TOP>ジャッキー・チェン

泉酒造 仙介 特別純米 1.8L |

フィリップ・ド・ブルゴーニュ クレーム・ド・カシス 正規品 700ml 価格:2,289円(税込、送料別) |
2008・加・仏 ★★★☆☆(3.8)
監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ
出演:エイドリアン・ブロディ サラ・ポーリー デルフィーヌ・シャネアック ブランドン・マクギボン
『NOTHING ナッシング』などの奇才、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督によるSFサスペンス。
人と動物の遺伝子を掛け合わせ、新種の生命体を作り出した科学者夫妻の心理に迫る。
今まで見たことのない新種のクリーチャーの造形と、生命体創造という深いテーマを追求した物語に魅了される。
(シネマ等デイより抜粋)
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2008・米 ★★☆☆☆(2.7)
監督:ロバート・ログヴァル
出演:ジョアン・チェン ジェイソン・リュウ ソニア・キンスキー ツィ・マー ジョン・フレック
村上春樹原作の短編小説をアメリカで映画化した心揺さぶられる人間ドラマ。
ロサンゼルスを舞台に、息子を神の子と呼ぶ母と子の関係を中心にした人間関係を温かく見つめる。
ニューヨークで活躍する舞台俳優のジェイソン・リュウが主演を務め、その母親を『小さな村の小さなダンサー』のジョアン・チェンが熱演する。
主人公の恋人役で映画デビューした、ナスターシャ・キンスキーの娘ソニアも絡んだ人間模様から目が離せない。
(シネマトゥデイより抜粋)
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2010・中国・香港 ★★★☆☆
監督:ディン・シェン
出演:ジャッキー・チェン ワン・リーホン ユ・スンジョン リン・ポン
ジャッキー・チェンが構想に20年を費やし、原案、主演、製作、武術指導を務めたアクションムービー。
戦国時代の中国を舞台に、ジャッキー演じる歩兵が敵国の将軍を捕虜として連れ帰る道中、数々の困難に
遭遇しながら互いに心を通わせていく姿を描く。
共演は、歌手としても活躍する『ラスト、コーション』のワン・リーホン。
スタントなしのアクションはもちろん、笑いと男同士の友情を盛り込んだ内容に、ワクワクすること請け合いだ。
(シネマトゥデイより抜粋)
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<小倉昭和館>
-本作の感想などは書いていません-
真実かどうか、黒澤明はロケ現場で遠くの山を指差し、「あの山をわらえ(どこか写らないところへ持っていけ)」と言ったという。「わらう」とは、「どける」「はずす」の意味で、諸説あるけれど、「払う」からきているというのが有力だ。舞台でも同じ言葉をつかう。この話しが本当ならば、黒澤監督は巨匠としてよほどうぬぼれていたか、巨匠としてのジョークだったかのどちらかだろう。いくら天才で、瞬時に思ったかもしれないが、わらうなんて絶対に無理だから、スタッフは笑ったか、震えたか、唖然としたか・・・まあ、楽しい冗談だ。
21世紀も10年経ち、今の監督が「あの山をわらえ」と言ったら、スタッフはすべてマジメに受けこたえるかもしれない。「わかりました!撮りの計算に合わせてCGで別風景を撮り込みます!わらった後の風景は、なんにしましょうか。サンプルもありますが。」・・・黒澤監督の現場の伝説の一言は、語録の中から消えていく運命にある。
『アイガー北壁』というタイトルで公開された映画があった。今から30年も前のことで、当時としては珍しく全国上映ではなかった。埋もれているから、ネット検索しても出てこない。高校生のころ、この映画をラジオで絶賛するパーソナリティがいて、観たい気持ちが頭のまわりに渦巻きになったけれど、地方都市にまでフィルムは運ばれなかった。しかし、あの絶賛パーソナリティだけは覚えている。詳しく語ったものだから、半分だけ観た気になってもいる。テレビではなく、ラジオだから、なおさら観た気になる。私は、毎週のように淀川長治のラジオを聞いていて、観たことない映画をたくさん観させてもらった。先日、『午前十時の~』ではじめて観た『雨に唄えば』は、観る前に何度も観ている。『駅馬車』は一度しか観てないはずだが、10回は観た気がする。
話がそれた・・・黒澤監督の「わらえ」は、冗談ではすまなくなった。「わらいましょう」になった。アニメの他には、カメラに写るものだけでいいような気がしているが、もうCGを使わない映画の方が少なくなっている。山田洋次だって使う。30年前の『アイガー北壁』は、そのままカメラがとらえた作品だろう。だが、新しい『アイガー北壁』は、山をわらったり、逆にもってきたりのてんこ盛り映画である。実際に現場では撮っているから大変なのだけれど、監督は「わらえ」を連発させている。そして、スタッフもそれにこたえている。時代である。わずか50年も経っていないのに、無理だったものが、できるようになった。
撮り方、編集、照明、音響、特殊撮影・・・これらは技術屋のやる仕事だ。技術屋は確かな仕事をするが、できることをプロとしてやる。工夫はするけれど、できない事は無視する。ビデオの世界も同じで、それが技術屋というものであろう。そこに、ムチャを言う者が現れる。監督という厄介な野郎である。技術的に、撮れるのか、照明をあてられるのか、編集できるのか、こんな音がほしい・・・技術の立場に立って考えない。こんな画を作りたいとスタッフに言うだけである。今の技術では無理である・・・が、「できません。」と答えたのではスタッフ失格で、「考えてみます。」または「やってみましょう。」となる。やってみた結果が、多くの画を作り出してきた。特殊な画もいっぱい作ってきた。宮川一夫は、黒澤明に言われて、太陽までカメラでとらえている。
スタッフから監督になるのは、あまり感心しないことで、技術人の苦労がわかっているから、遠慮気味になる。監督というのは、技術とは切り離し、やりたいことをやるワガママでいいのである。だから、監督は素人でもできる。映画現場で唯一、素人ができるのは監督である。他のスタッフはみんな苦労して一流の技術を培ってきて、ここに立たせられるのだ。だが、創造したのは監督のもの、映画は監督のものである。指揮がうまかろうがどーだろうが、スタッフは懸命に監督によって走るのである。監督の望みが、画を作り、ひとつの作品を生み出す。
どんどん話しがそれる・・・以前に書いたものを組み合わせようとして、支離滅裂になったけれど、さて、本作『アイガー北壁』のようなCGはどうなのだろうか。この映画は、広いカットはほとんどCGなのに、まったくCGと思わせない。知らなければ、現場で目に見えるものをそのまま写したもののように思う。現場映像とCGの融合が神業で、私はCGを外したブルーバックカット(メイキング)も事前に見たのに、それも忘れてしまっていた。広い画は、ここか?と思うが、さっぱりわからない。現場ロケだけの映画のように思える。となると、CG作成者はCG作り冥利につきるのか、またはオレたちがやったんだから少しはCGってわかってほしいと思うのか。私だったら、俗な人間なので、後者だろう。
CGだからできる・・・という映画に慣れてしまって、どんなにアクロバットなことをやっても驚かなくなった。CG映画不感症である。『トランスフォーマー』なんていい例で、大都会の中、とんでもなく凄いことやっているのに、ワクワクもしない。カメラが滑らか過ぎるし、爆発もガレキもホコリもきれい過ぎる。人が計算した現場だからだろう。もし、実際に撮れたとしたら、臨場感は何百倍に膨らむに違いない。歳をくったジャッキー・チェンの頑張るアクションの方がワクワクする。CGがどこまでいくか、どこまでできるかはわからないが、今のところ、魂が見えないので、技術は進んでも、まだまだなのだろう。
話はどんどんそれて、なにを書いているのか自分でもわからなくなった。ただ、CGを悪と言っているわけではない。よくできていると思う映画も多い。ただ、それはCGに驚いているのではない。そんな時期は過ぎた。CGは当たり前。やはり、脚本力、演出力である。その力があってこそ、CG世界にも観客は入っていくことができるように思う。CGでなんでもできるよー・・・では、現場に工夫がなくなる。現場の頭が悪くなる。「どーやって撮ろうか」が、「どーやってCGと結合しようか」ばかりになるのでは、やり甲斐もないだろう。
「あの山、わらえますよ。」・・・「わらえるのか。だったらわらうな。このままいこう。」黒澤監督が生きていたら、そう言うかもしれない。「CGでいかないんですか?」「じゃあ思い切って、すべてCGでいくか、役者も。」・・・観客の喜ぶ映画、楽しめる映画は、すでに脚本に込められてあり、監督の頭の中にある。