凄みのある映画だ。
デビュー以来、一作ごとに全く異なったジャンルの作品に挑み続けている、
ポン・ジュノ監督の長編第四作はナント
「母物」である。
ここに描かれるのは
究極の母性愛。
とは言っても、描くテーマに対して斜めから切り込む達人であるポン・ジュノが、普通の人情物を撮るわけもなく、これは人間の心の奥底に秘められた、ドロドロとした情愛の爆発を観賞するような、
シニカルで鮮烈な人間ドラマだ。
韓国の田舎町に住む青年トジュン(ウォンビン)は、漢方薬店で働く母親(キム・ヘジャ)と二人暮し。
ある夜、街で女子高生が殺されるという事件が起こり、たまたまその夜に被害者と接触していたトジュンは容疑者として逮捕されてしまう。
母の必死の訴えにも関わらず、警察はトジュンを犯人と断定し捜査を打ち切り、弁護士も匙を投げる。
誰も頼りにならないと考えた母親は、自ら事件を捜査し、真犯人を見つけようとするのだが・・・。冒頭、いきなり映し出されるのは、ナゼか
枯野で踊るおばさん(母親)。
切迫した感情を抑えつけるかの様な、張り詰めた表情で、涙を流しながら舞うその姿はなかなかにシュールで、
一体これはどんな映画なのか、戸惑いと共に観客の興味を惹きつける。
物語は非常にシンプルだ。
軽い知的障害があるらしい、青年トジュンが殺人事件の犯人として逮捕される。
トジュンは
“小鹿の様な純粋な目”を持った青年で、物を良く覚えられず、警察は曖昧な状況証拠からトジュンを犯人と決め付けて、捜査を終了してしまう。
知的障害者が犯人に仕立てられるというのは、大傑作
「殺人の追憶」でも見られた展開だが、相変わらず韓国の警察はろくな組織に描かれていない。
これはポン・ジュノの作品に限らないので、たぶん軍事独裁政権時代以来の権力組織に対する不信感みたいな物が、韓国社会の中で未だに払拭されていないのだろう。
「身内の無実を信じる者が、たった一人で真犯人を探す」という物語の筋立ては、ミステリ物の王道の一つとも言うべき物で、特に目新しいものはない。
だがこの作品において犯人探しは、重要ではあるが物語を構成するモチーフの一つに過ぎない。
母親がトジュンのために必死になればなるほど、二人の間にある異様なまでに強固なつながりが鮮明となり、
「母なるものの愛とは一体何か」、というのが本作のメインテーマと言って良いだろう。
主人公の母親を演じるのは大ベテランの
キム・ヘジャ。
韓国では誰もが
「お母さん女優」というと彼女をイメージするという。
このキャラクターに特定の役名がなく、単に
「母親」とされているのも、全ての母性のメタファーであるという事だろう。
映画は、死んだ女子高生の交友関係から、彼女の死の真相に迫る母親の姿をテンポ良く描いてゆく。
綿密なコンテを描き、徹底的に映像をプランニングして構成するポン・ジュノのスタイルは今回も健在で、細部まで計算された映像の作りこみは殆ど
アニメーションの様だ。
キャラクターの
クローズアップを多用し、まるで彼らの真相意識にカメラが進入するかのような緊張感あふれる演出は見事。
そこに浮かび上がるのは、共依存を通り越して、殆ど一体となってしまった一組の母子の姿。
やがて過剰とも思われる愛情の根底には、ある
トラウマがあることが明かされ、母親自身が自らの愛にすがり付く後半になると、映画は全く予想もしなかった意外な展開を見せる。
実は私は2年半ほど前に、韓国の映画関係者からポン・ジュノが次回作の準備中で、それは韓国の国民的お母さん女優を主人公としたサスペンスであるという話を聞いていた。
どうやらシナリオを読んだらしい彼に「どんな内容?」と聞くと、
「う~ん、鬼子母神みたいな話かな」という答え。
映画の前半は、なぜこれが鬼子母神なんだろうと不思議だったが、なるほど後半の展開は確かに鬼子母神の説話を思い起こさせる。
母親の愛情というのは、一般に
美しい無償の愛の象徴の様に思われている。
だが、本当にそれだけなのか。
本作に描かれる母親の愛情は、おそらく本人にとっては純粋なものなのだろう。
だがポン・ジュノはその裏側に、過去の罪の意識を覆い隠すために、母親の中で異常に成長してしまった
怪物の様な感情としての愛を描き、近親相姦的すら匂わせる。
そして最終的に、母親はトジュンを救うために、周囲を死と偽りの連鎖に巻き込んでしまうのだから、
周りから観れば彼女の愛は
狂気そのものだ。
「母なる証明」は、人間を突き動かすもっとも強い感情である
愛とは何かについての強烈で切ない物語だ。
ポン・ジュノは、一組の孤独な母子を通して、愛情という言葉に対して世間一般が抱いている
ステロタイプを破壊し、その本質を描き出そうとしたのかもしれない。
そう思うと、物語が進むにつれて明らかになってくる、被害者の
女子高生の素顔も興味深い。
何年も殺人事件が起こっていない、田舎の小さな街。
住人の殆どが知り合いの様なこの街で、彼女が売っていたのも、別種の「愛」である事に、この作品の
アイロニーがある。
母が守った無垢なる魂である、トジュンがはたして
本当に何も覚えていないのか、彼の側からの愛をどう解釈するか、作者がキャラクターへの説明的な描写をあえて避けている事もあり、こちらもまた観る者を悩ませるのである。
冒頭の感情を押し殺した様な踊りと見事にリンクする、ラストの
狂乱の舞は、まるで全てを悟り、しかしそれでも生きていかねばならない母の心の悲痛な叫びの様に感じた。
果たして彼女は、辛い事や悲しい事を忘れさせてくれるツボを上手く刺せたのだろうか?
文句なしの傑作だが、ポン・ジュノ作品の持つシニカルで見方によっては
冷徹な視線は、ある程度好みが分かれるだろう。
例えばイーストウッド映画の場合、どんなに痛々しくて切ない物語でも、最後には人間の心の温かさや信念の強さが
ポジティブな印象として心に残る。
対してポン・ジュノの映画では、人間の心や行為に対して、半ば諦めの様な達観した境地を感じる。
この突き放した感じは、どちらかというと
藤子・F・不二雄の大人向け漫画に近い。
どんなに愚かな行為をして、どんなに悲惨に傷ついても、未来が美しいものでなかったとしても、結局人間はそれを抱えたまま生きるしかないという人間観は、人によっては
痛々しくて耐えられないと思うかもしれない。
今回は、母に飲んでもらいたい韓国の酒
「百歳酒」をチョイス。
もち米をベースに漢方薬に使われる様々なハーブを配合した発酵酒。
漢方の香りが気になる人には気になるだろうが、甘めで非常にあっさりとしていて飲みやすい。
実は韓国ではかなり厳密に
酒と食べ物の取り合わせが決まっていて、韓国人が日本に来ると絶対にありえないような組み合わせを韓国料理店などで見てびっくりするのだそうな。
まあマッコリとチヂミを雨の日に食べるというのは有名だが、この百歳酒には辛いコルベンイやチゲなどが合うらしい。
個人的には漢方つながりでサムゲタンなども良い感じではと思う。
そう言えば韓国のサムゲタン屋で百歳酒を見たような?
ちなみに、百歳酒と韓国焼酎を半々で割ると、
五十歳酒になるという(笑
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