この話は賛両論かと思いますが、私は感動で涙したので、こんな考え方もあるんだ・・・と言う感じで読んでいただけたらと思います。
バリの友達はボギーという名前の犬を飼ってました。
動物好きで愛情深い友達は、ボギーをとてもとても可愛がっていました。
その友達が私の部屋に遊びに来る時、ボギーもご主人さまのバイクを追っかけて私のところに来て、大人しく座って待ってることが何度かありました。
この写真の犬位の大きさで、でももっと賢そうな顔をしたとてもハンサムな犬でした。
ある時、友達が外出した先の道の向こうに居るボギーを偶然発見しました。
多分、家から随分離れたその場所までご主人さまの後を追って来たんだと思います。
ボギーもご主人さまを見つけて、嬉しそうに尻尾を振り道の向こうから走ってきました。
ボギーは車に衝突して、血だらけになって倒れてしまいました。
友達は血だらけでグッタリしてるボギーをバイクに乗せて家に連れて行き、寝ずの看病をしたそうです。
でもその甲斐なく、ボギーは飼い主さまの腕の中で息を引き取りました。
ここまでは、よくありそうなお話で、普通だったら庭にお墓を作ってあげますよね。
(バリでも普通はそうします。)
ところがその友達は、そうしませんでした。
遠い村にボギーを連れて行き、知らない人にあげてしまいました。
「どうぞ、私の愛するこの犬を食べてください。」 と。
そして涙しながら家に帰ったんだそうです。
バリでは、命ある物は輪廻転生するものと信じられています。
生きている間に良い行いをすれば、来世では今よりも格が上な生き物に産まれ変われる。
でも悪い行いをしたら、来世は今よりも下等な物に産まれ変わる。
よくバリでは儀式の時に豚や鶏が絞めて神様に捧げます。
「この豚・鶏は今神様の為(人間の為)になって死んでいきます。悪さをして殺される訳ではありません。だから今度産まれてくる時には、もっと格が上の生き物に産まれ変われるように、どうぞお見守り下さい。」 と心の中で祈りながら絞めるとその友達は言っていました。
ボギーへの思いも同じなんでしょう。
バリでは犬の肉も食べるんだそうです
最後に人間に食べられて、人間に喜ばれ、人間の為になって死んでいったボギー。
神様はそれを見ていて、きっと犬よりももっと上の動物に産まれ変われるようにしてくれるのでしょう。
ボギーは生前良い行いをしていたのか、悪い行いをしていたのかは分かりませんが、友達はボギーが今度生まれ変わった時に少しでも幸せになれるようにという、飼い主として自分が出来る最後の事、最後の愛情だったのでしょう。
私も以前犬を飼っていたことがあって、我が子のように愛していました。
その友達の思いは共感できるし、もちろん愛犬の来世の幸せも願います。
でも私は愛犬の来世の幸せよりも、いつまでも自分の傍に居て欲しいという自分のエゴを優先してしまうでしょう。 (執着深いし・・・)
って言うか、そんな事思いつきもしない・・・・。
ボギーが亡くなって、もう何年も経ちます。
ご主人さまの深い愛情を受けて、今頃ボギーは産まれ変わって、幸せに生きていることでしょう。
多分・・・・きっと、バリ島のどこかで・・・・・。



