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国頭郡出典: フリー百科事典『 Wikipedia 』
国頭郡(くにがみぐん)は沖縄県の郡。人口64,236人、面積576.92km²、人口密度111人/km²。
(2009年4月1日、推計人口)
国頭郡、沖縄本島内位置図以下の2町・7村を含む。自然の宝庫として知られる山原は国頭郡にある。また、行政上島尻郡に属している伊平屋村と伊是名村も国頭郡の一部として扱う場合もある。 (県議選挙の国頭郡区や、国頭郡民大会等)
■行政区分
金武町(きんちょう)
本部町(もとぶちょう)
伊江村(いえそん)
大宜味村(おおぎみそん)
恩納村(おんなそん)
宜野座村(ぎのざそん)
国頭村(くにがみそん)
今帰仁村(なきじんそん)
東村(ひがしそん)
■沿革
1896年4月1日 郡制施行に伴い、国頭方(国頭間切・大宜味間切・羽地間切・今帰仁間切・本部間切・名護間切・久志間切・金武間切・恩納間切・伊江島)が国頭郡となる(9間切1島)
1908年4月1日 島嶼町村制施行に伴い、国頭郡に国頭村、大宜味村、羽地村、今帰仁村、本部村、伊江村、名護村、久志村、金武村、恩納村の10村が成立する(10村)
1923年4月1日 久志村北部が東村として分立(11村)
1924年2月1日 名護村が町制施行し、名護町となる(1町10村)
1940年12月10日 本部村が町制施行し、本部町となる(2町9村)
1946年4月1日 金武村北部が宜野座村として分立(2町10村)
1946年5月16日 羽地村屋我地島が屋我地村として分立(2町11村)
1946年5月20日 名護町北西部が屋部村として分立(2町12村)
1947年8月1日 本部町北部が上本部村として分立(2町13村)
1970年8月1日 名護町・屋部村・羽地村・久志村・屋我地村の1町4村が合併し市制施行、名護市となり郡より離脱
(1町9村)
1971年11月1日 上本部村が本部町に再編入(1町8村)
1980年4月1日 金武村が町制施行し、金武町となる(2町7村)

| 残波岬 出典Yahoo Japan Travel |
| 高さ30~40mにおよぶ隆起サンゴ礁の絶壁が、2kmにわたって続く景勝地。かつては航海の難所だったといわれるだけあって周辺の海は波が荒く、崖壁に当たって砕け散る白い波しぶきは豪快そのもの。ダイビングや釣りのスポットとしても人気が高い。岬の先端からは慶良間諸島や伊江島が望め、特に夕暮れ時の景観が美しい。岬の手前には、残波岬いこいの広場が整備されており、7mの巨大な残波大獅子がランドマークとして訪れた人々を迎えてくれる。敷地内一面に芝生が敷きつめられた公園は、レストランやレジャー施設も完備。海岸沿いにはエメラルドグリーンの海が美しい残波ビーチもあり、夏には海水浴を楽しむ多くの人で賑わう。 |
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中頭郡出典: フリー百科事典『 Wikipedia 』
中頭郡(なかがみぐん)は、沖縄県の郡。人口145,759人、面積106.82km²、人口密度1,360人/km²。(2009年4月1日、推計人口)
以下の3町・3村を含む。
嘉手納町(かでなちょう)・北谷町(ちゃたんちょう)・西原町(にしはらちょう)
北中城村(きたなかぐすくそん)・中城村(なかぐすくそん)・読谷村(よみたんそん)
■沿革
1896年4月1日 郡制施行に伴い、中頭方(具志川間切・美里間切・与那城間切・勝連間切・越来間切・中城間切・読谷山間切・北谷間切・宜野湾間切・浦添間切・西原間切)が中頭郡となる(11間切)
1906年10月1日 西原間切の一部が首里区に編入
1908年4月1日 島嶼町村制施行に伴い、中頭郡に具志川村・美里村・与那城村・勝連村・越来村・中城村・読谷山村・北谷村・宜野湾村・浦添村・西原村の11村が成立する(11村)
1920年10月1日 西原村の一部が首里区に編入
1945年9月26日 美里村北部が石川市として分立、郡より離脱。
1946年5月20日 中城村北部が北中城村として分立(12村)
1946年12月16日 読谷山村が読谷村に改称
1948年12月4日 北谷村北部が嘉手納村として分立(13村)
1956年6月13日 越来村がコザ村に改称
1956年7月1日 コザ村が市制施行し、コザ市となり郡より離脱(12村)
1962年7月1日 宜野湾村が市制施行し、宜野湾市となり郡より離脱(11村)
1968年7月1日 具志川村が市制施行し、具志川市となり郡より離脱(10村)
1970年7月1日 浦添村が市制施行し、浦添市となり郡より離脱(9村)
1974年4月1日 美里村がコザ市と合併し、沖縄市が発足、郡より離脱(8村)
1975年4月1日 西原村の一部が那覇市に編入
1976年1月1日 嘉手納村が町制施行し嘉手納町となる(沖縄本島中部では最初の町・1町7村)
1979年4月1日 西原村が町制施行し西原町となる(2町6村)
1980年4月1日(4町4村)
北谷村が町制施行し北谷町となる。
勝連村が町制施行し勝連町となる。
1994年1月1日 与那城(よなぐすく)村が町制施行し与那城(よなしろ)町となる(5町3村)
2005年4月1日 勝連町・与那城町が具志川市・石川市と合併し、うるま市が発足、郡より離脱(3町3村)
●備考
石川市には沖縄戦後に米軍の石川収容所が置かれたため、人口が激増し市制施行したものの、後に収容所が解散したことにより人口が激減。人口は約2万人と市にしては少ないため、1980年まで県議会議員選挙の選挙区は中頭郡区に属していた。1984年の同選挙からようやく石川市区が設けられ、うるま市に合併する2004年まで続いた。合併してうるま市となった初の2008年の同選挙からは旧具志川市区や同じく合併しうるま市となった中頭郡区の一部(旧与那城町・勝連町)を合わせ、うるま市区となった。
読谷村 出典: フリー百科事典『 Wikipedia 』
面積 35.17km²
総人口 37,817人
(推計人口、2009年4月1日)
人口密度 1,080人/km²
隣接自治体 沖縄市・嘉手納町・恩納村
村の木 フクギ
村の花 ブーゲンビレア
村の花木 イッペー
読谷村役場
所在地 〒904-0301 沖縄県
中頭郡読谷村座喜味2901番地
電話番号 098-982-9200
外部リンク 読谷村WEBSITE
■:市 / ■:町・村
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■テンプレート(■ノート・■解説・■ウィキプロジェクト)
読谷村(よみたんそん)は沖縄本島中部の中頭郡に属する村。日本の村としては岩手県岩手郡滝沢村に次いで2番目に人口が多く、人口密度も中頭郡北中城村に次いで2番目に高い。
目次 [表示]
1 地理
1.1 隣接する自治体
1.2 字一覧
1.3 人口
2 歴史
3 行政
4 教育
4.1 小学校
4.2 中学校
4.3 高等学校
5 交通
5.1 バス
5.2 道路
6 名所・旧跡・観光
7 読谷村出身の有名人
8 米軍施設
9 郵便
10 関連項目
11 外部リンク
地理
●隣接する自治体
沖縄市(1956年6月まで越来村、その後1974年3月までコザ市。なお現在市村境が米軍基地内であるため直接行くことができない)
中頭郡嘉手納町(戦前は北谷村、1948年~1975年は嘉手納村)
国頭郡恩納村
■字一覧
伊良皆(いらみな)
上地(うえち)
宇座(うざ)
大木(おおき) 昭和10年に伊良皆・大湾・楚辺・比謝の一部から新設
大湾(おおわん)
喜名(きな)
儀間(ぎま)
座喜味(ざきみ)
瀬名波(せなは)
楚辺(そべ)
高志保(たかしほ)
渡具知(とぐち)
渡慶次(とけし)
都屋(とや)
長浜(ながはま)
波平(なみひら)
比謝(ひじゃ)
比謝矼(ひじゃばし)
古堅(ふるげん)
牧原(まきばる)
■歴史
西海岸の砂丘上には貝塚時代の遺跡が多くあり、渡具知木綿原遺跡からは九州の影響を受けたとされる箱式石棺墓がみつかっている。また比謝川の河口付近にある渡具知東原遺跡からは爪形文土器がみつかり、沖縄の先史時代文化が約7000年前まで遡ることが分かった。戦前まで読谷山村だったが、戦後になり現在の村名となった。
■教育
●小学校
読谷村立渡慶次小学校
読谷村立喜名小学校
読谷村立読谷小学校
読谷村立古堅小学校
読谷村立古堅南小学校
沖縄クリスチャンスクール
●中学校
読谷村立読谷中学校
読谷村立古堅中学校
●高等学校
沖縄県立読谷高等学校
■ 交通
●バス
20番・名護西線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行)
那覇バスターミナル~国際通り~国道58号~名護バスターミナル
28番・読谷(楚辺)線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行)
那覇バスターミナル~国道58号(一部コンベンションセンター経由あり)~伊良皆~県道6号(楚辺)~読谷バスターミナル
29番・読谷(喜名)線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行)
那覇バスターミナル~国道58号~喜名~県道12号(座喜味)~読谷バスターミナル
48番・石川~読谷線(沖縄バス)
読谷バスターミナル~真栄田~仲泊~東恩納~石川東山入口
62番・中部線(琉球バス交通)
読谷バスターミナル~楚辺・伊良皆(または座喜味・喜名)~嘉手納~県道74号~知花~コザ~胡屋~山里~県道24号~北谷町美浜(一部ジャスコ経由)~砂辺駐機場
120番・名護西空港線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行)
那覇空港~那覇バスターミナル~国際通り~国道58号~名護バスターミナル
228番・読谷おもろまち線(琉球バス交通・沖縄バスの共同運行)
おもろまち駅~那覇新都心(那覇中環状線)~国道58号~伊良皆~県道6号(楚辺)~読谷バスターミナル
28番はかつて残波岬まで延長されたが今は廃止されている。路線バスのほかに空港リムジンバスが那覇空港から村内の日航アリビラと残波岬ロイヤルホテルとを結んでいる(普段は1日3~4便だが、観光シーズンには10便運行されている)。なおリムジンバスは琉球バス交通・沖縄バスのほかに那覇バス・東陽バスの4社共同で運行されている。
●道路
国道58号
沖縄西海岸道路(読谷道路、嘉手納バイパス)
沖縄県道6号線
沖縄県道12号線
沖縄県道16号線
■名所・旧跡・観光
残波岬灯台
大河ドラマ「琉球の風」の撮影に使われたオープンセット座喜味城跡(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
●読谷村出身の有名人
kiroro (ミュージシャン)
糸数慶子 (参議院議員、元県議会議員)
知花昌一 (読谷村議会議員、平和運動家)
佐久本昌広(プロ野球選手)
山内徳信(参議院議員、元沖縄県出納長、元読谷村長、平和運動家)
屋良朝苗(初代沖縄県知事)
新垣勉 (歌手)(テノール歌手・牧師)
●米軍施設
村内には2施設が所在。合計1,261 haの軍用地が存在し、村面積の36%を占めている。[1]
トリイ通信施設(陸軍)
嘉手納弾薬庫地区の一部(空軍・海兵隊)
※読谷補助飛行場(海兵隊)と楚辺通信所(海軍)は、2006年に全面返還された。瀬名波通信施設(空軍)はマイクロウェーブ塔部分(約0.1 ha)を除くほぼ全部が2006年に返還された。
●郵便
伊良皆郵便局
喜名郵便局
読谷郵便局

ちなみに、戦前の「市制」の下では、長野県岡谷市、兵庫県芦屋市、山口県宇部市、長崎県佐世保市の4市が村から市に昇格し、また沖縄県では日本復帰前に旧真和志市(現那覇市)、コザ市、宜野湾市、旧具志川市、浦添市の4市が村から市になっている。
沖縄の名字と同様、地名の読みが沖縄特有の読みから標準語化する流れを受けて「とみぐすく」でなく「とみしろ」が慣例として用いられることが多い。市内の県立高校2校と市立豊見城小学校は「とみしろ」の読みを採用しているが、市立豊見城中学校は「とみぐすく」である。琉球王国のグスク及び関連遺産群の世界遺産登録前後からは「ぐすく」の読みを再評価する気運が高まっており、豊見城警察署は市制施行と同時に「とみしろ」から「とみぐすく」へ読みを変更している。
2006年3月に現在の那覇市おもろまち(那覇新都心)に移転するまでNHK沖縄放送局の放送会館が市内高安(現在のNHK豊見城高安テレビ・FM放送所敷地内)にあった。
沖縄県内テレビ局全局とNHKラジオ・琉球放送(RBCiラジオ)の送信所が市内3ヶ所にそれぞれ設置されている。
最近まで一部の路線を除き那覇以北から市内へ行くには、一旦那覇バスターミナルで乗り換えしなければならなかったが、2006年2月20日から浦添・宜野湾方面ゆきの一部のバス路線(4路線)が那覇バスターミナルから小禄地区を経由し市内我那覇まで延伸された(同市の与根に那覇バスターミナル発着路線の車庫があり、そこまでの回送区間を有効利用するためだと思われる)。その後、市内の豊崎に本社兼用の営業所が落成されたことにより、さらに同営業所付近まで延長され、1路線しか停車しなかった市役所前に停車する路線が大幅に増えた。
以前は殆ど那覇市と糸満市を結ぶ路線の途中経由区間でしかなかったが、2002年の市昇格で市役所が中心部からやや外れの国道沿いに移転した為(ちなみに現在の市庁舎は元々は20年近く使用された大型家具店だった。)、既存のアクセスでは不便になったことより市内一周バスを運行したり、豊見城市内を起点として浦添市・宜野湾市への直通路線が開設されるなど、市内のバス事情も変わりつつある。
路線の詳細は沖縄本島のバス路線を参照。