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2006年10月12日

不思議スポット 知事公館の東門

 今回は身近にある不思議な場所を紹介したいと思います。ここが東門。見たところ特に変わった部分はありません。 知事公館の東門、と正式に言われているのかはわかりませんが、西15丁目通りに面している知事公館の東側にある門です。ここは、北2条通の東側行き止まりとなっており、自動車が西進するには北か南へ曲がらなければならないのですが、数年に1回、車が北2条通を直進して門にぶつかり、門を破壊してしまうという事故が起こっています。もちろん私も何度かここを通っていますが、夜でも外灯で明るくなっており、左右への標

2006年10月12日

CANDY キャンディ

 今回は1970年のアメリカ映画 『CANDY キャンディ』をご紹介。数年前、女性誌を中心に再注目を浴びた作品ですからご存じの方も多いと思います。カラフルなファッションとライトでキュートな主人公“キャンディ”が現代の世相にマッチしたのでしょう。主演エヴァ・オーリンのコケティッシュでキュートかつセクシーな魅力は今現在でも新鮮です。
キャンディ
2003年リイシューされた原作本[角川書店刊]。確か当時の角川文庫も持っていたと思って探してみましたが、出てきませんでした。残念。

 内容的には、宇宙からやってきた純真無垢なキャンディが、地上の薄汚れた男どもに翻弄されてゆくという、ちょっとエッチな内容の映画です。まあ、普通といえばフツーのラヴ・コメディーといえるものなのですが、イントロのシーンは、当時としてはかなり凝ったSFXだったと思います。いわゆる宇宙をイメージするものなのですが、全く違和感がありません。ただのラヴコメにこの力の入れようはただごとではありません。
 この映画の見所はやはり、さりげなく豪華出演陣を起用していることでしょう。ウオルター・マッソー、ジェームス・コバーン、シャルル・アズナブール、マーロン・ブランド、リチャード・バートン、ジョーン・ヒューストンそして エルザ・マルティネリ等が出てくるのですが、ビートルズ解散直後のリンゴ・スターが出演しているのにも驚きです。
 最初の方で高校で講義をする詩人マクフィスト( リチャード・バートン)が出てきますが(彼の居る場所に爽やかな風が吹いているのは笑えます)、このモデルはおそらく60年代ポエトリー・リーディング(詩人が自作の詩を朗読するアート形態)のトップ・スターといわれたディラン・トマスでしょう。彼があれだけ酒と女に弱かったかわかりませんが、一詩人が自作を朗読し、それを陶酔しながら聞く、ということが文化人のステータスのひとつであったという当時の風習が見て取れて興味深いです。ちなみに、ディラン・トマスのポエトリー・リーディングは何枚かレコードとして出され、今もiPodなどで聞くこともできるようです。(ボブ・ディランの“ディラン”はこのディラン・トマスから頂いたというのは有名なお話。ディラン・トマスが当時どれだけの巨人であったか。…やや脱線。)
 それにしてもこのカラフルな時代は、60年代サイケデリック・ムーヴメントをしっかり踏襲したものなのでしょう。制作・公開当時あのジミ・ヘンドリクスやドアーズのジム・モリスンがまだ生きていたのだ、と考えると感慨もひとしおです。何せ軍がカリフォルニア上空からLSDの粉末を散布している。なんてまことしやかに囁かれた時代なのですから。まあ、影ではいろいろあったとしても、表面的には“シアワセな時代”を装っていられた時代を反映した映画。といえるのかも知れません。

 ちなみにバーズやステッペンウルフの曲がカッコイイです。音楽監督は70年代後半フュージョン界の立役者:デイヴ・グルーシン。バーズのロジャー・マッギンとの共作もあります。

2006年10月08日

衝撃の“ゲートシェンク”ショック

 先日goodtripさんの記事にコメントを書いたのと同じものなのですが、その記事が先ほど見つかりましたのでここに載せておきます(空来屋さんの回し者ではありませんが)。
ゲートシェンク

 この広告記事は私にとって衝撃といえました。少なくとも30年は“Manuel Gottsching”を“マニュエル・ゴッチング(ゲッチング)”と発音してきた私でありましたが、この記事には“マニュエル・ゲートシェンク”とあるのです。ジャーマン・ロックの日本の殿堂ともいえる所の記事ですから、きっと“ゲートシェンク”が正しいのでしょう。
 近年のジャーマン・ロックへの高い評価はすごいものです。私の時はカンだノイだハルモニアだと騒いでも、ノッテくれる人は周囲に一人もいなかったのに、今は居酒屋でちょっと話しても学生風の若者がひっかかって来る時代。いやあ何と申しましょうか、すごい時代です。
 それにつけても、私の“ゲートシェンク”ショックはしばらく癒えそうにありません。大げさだなあ。

勝手に広告の写真を掲載させていただきましたので、礼儀として空来屋さんのホームページをリンクさせて頂きます。

2006年10月05日

今改めて聴くコンチェルト・グロッソ I

 昨夜レコードを引っ張り出して聴く気になったのはニュー・トロルスの“Concerto Grosso Per I”。このアルバムは70年代当時噂に聞くだけで、わが地方都市ではジャケットすらまともに見たことがないまさに幻のアルバムだった。それが1979年、キングのユーロピアン・ロック・コレクションの一枚としてついに国内発売されたときは狂喜乱舞して買い求めたことを思い出す。そして、当時の私はこの名作の誉れ高い作品に、少々“がっかり”したのだった。“がっかり”?そう。当時の私はメロトロンのサウンドに取り憑かれていて、ここで聴くことが出来るストリングスの音色を素直に評価できなかったのだろう、と思うこと。『to Die,to Sleep,Maybe to Dream』とリフレインされる歌詞がしつこくて嫌になったこと。かなりカカリ過ぎでオーバーなたかみひろし氏と伊藤政則氏の解説への反発。映画のサントラ盤であるということ。そして、全編を通して感じさせられる暑苦しさ、であった。
コンチェルト・グロッソI

 当時はすでにパンクやニュー・ウェーヴが隆盛を極めつつあった時代であったから、この時代錯誤ともいえる(イタリア人特有の)暑苦しさは、大のプログレ・ファンであった自分にも耐えられないものとなっていた。
 しかして、27年の時を越えて聴いた昨夜の感想は、全く異なるものとなった。
『新鮮な驚きがあった』のである。
 異常なまでの美意識と感情移入。若さゆえの特性である生と性のエネルギーとパワーが混とんと混ざりあい、せめぎ合い、ぶつかり合って炸裂したサウンド。これらはクール過ぎて人間関係も希薄な現代のロック界にはないものである。そして、メロトロンの呪縛から解かれて聴いたストリングスの素晴らしさ。少しオーバーな表現を使わせてもらうと、あのフェリックス・アーヨ率いたイ・ムジチの傑作「イ・ムジチ合奏団=ヴィヴァルディ 協奏曲集「四季」」を思い出しさえしたのである。歌詞のリフレインもそんなに気にならなかったのはナゼなのかとも思えてくる位である。
 そして、他人がどう思おうが、こんな熱いバンドをまた演ってみたい。長年楽器に触れても居ないくせに、こんなことを考えてしまった。

 かくして27年の時を経て、『コンチェルト・グロッソ I』は私の名盤棚の中に収まった訳である。めでたしめでたし。

 しかしながら、今も同じ嫌な感想が浮かんでくるのは両氏の解説である。この大げさぶりだけは今でも許せない。

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北海道札幌在住。ヘンリー・ダーガー的生活を送っている。自称空想家。
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