高千穂が二つあり、天孫降臨に関して、どこの高千穂に天孫瓊々杵尊は
降臨されたのか、随分昔から論争があり、本居宣長(1730年〜1801年)も、
どちらか決めがたいと述べています。
(個人的意見としては、高千穂のクシフル岳に天孫降臨されたとあります
ので、臼杵説が正しいと思います。なぜなら霧島山高千穂の峰です、
霧島山高千穂の峰、クシフル岳とは言わないでしょう。クシフル山高千穂
の峰だったらよかったのに、霧島山では、偽になるのかな)
瓊々杵尊か高千穂より、どこへ行ってどこに住まわれたのか、そして、
日向三代の神倭伊波礼昆古命(神武天皇)美々津より船出をするまでの
所在をめぐって色々な論争がありました、今現在も続いてると思います。

瓊々杵尊のご陵墓がある、可愛岳が鹿児島県川内市宮内町と東臼杵郡
北川町の両方にある。笠沙の碕は鹿児島県川辺郡笠沙町、宮崎県西都市や
宮崎県延岡市愛宕山等があり、時代の権力者や有名学者の権力により、色々
と変転をきたしております。
お話は神話です。神話をまったく否定した「唯物史観」の立場にたてば、
まず天から降臨する事自体無くなり、どこかの港に上陸した、と言う話にな
り、古事記及び日本書紀はまったくの嘘本にならざるを得ません。

古代史を研究すると言えば、学問になり客観論や科学的証明になり、古代
神話のロマンなど出てくる場は無くなります。といって主観的判断で、歴史を創造し創作し捏造するものでもありません。
地域に残る、言い伝えや歴史的背景を組み入れながら、古代史を想像し
ながら、地域文化を新たに創作する試みをしたい。そのために古代史資料
を集め友との学びとしたいと考えています。
降臨されたのか、随分昔から論争があり、本居宣長(1730年〜1801年)も、
どちらか決めがたいと述べています。
(個人的意見としては、高千穂のクシフル岳に天孫降臨されたとあります
ので、臼杵説が正しいと思います。なぜなら霧島山高千穂の峰です、
霧島山高千穂の峰、クシフル岳とは言わないでしょう。クシフル山高千穂
の峰だったらよかったのに、霧島山では、偽になるのかな)
瓊々杵尊か高千穂より、どこへ行ってどこに住まわれたのか、そして、
日向三代の神倭伊波礼昆古命(神武天皇)美々津より船出をするまでの
所在をめぐって色々な論争がありました、今現在も続いてると思います。

瓊々杵尊のご陵墓がある、可愛岳が鹿児島県川内市宮内町と東臼杵郡
北川町の両方にある。笠沙の碕は鹿児島県川辺郡笠沙町、宮崎県西都市や
宮崎県延岡市愛宕山等があり、時代の権力者や有名学者の権力により、色々
と変転をきたしております。
お話は神話です。神話をまったく否定した「唯物史観」の立場にたてば、
まず天から降臨する事自体無くなり、どこかの港に上陸した、と言う話にな
り、古事記及び日本書紀はまったくの嘘本にならざるを得ません。

古代史を研究すると言えば、学問になり客観論や科学的証明になり、古代
神話のロマンなど出てくる場は無くなります。といって主観的判断で、歴史を創造し創作し捏造するものでもありません。
地域に残る、言い伝えや歴史的背景を組み入れながら、古代史を想像し
ながら、地域文化を新たに創作する試みをしたい。そのために古代史資料
を集め友との学びとしたいと考えています。


