また、支離滅裂な、自分の思いだけを書こう。本作の映画評も書くことができない。まとめてもまとまらない。まとめる力もない。
「楽しむため」を主としていながら、多くのことを、私は映画から学ばせてもらった。まわりからは、映画を観る人生になっていると思うが、仕事にせよ、遊びにせよ、考え方にせよ、映画から私の行動が決定してしまうことが多い。映画を観続け、その影響は実生活に表現された。影響されて行動する男のまわりは、知らない映画のことで、考え、悩み、笑い、時には振り回されることもあったろう。映画を中心に考えると、そうなる。私は小説よりも映画に影響されて生きてきた。体の半分くらいはフィルムやスクリーンでできているかもしれない。
だいたい、映画の話をしているときは、目が輝く。鏡を見ているわけではないが、見ないでも自分の顔がわかる。映画の話をして、映画を観ていれば、私は満足なのだろうし、その話ししかできないでいる。ただ、新聞は読まない、テレビも見ないけれど、政治経済の週月刊誌、インターネットはたくさん読むので、一般人と一般的な会話ができないわけでもない。右か左か、どちらかと言えば右なので、あんなていたらくな問題があからさまになると、いざ尖閣列島へと乗りこみたくなる・・・のような話をしてギョッとされる。過激派でもみつけたような顔をされる。日本人は、自分以外のことなどどうでもよい国民になった。広くても市内まで・・・国家のことなどを憂いたりするのは変人らしい。年金問題は自分のもらえる金額のことだけ・・・ゴミ袋が高くなるのどーのこーの・・・デフレに喜んで小金を貯める・・・黙って聞いているけれど、早くその場から立ち去りたい話ばかり聞かされる。国を憂う国民は少なくなったようだ。小説も映画も、多くは、狭い世界を描きつつも、自分のことだけ考えて他人はどーでもよいから先へ進めなんて言っている作品はないだろうと思う。小説をたくさん読めばいい、映画をたくさん観ればよいわけでもないけれど・・・ただ、一本の映画が人を広く変えることもある。私は、その時々で別人になった。悪いことでもないだろう。
私がブログに興味を失い、放置してしまったのは、映画ブログの質の低下であった。はじめたのは今から5年以上前だが、映画ブログは今の1/10以下だったろう。本当に書きたい人が、書ける場所をみつけて、ここぞとばかりブログにぶつけた。私は文章がとても下手くそだけど、魂を削って書いていた。気をブログに注いだ。言いたいことが山のようにあり、映画評論としながら、まったく違うことも書きなぐった。今でも言いたいことは山のように積まれているが、途中まで書いて、下書きに保存している。今は、あのころの10倍以上の映画ブロクがあるようだ。
だが、じっくり読ませる映画ブログはほんの一部で、他は雑誌やフリーペーパーの映画案内と変わりはしない。自分の言葉で書いていないブログも多くなってきた。上っ面の映画案内、評論だったら、新聞でも読める、雑誌でも読める、オフィシャルサイトにいけばよろしい。要するに、広告媒体のマネのような映画ブログが蔓延してしまったのである。自分のブログを書き、さあ知らぬ誰かがなにを書いているかと楽しみに読んでも・・・ムダな時を過ごすだけである。結局、たまに書く私のブログにコメントをくれる方、トラックバックをくれる方だけの評を読むだけで正解となるのである。やめてしまったブロガーも多いが、4年前、5年前に出合った映画ブログで立ち止まる。
あまりにも個人的なことを書きすぎて、感情をむき出しにしたところもあり、私のブログはほとんど読まれなくなったが、素直に言えば、それが原因で投げ出しているわけではない。中途半端な下書きを公開すれば、ズラズラと更新される。ここまで、映画ブログは落ちたか・・・が、意を失した原因であった。自分の言葉で書いていない、ほめるだけの広告のようなブログが高いアクセスを誇っているのも意気消沈して、ランキングも消した。もう読む気はないので、2011年になってからは、一部の映画ブログを除いては読んでいない。映画ブログを読みたいのに、他の知らない世界、映画以外のブログの方に興味をもっていかれる自分がいる。下手くそでもいいいから、自分の言葉で書いてほしい、感じたことをそのまま書いてほしい。そうすれば、そこには魂が宿る。自分の言葉で書いて、もし批難を浴びたら迎え撃つのもいいし、じっと我慢するのもいいし、無視するのもいい。読み手に迎合して、ヘコヘコすることは決してない。私は下手だし、言葉の引き出しが少ない。そう断言して「ふーん」と言われたこともあり、納得だけど、魂だけは注ぎ込んでいる。
私が学生の頃は、趣味のない人が「趣味は?」と聞かれたら「読書です。」と答えたという。本当に読書が趣味で読み漁っている人は怒ったろう。今は、趣味のない人は「映画鑑賞です。」と答えるという。映画鑑賞が趣味!という人は意外と多くて、映画鑑賞ならば・・・と、私などはじっくりと話そうとするが、たいした知識もない。話しながらレベルをどんどん落としてみるが、落としすぎてつまらなくなる。映画を観ていないのが明白になる。だが、たくさん観ている人も例外ではないから、映画はつまらないので趣味を変えなさいとでも言いたくなる。映画の質が落ちるのも当然だ。観る側の質が落ちているのだから。上っ面のあの程度の映画群に満足しているとは、よほど日々がつらいのだろうか・・・。
久しぶりにアップするので、久しぶりに長い関係ないことを書いたけれど、書く気がどんどん失せていって、このままリンクしていただいている方に挨拶してバッサリ削除・・・では、真意がサッパリだったからである。2010年分は書き上げていくつもりである。途中まで書いているのも多く、いつものように長い関係ない文もある。2010年のベスト10も書いているが、今はまだ10月に入ったばかりで、順番に書く私としては、先にアップするわけにはいかない。というわけで、冒頭のリンクに話は戻る。
なかなか魅せる映画だが、やはり自分のこと、我が子のことと切実な気持ちで観る、映画を見守る人もいる。私などは、堅苦しくなりそうな社会問題、医療問題をなんとうまく娯楽としているではないか!なんて浅はかにしか鑑賞できないが、娯楽性は多くの人が鑑賞できるように工夫したことである。ハリソン・フォードであるからこそ、観る人もいるだろう。 小さなボクの夢 というブログを書いている方は、映画ブロクではないが、読ませる映画評だ。短くて、ほとんど映画にも触れていないが、映画評になっている。また、しっかり自分の言葉で書いている。また、どうぞ読んでみてください、どうぞ観てみてくださいという気持ちが気となって伝わってくる。これはさすがに書けないけれど、あふれる映画ブログにも、短くてもいい、下手くそでもいい、気の伝わってくるブログが増えてほしいものである。広告のような、ベタほめばかり並ぶ映画評ブログは、うんざりだ。
数だけ増えて、中身がスカスカになってきた。干からびたミカンは、とても食えたものではない。映画ブログはミカンじゃないんです!・・・金八先生が言ったかどうか・・・だが、まったくその通りである。 <75点>














































