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2008年05月05日

フライボーイズ

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■2008/3/21日DVD発売 ■アメリカ制作 ■138分

■監督 ・トニー・ビル

■出演
・ジェームズ・フランコ(ローリングス)
・ジャン・レノ(セノール)
・マーティン・ヘンダーソン(キャシディ)
・ジェニファー・デッカー(ルシエンヌ)

■あらすじ■
欧州で第一次世界大戦が激化する中、フランスに渡ったアメリカの若者ローリングスは、戦闘機のパイロットに志願する。そこには同じくアメリカからやってきた若者たちがいた。ルノー大佐の下、パイロットとしては素人の彼らを、一人前の戦闘機乗りにする訓練が始まった。ローリングスは仲間たちと友情を育んでいく一方、フランス人女性と恋に落ちる。やがてドイツ軍飛行隊との戦いの日が来た。それは予想を超える過酷なものだった。

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■かんそう■
実話ベースに作られた映画ですが、飛行機が初めて軍事実用化された
時代の話で、無人戦闘機エディ(ステルスから拝借)とか、音速で飛ぶ飛行機を
見慣れた私。  質素なプラモデルのような姿に、最初はキョトン・・でした。

操縦席はムキ出し、脱出装置無し、ミサイル無し。
玉詰まりをトンカチで叩くなんて現在では信じられない話で
新人パイロットの寿命は3〜6週間。それでも彼らは、戦った。

大空への憧れに突き動かされた青年達の物語ですね。
ただ、夢の飛行機に乗る手段は戦争しか無く、戦死と言う現実も横たわっています。

色々な事情で集まった青年達が、友の死、挫折を乗り越えながら1人前の飛行機乗りと
して自立する過程や、愛情&友情も盛り込まれ、見やすかった。

Mrレノの存在も光ますが、先輩キャシディと黒い鷹の空中戦は見応え有り。
その中で、後輩に戦争の厳しさを伝えて行く姿に心打たれます。

同性として、ルシエンヌが、行き帰りの飛行機を見上げ数える場面も
共感できたし、恋愛ベタベタのクドサもありません。

映像面は、CG駆使され、エアバトルはド迫力。劇場で見たら凄かったと想像。

1つ悲しかったのは、愛し合う2人が再会出来なかった事。
これが実話ベース・・パッピーエンドでない現実です。

最近、長時間映画を避けてたのですが、この映画は138分が短く感じられたし
軽めに描いてあるため、重厚感はないのですが、それが逆に良かったのか
戦争ベースなのに重苦さ感じずで、楽しめました。

好き度 ★★★★

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2008年04月29日

素晴らしく充実しているジョン・レノン・ミュージアム(さいたま)〜ヨーコ・オノさんの尽力がうかがえる

9e4e1a2a.jpg あちゃー、ヨーコ・オノさんはもう75歳になっているんだ。こっちが老化するのも当然だな。ジョン・レノンとともに、ベトナム戦争反対を訴え、アムステルダムで1週間ベッドに入り続けるという「ベッド・イン」(戦争より愛)をやっていたのが昨日のように感じられるが、もうあれから39年たっている。ジョン・レノンが凶弾に倒れてからも、28年が経過しようとしている。40歳の若さだった。時はすべてを押し流す暴力だ。きょう、さいたまスーパーアリーナに行った際、この中に入っているジョン・レノン・ミュージアムに初めて足を運んだ(格闘技の殿堂に不思議な感じ)。私は格別のビートルズ・ファン、ジョン・レノンファンというわけではないが、彼らの「出現」が中学3年の時だったことは鮮明に覚えている。僭越ではあるが、同時代人という感覚がある。で、ミュージアムの印象。展示が充実していて、展示方法も工夫がたくさんあり、想像を超えた素晴らしさだった(アメリカのミュージアムには感心することが多いが、日本は基本的にダメ)。ジョンの直筆の手紙、歌詞などは特に目を引くが、100点を超える遺品はヨーコ・オノさんの協力なしには展示できなかったことは明白である。音楽ビデオが至る所にあり、ビートルズ、ジョン・レノンの世界に浸ることができる。「初めて本物のアーティストと出会えた」という趣旨のジョンの言葉が残っており、7歳年上の夫人に大きな影響を受けたこともよく分かる。珍しく1時間以上滞在してしまった。

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2008年03月02日

2008年1月に見た映画(22本)

○『PEACE BED/アメリカvsジョン・レノン』新宿ジョイシネマ
○『ダーウィン・アワード』シネゼゾン渋谷
○『4分間のピアニスト』シネスイッチ銀座
◎『転々』テアトルタイムズスクエア
○『once ダブリンの街角で』渋谷シネ・アミューズ
○『ラスベガスをやっつけろ』シネセゾン渋谷
○『ハーヴェイ・ミルク』シネセゾン渋谷
○『中国の植物学者の娘たち』東劇
○『ある愛の風景』シネカノン有楽町2丁目
×『AVP2 エイリアンズvsプレデター2』天神東宝
△『眠れる美女』渋谷ユーロスペース
○『君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956』シネカノン有楽町2丁目
○『光の六つのしるし』有楽町スバル座
△『椿三十郎』TOHOシネマズ錦糸町
○『チャプター27』渋谷シネクイント
○『グミ・チョコレート・パイン』テアトル新宿
○『魍魎の匣』新宿ミラノ3
○『犬猫 35mm版』銀座テアトルシネマ
△『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』新宿ミラノ1
○『その名にちなんで』日比谷シャンテシネ
○『28週後…』有楽町スバル座
○『すべての些細な事柄』銀座テアトルシネマ

うーむ。ようやく1月分が終わったというのに、季節はもう3月!

2008年03月01日

○『チャプター27』渋谷シネクイント

ドキュメンタリータッチなんだね。
カメラは取り立てて感情移入もさせず、ジョン・レノンを殺した男、チャップマンの、その殺人を犯すまで、を描いていくわけなんだけど、その様が、その日々の彼の在りよう、他人との関わり方、彼が見渡す社会、あるいは彼を見渡す社会の在りようが、いかに不安定か、そして無関心かっていう。

けれども、映画を見ていくうちに、ふと奇妙な感覚になったのだけども、ジョン・レノンを殺すなんて、なんて信じがたいひどい異常さだ、と思っていたはずが、チャップマンの、日常の些細なことに当たり散らす様、人とコミュニケートができないまま、どうすればいいか立ち尽くす様、自分にも他人にも関心を払えず、払われない様、好きなことを語り、何かに熱狂し、そして失望する、そういった様のあれこれは、そこらへんの誰か、ノーマルに、正常に、害なく暮らしていると思われている人々、街を歩く皆が少しづつ持っている異常さとも変わらない気もしてきて。

その境界は非常に危うく、薄く、わずかなもので、だから変な気分ではあるけれど、ずっと見ていると、もしかしたら、チャップマンはジョン・レノンを殺さずに済んだ、ということだってあったんじゃないかと思えてくるんですよね。

この運命は確実にそうなるべくしてなったのではなく、もし、たまたまでも誰かがチャップマンに声をかけていたら、あるいは、他にも待っている人がいたら、いろんな偶然の果て、彼の気を変えるような、何かが起きていたら、どうだったのかな、と。

例えそうでも、もしかしたらジョン・レノンは長生きしなかったかもしれないけど、もし殺されるにしても、誰かジョンを殺すひとは別にいて、チャップマンは、熱狂的で気持ちの悪いファンのひとり、だったかもしれない、ジョンが死んだら、誰よりも深く嘆き悲しむような。

救いなく、強迫的な、憎悪とも言える、悲鳴とも言える、脳内の言葉、踏み越える一線の、後押しになってしまったもの。
ジョンの音楽やメッセージ、ライ麦畑、いろんなことが積み重なって。

ほんとに、それこそが境界なのだけど、その浅く薄い線の前で葛藤し、佇み、踏みとどまることこそが、人とも言えるのだけども。
彼は相手がジョン・レノンだから、ではなく、ただ越えてしまい、そしてその相手が、たまたまジョン・レノンだったということだけなのかもなあ、などと思ったりもしたわけです。

2008年01月20日

○『PEACE BED/アメリカvsジョン・レノン』新宿ジョイシネマ

アメリカvsジョン・レノン、つのは大げさなんじゃなかろうか、と思うのだけど、しかし、興味深い映画でありました。ジョン・レノンを語る時、一国の政府が一介のミュージシャンを何故恐れたか、っていうのがよくネタとして出てくるけども、それは大げさだ、って意見と、いやいや、実際にそうだった、って意見とがあるわけで、どういうことなのかなあ、などと時折思っていたけども、なんとなく、この映画でその片鱗はわかったような気もするわけで。

つまり、ディナーショーに呼ばれてやんやと歌っていたらヤーさん主催で、あの人はヤーさん御用達と見られちゃった、みたいな、あるいはテロリストをかくまうと、テロの仲間と見なされますよ、みたいな(極端だな)、それのちょっと変形バージョンみたいなことだったのかな、と思えて、なんだか少し腑に落ちました。
実際、何がテロリストで、何が正義で、なんて、立場も時代も変われば、見方も変わってくるわけだから、簡単に言えることでもないけれど、平和が一番、というのはもっともで、同時に、どうしても世界のどこかで戦争をせずにいられない人間というもの、というか、人間は本当に自分たちが思っているほど上品でない、無駄な知能だけある野蛮な動物だなーってことについても、少しぼんやりと考えたりもしました。

しかしそういうのはともかく、何より、ヨーコと出会って、言葉が確信に変わるというか、芯が据わるというか、自分の中の核のような、自信と安心を手に入れるということがひとをどれだけ強くするか、あるいは変えるかということが、よく出ていたなあ、と。

ジョン・レノンを語る時、良かれ悪しかれ、ヨーコ抜きで語ることができないのは、やっぱり、互いの半分を手に入れた、という結びつきがあれほど出ている人たちもいないということなんだな、と。
『ヘドウィグ~』でいうところの、失われた自分の片割れ、ってやつを、彼らは奇跡的に手に入れていたのではないか、と、やはりそれは多くの人が見る夢なんだと思う。

けれども、あんな早い時期に死ななければ、殺されて伝説とならなければ、ジョン・レノンだって、今のポール・マッカートニーとか、ストーンズみたいに、適当に尊敬されて、適当にタブロイド紙を賑やかせ、適当に時代遅れのおじいちゃん扱いをされている有名ミュージシャンの一人、みたいになっていたのかもしれないなあ、って思うわけなんだけど(ヨーコとだって続いていたかどうか)、それでも、やっぱり、生きてこそ、と思うんだなあ。

彼の意見やら何やらを聞きながら、今を、現代をどう見ただろう、と、それを考えると、やっぱり残念なわけです。きっと、環境問題やらなにやらうるさい爺ちゃんになっていた気がするけれど。

2007年12月28日

チャプター27

272 27  <シネ・リーブル梅田>

 1時間あったので、いつものように、地下に石焼ビピンバを食べに行く。いつものように、人は少ないだろうと思いきや、2組のオッサンが、小さな忘年会をやっている。それにしても、オコゲは美味い。私はいつも、普通の倍のごま油をかける。ごま油の焦げたにおいは、腹をぐーっと鳴らせる力がある。大口をあけながらでも、ぐーぐー鳴っている。

 「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」を観たのは、私がビートルズの大ファンだからだが、ジョン・レノンの銃殺を犯人側からドラマにした映画も同時にやってきた。これは観ておかないといけないことはないが、やっぱり、観ておかねばならない。あの銃殺の日から27年が経った。若い人達はジョン・レノンを知らないと思いきや、十代、二十代のファンもたくさんいるという。ビートルズは、世代なんて関係ないのだろう。

 ビートルズに傾倒し、ジョン・レノンを神と思い、聖書に書かれている人物はイエス・キリストではなく、ジョン・レノン。神と会うのか、見るのか・・・神を見ると、レイダースのラストのように、永遠の世界へ行ってしまうぞと思う。本作は、犯人の精神を病んでいく様子は描かれず、12月8日までの3日間を追った犯人の物語となっていた。犯人、マーク・デイヴィッド・チャップマンの一方的独白だ。この男の精神の弱さ、どう生きていいかわからぬ迷いを私たちは知ることになるけれど、ただただ、弱い男だなと感じさせるにとどまり、その前を丁寧に描かれていないのが残念。子供の頃の映像も少しだけ出てくるけれど、それは、プラスしておかなければならないかな?という程度のものでしかない。犯人だけをカメラは追うのだから、3日間にこだわる必要はなかった気がする。原作を重んじたせいか。登場する「ライ麦畑でつかまえて」の3日間に重ねたためか。しかし、成長する様をもっと見たかった。事実と違う想像は許されなかったのだろう。

Photo_2Photo_3   犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンを「ロード・オブ・ウォー」「ロンリーハート」のジャレッド・ウォーが演じているが、え?これ、誰?というほどの変身だ。おなかも、でぶっと三段腹(30キロ体重を増やしたらしい)で、面長のイケメンが、丸顔の不細工な陰にこもった顔に化けている。語り口調(ナレーション)も、台詞も、態度も病的で、これはとても努力、勉強している。私はそれだけで驚いて観ていた。Photo_4 そして、はちきれんばかりのティーンエイジが印象深い、子役だったリンジー・ローハンは、どんどん美しくなっていく。これまで、大袈裟な役柄で人気だったけれど、本作は落ち着いて、ごく普通のどこにでもいるような女の子を演じる。それでも、オーラを撒き散らす。この女優、2003年の「フォーチュン・クッキー」以来、私は大好きだ。

 正気で常識人になるときもあり、急に狂気の沙汰をみせるときもあり、多くにかこまれたい時もあり、一人になりたい時もあり、それを自身でとても苦しむ。しかし、私は、単純で、この男、なんと、自己中心的で甘えた人物なのだろうと思い続けた。彼の心理に胸打たれる人もいるようだが、とても共感できるものではないし、こんなこと、あってはならない。ジョン・レノンは、確かに人である。だが、想像を超えて理解できぬほどの雲の上の人である。雲の上の人を見るには、凡人は、飛行機に乗るしかない。この手で触れることだけでも、奇跡の集まりだ。私は、尊敬する人に会いたいとは思わないタイプで、もし、会って話しでもして、イヤな人だったら、これまで尊敬してきたもの、時間が崩れることが、とても恐いからである。そんな私であるから、すでに彼の行動は理解しがたいということになる。

 マーク・デイヴィッド・チャップマンは、何度も釈放の機会を得たが、それらは却下され、現在も刑務所にいる。先日観た「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」の中で、オノ・ヨーコは、語っていた。『彼は、結局、ジョンを殺すことはできなかったのよ。だって、彼のメッセージは永遠に生き続けているのだから。』  <65点>

 

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2007年12月25日

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2007年12月14日

PEACE BED アメリカVSジョン・レノン

Peace_bed_vs <TOHOシネマズ梅田>

 点数のみを付け、本作「PEACE BED アメリカVSジョン・レノン」の評論、感想は一切していません。

 今からちょうど30年前。私が中学3年生だった時、親しいクラスメイトから1本のカセットテープを渡された。それは120分テープで、何やら私の知らない世界の音楽が入っているという。A面、B面、全部埋めていると友達は言った。テープには何も書かれていず、私は「誰の曲?」と聞くと、「ロック」と、一言、返事がきた。邦楽は、フォークソングが全盛期で、私は洋楽に興味ないと言ったけれど、あげると言うので、学生鞄に入れて持ち帰った。

 中学3年生だから、受験勉強をせねばならない。いつもはラジオを聞きながらだったけれど、その日は、もらったテープを聴くことにした。誰の曲と聞いたのに、ロックと答えた友人だったので、私は何が流れてくるのかわからず、とりあえず、A面をかけた。タイトルはわからなかった。流れたのは、後にタイトルを知ることになる「ヘイ・ジュード」だった。この曲は、歌がはじまりだ。私のビートルズとの出合いは、ポール・マッカトニーの歌声である。ビートルズという名前も知らず、私はそれを聞いた。120分テープには、彼が選んだ曲が入っていた。私のために、レコードからカセットテープに編集してくれていたのだった。次々に曲は流れた。「プリーズプリーズミー」「ハードデイズナイト」「サージェントペパーズロンリーハツークラブバンド」「イエローサブマリン」「イエスタディ」「ロングアンドワイディングロード」・・・テープのそれは時代の順を追っていないが、何度も聴いているうちに、その曲にどんどんトキメキのようなものを感じだした。そして、一週間もしないうちに、私は、カセットデッキの小さなスピーカーから流れてくるメロディ、歌声の虜となった。

 「もっと聴きたい」という私に、彼はとても喜び、次々とテープをくれた。そのすべてが、どれもこれも、なにもかも私の心をとらえた。自宅に聴きに来いというので、訪ねると、彼の部屋には、大きなステレオセットがあり、一枚一枚、丁寧に拭いては、レコードを聴かせてくれた。私の小さなモノラルカセットとは違い、ステレオのその音は涎が出るほどの良質で、それから毎日のように、彼の自宅へ聴きに行った。当時のステレオコンポは巨大で、スピーカーも巨大で、10万円以上が当たり前。私は親にせがんだけれど、10万円という大金は、今なら50万円はするだろう。受験に合格したら買ってあげると言われて、その時を待った。ところが私は高校受験に落ちてしまった。必ず合格すると担任から言われていたので、すべり止めの私学も受けていなかった。中学卒業から高校入学まで余裕ある時間はなく、3月の私学の第二次募集の受験を受けた。容易な普通科コースではなく、大学を目指す進学科コースを選んでしまったので、この最後の糸がつながるかどうかはわからなかった。進学科コースは、デキのいい高校を落ちた学生達が受けにきている。県外からも受験にきている者もいた。いよいよ切羽つまって、もしダメだったら、私は中学浪人をすると母に言った。母は、寂しそうな顔をしたが、キリッと私の目を見て、「中学浪人するなら、今年に受けた高校よりもレベルの高いところを目指しなさい。」と言った。本当に私は親不孝の塊であり、今でもそれは続いている。

 受験後の合否はわからなかったが、しょんぼりしている私を見て、母は、ステレオを買ってあげると、街へと誘った。パイオニアの大きなステレオコンポ。10万円以上する買い物を、母はしてくれた。ステレオだけではどうしようもないので、ビートルズのアルバムも一緒に買ってくれた。イギリス版の「ヘルプ!」と「アビーロード」だった。当時のLPアルバムは、2,500円だった。30年前と今、アルバムの値段はほとんど変わっていない。父の学生時代、今から50年前もLPアルバムは、2,500円だったらしい。ステレオやアルバムは、お金持ちのシロモノだった。私の家は、とても裕福とは言えないし、お金に苦労したこともあるのだけれど、高校受験に失敗し、中学浪人するかもしれない私に、黙って、高いプレゼントをくれた。あの時の母の気持ち、父の気持ちはどうだったのだろうと時々、振り返る。

 3月25日を過ぎていたと思う。私のもとへ、合格通知が届いた。両親、今は亡き祖父母もほっとして、笑顔になった。一学年500人以上のマンモス中学の中で、最後の合格者が私だった。春休みの新学期になってから、4月になって、私は中学の担当教師に合格の知らせとお礼を言いに行った。私学なので、授業料は高い。それでも、私の両親は何も言わなかった。思えば、大学も芸術大学という私学で、高い授業料だが、何も言わなかった。陰で苦労させているけれど、私の目の前では、一言もお金の話しはなく、合格した、大学に通っていることだけを喜んでくれた。いま、私は、その時の親の歳になっている。私は何をやっているのだと思う。この映画を観て、帰郷は正解なのだと思った。

 高校に入ってから、私は小遣いをもらうと、お年玉をもらうと、ビートルズのアルバムを買った。イギリス版をすべて揃えたい一心だった。一枚だけ、アメリカ版にしかない「マジカルミステリーツアー」も買った。当時、ビートルズに関する書籍はほとんどなく、たった一冊のビートルズにまつわる本を買い、何度も読み直した。来日した時の様子や熱狂的ファンの様子が文章にされていて、私は空想にふけった。ビートルズが結成されたのは1962年で、私の生まれる前年である。そして、解散したのは1970年で、私は7歳だった。だから、当時のことはまったく知らない。ベトナム反戦など、その後のジョン・レノンとオノ・ヨーコの行動も、高校生の時に知った。私がビートルズに熱狂的になったのは、解散してからすでに10年経っていたが、それでも、編集しなおした新しいアルバムが新発売されていた。第二次ビートルズブームである。

 小倉の映画館で、ビートルズ特集をやると聞き、友達二人と観に行った。「ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!」「ヘルプ!」「レット・イット・ビー」の3本立てだった。日曜日の朝からの劇場は超満員で、私は一番前の席で、スクリーンを見上げながら、3本を鑑賞した。しばらくして、アメリカでテレビ放映された「マジカル・ミステリー・ツアー」も上映され、これも観に行った。とにかく、音楽はビートルズだった。さだまさし、イルカ、チューリップなどの邦楽も好きで聴いていたし、友達の勧めもあり、ローリング・ストーンズやキッスも聴いていたけれど、何度も何度も、レコードが擦り切れるくらい聴いていたのは、やっぱりビートルズだった。学校から帰るとかけて、寝る前も小さな音にして、タイマーをかけて眠った。

 ビートルズが解散した後の、ジョン・レノンのアルバム、ポール・マッカートニーのアルバムもいくつか買った。どういうわけか、リンゴ・スターのアルバムも買った。それらは今、すべて実家に保存してある。もちろん、巨大なステレオもそのままである。私が大阪に長く住みついて、30年経ち、それらはお宝になってしまった観がある。CDではなく、レコードがある。モノに執着せず、なんでもかんでも捨ててしまう私だが、帰ったら、丁寧に拭いてあげようと思う。そして、レコードの針をおとしてみよう。私は楽しむ一方だったが、それを買ってくれたのは、父であり、母であり、亡き祖母だった。デキの悪い息子に、あの時代、高価だったが、買ってくれた。これが宝物でなくて、なんであろうか。古いお宝という意味ではない。これこそ、魂のこもった宝物と呼べるものだ。ホワイトアルバムは、2枚組みでちょっと高かった。一枚一枚、シリアルナンバーが打ってある。

 高校3年生だったと思う。冬の寒い日だった。「ジョン・レノン射殺される」というニュースが流れた。私は胸が高鳴った。朝見たニュースを頭に、ドキドキして、登校した。その日は、団塊の世代の教師も含め、ジョン・レノンのニュース一色で過ごした。享年40だった。私は今、44歳。ジョン・レノンより4年も長く生きている。あの日、あの時、とても歳のはなれた大人であり、神のような存在だと思っていたが、ジョン・レノンの歳を過ぎた。だが、今でもジョン・レノンはとても歳の離れた大人であり、神のような存在だと思っている。きっと、70になっても、80になっても、ジョン・レノンは、私の中で、そうあり続けるのだろう。

 しばらく、ジョン・レノンの曲を聴いていなかった。久しぶりに、ドキュメンタリーの中で聴くその曲。私は背筋がゾクゾクした。ゾクゾクするのをおぼえたわけではなく、実際に何度もゾクゾクと体が前後左右に揺れ、震えた。映画監督になりたい、映画の脚本家になりたいと思いながら、音楽はビートルズだった18のあの日に、あの頃の気持に瞬時にかえされた、戻されたことが、とてもこの世のものではない、恐ろしいもののように私には感じた。時は間違いなく流れていた。  <75点>

 

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2007年12月08日

PEACE BED アメリカvsジョンレノン

       <_embed src="http://www.youtube.com/v/pEx7I31-iW8" type="application/x-shockwave-flash" autostart=0 allowscriptAccess="never" width="425" height="350">
John Lennon Imagine
今日は、ジョンレノンの命日で「PEACE BED アメリカvsジョンレノン」が公開になります。
反戦活動を続けたジョンレノンに米国政府が国外退去命令を出したことを、関係者の証言や当時の映像で
再現して「イマジン」などで平和を訴えたジョンレノンの知られざる闘いが描かれています。
日本各地に、ウィッシュツリーが設置されイベントが行なわれる所もあるようです。
ちなみに、名古屋では公開を記念してイオン名古屋ベイシティで午後1時から
アマチュアバンドのビートルズの歴史をたどるミニライブがあるそうです。
映画「PEACE BED アメリカvsジョンレノン」
こちらのサイトでも、ウィッシュツリーがあり各界の著名人のコメントも見ることができます。
皆さんも、平和への願いを書き込みませんか?

2007年12月08日

『チャプター27』を観たよ。

『ライ麦畑でつかまえて』は全26章からなる小説だから、その「第27章目」という解釈?

『チャプター27』
"CHAPTER 27"

2007年・カナダ&アメリカ・85分
監督・脚本:J・P・シェファー
製作:ロバート・サレルノ アレクサンドラ・ミルチャン 他
原案:ジャック・ジョーンズ
撮影:トム・リッチモンド
編集:ジム・マキェイ アンドリュー・ハフィッツ
音楽:アンソニー・マリネリ
出演:ジャレッド・レト リンジー・ローハン
   ジュダ・フリードランダー アーシュラ・アボット 他

 1980年12月8日、ジョン・レノンはマーク・デイヴィッド・チャップマン(ジャレッド・レト)に殺された。ジョン・レノンのファンで、『ライ麦畑でつかまえて』に心酔するチャップマンが、レノン殺害という凶行に至るまでの3日間を追った物語。

 28歳の新人・シェファー監督が撮った、インディーズ・ムービーだという。そう考えると、緻密に創られている意欲作だ。現在も服役中のチャップマンに200時間以上に及ぶインタビュー取材をおこなった末に完成させた映画なのだそうである。

 この作品の中で動いて話しているチャップマンは、とても「いらっとくる人物」だ。病的に自意識過剰で、思い込みが激しく、他人の迷惑を顧みず、自己中心的。そのチャップマンの行動をただひたすら追う映画なので、正直、観ているあいだはかなりの不快感を味わい、また、淡々と進む展開に退屈さを覚えた。しかし、擬似ドキュメンタリーだと思えば、うっとうしいまでに静かな物語でも当然だ、と考えられる。

 チャップマンを演じるにあたって、ジャレッド・レトは体重を30kg増やしたという。もう、今まで知っていたジャレッドでは全然なかった。ほとんど彼ひとりで成り立っているような映画なので、役作りに対する徹底した姿勢には拍手を贈りたくなった。

 はっきり言って、「面白い映画」と言える要素は、個人的には微塵もなかったのだが、創り手や役者のこだわりと熱意の深さがダイレクトに伝わってきたから、興味深さと感心を覚えた。しかし、私はジョン・レノンに詳しいわけでも、執着があるわけでもない。彼を愛するファンのかたがこの映画を観たら、冷静な感想などいだいている場合ではないかもしれない。

試写日:2007年12月7日(金)@有楽町朝日ホール

↓参考↓
チャプター27@映画生活
「チャプター27」の映画詳細、映画館情報はこちら >>

↓関連商品↓
  
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