私たち人類が彼らに追いつく事があるのでしょうか…だとすれば、それは何時、どのような形になるのでしょうか。その彼らとは、ボイジャー1号2号と言います。



 さて、今回は1983年に発売されました「ジャイラス」です。



 海王星より始まり、天王星、土星、木星、火星と経て地球へと向かうのがゲームの目的…と言っても、このゲーム、基本的にはインベーダーゲームなので、ボーナスステージ以外、その面に出現する全ての敵を倒してクリアとなります。
惑星間は初めの海王星に向かう2ワープ以外は全て3ワープ…つまり3ステージ構成になっているわけです。
 
特筆すべきは、やはり自機の動きでしょう。
それまで、横移動がメインであったインベーダーゲームに円の動きを取り入れたのです。先ほど、横移動と記載しましたが、基本的には直線運動と記載した方が正解なのではないのでしょうか。
 
現在ならば、ポリゴンも使用した三次元的な動きは当然なわけであるのですが、当時の技術からすればそれはまだまだ先の話。出来る事と、商売になる事は決して同じではなかった時の話です。大抵のインベーダーゲームは横向き、もしくは真上からの視点でのつくりとなっているわけですが、このジャイラスは斜め後ろからの視点。円運動をするその動きは擬似三次元と言っても決して過言ではないのです。
 
敵は画面の構成からいえば中心から、しかし見た目には、奥から迫ってくるようにグラフィックされています。
奥のほうでは小さく描かれゆっくりと動き、自機に近づいていくる程、大きく素早くなる。その緊張感は他では味わえないものであったと記憶しております。
 
明確な物語を記載しているわけではなく、基本的には殲滅を目的としたゲームであるために、どうして地球に向かっているのかはわかりません。ただ、そうした物語を想像させるに難くないのが、BGMの存在です。
ジャイラスにはJ.S.バッハのトッカータとフーガニ短調、そのアレンジバージョンが使用されています。スタートボタンを押したときに流れる最初のフレーズ。それは絶望感を表現しているかのよう。
つまり、この戦いというのは、引く事が出来ないほどの切羽詰ったものなのだ…と勝手に想像してしまうわけなのです。
 
そうすると自然と燃えてきます。この戦いは俺だけにしか出来ない、俺がやらねば誰がやる…いや、別にそこまで入り込む事もないんですけどね。思えば、任務達成まで(つまりは地球まで)到達した事がどれだけあったのか……任務失敗=GAMEOVERの文字を何度見たことか。
 
難しいというよりも、慌てる事がやられてしまう可能性の高いゲームでもあります。速度は速いのですけど、決して難しいという部類ではないのです。
 
ボーナスステージは、ギャラガタイプとなっており登場する全ての敵機を倒す事が一番の高得点となるわけです。
その登場方法=敵機のルートは各ステージごとに決まっており、初見では運が、二回目以降では覚える事が高得点につながるようになっているわけです。
こうしたゲーム性は当時、企業間によって独占するわけではなく、同じゲームとして面白いものは取り入れるというスタンスであったわけです。
 
最近ではこうした状況をパクリと言いますが、むしろ、ゲームだけではなくそれこそ、エンターテインメント性のある娯楽に関してはパクリではないものが現状少ないのは事実なのです。
パクリであるのかオマージュであるのか、インスパイアであるのか。結果的には捉える側の許容と、親告する側の許容、更には利用した側のモラルという絶妙なバランスで成り立っているのは今も昔も変わる話ではないのです。
 
アコギな方法ではない限りは、不用意にパクリとして非難するのはエンターテインメントの萎縮を促す結果になる…と思うのですけどねぇ。
 
それはともかく、実はこのジャイラス。とある有名なゲームプロデューサーによって作り出されたものです。それは岡本吉起氏。今ではゲーム会社の代表取締役までやっている方でカプコンで数多くのゲームを作られた方として知られています。
この方がコナミで制作したのが、ジャイラスとタイムパイロット。どちらも有名なゲームですし、当時としては斬新なアイデアで作られていたゲームであるのは間違いないのです。
 
思うに、この二作品はそれまで「こうでなければならない」としたシューティングゲームの枠を更に打ち破った作品でもあると思うのです。



 1977年に打ち上げられた二機の無人惑星探査機ボイジャー。2007年7月の段階で1号は太陽から約154億8000万km、2号は約124億5900万km離れたところにいて、それぞれ秒速17km、15kmで飛行中との事であるから、今は更に遠い場所にいる事なのでしょう。
そんな彼らが、まだまだ地球に近いときに送り届けた一枚の写真の中に、太陽光の中にある青い点のような地球というのがありました。本当に点のような地球。それは、地球にいる我々では決して自分の目で見ることも、それを誰かに語ることも出来ないような、遠い場所での風景であり、同時にどれだけ大きな宇宙の中にあって、どれだけ小さな、そして限られた惑星であるのかを知る一枚ではないのかと思うわけです。
 
今、人類は地球の外へ向け、知性と行動をもって一歩を踏み出そうとしています。それが利権を求めるだけのものであるのか、それとも革新ともいえる不文律を生み出すきっかけになるのか、それは行ってみないと分からない話です。
 
地球は無限ではなく、有限である。その事を知識で知る事と実体験で知る事は当然のように刻まれる衝撃は雲泥の差があるはずです。文化や歴史が限られた空間の中で積み重ねられていくと言う事、それは人類の手で作られた歪な積み木を積み上げていく事であったのかもしれないのです。
良く見れば、その歪さもわかり調整もできるのでしょうが、昨今の時代の速度は、その調整もままならないまま進んでいるように思えるわけです。積み上げる事だけを望む世界。そこに何かしらの不具合があったとしてもおかしい話ではありません。
 
積み上げられた歪な積み木。その上に新たに積み上げられてしまったら、それを直す事は不可能です。抜く事なら出来るのかもしれませんが、それはそれまでの…いえ、これからの先に積みあがるはずの場所を取り上げるだけの覚悟が必要になってくるという事なのかもしれないのです。
 
 
様々な憶測や推測がありつつも、人類はこれまで孤独であり続けてきました。これだけ広大な宇宙の中に、人類以外の生物を目の当たりにする事がないのです。縁がないだけかもしれません。隠れているだけなのかもしれません。しかし、そのどちらであろうとも、人は人以外の人にあったことはないのです。
 
奇跡の惑星、地球。その蒼穹の惑星は、地球のどの宝石よりも輝いて存在しています。
 
ボイジャーが送ってきた点のような地球の写真。それは光が一秒間で駆け抜ける距離=光秒で言うと、約2万1473光秒の彼方からの地球の姿でもあるのです。それでも分かるほど、地球は青く輝いているのです。
 
 
同時に、人類がその上で行っている愚行を、ボイジャーは笑っているのかもしれません。…我らを生んだ父よ母よ同胞よ。君たちはそんなちっぽけな場所で何をいがみ合っているのかい?こんな広大な宇宙の中にあって、蒼穹が輝く、その美しい星で…。そう言っているのかもしれません。
 
そんな彼ら、ボイジャーたちには、我々のメッセージが載せられています。ゴールデンレコードと名付けられた黄金のレコード盤です。そこには、55の言語の音声情報や、90分間の電子情報化された音楽。そして、そのジャケットには地球がどこにあるのかという、言ってみれば宇宙航海地図などが記載されています。
 
そこにあるのは、間違いなく平和に存続する人類の姿。将来、このメッセージを受け取った異星人が来た時に、人類が小さな惑星で争っている姿を見てどう思うのか、そんな事も考えてみるべきではないのでしょうか。そして、そのちっぽけな惑星には、人類だけが住んでいるわけではないと言う事、さらには守らなければならないという事も感じ取るべきなのだと思うのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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