このKLEINES KISTEは(名前は違いますが)同じく六甲の管理するBlogであるKLEINES HUTTEと内容的に同じになりそうな傾向にあります。それはそれでも問題はないのですが、出来る限り、コチラの方を重ならないように気をつけて行きたいと思っております。
来月になりますが、私個人的にも参加したいイベントが行われます。ワンダーフェスティバル、ガレージキットや中古玩具の販売などをするイベントです。模型も好きでありますし、何よりオリジナルの作品を見るのが好き。その作品を組み立てて遊ぶのはもっと好きであったりするわけです。オリジナルもそうですが、オリジナルに近しい解釈をしたパロディ物も好きでありますので、自分だけの楽しみとしては製作をしたりしています(正確にはいました。最近は材料と時間が乏しいためにやっていません)。
何より、その空気に触れたいというのがありまして、そうした空気に触れる事で創作意欲に火がつくというのも行きたい理由の一つであります。
ですが、如何せん資金が乏しく参加できる状況にもないために、しばらく足が遠のいている状況であったりします。また、時間と資金を見繕って行きたいものです。
さて、今回ご紹介するのは、同人誌世界に一大旋風を起こした作品、「鎧伝サムライトルーパー」です。

1998年~1989年、全39話であったこの作品は、名古屋テレビ(現メ~テレ)とサンライズのいわゆる土曜アニメ枠で放送されていた番組の一つで、当初は、「魔神英雄伝ワタル(以下 ワタル)」との15分番組として考えられていたものです。当初考えられていた名称が「若騎伝ゴーユーⅤ(ファイブ)」また「超豪拳士アラム・シャダー」という戦隊物もしくは凡そ侍を題材にしたものではないヒーロー物として考えられていたのは想像に難くありません。結果、ワタルが独立した作品として成り立ったため、この作品も30分物として再構成されましたが、その当時、その枠で放送していたのはロボット物であり、どうしても穴埋め的作品であるとされた風があったのは間違いありません。
その話の根底にあるのは勧善懲悪。ですが、その思惑は前半部分である19話で終了する事になります。後半部分とされる21話からは勧善懲悪ではなく、善の心と悪の心という事に話の重きを置こうと努力をしていたようですが、結局、その説明を果たせぬまま番組は終了する結果となります。
結果的にはその後発売される三つのOVAの内、第二作目「輝煌帝伝説」第三作目「MESSAGE」で補完されるわけですが、その話はまた後日という事にいたします。
この作品を語る上では、二つの事柄が常に挙げられるわけですが、その一つは「同人誌バブル」という話です。この同人誌バブル、いわゆる「やおい」と呼ばれる男性同士の同性愛(もしくはそれに近しい友情)の最盛期最後の作品となったわけですが、この作品によって現在でも商業誌で活躍されている方々は数多く見えます。ですが、この作品がその同人誌バブルのきっかけになったわけではなく、それまでに「キャプテン翼」「聖闘士 星矢」というタイトルが作ってくれた土壌があったからこそのものであるのです。
この現象は未だに形を変えて現存しているわけですが、現状では「萌え」という言葉に象徴されるような分野がその継承者であるのでしょう(ただし、最近はずいぶん落ち着いてきましたから、この次に何がくるのかという話にもなるわけです)。
そしてもう一つは声優ブームです。それまでにキャラクターがCD(昔ですので、カセットテープなのですが)を発売している形態をとっていたわけですが、そうではなく役者さんが自身の名前で営業活動を大々的に行ったのはサムライトルーパーが最初ではないのかと思います。ユニット名はNG5(エヌ・ジー・ファイブ)。トルーパーの五人を演じていた役者さんがライブを開いたりしていたわけですが、その人気は凄まじいものでした。ですが、様々な問題が発生しグループとしても解散してしまいました。
その後の声優ブームは未だに続いているわけですが、その形態もかなり変わったようで、役者なのか歌手なのかわからない方も数多くなりました。
その作品もそれまでの作品と変わらずスポンサーがありました。タカラ(現タカラトミー)から超弾動シリーズとしてまた童友社からプラモデルが発売されていましたが、売上げ不振であったのは間違いない話でしょう。むしろ、その当時売れていたのは、キャラクターグッズでありまして、やはりアニメイトのグッズは飛ぶように売れていました。カセットブックなどのオリジナル商品もありましたし、それに習うように、音楽関係を担っていたキングレコードからもドラマCDが発売されたのです。
これほどに作品としての人気がありながらもリメイクの話を聞かないのは、それだけ扱いが難しい作品であるという事もあるのでしょうが、結果的に、製作者サイドにおいてもかなりゴタゴタした作品であったために、出来れば触りたくないというのが本音なのかもしれません。
現在の同人誌は元絵に似せて製作する…それが商業、つまり原作付のアニメであるのならば当然のような感じになっていますが、その当時は姿かたちを似せるというよりも、雰囲気を似せるという事に重点をおいていたのか、作画監督によってキャラクターが変わるという特異な時代でありました。しかし、それがそれぞれの作画監督のファンを作るという事態になり、それだけでも画集が発売できるという、ある意味良い時代であったと思います。
そうした経緯を得て、現在の統一された作画というのがあるのは容易に想像できる話ですが、しかし、それによって作品としての個性が失われたかのように思われる点もあるわけです。
実際の話、癖のある線というよりも、どの作品を見ても変わらない動きというのはいかがなものかと。様々な苦労をして作り上げてきたアニメ文化ですが、ここに来て何か狂いが生じているのではないかと思うのは考えすぎなのでしょうかね。


