きょう夕食後、偶然、途中から「ローマの休日」をBSで見た。そのつもりはなかったのだが、エンディングまで約1時間、テレビにくぎ付けになってしまった。この不朽の名作、何度目だろう。5、6回は見ている。でも、細部は忘れてしまうから、毎回、新鮮だ。特にきょうは感動のあまり、2回、涙が出た。見どころだらけなので、何を書いても、意味づけはできる。長くなります。切ない、おとぎ話のような淡いラブ・ストーリーである。23歳のオードリー・ヘップバーンはあまりに美しい。つくりもののような「美」が氾濫する今、あらためてオードリーのあり得ないような清楚な美しさにみとれた。その天真爛漫な演技に思わず引き込まれる。「素」が出ているようにも見える。そこが名演出家ウィリアム・ワイラーのすごいところだ。
当時のオードリーは、ブロードウェーの舞台では成功したばかりで、映画界では無名の存在だったという。それがアカデミー賞主演女優賞である。一躍、大スターになった記念碑的作品だ。特に涙が出たのは、別れの場面。車の中で、「あの角を曲がったら、もう見ないで」と言いつつ、グレゴリー・ペック演じる記者とキスをする。その熱っぽさといったらない。
この話は、おとぎ話と書いたが、そのことは主人公2人が自覚している。途中までは、この思いがけない「王女の1日の恋」をスクープ記事にして大金を儲けようと目論んでいた記者は、王女の心を思いやって、そのスクープを没にする。2人だけの思い出として永遠に残す方を選んだ。同じ記者としてその気持ちはわたしにも痛いように分かる。ペック記者ほどのスクープはないが、あえて一時、没にした記事もいくつかある。ネタ元に配慮して、のことだった。
最後に王女が宮殿のようなところで報道陣にあいさつするところで、「特に気に入った都市は」という記者の問いに「それぞれの都市によさがあり・・」と王女としての定番(平等に扱わないといけない)を言いかけ、途中でやめ、「ローマです」と決然として言い放つところがやはり素敵で大好き。視線はペック記者に向かっている。言うまでもないが。そして、予定を変更して記者のフロアーに降り、1人1人と握手する。これも言うまでもないが、ペック記者との最後の接触だからだ。
ペック記者は「アメリカン・ニューズ・サービス」(アメリカ通信社)と名乗る。王女と新聞記者の恋、とふつうは簡単に書かれているが、もう1人の主人公は通信社記者なのである。これは一般の方には、どうでもいいことかもしれないが、マスコミで40年間生きてきたわたしにとっては、絶対に譲れないところである。だからどうだ、と言われると、辛いが、新聞の記者と通信社の記者は違う。一般論としては、通信社記者は、あくまで速報が命なのである。「ローマの休日」で主人公をわざわざ通信社記者にしたことに、他意はないと見る。でも違うものは違うと重ねて書いておく。
きょうはキスシーンで2回、涙が出た。そういう場面ではあり得ないことだ。でも、齢を重ねてくると、時間の重みが分かってくる。限られた時間というものの持つ、恐ろしいまでの緊迫感。そこでのキスは、もちろん愛欲などとは無縁の聖なる行為だ。王女は言うまでもなく、初めてのキス。でも、それは現実には禁断の世界なのだ。エンディングも分かっていて、なおかつ、心揺さぶられ、涙腺がゆるむ。なんということだろう。主人公2人に完全に感情移入させられてしまっている。そこがワイラー監督のすご腕だ。
ここまで付き合ってくださった方にもう1つ。オードリー・ヘップバーンは1993年1月20日、大腸がんで亡くなった。63歳だった。当時、ロサンゼルス特派員だったわたしは、彼女の病状が思わしくないことを知っていて、1月に入って、予定稿(重大ニュースの時に事前に用意しておく原稿)を書き始めていた。わたしの会社では、わたし1人がそれをしていた。で、当日、ニューヨークの国連で死亡の発表があった。晩年、ユニセフの親善大使をしていたからだ。亡くなった場所はスイス。でも、書いたのはロサンゼルスのわたしなのだ。大きな掲載記事は自分のひそかな自慢でもある。ナチスへの抵抗運動に携わっていた少女時代のことも、しっかり書きこんだ。そこが自慢。
20世紀の生んだ希有の大女優の最期を書けるとは、自分で言うのもなんだが、なんだか彼女を一瞬、独り占めしたような気分で、晴れがましい思いがした。もちろん、今から思っても、早すぎる死であって、もっと悲しむべきだったのかもしれない。でも、「ローマの休日」はデジタル・ニューマスター版となって、モノクロが神々しく輝きを取り戻した。生まれ変わった「ローマ」をきょう、見たことになるのである。あまりにも常套句だが、あえて言う。オードリーもよみがえった。その、あどけない笑顔は永遠に不滅だ。ありがとう、オードリー、ペック、ワイラー。そして、1950年代、アメリカを暗黒社会に陥れた「赤狩り」で追われ、他人名義で脚本を書いたダルトン・トランボにも感謝したい。
名義を貸した脚本家が後年、事情を告白したことによって、ダルトン・トランボ(既に没後20年だったが)に映画公開後40年もたった1993年になって、アカデミー賞最優秀脚本賞が贈られたというのも、いかにもアメリカ的な泣かせる話ではある。名誉を回復するのに躊躇しない。そこがアメリカのいいところでもあるのだ。第二次世界大戦中に在米日系人が強制収容された「忌まわしい過去」を1人2万ドル払うことで清算してみせた。過去のしがらみから逃れられない、どこかの国とは大違いだ。「ローマの休日」から遠いところへ来てしまったようだ。でも、これだけ書いてきても、まだ「ローマ」の放つ魅力の10分の1も書けていないことに気づく。
●100万人の映画ファン投票「わが青春の一本」 第1位(1990年) NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編
●100万人の映画ファン投票「わが心のスター」 オードリー・ヘプバーン 第1位 NHK&JSB衛星映画マラソン365共同事務局編
(注)わたしは著作権、肖像権に配慮し、映画に関しては一切、ブログに写真を掲載しないできましたが、「ローマの休日」については、著作権の消滅という判決が出て、彼女の写真もパブリック・ドメイン(公共資産)となりましたので、掲載しました。
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