例えばの話として玩具というものを取り上げてみます。
 
 玩具業界における玩具の売り方には、玩具だけの展開と何かとのタイアップによう相乗効果を狙う場合があるわけですが、特に後者に関しては、企業とユーザーとの熱の差が出やすいもので、相容れない場合には売上げどころかタイアップした別媒体の作品にも多大な影響が出てくるわけです。
 
 最近では、そういった玩具は限られたものにしか見受けられず、むしろ、玩具は玩具、その他はその他というすみわけが出来てきたように思われます。
 
 それはそれで問題はないのですが、しかし、そうしたタイアップが出来にくくなってきた背景に、他の媒体…特に映像媒体における玩具の絡みがしにくくなっている事が一つの原因ではないでしょうか。映像的には玩具の代わりに本=漫画や小説、時にはネット情報などをネタにし、映像化している事が多く、その映像には玩具にして商品を売り出す事が難しいアイテムが多いのです。
 
 さらに最近の映像媒体では1年間=4クールを放送する番組も少なく、商品展開をして売り出し結果を出すには時間が短いという事もあるわけです。となれば、確実に1年をこなし、そしてある程度の前振りが出来ているネタを玩具にすれば、そこはかとなく商品の情報を送信するだけで、ユーザーは何となくでも理解できる媒体に手を伸ばしたくなるのもわからなくありません。
 
 しかし、それが何時まで通用するのか…いわゆるオタク文化の発信地である日本。その文化が行き詰まりを見せているように思えてならないのです。
 


 さて、今回は1993~1994年に月刊少年ガンガンに連載されました「FM戦士SUMOキッズ」です。

 巷では大相撲ブーム。それを玩具で体験してみようというのがFM=ファンタジーモデルのコンセプト。主人公である大空雷太は大の相撲ファンで、自分オリジナルのFM戦士を作り上げているのだが、少し興奮しやすいところが欠点で、徹夜で組んだプログラムを不注意で消してしまったり、それを悔やんで頭を机にぶつけまくったり…。本人もそういう性格を気にしているようだが、しかし、それよりも強い前向きな思考が言い意味でも悪い意味でも忘れさせてしまうようだ。
 
 しかし、腕は確かでしっかりとオリジナルのFM戦士を完成させる。その名は獅子王。
 
 学校に待ってきてのお披露目の際、雷太は一人の学生に獅子王が弱いと指摘された。同じ学校の先輩でもある沢田は岩竜という、やはりオリジナルのFM戦士を作り上げている。様々なゲームでライバルである沢田には負けたくない。その機会が訪れた。
 
 オリジナルのFM戦士を集めた相撲大会が行われ、そこで、獅子王は岩竜と対戦する事になる。獅子王は他のFM戦士と比べてもそれほど大きな体躯ではない。だが、そんな獅子王の二倍はあろうかと言う体躯の岩竜は、下馬評から言っても獅子王を軽く倒すものと思われていた。だがしかし、幕を開けてみれば意外も意外、雷太のテクニックも手伝って、行司が下した岩竜勝利の判定を物言いとし、更に、再戦においては、見事に岩竜を投げ飛ばして勝利を掴んだ。
 
 そのとき、一人の坊主がその大会に乱入する。電脳寺の破戒僧・道妙。彼もまたオリジナルのFM戦士、禅の花を持っている。岩竜戦でボロボロになった獅子王を挑発し、禅の花と対戦することになった雷太はその時、驚くべき光景を目にする。なんと禅の花は指一本で獅子王を破壊してしまったのだ。
 
 そして雷太は道妙和尚に再戦するべく、指一本の謎を解き明かし、そして新たなる獅子王を完成させる決心をするのだった。
 
 
 
 時の相撲ブームにのっかったようなネタであるのですが、原作者である牛次郎氏と作画の神矢みのる氏は、かつて秋田書店の週間少年チャンピオンでプラレス3四郎を連載していたパートナーで、その要素が非常に濃い作品であると言えます。
 
 ただ、相撲に特化したものであるために、読者の選り好みをしてしまう可能性もありました。話の内容的にはプラレス3四郎の話を真似たものになった…言い換えれば、その当時の時代に合わせたリニューアルを試みた雰囲気を感じるのです。
 
 この物語は途中でプラレス3四郎では描ききれていなかった部分、企業が玩具に与えるもの、その中でも悪辣な事を一つのメインとして記載しようとしていました。作品の中で、FM戦士はユーザーが作りだしたホビーという位置づけのようで、それをカルト33というメーカーが食い物にしようとしている構図がそれに当たります。別段こうした話は全く聞かないわけではなく、企業の論理に乗っかった故につぶれてしまったホビーがあるからこそ描けれたものと思うのです。
 
 企業には企業としての、ユーザーにはユーザーとしてのホビーに対するスタンスがあります。その大きな隔たりの一つと言うか根幹は利益です。盛り上がっている「何か」に対してそれを有益とみなせば企業は擦り寄ってくる。価値がなくなれば次のものへ。これは仕方がない話かもしれません。しかし、ユーザーにはそれがありません。好きなものはいつまでも好きでありたい。それは今の世の中でも変わらないものではないのでしょうか。
 
 また、一方で科学と心というものに関しても記載されているわけで、このテーマに関しては、一連の作品に関しての共通のテーマにもなっているものです。科学が決して戦争ではなく平和の下に進歩・進化していくのが望ましい。争うといっても、スポーツと戦争では全く意味も価値も違うのです。一貫したこのテーマは、作品自体の根底にしっかり根を下ろしていると思います。
 
 当初から決めてあったのか、それとも途中からなのか。この作品に、プラレス3四郎で出ていたキャラクターが数名出てきます。しかし、名前は出てきません。企業間の問題もあったのかもしれませんが、しかし、世界としてつながっていると言うのは、ファンとしてはニヤリとさせられるものではなかったのでしょうか。
 
 しかし、残念な事にこの作品は全2巻という短命なもので終わってしまいました。もう少し長くなったとして話の拡張性があったのかと思えば、酷評ですが難しかったのかもしれません。もし、今の世の中で、今のゲーム機でと考えれば考えるだけ、早すぎたと思ってならない作品の一つなのです。
 

 
 こうしたあからさまな企業のやり方は恐らくユーザーから総スカンを食らう原因になりますので、やらないのでしょうが、しかし、ある程度浸透した媒体であれば、決してないとは言えないことも事実です。
 
 企業側から見れば、結局は、利益が優先であり、それがどうして受けたのかなどは後付の理論でかまわないのです。後付でも何でも結果が出れば、とりあえずの成功なのですから、それを分析してどうして受けたのか=利益が出たのかを理解し、次に活かせれば良いわけです。
 
 しかし、これを酷い話だとは思わないように。幾らなんでも、利益が上がらない作品を提供し続ける事は不可能ですし、何より企業はボランティアではないのです。となれば、ボランティアでも良いから作品を続けるためにはアマチュアであれば良いのかという事になります。それも半分は「イイエ」です。何故なら、それを運転する資金はどうするのでしょうか。コンスタントに情報を提供するというのはそれだけ多大なエネルギーが必要になってくるとも言えるのです。
 
 言い換えれば、この話はしっかりとした結論のでないジレンマのような話であるわけなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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