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劇場内での映画の撮影、録音は犯罪です。法律により10年以下の懲役、もしくは1000万円以下の罰金、またはその両方が科せられます・・・映画鑑賞前に1000回以上は観たかも。・・・劇場内で撮影なんぞしたことないけれど、DVDをレンタルして、これをコピーしたことはいくらでもあり、営利目的ではなくて、友達や知り合いに差し上げたこともある。それも犯罪です!はぃ・・・いやいや、まあまあ。ションボリ。
みんなに観てほしい映画!映画好きには是非!それほど映画を観ない人もこれならば!昔の日本映画は今の韓国映画なんかより凄かったんたぞ!などなど、いろんな思いで、人に渡してきた。・・・その両方が科せれらます!・・・うーむっ・・・コピーガード外せるんだもの(T_T)・・・そうやって、人にあげちゃった後、だいたい3つの反応がある。ひとつめは「観て、感想なりを聞かせてくれる人」、ふたつめは「観たよだけ伝えてくれる人」、みっつめは「観たも観ないも、何も言ってこない人」である。私もたまにいただくことがあり、観忘れてしまって無反応だったりして、他人のなにやらは言えないけれど、DVDがどーのこーのではなく、すべてにおいて、人はこの3つにわけられるような気がしている。もらった相手にもよるけれど、営利目的で渡したわけではないから、お返しの品物ではない。言葉がいる。言葉が必要で、それが誠意であろう。
観たも観ても言ってこない人と映画の話になり、たまたま、渡したDVDの映画の話になったことがある。1950年代のモノクロの日本映画だった。が、その人は、私が渡したことすら忘れていた。もう、ガッカリである。観なくてもいいけれど、渡したことくらい覚えておいてもいいだろうにぃ。観てほしいという願い、もっと言えば、観てどう感じたかを知りたい私としては寂しさ大爆発だ。新品を買う余裕などない私が、両方を科せられるのだぞ・・・!
自分がシナリオを書き、ディレクターを担当したビデオを渡したことも4回か5回ある。私的には見せないし、出さないのが基本だが、見てみたいと言ってくれる人に差し上げた。身近な、彼女と呼べる相手には見せたことがない。私は自分の仕事の話をほとんどしないし、彼氏がどこでなにをやっていようがよろしいという人たちだったから、見たいと一度も言わなかった。見せた記憶がない。おおよそ、彼女なんかとかけはなれた人が、私の仕事内容を知りたがった。だいたい、つまんないビデオですよと言うけれど、何度か言われると、ダビングしてお持ちした。これは、コピーではない。ダビングという面倒な作業をしなければならない。・・・教育ビデオ、PRビデオ、記録ビデオなんて類は、自由な創造力をそぎ落としていく努力の結果みたいな作品だから、実際、面白味はない。また、一企業が出す制作費だから、脚本に時間がかかるだけで、ロケも編集もしょぼい。
自分の作ったビデオは、しょぼくても、ひとしきり魂を削ったものである。魂を削ることによって、私はお金をいただいた。ほとんどの人は、見て感想をくれる。だいたいが、難しいなあ、わけわかんねえ、よくこんなシナリオ書くなぁ、こんな世界もあるんですね・・・といったものである。ちょっと名の知れた俳優が出ていたりすると、その話に終始する。まず、作品をほめられることはないが、見てもらって、ちゃんと伝えてくれるのはありがたい。・・・何も言ってくれない人もいる。見たい、ダビングしてくれと言って、何も反応がないというのは、勝手に渡した映画とは違う寂しさがある。くだらねービデオと一蹴されたか、一笑されたか、馬鹿にされたのか。なんでもいいから反応くらいほしい。安物のビデオでも、私は自分のビデオの仕事に誇りを持ってきた。ビデオの制作費の平均は200万円。カラオケビデオなんて1本10万円もかけない。それを朝から夜中まで1日に3曲分も撮る。私の作った最高制作費は4000万円。映画と比べるとそれはそれはしょぼい。しかし、魂を削って作ったものである。
「ヒア アフター」をコピーして渡すか・・・いつかレンタルしてきて誰かに渡したい作品であろう。クリント・イースウッドという監督というか俳優というか、監督は、70過ぎて、80過ぎて、さあこれから!の人だ。スピルバーグなんかとケタが違う。どんどん良くなっていっている。若い、年寄関係なく、すべての世代の心を知っている、話せる人のように思える。また今年も、クリント・イーストウッドの作品をベスト10内に入れなければならないだろう。ただ、この作品、運が悪かった。映画の質を問う2月に上映するのは確かな決定だったけれど、3月11日に映画そっくりの映像が、CGなしの映像が、テレビで流れるなんて誰も知らなかった。地震学者があわてふためくのだから、もうあんな学問なんていらない。国費の無駄で、予知はわからない・・・でいい。起きたとき、どうすればいいかに、もっとお金を使うべきだ。というわけで、本作は3月12日で上映中止。2月に観ておいてよかった。映画としては、人と人の大切なつながり、宿命や運命を抱きしめるように感じることのできる秀作である。
話がダラダラ興味になるだけで発展しないから、あまり人に言わないが、私は幽霊を見る人である。夜より昼間のほうが多い。あれが幻覚ならば、私は会話することもできないくらい狂っている。見るだけが多いが、触られたり、ぶつかられたりする。面識ない人をやたら触るな・・・ぶつからないように歩くべし・・・。時々、ギョッとする出かたをするから、心臓がぱくつく。なぜかびっくさせたがる。どっか行け!と言われる隙間を与えたくないのだろう。幽霊の存在は、つまり気が残ったということではないかと私は思っている。存在はない。気が残る。強ければ強いほど残るのではないか。誰もいなくなった学校、マンションが気持ち悪いのは気が残った空間だからだろう。廃墟の病院なんて、たまらなく気が残っている。霊感ない人でも気味が悪いはずだ。怖い霊が出るのは、恨みつらみという強い気を残すからだろう。ただ、それが見えるのはあまりよいものではない。
前世ではないかと思うような同じ夢を何度も繰り返し見ることもある。どうも右脳だけで生きていると、そんなことになるらしい。という私だから、この物語には頷けるところがいっぱいあった。シナリオは生半可な取材をしていない。右脳で生きてるくせに理屈っぽい人をも鑑賞に堪えさせる力を持っている。宇宙がひとつでできているのならば、その中のちっぽけな地球はひとつの体。遠いようで手で足を触ることは容易いのだと思わせる。自分の立つ地と地球の裏側の人とは、つながっているかも?ではなく、つながっているのだった。国も違うし、言葉も違うし、生活も違うし、考え方も違うし、貧富の差もあるし・・・でも、ちゃんとつながっている。そして、関係しあっている。あなたがこうしたから、違う国の知らない人がこう決めた・・・。それを私たちはあらめて知る。
ただ、関係する数が多い。人生の時間は決められているから、実際に会う人間はなんとも少ない。そのなんとも少ない中で、自分の本当の心を話せる相手が、一生でどのくらいいるか。80年生きたとして、1000人?100人?・・・100人いたとしたら大変だ。1年で3回しか一緒に過ごせない。会わずともよいのだけれど・・・私はせいぜい20人くらい。いや、もっと少ないか。その人を大切にして、縁が切れたとしても、その時間は大切だったと心にしまおう。・・・「ヒア アフター」、コピーして人に渡したい逸本である。 <90点>