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2011年05月31日

「映画秘宝」にも選ばれた新進気鋭の難産的力作! 『先生を流産させる会』

ホントの話。先日ジャッキー・チェンの映画を観ようと思って六本木へ行った際、開映までまだ時間があったので、映画館近くの本屋へ入って映画雑誌をアレコレとめくっていたら、隣にいかにも映画好きっぽい(オマエもだよ!)、2人組の男がやって来て「映画秘宝」をパラパラと読み始めた。で、映画談議に花を咲かせているようだったので、聞くともなしにその会話に耳を傾けていると、あるページまで来たところで1人がもう1人にこんなことを言い出した。「今サ、自主映画の世界で“信頼できる”監督って、...

2011年05月12日

ジャッキー30本勝負2本目!(ただ上映素材が問題…) 『ジャッキー・チェンの飛龍神拳』@「大成龍祭」

ひと月前より始まった、ジャッキー主演作30本を毎週日曜の夜に1本ずつ、11月まで上映し続けるというこの企画。チケットの半券を20枚集めると「門外不出の石丸博也ナレーション入り非売品予告編DVD」がもらえるということで、これはぜひ!と20本は観に行くつもりでいるんだが、何を血迷ったのか、今回の半券を誤って棄ててしまった……。バカバカ! …まぁいいや。(しかし日曜の夜それも18時から1回っていうのはほかの映画との兼ね合いが難しい…)というワケで今回は、劇場未公開、だけど...

2011年04月25日

孫文の義士団・・・・・評価額1800円

辛亥革命の指導者・孫文の暗殺を狙う刺客軍団と、彼を守る名も無き義士団の戦いを描いた、重量級の歴史アクション大作。
監督はジャッキー・チェン主演の「アクシデンタル・スパイ」で知られるテディ・チャン
建て込みに実に8年を費やしたと言う、20世紀初頭の香港を再現した迷宮の様な巨大オープンセットを舞台に展開するのは、義士たちが織り成す熱血の人間ドラマと、敵味方入り乱れての怒涛の攻防戦。
ドニー・イェンレオン・ライの素晴らしい功夫アクションもあり、見所満載、お腹一杯の139分だ。

1906年、英国領香港。
豪商のリー・ユータン(ワン・シュエチー)は、革命組織の幹部で旧友のチェン社長(レオン・カーフェイ)から、日本に滞在していた孫文が香港にやって来るという知らせを聞く。
腐敗した清朝に対する一斉蜂起の計画を、各地の組織の幹部たちと作り上げるためだ。
だが、カリスマの孫文を殺せば、革命運動は頓挫する。
帝国の支配者、西太后によって香港に送り込まれた暗殺団から孫文を守るために、急遽護衛の義士団が結成される。
暗殺団のスパイだった警官、名誉回復を願う元少林寺の僧、父の仇討ちを誓う少女・・・様々な理由で名乗りを上げた8人の義士たちが、それぞれの信念を胸に、絶望的な戦いに挑む・・・


物語は孫文到着の数日前から始まり、ザックリ言えば前半が義士団の結成を描く人間ドラマ編、後半がノンストップのアクション編という様な構成で、ちょっと黒澤明の「七人の侍」を思わせる。
面白いのは視点が特定の人物に固定されず、シークエンスごとに主役が入れ替わる様な特殊な語り口。
これによって短時間の間に、それぞれのキャラクターの抱える葛藤や背景が濃厚に描かれ、観客の感情移入を誘う仕組みである。
普通この用に視点がコロコロ変わると観難くなってしまうものだが、本作では義士団を集める話の中心に、豪商のリーという重厚なキャラクターを重石として置き、彼と息子であるチョングアンの親子の葛藤を物語の縦軸とする事で、とっちらかった印象になることを上手く防いでいる。
黒澤明は七人のキャラクターを描ききるのに4時間を費やしたが、139分と言う内容を考えれば比較的コンパクトな尺の中で、8人の義士たちに加えて悪役サイドまでキャラクターをしっかりと描写する作劇の技術は、なかなかに見事な物だ。

義士たちの戦う理由が、自由主義革命の理想という単純な物でなく、皆バラバラである事も良い。
何しろ彼らの中には、自分たちが命がけで守る、孫文とは何者かを知らない者までおり、彼らはそれぞれの秘めたる動機によって戦いに身を投じる。
ドニー・イェン演じる功夫の達人シェンは、博打で身を持ち崩し、彼を見放した妻はリーと再婚している。
シェンは最初暗殺団のスパイとして働いているのだが、やがてリーが養育しているのが、自分の実の娘である事を元妻に知らされ、葛藤の末に父親としての誇りをかけて、義士団に加わる。
だから彼が守るのは孫文ではなく、娘の育ての親であるリーなのだ。
ワン・ポーチエ演じる、リーの息子のチョングアンは、偉大な存在である父に自分を認めさせ、自分の足で人生を歩むために、孫文の影武者という危険な任務を引き受ける。
ニコラス・ツェー演じるアスーは、主人であるリーへの忠誠とチョングアンとの友情のために、クリス・リー演じる紅一点のファン・ホンは、暗殺団に殺された父の復讐のために、見た目も強烈なメンケ・バータル演じる巨漢の少林僧ワンは、自らの名誉のために。
そして、高貴な生まれでありながら、禁断の愛に人生をかけてしまい、路上生活者に身を落としたリュウ若君は、いわば自らの死に場所を定めるために戦いに加わる。

要するに、天下国家のために孫文を守ろうとしているのは、元々革命家であるリーやチェン社長だけ。
しかも、実際に義士団が守るのは本物の孫文では無く、彼が組織の幹部達と密会する間、敵の目を逸らし時間稼ぎするのために仕立てられた影武者のチョングアンである。
その場にいない孫文のために、敵味方が命を懸けて戦うという皮肉。
見方によっては、リーたちが革命と言う自らの大儀のために、義士たちを利用したとも言えるのである。
たとえ自らを慕う者たちを犠牲にしたとしても、その命で国を変える。
何で読んだのか忘れたが、「歴史を作るのは物言わぬ大衆ではなく、覚悟を決めた少数の過激派である」という言葉を思い出した。
個人では抗し難い巨大なうねりが、名も無き市井の人々である義士たちの人生を飲み込んでゆく様は、歴史の残酷さを感じさせる。
登場人物それぞれの異なる想いが複雑に絡み合い、物語を重層的にしているが、人間関係の葛藤は悪役サイドまで及んでおり、現場で義士団を率いるチェン社長が、暗殺団のボスキャラであるヤン将軍と師弟関係にあり、暗殺団もまた別種の大儀を掲げているあたり、単純な勧善懲悪に陥る事無く、物語の格調とリアリティ高めている。

そして、全ての役者が揃い、孫文が香港に到着し、彼を乗せた人力車が走り出すと、見せ場満載のアクション編の幕が開く。
孫文暗殺の謀は実際に何度もあったらしいが、本作はあくまでもフィクション。 
巨大なセットは複雑な迷宮の様に入り組んでおり、あの手この手で襲ってくる刺客達との戦いは多分にゲームライクで、疾走する人力車に引っ張られるように、アクションもノンストップで一気に加速してゆく。
弓矢が雨の様に降り注ぎ、通行人や獅子舞に紛れ込んだ敵がワラワラと襲い掛かり、進路には爆薬が仕掛けられている。
激しい戦いの中で、義士たちも一人、また一人と倒れて行くのである。
ユニークなのは、彼らが死ぬ毎に、亡骸の描写に合わせ、まるで実在の人物であるかのように、「○○(名前)、○○年~○○年、○○出身」という字幕が出るのだ。
ちょっとズルイ手法ではあるが、キャラクターの存在により現実感が出て、観客のシンパシーを誘うのは確かだろう。
後半1時間に及ぶ、長大なアクションシークエンスの中でも、個人技の大きな見せ場は二箇所。
ドニー・イェンVS敵の中ボスの、超気合の入った功夫バトルと、レオン・ライ演じるリュウ若君の鉄扇を使った流麗な立ち回りだ。
基本的に人力車を追って動きながらの戦いが基本となる本作だが、この二人の戦いはじっくりと腰をすえて描かれており、アクションのフルコースのメインディッシュとして、素晴らしい仕上がりである。

そして、この革命を巡る熱く重厚な物語のクライマックスに、テディ・チャンは驚くべき仕掛けを用意している。
敵のボスが、遂に影武者のチョングアンの乗った人力車に迫る時、車夫を失った人力車はスローモーションで階段を転げ落ちてゆくのである。
このシーンがエイゼンシュテインの歴史的傑作、「戦艦ポチョムキン」におけるオデッサ階段のシーンをモチーフとして描かれているのは明らかだ。
1905年に起こったポチョムキン号の反乱を、ロシア革命の前章として描いた偉大な先人への、辛亥革命の前章として本作を作り上げたチャン監督からの大いなるオマージュであろう。
また原題の「十月圍城」とは「十月の包囲された街」という意味だが、物語の中では特に季節が意味を持つことは無いので、これもまたポリシェヴィキによる10月革命を描いたエイゼンシュテインの「十月」(原題:Октябрь)を意識した物と見る事が出来るだろう。

そう、本作のキーワードは“革命”なのだ。
この物語はフィクションだが、実際の革命の裏でも、様々権謀術策によって多くの血が流れたに違いない。
テディ・チャンは、時代の巨大なうねりの中、孫文というアイコンに振り回され、戦いの中で命を落としてゆく人々を通して、歴史の無情とそれでも自らの生き様を突き詰めるしかない人間存在の儚さを見事なコントラストに描き出した。
これは正に中国映画界にしか作れない、正統派娯楽映画の傑作だが、中東でジャスミン革命が火を噴いた2011年に観ると、次なる革命の時代の胎動を予告した作品の様にも思えてくるのである。

孫文と言えば神戸縁の人物でもあり、今回は灘の泉酒造から「仙介 特別純米酒」をチョイス。
泉酒造は250年以上の歴史を持つ酒蔵で、多分酒豪であったという孫文も飲んだ事だろう。
仙介は、米の甘みと適度な酸味を持つまろやかな酒で、冷でも良いが少し暖めたぬる燗にすると美味い。
この蔵は阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、長く委託醸造状態だったが、漸く4年前に自家醸造を再開した。
不屈の闘士は孫文に通じる部分がある?

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2011年01月20日

内モンゴルの冷んやりとした空気が伝わるロード・ムービー 『ジャライノール』

かつて、中国映画の監督というと、チャン・イーモウやチェン・カイコーなら第五世代、ジャ・ジャンクーやロウ・イエ、ワン・シャオシュアイなら第六世代というように“世代”による括り方をしたモンだけど、最近はそうでもないみたい。第六世代以降、デジタル技術の普及で、映画の創り方もどんどん多岐に広がっている今、若い監督たちにとって、そうした世代云々なんてことはなんの意味もない話なのかもしれない。この映画の監督も、何かのインタビューに、自分は“新世代”だと実に軽い感じで応えている。...

2011年01月17日

1月16日に投稿したなう



「本日の朝の書詩!第37回 #meigen」 http://ameblo.jp/akki-matsuki-blog/entry-10764731063.html
1/16 6:07

「【受付終了】『このアメブロがヤバイ!』をご紹介いただきありがとうございました!」 http://amba.to/g5FeL2
1/16 6:11

「『このアメブロがヤバイ! 2011-2012(仮)』出版決定!」 http://amba.to/e2wICz
1/16 6:14

スタイリスト/ディレクター深井 学「Worry Buster!」 http://amba.to/hQ6LgV
1/16 9:22

ゆうようこ 色彩で人を魅力的に輝かせるコンサルティング会社グラティア代表モデル活動とイメージコンサルタント業。それぞれのお仕事の様子や日々の感動を綴っていきます。「☆ブリーとハチミツ☆」 http://amba.to/hH6Uo3
1/16 9:26

お花の創作アクセサリー bisseru" のアトリエーゼ日記「宮本文昭&宮本笑里トーク&コンサート」 http://amba.to/g06Ju9
1/16 9:27

「++ハーフエタニティリング プラチナ→金メッキでイメチェン!!!++」 http://amba.to/hbaKNS
1/16 9:40

2011年01月13日

スプライス・・・・・評価額1300円

科学には、決して犯してはなならないリミットがある。
「CUBE」ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の最新作は、人間と動物の遺伝子を結合させた新種のキメラ生物を創造し、神の領域に踏み込んでしまった科学者夫婦の辿る、恐るべき運命を描くバイオSFホラー。
タイトルの「スプライス(Splice)」とは、つなぎ合わせるという意味で、本作の場合は遺伝子を切り貼りする事を指す。

科学者のクライヴ(エイドリアン・ブロディ)とエルザ(サラ・ポーリー)は、製薬会社のために遺伝子操作によって薬効成分を作り出す新種の生物を開発している。
彼らは目覚ましい成果を上げるが、会社は研究の凍結と生産段階への移行を命令。
納得出来ない二人は、会社に隠して人間の遺伝子を組み込む実験を行う。
はじめは胚への定着が確認出来た時点で、実験を中止するはずだったが、成長が予想外に早く、人間とげっ歯類のハイブリッドの様な、奇妙な生物が生まれてしまう。
次第に人間の特徴を現しはじめるそれに、エルザはドレン(デルフィーヌ・シャネアック)という名前をつけて可愛がるのだが・・・


観る前から既視感バリバリの一本だ。
遺伝子操作で生まれた女性型ミュータントという設定は明らかに「スピーシーズ 種の起源」を連想させるし、虫の様な幼体が脱皮して、内部からヒューマノイド型の生物が出現するのは「エイリアン」そのもの。
ドレンが、肉体の異常な成長速度に心が追いつかず、創造主へ倒錯的想いを抱くあたりは、バーバラ・カレラがセクシーな人造美女を演じた「エンブリヨ」あたりが元ネタか。
全体に、ナタリ監督の過去のSFホラー映画への偏愛が色濃く出ている印象だ。

もっとも、話そのものは結構な独自性を発揮している。
本作の主人公はクライヴとエルザの科学者夫婦と、彼らの創造物であるドレンだが、物語のコアは明らかに女性二人である。
クライヴは、どちらかと言えばエルザが勝手に進めた実験の結果に、優柔不断に巻き込まれるだけの存在であり、物語を主導する立場には一度も立つ事は無く、印象の薄いキャラクターだ。
エルザは、少女時代の亡き母親との歪んだ関係がトラウマとなっていて、それ故に子供を欲しがるクライヴの気持ちに答える気になれない。
母と同じ過ちを自分も繰り返してしまうのではないかと、無意識に恐れているのである。

エルザが突然暴走してドレンを創り出すのは、科学者としてのキャリア的野心以上に、創造主として完全にコントロール出来る、子供の代用品を欲する気持ちの現れと言えるだろう。
実験の思わぬ結果に恐れ戦くクライヴとは対照的に、まるで母親の様にドレンを愛するエルザの態度、そして物語の中盤で明かされる、ドレンに使われた人間の遺伝子は、エルザ自身の物だったという秘密は、二人の関係が言わば親子のシミュレーションである事を端的に示している。
だが、次第にドレンが成長し、人間の娘同様に従順な存在でなくなると、エルザは優しい母親から強権的支配者へと変化し、ついに成長したドレンがクライヴを誘惑するに至って、彼女はエルザにとっては、忌むべき自分自身のニセモノになるのである。
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督は、元々特殊なシチュエーシュンに人間を追い込んでの心理劇を得意とする。
ドレンが成長した事で、研究所内では隠せなくなり、嘗てエルザが母と暮らした農場が、物語後半の舞台となるのは象徴的である。
機械じかけのキューブや記憶の迷路の代わりに、登場人物たちが追い込まれるのは、母娘のトラウマの詰まった記憶の館だ。
本作は過去の多くのSFホラーの映画的記憶を無造作に詰め込んではいるものの、本質的にはエルザとドレンという同質性をもった二人で一人の女性によって、母性の狂気とエゴイズムを描いた心理的葛藤劇なのである。

故に、ドレンが一度死んだ後で“ある存在”となって蘇る、いかにもB級ホラー的なクライマックスは物語的には中途半端な蛇足であり、一応途中に伏線は張ってあるものの、それまでの流れからは全く異質に思える。
思うに、このクライマックス部分は、作者が一番最初に構想した段階では無かったのではないだろうか。
これは私の想像だが、恐らくはクライヴの子を宿したドレンが死に、複雑な感情葛藤を抱えたエルザが生まれた子を受け継ぐといったオチだった気がする。
ドレンの子はある意味でエルザ自身の子に他ならないのだから、図らずも彼女は合わせ鏡の自分によって子を授かる事になる。
擬似的な母娘の精神的葛藤から、やがて受け継がれた遺伝子の中に自分自身を感じ、もう一人の自分と対峙するという物語の構造からは、いきなりまったく別種の存在になってしまうよりも、物語のテーマには直結するはずである。
ただ、それだとホラー映画としてはあまりにも地味で、見せ場らしい見せ場もないまま終わってしまうので、苦肉の策として現状のオチが作られたのではないだろうか。

思うに、「スプライス」は、独特のムードを持ったSFホラーとして一見の価値はある作品だ。
母性と科学の狭間に生まれた悲しきクリーチャー・ドレンと、母でもある科学者・エルザの心理劇としてはなかなかに見応えがある。
だが、かなりアバウトに詰め込まれた映画的記憶は、観客が物語に入る前に既視感を感じさせてしまうし、かなり強引にB級ホラー的な展開に持ってゆくクライマックスは、物語の本質から乖離している。
テーマへのアプローチは面白いし、部分部分を観ると決して悪くは無いのだけど、全体を俯瞰すると今一つ芯が定まらず、薄味な印象になってしまったのはちょっと残念だ。

ドレンを演じたデルフィーヌ・シャネアックはフランス出身の女優。
今回は、フランスを代表するリキュール、クレーム・ド・カシスを使った「パリジャン」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、ドライ・ベルモット15ml、クレーム・ド・カシス15mlをステアしてグラスに注ぐ。
柔らかで、豊かな香りが特徴の、華やかなカクテルだ。
本来は食前酒だが、少し混乱した映画の後味を、爽やかに整えてくれるだろう。

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2011年01月13日

スプライス(R-15)


伝説のhiropoo映画日記


2008・加・仏     ★★★☆☆(3.8)

                  

監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ

出演:エイドリアン・ブロディ  サラ・ポーリー  デルフィーヌ・シャネアック  ブランドン・マクギボン  

                        

                                       

『NOTHING ナッシング』などの奇才、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督によるSFサスペンス。

                                            

人と動物の遺伝子を掛け合わせ、新種の生命体を作り出した科学者夫妻の心理に迫る。

                                                 

今まで見たことのない新種のクリーチャーの造形と、生命体創造という深いテーマを追求した物語に魅了される。

(シネマ等デイより抜粋)

                         

                       

                          

                               



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2010年12月08日

神の子どもたちはみな踊る(PG-12)


伝説のhiropoo映画日記


2008・米     ★★☆☆☆(2.7)

                     

監督:ロバート・ログヴァル

出演:ジョアン・チェン  ジェイソン・リュウ  ソニア・キンスキー  ツィ・マー  ジョン・フレック

                      

                                

村上春樹原作の短編小説をアメリカで映画化した心揺さぶられる人間ドラマ。

                                      

ロサンゼルスを舞台に、息子を神の子と呼ぶ母と子の関係を中心にした人間関係を温かく見つめる。

                                            

ニューヨークで活躍する舞台俳優のジェイソン・リュウが主演を務め、その母親を『小さな村の小さなダンサー』のジョアン・チェンが熱演する。

主人公の恋人役で映画デビューした、ナスターシャ・キンスキーの娘ソニアも絡んだ人間模様から目が離せない。
(シネマトゥデイより抜粋)

               

                                         

                                                                                                                                               



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2010年11月30日

ラスト・ソルジャー


伝説のhiropoo映画日記
                          

2010・中国・香港     ★★★☆☆

                  

監督:ディン・シェン

出演:ジャッキー・チェン  ワン・リーホン  ユ・スンジョン  リン・ポン

                

                            

ジャッキー・チェンが構想に20年を費やし、原案、主演、製作、武術指導を務めたアクションムービー。

                                               

戦国時代の中国を舞台に、ジャッキー演じる歩兵が敵国の将軍を捕虜として連れ帰る道中、数々の困難に

遭遇しながら互いに心を通わせていく姿を描く。

                                          

共演は、歌手としても活躍する『ラスト、コーション』のワン・リーホン。

                                            

スタントなしのアクションはもちろん、笑いと男同士の友情を盛り込んだ内容に、ワクワクすること請け合いだ。

(シネマトゥデイより抜粋)

                    

                                    

                                       

                                               

                                              

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2010年11月08日

アイガー北壁 / マイ・ブラザー

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 <小倉昭和館>

 -本作の感想などは書いていません-

 真実かどうか、黒澤明はロケ現場で遠くの山を指差し、「あの山をわらえ(どこか写らないところへ持っていけ)」と言ったという。「わらう」とは、「どける」「はずす」の意味で、諸説あるけれど、「払う」からきているというのが有力だ。舞台でも同じ言葉をつかう。この話しが本当ならば、黒澤監督は巨匠としてよほどうぬぼれていたか、巨匠としてのジョークだったかのどちらかだろう。いくら天才で、瞬時に思ったかもしれないが、わらうなんて絶対に無理だから、スタッフは笑ったか、震えたか、唖然としたか・・・まあ、楽しい冗談だ。

 21世紀も10年経ち、今の監督が「あの山をわらえ」と言ったら、スタッフはすべてマジメに受けこたえるかもしれない。「わかりました!撮りの計算に合わせてCGで別風景を撮り込みます!わらった後の風景は、なんにしましょうか。サンプルもありますが。」・・・黒澤監督の現場の伝説の一言は、語録の中から消えていく運命にある。

 『アイガー北壁』というタイトルで公開された映画があった。今から30年も前のことで、当時としては珍しく全国上映ではなかった。埋もれているから、ネット検索しても出てこない。高校生のころ、この映画をラジオで絶賛するパーソナリティがいて、観たい気持ちが頭のまわりに渦巻きになったけれど、地方都市にまでフィルムは運ばれなかった。しかし、あの絶賛パーソナリティだけは覚えている。詳しく語ったものだから、半分だけ観た気になってもいる。テレビではなく、ラジオだから、なおさら観た気になる。私は、毎週のように淀川長治のラジオを聞いていて、観たことない映画をたくさん観させてもらった。先日、『午前十時の~』ではじめて観た『雨に唄えば』は、観る前に何度も観ている。『駅馬車』は一度しか観てないはずだが、10回は観た気がする。

 話がそれた・・・黒澤監督の「わらえ」は、冗談ではすまなくなった。「わらいましょう」になった。アニメの他には、カメラに写るものだけでいいような気がしているが、もうCGを使わない映画の方が少なくなっている。山田洋次だって使う。30年前の『アイガー北壁』は、そのままカメラがとらえた作品だろう。だが、新しい『アイガー北壁』は、山をわらったり、逆にもってきたりのてんこ盛り映画である。実際に現場では撮っているから大変なのだけれど、監督は「わらえ」を連発させている。そして、スタッフもそれにこたえている。時代である。わずか50年も経っていないのに、無理だったものが、できるようになった。

 撮り方、編集、照明、音響、特殊撮影・・・これらは技術屋のやる仕事だ。技術屋は確かな仕事をするが、できることをプロとしてやる。工夫はするけれど、できない事は無視する。ビデオの世界も同じで、それが技術屋というものであろう。そこに、ムチャを言う者が現れる。監督という厄介な野郎である。技術的に、撮れるのか、照明をあてられるのか、編集できるのか、こんな音がほしい・・・技術の立場に立って考えない。こんな画を作りたいとスタッフに言うだけである。今の技術では無理である・・・が、「できません。」と答えたのではスタッフ失格で、「考えてみます。」または「やってみましょう。」となる。やってみた結果が、多くの画を作り出してきた。特殊な画もいっぱい作ってきた。宮川一夫は、黒澤明に言われて、太陽までカメラでとらえている。

 スタッフから監督になるのは、あまり感心しないことで、技術人の苦労がわかっているから、遠慮気味になる。監督というのは、技術とは切り離し、やりたいことをやるワガママでいいのである。だから、監督は素人でもできる。映画現場で唯一、素人ができるのは監督である。他のスタッフはみんな苦労して一流の技術を培ってきて、ここに立たせられるのだ。だが、創造したのは監督のもの、映画は監督のものである。指揮がうまかろうがどーだろうが、スタッフは懸命に監督によって走るのである。監督の望みが、画を作り、ひとつの作品を生み出す。

 どんどん話しがそれる・・・以前に書いたものを組み合わせようとして、支離滅裂になったけれど、さて、本作『アイガー北壁』のようなCGはどうなのだろうか。この映画は、広いカットはほとんどCGなのに、まったくCGと思わせない。知らなければ、現場で目に見えるものをそのまま写したもののように思う。現場映像とCGの融合が神業で、私はCGを外したブルーバックカット(メイキング)も事前に見たのに、それも忘れてしまっていた。広い画は、ここか?と思うが、さっぱりわからない。現場ロケだけの映画のように思える。となると、CG作成者はCG作り冥利につきるのか、またはオレたちがやったんだから少しはCGってわかってほしいと思うのか。私だったら、俗な人間なので、後者だろう。

 CGだからできる・・・という映画に慣れてしまって、どんなにアクロバットなことをやっても驚かなくなった。CG映画不感症である。『トランスフォーマー』なんていい例で、大都会の中、とんでもなく凄いことやっているのに、ワクワクもしない。カメラが滑らか過ぎるし、爆発もガレキもホコリもきれい過ぎる。人が計算した現場だからだろう。もし、実際に撮れたとしたら、臨場感は何百倍に膨らむに違いない。歳をくったジャッキー・チェンの頑張るアクションの方がワクワクする。CGがどこまでいくか、どこまでできるかはわからないが、今のところ、魂が見えないので、技術は進んでも、まだまだなのだろう。

 話はどんどんそれて、なにを書いているのか自分でもわからなくなった。ただ、CGを悪と言っているわけではない。よくできていると思う映画も多い。ただ、それはCGに驚いているのではない。そんな時期は過ぎた。CGは当たり前。やはり、脚本力、演出力である。その力があってこそ、CG世界にも観客は入っていくことができるように思う。CGでなんでもできるよー・・・では、現場に工夫がなくなる。現場の頭が悪くなる。「どーやって撮ろうか」が、「どーやってCGと結合しようか」ばかりになるのでは、やり甲斐もないだろう。

 「あの山、わらえますよ。」・・・「わらえるのか。だったらわらうな。このままいこう。」黒澤監督が生きていたら、そう言うかもしれない。「CGでいかないんですか?」「じゃあ思い切って、すべてCGでいくか、役者も。」・・・観客の喜ぶ映画、楽しめる映画は、すでに脚本に込められてあり、監督の頭の中にある。

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