家族崩壊はアンタの責任って指差したい習慣
本日中に片付けるべきことはあるのに、気力がでない。将来不安の塊が日々ころがりながら自分を膨らませている状態である。何がって、何もかもだ。何かひとつでも拠り所があるといいと思う。まず経済不安が最も大きいが、これはもう模索するしかない。そして大きいのは家族間の信頼関係だろうと思う。って言うと自分の保守性を見る思いだが、一般論としてそうあるべきとか、それが幸福よ、とか思っているわけではなくて、今の自分にとってであり、主義主張にまではつながらない。なんてことをくどくど考えているのは、ここにきて、これが現実であると思い知らされていることがあるからだ。タイ人である夫を孤立させたくない、というのが当初ひそかに心砕いたことであると自分では思っていて、それは子供の年齢が低く、夫がまだ日本文化を摂取する前は効を奏していたように思う。家でも学校の行事でも父親は子供と関わっていた。しかし、それが日本社会の慣例の前でもろくも崩れ去っている。何しろ学校に行くのはほとんど全員母親だけである。授業参観も行事も、PTA会長及び一部PTAの要職を除いてほとんどすべて女女女…。当然、教師の姿勢、言葉もそれを前提にしている。そりゃあジェンダーを意識しているなと思われるフシは感じるが、ここまで極端な性別偏りに日々接していれば、意識する方を妙に感じてしまう。ここまでの偏りは私は異常だと思うし、何の利点もないと思う。
こういうのに関係なく自分はいけると思うのはバカであり、私はそれを今になって認めている。できるわけがない。自分だけの問題ではないからだ。子供は子供の考えがあり、夫はPTAなどの会議のくだらなさを知ってしまったし、そもそも言語形態は超ハイコンテキストであり何が何だか分からない。しかも子供からの無言の否定も感じ取ってしまう。それを責めることはもちろんできない。それでつまり学校との関わりは私が一手に引き受けることになっている。次にタイ人の一般的傾向がこれに拍車をかける。面倒なことにタッチしたくないって傾向だ。好奇心があったり問題意識があったり批判精神があったり改革精神があったり-つまり私はつい思い込みで欧米系の方を思い浮かべるのだが-だと、連帯感が生まれて夫婦の絆(!)は強まるだろう。私なんかそれだけでシアワセになってしまうと思うが、そんなにうまく運ばない。タイ人の夫は知らん顔を決め込んでいる。すると子供とますます離れる。で、家族員は少数だから1人が孤立するってことは、皆がその影響を受けて孤立するってことではないか。しかも私の性格はどうみても接着剤的役割に不向き。核家族とは核分裂家族であるの悪い見本だ。経済制裁されたらもっとひどいことになるよ。
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