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2006年06月25日

カノム・チーンのお味はいかに

昨夜は、年に2日あるかどうかのノンアルコールの日だった。そのせいかどうか、今朝の目覚めは快適で、朝食を摂る気分になってキッチンに行ったら、朝方帰宅したらしい夫がソファに寝ていた。寝ぼけ半分で「カノム・チーンがある」と言うので見たらテーブルの上にビニール袋に入った汁物があった。ビニール袋に食べ物を入れて膨らませてゴムで縛ってのお持ち帰りは、バンコクでの日常茶飯事。少なくとも表向きは、母親の手作りが家庭円満の元なんて強調される感じはなかったが、あまりに料理をしなくなったことを嘆いてか「プラスチック・マザー」と言う言葉が流布したことはあった。つまり、ビニール袋(=プラスチック袋)に惣菜を入れてテイクアウトするマザーのこと。出来合いのお惣菜といったって、バンコクではその場で好みに作ってくれる店も多いし、キッチンと料理人が路上に出ていると思えば、そんなに不思議じゃないどころか、職がない人の貴重な自営手段にもなっているので、皆が手作りしたら失業者がもっと増えるだろう。

カノム・チーンを直訳すると「中国のお菓子」という意味で、中国からの渡来品かもしれないが、ソーメンそっくりの米の麺に生のモヤシやハーブ類や高菜漬けみたいなものや菜っ葉等好みでいろいろのせて、汁をかけて混ぜて食べるもの。市場付近の露店にはまずある。麺の形状から、末永くの意味でお祝い事の時にも食べるようで、タイ人のパーティーに行くと出されることが多い。その汁で私が一番好きなのは、「ガチャイ」という、ショウガを柔らかくしたような風味の根っこを大量につぶして、魚をつぶして辛く味付けしたものだ。「ナーム・ヤー」と呼ぶが、直訳すると「薬の水」。確かにそんな味。温めていたら夫が、息子にもやればいい、と言う。「そんなに辛くないから」と。ソーメンがないからソバを茹でてありあわせの野菜を乗せて、ちょうど遊びに来た友人と食べたら、すごく辛かった。こんなものを中学生が食べられると発想するあたりがすごい。好奇心旺盛でタイ料理も好きな息子が「味みる」と言うので、ほんの少しだけかけてやったら、一口で叫び声を挙げてトイレに走って行った。

2006年06月23日

喧嘩にも論争にもならない子育て観

夫が帰って来たので、明日(日付ではすでに今日)の遠出の予定を伝えて、祖父母宅へ行くという娘を送る時間があるか尋ねる。大丈夫そうなので自分の負担は軽くなる。息子が今日も宿題をやらずに寝た事を伝える。というのは、あらゆることにあまりにだらしない息子への怒りを隔日くらいのペースで夫にぶつけていたら、私がほとんど狂っていると思っている夫は「自分が引き受ける」と言うので、今日も報告したのである。すると夫は「ニュースを知っているか」と聞く。予想はつくがあえて「何?」と聞くと「高校生の息子の殺人。怖い」と言う。つまり、勉強のことばかり言っていると殺されるかもしれない、と言いたいらしい。らしい、というのは、意味を聞いても彼ははっきり言わないのだ。言えない人に言えと言っても徒労であることは学んだ。異文化共生は学びの連続。

一番の関心事のひとつは死に方なので、息子に殺されるなら、他の事故死や病死よりいいかもしれないと、よく考える。しかし、火事は無関係の人に迷惑がかかる可能性大なので困る。金属バッドで殴られるのも、痛みを自覚できて嫌だが、少年野球をやっていたのでバッドはある。見る度に使われないことを願っている。以上の可能性はさておき、それを恐れる父親って何だ。「怖い」の意味を確認していないのだが、まさか、だから息子と対峙することを恐れるとしたらとんでもない。そもそも私が言っているのは、どこの学校へ行けとか、何になれとか、ではなくて、学ぶことの大切さ、知識がなければ情報を消化できないし、ましてや創造などできない、ということだけだ。となると中学時代の基礎的学びは大切だと思っているだけ。でも、学校の学び以外の方面に興味があるなら、それはそれでいいけど、少なくとも息子にそれは感じられないし、当人が認めている。こう書いていくと、我が家では一般的な父母役割の逆転が生じているのかもしれない。でも、さらに大きな問題は、食べるものさえあれば生きられるんだしな、と、タイの大地を思い出して、思ってしまう自分がいること。これでは何事にも決め手がない。

2006年06月22日

県主催の検討会で旧交を温める

県の国際チーム主催の「多文化共生ネットワーク検討会」というのに行ってきた。隣の隣の市でちょっと仕事があったので昼間180kmほど運転し、一旦帰宅して子供の夕食だけ作って、自転車に乗り換えて検討会へという、最近にしては珍しく行動的な日だった。集まったのは、県と市町村レベルの行政官、教育委員会、学校の教師、法務局など国の機関の人、外国人支援団体の人、個人で外国籍住民と接する人。私は最後尾のカテゴリー。全く期待していなかったが、予想に反して参加した意義を感じた。特に、日本語が分からない子達を相手にする学校の先生達の話が、私自身も少し垣間見ていることもあって、深刻さが分かる。それに、久しく会っていなかった知人がたくさん参加していて、今の自分にはいい刺激になった。いずれも日本人と結婚して子供がいるタイ人、ブラジル人、フィリピン人、中国人。よく知った面々だが、久しぶりに会うと、いろいろな経験を経て成長している、なんて言い方は失礼かもしれないが、なんだかひとまわり逞しくなっているようで嬉しい。社会は変わっている。

トルコで日本語教師をしていたことがある、という中学の先生から声をかけられた。以前に会ったことがあるらしい。記憶力の悪さを呪う。自分の意志で勉強したくてする大学生に日本語を教えるのと、親について日本に来ただけの中学生に教えるのとの違いにとまどっていた。それはそうだ。日常会話に不自由しなくたって、学習言語となると次元が違う。個人差もある。親の姿勢による差異もある。どれがどう影響しているのか、日本の子より判断が難しいという。これは個人の能力レベルなのか、環境に影響されているのか…。立ち話ではどうしようもない話の内容で、近々ゆっくり聞きたいと伝えた。タイ人の場合、出稼ぎに来た母が日本人と結婚して、国に残してきた子を呼び寄せるケースがかなりある。高校で移住した子達の様子を見たことがあるが、外国人のための学校教育のメソッドが確立されていないから、先生も試行錯誤だし、生徒も同じ。学校によっては事実上放置もあるようだ。知識を吸収する大事な時期にこれでいいのか、と心配になる。日本人の識字率が100%なんて、そのうち言えなくなるだろう。外国人問題では政策も過渡期に来ている。ちょうど暇でもあるし、この分野に注目していこう、と最近には珍しく前向きな気持ちになった。何重にも珍しい日だった。

2006年06月19日

入管一筋の官僚の方の本を読んだ

『入管戦記』という本を読んだ。著者は東京入国管理局長を退官した坂中英徳。タイトルの勇ましさ及び「反骨の官僚“ミスター入管”初めて語る!国境に臨む「門戸」に立つと見えてくるこの国の珍事件、怪事件、難事件の真相」という帯の文と、内容の乖離はかなり大きい。編集サイドとしては、不法滞在者摘発の現場を誰よりも知る人のセンセーショナルな面を期待して、でも著者は日本を愛するまじめな常識的官僚ということで、こんなことになったのだろうか。しかし…、この程度で「反骨の官僚」ってことは、官僚の方々の世界って、本当に停滞、事なかれ主義なんでしょうか。官僚になったこともなく、なろうと思ったこともなく、生活安定という意味でのあこがれだけはある自分には、なかなか分かりにくい世界である。とはいえ、著者の熱意は好ましく感じた。特に、フィリピン女性の興行ビザを食い物にするアンダーワールドな方々と政治家との癒着を、怒りをもって告発しているくだりは拍手。ついでに「大物政治家」としてしか登場しない人々の実名を挙げていただけると、もっと良かったのに。

不法滞在というと、92年、93年辺りはタイ人がトップで、一時期はその代名詞にもなっていたので、タイ人に関する事例や事件報告もあるかと思って期待して読んだのだが、ほとんどなかった。タイのような小国かつ、食糧自給率100%であると、人口流出圧力も、近隣の大国に比べたら驚異ではないから、当然だろうな。日系人受け入れに対する問題点での指摘は的確だと思った。産業界は外国人労働者=日系人を安価な労働力とだけみて、企業の責任を果たしていないという点。最後には、入国管理という視点から、人口減少に向かう日本の将来の選択肢をいくつか描いて具体的に考察している。全体的には、外国人政策に関して私が常々感じている疑問点を払拭できなかった。つまり、相手は人間であって、受け入れ側の思惑通りになるなんてあり得ないという、ごくごく当たり前のこと。途上国から来たら勤勉であるとか、そんなことは一概には言えない。外国人だってフリーターになり、パラサイトになり、アル中になる。犯罪者にならずとも。

2006年06月18日

『トラフィック』は面白かった

『トラフィック』という映画をDVDで観た。これはすごい映画だった。最近の中では一番。メキシコとアメリカと舞台が短時間に切り替わりながら、麻薬の運び屋組織とそれを取り締まる側の攻防がひとつの筋だが、巨額が動く闇の世界であるから、本当の黒幕が誰かが見えにくくなったり、金で裏切る者あり、裏切られる者あり、殺し、殺され、取り締まりを率いる将軍が実は組織の親玉だったり、と人間模様は複雑。その上、麻薬撲滅に乗り出したものの、父の知らぬ間に娘が中毒になっているという家族内の問題あり、夫を逮捕されて泣くばかりだった妻が、運び屋組織と渡り合ったりと、何本かの筋が、最初は別々に進行しつつ、すごく巧妙にまとまってくる。これ、少し酔っ払いながら観ようとしたのだが、いきなり引きこまれて、ちゃんと観るべきだと思って昨夜改めて真剣に観た。ドキュメンタリータッチの映像も凝っていて、早すぎず遅すぎない展開といい、シンプルではないが、かといって理解できないほど複雑ではないストーリー、人物描写といい、長いが全く飽きないどころか、終わった時には、もっと続けてくれ、と思った。

これを観ながら、タイで暮らしていなければここまで真剣になっただろうか、と考えた。一大麻薬供給地の黄金の三角地帯を有するタイでは、麻薬は身近である。長距離運転手が使っているのは知られているし、タクシーに乗って、それらしき雰囲気を感じて、臆病な私は降りたこともある。学校の教師が生徒に売っているとか、この問題抜きにタイ社会は語れない。私が在タイ中に、首相に決まりかけた人物がアメリカの麻薬のブラックリストにのっているとかで降りたこともある。この間失脚したタクシン首相はこの問題に取り組んだことで評価されていたので改善したのか、どうか。タイ人と話していると、家族や親族に、逮捕者や死者がでるなどのドラック問題を抱えている人も多い。陸続きの国境は海を越えるよりトラフィックがスムーズで防ぐのが難しいことや、メキシコの警察や軍の汚職はタイを経験すると想像が容易。何もかもがリアルで、だから怖かった。ドラックは日本でも身近になってきている。密度の濃い映画で、正規料金払っても映画館で観たかった。

2006年06月17日

タイ産ソープ

タイのプランチブリー県(BKKからちょっと東へ行った所)の病院で栽培されたハーブなどで作った石鹸。
大量に買ったんだけど、ほとんど友達にあげちゃったりして、写真を探したけど見つかりませんでした・・・。
私はノニ、マンゴスチン、ウコン、米ぬか・・・などある中のノニとマンゴスチンをチョイス。
ノニ石鹸は最初は、匂いが甘くて気になったんだけど、
使ってるうちに気にならなくなりましたね〜。

ノニは若返り?の効果だったはず!!
つーことで、仕事場の友人もリピーター。
すぐなんでも人にあげちゃう性分なんで、2回目もあげちゃった。
けど、気に入ってくれてることがなにより嬉しい♪

確か、1個30Bでお買い上げ???i?`???L?j
(ナイトバザール)

あげた友達には、とても好評なんで、タイに行った際は是非
お試しを!!
タイって女に優しい国だぁぁ?n?[?g?????i?????n?[?g?j

2006年06月17日

エレベーターが怖いのか会社が怖いのか

立体駐車場に車を入れて階段を下りようとしたら、すぐ脇にあるエレベーターの前で母子(らしき)3人が待っていた。そこは2階。階段をちょっと下りる方がエレベーターを待つより早いのにな、と思って通り過ぎようとしたら、小学校低学年くらいの男の子が「エレベーターは怖いよ」と母親に言っている。うん、そうだ歩け、と思っていたら「エレベーターが怖いんじゃなくて、会社が怖いの」と母親。なるほど、そういう考えもありか。あのエレベーターの事故の被害にあった子のことを思うと、あまりに痛々しい。私もエレベーターでは怖い思いをしたことがある。バンコクでアパートを借りて引っ越した日か翌日か、1人でエレベーターの中に閉じ込められた。2階だか3階だかの低層階だし、閉じ込められたと認識して恐怖に包まれる前に、管理人達が素早く手でドアをこじ開けた。その様子はいかにも慣れているようで、そのエレベーターに乗る時は覚悟がいるのだと分かった。

田舎で常に土に接して育った者としては、高層ビルもエレベーターも直感的には怖さが先立つ。車も飛行機も同じ。かといって、今の世の中で自分のライフスタイルで、それを避けることはできない。自分で選べるものとして、せめて住居は極力地面から近いところにしている。アパートにしても高層は選びたくない。動物の生存本能に反していると思うのだが、コンドミニアムなどは、高層階から売れると聞くと、感覚の違いに驚くばかりだ。息子は赤ん坊の時から、エレベーターに乗せると狂ったように泣いた。だから子供の感受性が何かを察知するのかと思っていたのだが、娘は泣かなかった。文明化した人間社会は、車やエレベーターや高層ビルより、虫が怖いという人の方が増えているようで、これは何を意味しているのだろうか。

2006年06月16日

ちょっとは仕事気分なのに学校の窓拭き作業日

本日は在宅仕事に専念したいのに、小学校の窓拭き作業へ行かなければならない。授業参観に出ないとしても、高原学校の説明会もあるから午後はつぶれる。寝坊したから午前も風呂に入ってつぶれた。息子の場合は、彼自身の各種掌握能力が低いので、こちらがいい加減に事に当たっても、そのこと自体に気付かないから文句も来ないが、娘はそうはいかない。宿題をする時間や就寝時刻の計画表まで作るようなところがあり、翌日の起床時刻も父親にいつも告げている。そして、問題なのはそれを守ることだ。だから親に向かって、高原学校のあれはどうした、これはどうしたと催促してくる。息子のだらしなさには閉口だが、娘のようで楽かというと、それはそれでうっとうしい。ただ、息子タイプが2人、娘タイプが2人より、混じっていた方が楽しめるという感じはする。きょうだいが似ているという話はほとんど聞かないが、多分、下の子は上を見て自分を差異化していくのだろうという気がする。

昨夜も、夕食が始まるとさっそく息子が「箸の使い方ヘタックソ」と娘に向かって言った。実際、息子は小さい時から、教えなくても上手に箸を使って器用に食物をつかんでいたので、箸は自然に持てるようになるものと思っていたら、娘は今だにたどたどしい。私は教えること全般が不得意なので指導ができない。「イマドキの若いお母さんは…」と言われるには若くない。息子にとっては妹に対する数少ない攻撃材料がこれだから、自分が不機嫌な時はいつも、箸が出てくる。ただ、自分が被害を受けるわけでないから説得力に欠け、これだけ言ったところで妹が打撃を受けるはずもなく空振り続き。次は「デブ」である。こういう言い方は語彙不足をさらけ出しているだけでみっともないから、もっと芸のある言い方を工夫するように指導する。この手の指導だと気合が入るが、相手に対しての効果はない。人生こういうもんかな、という気がする。自分が思ったように相手が反応するわけではなく、みんなが空振りしながらも、それでもなんとなくゲームは続くのだ。

2006年06月15日

夢か現かの時の電話の内容は深刻だった

50代に入った人達が一様に言うのは、記憶力が減退し体力が落ち、目が悪くなるので読書も億劫になる等、全般的な衰えについてだ。そこには、40代のうちなら頑張れる、という意味合いが含まれているようで、すると私は貴重な最後の時間をただただ浪費していることになる。今朝も寝坊しながら、そう思って落ち込んでいた。実はこのところ、目を閉じた瞬間から、と言ってもいいくらいによく夢を見る。それもタイのシーンが頻繁に出てきたりで、画像はやけにリアル。でも時系列に沿っていないので目覚めて奇妙な気分になるのだが、この感覚が面白くてはまり気味。ところが、新聞を読んでいたら認知症の症状として、過去と現実の区別がつきにくくなるというような例が書いてあって、この自分の感覚も相当するような気がする。眠り続ければそっちが現実であるのは、SFの世界でなくても日常経験から分かることだ。眠り続けられないだけで。

という状態にいた時に友人から電話があった。声から「寝ているの?」と言われたが、本当に怠惰な時にこう聞かれると恥ずかしくて否定した。これは見栄か。彼女は外国人女性の支援をしていて、私に連絡をくれる時はたいてい、情報を求める時だ。今日のは、夫に暴力をふるわれている外国人女性が相談に行く場はどこか、というもの。知っている限りを伝えるが、それで解決になるとは思えない。「相手は変わらないから逃げるしかないでしょ!」と言ったら「アタシを怒鳴らないでよ!」と言われた。逃げる決断が簡単につくとは、私も思っていない。特に外国人の場合はビザ等の重要な問題が加わるから、さらに立場が弱く、今回はさらに複雑な事情があるらしい。「子供は男?女?」と聞くと女。「危ないなあ」とつぶやいたら、彼女の心配もそこにあった。私は成育環境も現在も暴力的な所にいないので疎いが、ただ、形態はいろいろなDVが相当に多いことは、人と話していると意外な人が経験者だったりすることからも想像できる。これが外に向かったら殺人になっても不思議ではないし、家庭を持つことの歯止めになっている面があるのかもしれないと感じる時がある。暴力までに追い詰められるなら遊んじゃえば、逃避しちゃえば、と自分の怠惰さを肯定したりして。

2006年06月15日

1日3本も観たのは初めての記念日

こんな日は初めて。DVDを3本も観てしまった。レンタルショップに行くと、10本以上も借りている人がいて、私のように気が向いた夜に1本が限度の者にしたら、親族一同分かと思っていたけど、時間的には1日5本だって可能なのだ。朝の『普通じゃない』がつまんなかったのでお口直しに『カラーパープル』。今の気分に、暗い社会派はキツイかな、と思ったし、途中で止めようかとも思ったが、好みで分類したら好きのカテゴリー行き。好みの問題は別にして、人物のそれぞれがリアルで感情移入できる。86年の映画。タイへ行くしばらく前の年で、評を読んで興味をもった記憶はあるが、観る機会はなかった。原作を読んだような気もするが、覚えていない。1900年代前半当時の黒人社会の一端を知ることができる、というよりは、現在にも通じる人間関係と、関係性を超えた性というか、とにかく普遍的な人間像が丸ごと描かれているように感じた。思い出すのは『モンスター』とか『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』とか、いわゆる社会の底辺の人の物語だが、この2作のようなやるせなさばかりでなくて、人間の強さが強調されていた。監督は有名なスピルバーグなのだそうだ。この間観た『ミュンヘン』に感じたのと同じ種類の正義感のようなものを、素直に感じてしまった。

そして『ザ・インタープリター』。この町でも上映されていて、行こうかなと迷ったもの。飽きなかったし展開が楽しみだったが、かといって深い感動はなく、泣きも笑いもしなかった。国連の通訳が偶然秘密を知って身に危険が及ぶのだが、それは実は故国であるアフリカの一国の政情と、自分の過去に大きく関係しているということが、じょじょに暴かれていくという趣向。ニコール・キッドマンとショーン・ペンは、私のようにスターに疎い者にとっても、知らないというわけにいかない存在。それにしても、アフリカにおける民族紛争、虐殺、施政者の横暴、先進国に利用されるという構図のものを多く観ているが、これが事実としたら問題の根っこはどこにあるのか。この映画は、そこまで追求することをテーマにはしていなかったが、そこを知りたいと思った。
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