前々回『ツィゴイネルワイゼン』を紹介しました。今回はその次作『陽炎座('81年)』をご紹介。

鈴木清順監督が前作の勢いそのままに続けざまに製作した大正ロマン・ムーヴィー。此処でも不可思議なエピソードを切り貼りしたような映画で、きまじめな向きには顰蹙ものであったかも知れないけれど、その脚本(原作は幻想作家:泉鏡花)の芯がしっかり通っていたからだろう。139分とこれまた長尺作ではあったけれど、厭きずに見終えることができた。大楠道代の体当たり演技は『ツィゴイネルワイゼン』以上の力演であったと思う。また、河内紀の日本原音楽を再構築したような音は、フェリーニのサテリコンでのニーノ・ロータの音楽のように、イメージを膨らませてくれて、大変に素晴らしい。
だがしかし、松田優作はここでは生きていなかった。演技自体に文句を言う部分はない。でも、どうもしっくり来ない。何といおうか、“間”が違うとしか言いようがない。この感じは正直何度見ても同じだった。
(この“間”の違いは、後年の『
それから』でも感じてしまった。一般的には高い評価を受けていた作品なんですけれど、私にはちょっと…でした。)
原田芳男、麿赤児、大友柳太朗といった曲者俳優達の間に挟まったとうのも彼にとってはマイナスだったのかも知れない。でも、それ以上に松田優作が、常識や規律に則ったまっすぐな人間が周囲の縛られていない奔放な人間達に振り回される、という役どころであったことが、しっくりこなかった原因なのではないか、と今は思えるのだ。

振り返ってみると、私が好きな松田優作は『
蘇える金狼('79)』『
野獣死すべし('80)』 『
ア・ホーマンス('86)』そして『
ブラック・レイン('89)』での彼で、いうなれば『陽炎座』とは真逆の、アヴァンギャルドなアウトサイダー役であった。『ア・ホーマンス』と同じ頃、バカテク・バンド=EXを従えた松田優作のライヴを観ることができた。てろーんとした長いコートを着、うつろな眼差しで口をだらしなく呆けたように開けながら、だみ声に近いような、何歌ってるか分からないような声で歌う松田優作がカッコ良かった。残念ながら会場はがらがらに近い状況だったけれど、私は大いに楽しんだ。「ああ、やっぱり、彼はコレだ!」と思ったものだ。ここでのイメージで『陽炎座』での彼を払拭しようとすら思った。残念ながらそれは無理だったけれど。
鈴木清順監督の “浪漫3部作”は『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』であるけれど、『夢二』を今後紹介する積もりはありません。ここには『陽炎座』まではあった芯が欠如して見えるので、私は評価できないでいるのです。
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