出身地のタイ東北地方はモチ米が主食。私もタイのモチ米は好きだが日本のは重たいので苦手。「モチ米作って何にするのよ」と聞いたら、小さなモチを作りたいそうだ。理想的にはタイの野菜も作ることなのだが、米より野菜の方が世話が要るから近所じゃないとやりきれない。今日はいい天気で昼間はウキウキした気分だったが、夜になって元気を失っている。だから自分の事から目を逸らしたくて人の事を書くことにした。

2007年04月19日

高校生がホテルで勉強合宿

息子がホテル宿泊だと夫に言ったら驚いていた。私も驚きだ。今時の高校は入学早々にホテルで合宿するんだそうだ。お子様ビジネス花盛りだ。バンコクにいる時に、農業の女性達の視察のアテンドみたいなアルバイトをした事があって、日本のバブル期だったせいもあるのか、元気いっぱいの女性達だった。酪農者からは、優秀な遺伝子を伝えるための精子ビジネスとか興味深い話しを聞いたが、印象に残っているのが愛知県でミニトマトを栽培している女性。「儲かる儲かる。困ったら給食のミニトマトを1つ増やしてもらえばいいんだから」と言っていたこと。ホテル合宿なんて聞くとそれを思い出す。給食にタイ料理を導入してもらってウチの店から納入だとビッグビジネスになるのかと思うが、ミニトマトの方が一般的だな。

そんなわけで娘と2人だが、こんな機会はめったにない。残り物の野菜炒めと残りご飯でチャーハンにする、なんてことは息子がいるとできない。肉が少ないと文句言う人もいない。一番場所を取る人がいないのですっきりしている。娘には説教する必要もない。「平和だねえ」と言いながら野菜中心の食事が静かに過ぎる。男の子がいないってこういう事なんだろうか。別世界だ。仕事に出たついでに温泉に入り、足を延ばしてお気に入りの道の駅まで行って娘の好物のいちごを買ってきた。食べ物の取り合いもない。娘は兄と違って自己管理できるタイプなので、宿題もやるし、翌日早起きする予定も自分で立てて早寝する。こんな当たり前の事ができない人がいるってことを教えてくれるという意味で息子の存在は貴重なのだが。

2007年04月18日

結構注文があったけどこなしていた夫

火曜日は私の店番の日。でもコックさんがいないから夫がコックとして出た。火曜日によく来てくれる私の友達と、夫目当てのタイ人達の両方があって賑やかだった。夫の料理は私は他のどのコックさんのより好きなので味で心配はしていないが、スピードなんかはどうなんだろうかと思ったら問題なかった。彼は子供の時から料理を作っていた。本物のタイの田舎の村なので水道はないしガスはないし、電気が通ったのも彼がかなり大きくなってからだ。だから庭で薪を炊いて主にお父さんが料理していて、それを見て育って作ってという具合だ。思い出深いのは、2人で村に実家を訪ねた時に、彼は市場で牛だから豚だかの油を買って行って家に着くなり油を溶かして料理を始めた事だった。もちろん家でも当たり前に料理はしていた。日本に来て、失業したり体調を崩したりの時に、この料理の腕を活かした方がいいんじゃないかと思った。タイ料理はあちこち食べ歩いたが美味しいと思うことが少なかったからってこともある。それで一時帰国してバンコクの有名ホテルが経営する料理学校を修了してきた。

かといって自分で店をやるのは私は嫌だった。商売なんてやったことないし、分からないし、リスキーじゃないか。それで彼も既存店で仕事を探そうと思ったのだが、条件がメチャクチャなのである。昼前から翌日の朝方まで働いて10万円だか15万円だか。そもそも体がもつわけがない。子供も小さかったし、私だって困る。そんなこんなで自分でやることになった、ようである。多分、これは移民の定着として典型的なパターンかもしれない。小さな商売しかできることがない。ただどうしても避けたかったのは、タイ人ばかりが集まる店になることだ。タイ料理は私自身が大好きなので、日本でももっともっと当たり前に普及していいものだと思っているから、日常的に来ても飽きずにリーズナブルに食べられるのがいい。夫の料理はあっさり目なのでタイ人には物足りないのだ、と彼自身が言っている。今日も注文を通すたびに「タイ人か日本人か」と聞いていた。厨房のお手伝いをしてくれる人が見つかったから、店を回していくことはできると思われる。とはいえ、明日、というかもう今日になったが、グループの予約があるので私もお手伝いに行く。

2007年04月17日

終わりの知れない非常事態

コックさんの逃走の件は子供達にも話した。ちょっとおおげさかもしれないが、非常事態みたいなものだ。私の方に定収入があった時はここまで深刻にならずにすむが、この時期に店がダメになったら経済的に大変困ったことになる。賃貸なので固定費の出費は確実にあるわけだから。昨夜の食事時に子供達に「コックさんがいなくなってパパが大変になるし私も手伝う必要がある。キミ達に何か手伝えとは言わないが、自分の事は自分でして親に負担をかけないように」と言い渡す。もっともこういう内容のことはしょっちゅう言っているのでまた狼が来たみたいなものだ、彼らにとっては。娘は「ええ、私の好きなトムヤムはどうなるの」という心配。実は娘はさっそくその点を夫に尋ねていて「パパが何でも作れるって」と安心したようだ。息子は「帰って来る可能性は?」という反応。そうだった。バンコクで会社勤めをしていた時に驚いたことは山ほどあるが、突然辞めた人が突然また戻っているのもそのひとつだった。しかも、親戚何人かで一緒に勤めていると、一緒にごそっと辞めたりするから社長も大変そうだった。

しかし気がつくと、いつのまにかまた戻っている人もいる。日本でも勤務経験があったが、人が辞める時って予告して送別会をして、というイメージがあったのでこの経緯は驚きだった。さんざん浮気をした挙句に「やっぱりおまえがいい」っていう、あの感じなんだろうか。でも、その人が落ち着いて勤め続けたわけじゃないから、その点も似ているかもしれない。だからタイ人である夫にとっても、タイで働いたことのある私にとっても、またか、ってところだけど、他人事か自分の事かの違いはとっても大きい。興味があるのは、もし戻ってきたら夫はどういう対応をするんだろうなってことだ。しかし、その可能性は小さいと思う。タイ料理のコックさんだったら引く手数多に違いない。東京で働いていたことがあるので知り合いもいるだろうし、最初からそのつもりだったということも考えられる。しかし、この人を紹介してくれたのは、いつも店に来ている親しいタイ人女性で、彼女のかなり近い親戚なのだ。その彼女は「ああいう性格だから」とカウンターでビールを飲んでいた。

2007年04月16日

おお、久々に大ヒットの出来事

つつがなく過ぎるはずの日だった。仕事はないし、子供達は学校だし、夏に外部講師として1回話す予定の大学に午後から行って別の外部講師の人のを聴講してから、編集を手伝った報告書を受け取りついでにちょっと先生と話して帰って食事作って食べて、ちょっとビール飲んで…というのが予定だった。とんでもないどんでん返しが待っていたのは、お昼を食べに夫の店に行った時だ。ちょっとヘンだな、とは思った。いつも出しているランチ営業用の看板が踊り場に置きっ放し。何食べようかと入ったら「コックさんがいなくなった」と夫。連絡もつかないし、アパートのカギはかかっているから様子が分からない。「いつから連絡つかないの」と聞くと「昨日から」と夫。日曜日は定休日だが、タイ人達でお花見をして、その流れでもっと食べたいということで夜に店を開けたのだが、その時も来なかったようだ。こういう事態は店をやっている限り想定内のはずなのだが、今回は迂闊だった、想定してなかった。

というのは、やっとここまできたって安堵感が勝っていたからだ。最初のコックさんはビザの更新をしなくて切らしているところを突然摘発された。その当日、団体の予約があって、まだ小さかった子供を友人宅に預けて私が手伝いに行って夫が料理してギリギリ乗り切った。ただ摘発の噂は即伝わって夫の電話は鳴りっぱなし。自分を雇ってくれとの売り込みだ。しかし問題はアレである。アレがない人ばっかり。しかしどうしようもないからそのまま続けている時のストレスといったらなかった。いつ家族崩壊になるかの不安。やっといい人を探してタイから連れて来てまだ半年にもなってない。とにかく今度は堂々と宣伝もできるわけだし、そうなれば私が失業してもなんとかやっていけるかも、と甘いことを考えていた矢先である。人生そうそううまくいかないわけね、と不遇続きの友人と別の店でランチしながら笑ってしまったが、さすがにショックはあって、そのランチで食べたいものがあったが300円高かったので節約して安いのにした。大家さんから合鍵をもらってアパートに行く時、夫は「おばけがいると嫌だから」とタイ人を誘って行った。部屋で冷たくなっている可能性はもちろんある。が、幸いそうではなくて案の定、荷物をまとめて出て行ったようだ。幸運を祈る、とはいえ、こっちはどうなるんだ。

2007年04月16日

今のところ弁当作りをしなくていいようだ

この4月から生活スタイルを全面的に見直そうと思った。息子が高校になると毎朝の弁当作りという今までにない家事仕事が増えるから、これを機会に朝方生活にしようと思った。12時前に寝て1時間ほどベッドの中で読書して早起きするんだ、と決意。早起きといっても、一番近い高校だから、息子が家を出るのは8時を過ぎる。ってことは、早起きでも何でもないんだが。夜のうちに弁当を頭に入れて用意すれば料理も上達するかもね、とか思った。ところが、息子が「弁当は自分で作りたい」と最初から言う。ここでうんざりしてしまうのは、この子は言うことはいいのだが実行が伴わないことで、それでずっと裏切られているから安易に信じられないということ。自分から言っておいてズルズルやらないと当方の気落ちがますます萎える。しかし「ダメ、私がやる」なんて言い張るわけにもいかないから任せることにする。

ところが2日目に早速空の弁当箱を残して、父親から昼飯代をもらって行った。だから嫌なんだ。だったら最初からやるって言わないで欲しい、というのが私の気持ちで、それだけ。だからそれだけの事を夜の食事の席で伝えた。彼の言い分は「作ろうと思ったけど材料がないから自分で買い物したい」である。生活クラブ生協に入って長くて、その食材は冷蔵庫に詰まっているが、どうやらスーパーの冷凍食品などを利用したいようである。食材が気になる自分としては避けたいのだが、ここは自主性を尊重することにして1つ提案をした。「じゃあ、ランチ代で5000円を毎月やるから自由に使って。ただ食材は冷蔵庫に用意しておくから毎日それを使えば全部キミの小遣いになるし、買い物しても残るはず。作るのが面倒で買う時に親からお金はやらない」と。即合意してすぐに彼は買い物に行った。私にしたら弁当作りは避けられるなら避けたいことなのでひじょうに助かる。一応「なるべく既製品じゃなくて自分で作るように」とは言ったが見てない。おかげで今日も寝坊してしまった。

2007年04月14日

土曜日の出来事いろいろ

紙ゴミの回収日だった。たくさんたまっているので起きてやらないとな、と思いながらグズグズしていたら、息子が先に起きてきた。昨夜、1人で出すのは大変だから手伝うように言いつけておいたのだ。彼の性格からして自分から起きて手伝うとは思わなかったので驚いたが、とにかくおかげではかどった。片付いた後、いつものように朝のコーヒーをどれにしようか迷っている時に、この間の選挙の結果県議になった友達から電話があって、久々に立ち寄った。彼女が息子に「高校おめでとう」と言ったら息子の方も「Tさんこそ、おめでとう」と言う。挨拶だけは得意なようだ。娘は「友達が来る」と昨日から何度も何度も繰り返している。つまり、存分に遊びたいから他の家族員に出て行って欲しいのである。「今日は仕事があるからダメ」と私。息子も、部活用のシューズを買いに出た以外、珍しく家にいるどころか、友達まで連れて来た。娘と息子は同じフロアを共有しているので、娘にとって兄の存在はじゃまである。なんといってもこの狭い家でかくれんぼするのが目的なのだから。息子が降りてきて「△(娘)の友達何人来ているの」と私に聞くから「自分で見ればいいでしょ」と言ったら「だって、かくれんぼしているから分からない」とマジメな顔で言う。ふざけているのか本気でボケなのか不明。

午後になって息子が外出。娘は友達におやつやお茶を運んでいる。私は仕事がはかどらない。このところずっとタイ語のラジオを聴いていて、こういう聴き取りが面白くて在宅仕事に支障をきたしている。夕方になって珍しく夫が一時帰宅した。そして「何で×(息子)の部屋にテレビがあるんだ」と言う。えええええ!見てみたらあるはずのないテレビがある。そもそもウチでテレビを見るのはほとんど息子のみでチャンネル争いもないんだから家用ので充分なはず。朝の新聞出しの手伝いはこういう事の伏線だったのか。合格祝いの小遣いをまとめて買ったらしい。「高価なモノを勝手に買うな」と説教するが知らん顔だ。次々と思いがけない問題を起こしてくれる。大きくなって行動の自由範囲が広がると心配のタネも増える一方である。しかも想定外の事だから対応が後手になってしまう。忍耐の日々だ。息子で鍛えられると娘の時は慣れるかと思うが、全然違う性格だから、また別種の問題を起こすのかと思うと、更年期障害と重なってこっちの身がもたないぜ、と思う。うんざりしていたら娘の友達が「あー、美味しかった」と言いながら帰って言った。空腹だっていうから即効でホットケーキを焼いたと娘。親の管理体制に問題があるんだろうか。でも今更方針変更できないし…行くところまで行くしかないか。

2007年04月13日

今年の4月は・・

4月はタイで最も暑い月といわれていますが、今年は記録的な猛暑になるという長期予報が出ていて、例年よりも早くから暑~い日が続いています。雨も殆ど降らないこの気候が5月半ばまで続くという予報にうんざりしていたら、昨日雷とともに本当に久し振りの雨が降りました。丁度タイのお正月ソンクラーン前日。オフィスの窓からは縫製のスタッフ ゲーさんを雨に濡......

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