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2006年03月30日

初日はさわりの出来事

半年位で帰ると言いふらして日本に来てから、この春で10年になってしまう。バンコクへ行く時は「1年位で帰る」と言いふらして行って、結局7年以上滞在してしまった。おまけに子供まで生まれた。そもそも計画性がないので、予定外だったという言い方自体も成り立たないが、今になって、つまり歳をくうにつれて無計画性のツケがジワジワまわっていることを実感している。

失業して時間ができたのと、来日(あるいは帰国)10周年記念でもあるのとで、一大決心してブログを始めることにした。今日は、生後8か月で来日して今は小学生になっている娘の新クラス発表の日。「学級会長が新役員選出の司会をするように」との連絡をもらっていたので、学校へ行った。さんざんな目にあったPTA役員としての最後のおつとめ。日本の学校は親が学校へ行く用事が多い。「日本社会を学ぶ機会でしょ」と、そもそも日本社会を学ぼうなんて思っていない夫を騙して極力彼に行ってもらっていたが、私にだって理解できない日本語と暗黙知で運営されるPTAとなると、タイ人ではますます分らない。とうとう娘が「パパが来るのは絶対イヤだ」と言い出す始末だった。

2006年03月30日

PTAの怪

娘のクラスには、ウチと反対に母親タイ人、父親日本人という家庭の子もいる。昨年の今頃、当人不在のまま私は学級会長とさらにご親切に学年会長にも選出されていたのだが、その時副学級会長になったのが、そのタイ人女性だった。「日本の学校ってラムバーク(面倒)だよね」「タイの学校だったら親はサバーイ(らくちん)」と、会議の場でも声をひそめずにタイ語で話すのは密かな楽しみだったが、そんな楽しみなど苦しみに比べたらちっぽけなものだった。

苦しみの具体的内容に触れると膨大になるのでここでは省略。ただ、観察の結果、いくつかの点は確認できた。まず、相当数の人が役員を苦痛と感じているらしいこと。そうでないなら、やりたい人がもっといていいはずだし、総務の役員をリクルートする唯一の宣伝文句が「これで他の役員はすべて免除されます」であるはずがない。問題は、苦痛だから拒否、というのは大人の態度としては正しくないという良識と善意をもつのが大方の母達である点。「子供のため」という美名の下ならひれ伏さないとならないという、従順な意識。日本人を半分以上降りちゃっている私には、それこそ怪です。苦しむべきは、何が子供のためになるか、で七転八倒することであって、与えられた役割を順繰りにこなしてごまかすことではないんじゃないか?と感じて、経験してから現行PTA活動不信者に成り下がった自分がいた。