あの時日本に来たのには、息子の日本国籍回復のためという単純な理由がひとつにはある。1985年以降、両親のどちらかが日本国籍者であれば、国外で生まれても日本国籍を取得できるという父母両系血統主義を日本はとっている。出産が近くなった頃に、在バンコクの日本大使館領事部に電話したところ「大丈夫ですよ。お母さんが日本人なら日本国籍取れます」という返事だった。当時、私達はバンコク郊外の安い住宅地に住んでいて、家には電話もなく、バス停のある道路まで、バイクを雇うか不定期な乗り合いトラックを利用するしかなく、さらにバスに乗っても交通渋滞で中心市街地に着くのに何時間かかるか不明、何時に帰り着けるか不明という状況だった。暑いし空気は汚いし、とてもじゃないが赤ん坊を連れて出られないまま、3か月が過ぎた。なんとか住み込みの子守兼お手伝いさんを見つけて一息つけたので仕事に復帰し、さて子供の手続きをしようと思ったら「3か月過ぎたので国籍喪失」と言われたのだった。予め電話で問合せした時に期限を知らされなかったと言っても遅い。そんなことは常識なのだそうだ。この時は泥縄式な自分の生き方をさすがに反省した。6か月日本にいて国籍回復の手続きを取るしかない、と教えられ時期をみはからっていた。ちょうど他にも思うところがあって4月28日に来たのだった。



