★第10交響曲
イギリスのローズマリーという40歳前後の女性がいた。
いままでピアノの曲など満足に弾けなかったのに、指が勝ってに鍵盤の上を走り回った。
そして、その旋律が見事なものであることに気づき譜面にとった。
このリストのらしき曲を譜面にするとその後次々、有名な作曲家の霊が彼女に自動書記、というより自動演奏で新しい作品を書かせ始めた。
そして1976年ベートーベンの霊により「第十交響曲を自動書記で作曲した。
彼女は6年間で400曲以上もの楽譜を完成出せたという。
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★第10交響曲
イギリスのローズマリーという40歳前後の女性がいた。
いままでピアノの曲など満足に弾けなかったのに、指が勝ってに鍵盤の上を走り回った。
そして、その旋律が見事なものであることに気づき譜面にとった。
このリストのらしき曲を譜面にするとその後次々、有名な作曲家の霊が彼女に自動書記、というより自動演奏で新しい作品を書かせ始めた。
そして1976年ベートーベンの霊により「第十交響曲を自動書記で作曲した。
彼女は6年間で400曲以上もの楽譜を完成出せたという。
うるわしき桜貝ひとつ
去りゆける君に捧げむ
この貝は去年の浜辺に
われひとり拾いし貝よ
作詞土屋花情、作曲八洲秀章、すでにこの歌は昭和十八年に完成していた。八洲は病で失った恋人の面影を抱いて鎌倉に住み、浜辺で見た光景に託して「わが恋の如く悲しさやさくら貝かたひらのみのさみしくありて」の和歌を作った。これを逗子町役場に勤める友人花情に示して作詞を依頼、曲をつけた。
「さくら貝の歌」の成功につづき八洲は「あざみの歌」「マリモの歌」と次々とヒットを飛ばした。三十四年レコード大賞童謡賞、五十二年内村直也文化賞を受賞したが、六十年十二月山ノ内の自宅で七十年の生涯を閉じた。
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鎌倉朝日2000年5月2日号
「かまくら今昔抄35 -様々なさくら貝の歌-」より抜粋
逗子市にある浪子不動(高養寺)下の小公園に平成3年、「さくら貝の歌」の歌碑が建てられました。近くの海岸には徳富蘆花の「不如帰」文学碑も建っています。一度訪ねてみては如何でしょうか。
沢木順さんのホームページより