十年近く利用していた本屋さんがなくなる事が残念でなりません。
さて、今回は2008年に発売されました「機甲界ガリアン コンプリートアートワークス」です。

1984~85年にテレビ放映、そして1986年に果然オリジナルのOVAである鉄の紋章が発売となった、機甲界ガリアン。その設定資料集が発売となりました。
一番驚いたのは、その発売元です。新紀元社なのですが、どうにもケイブンシャの臭いがするのは何故でしょうか。ケイブンシャでこうした大百科でもやっていた方が新紀元社で働いているのでしょうか…というぐらいに、同じ様な臭いがするんですけど…その真偽はわからないまでも、ある意味欲しい情報が、ある意味足りない情報が過不足なしにあるのは嬉しいものです。…つまり、懐かしいと言う意味で、ですけどね。
少なくとも、ガリアンにおける設定資料においては、TVシリーズに関してはデュアルマガジン、そして、OVAに関してはニュータイプを網羅していれば十分なのです。問題は、それらを手に入れるのに物凄く労力を必要としていると言う事。
そういう意味では、こうした設定資料集はその作品が大好きなファンにとってはありがたいものです。
今回のこのムック本が発売されると同時に、サントラも復刻されました。
こちらは手に入れていないのですが、それでも、当時の雰囲気を楽しみたい人には必須のあいてむであるのは間違いないのです。こうした復刻はアニメというサブカルチャーにとっては大事な事。いわゆるリメイクではなく、当時のありのままを提示してみるには格好の時代なのかもしれません。
こうしたムック本における大事な要素の一つに、ムック本を購入したからこそのプレミアを期待するわけです。
それは何かと言えば、没デザインです。
例えば、主人公機であるガリアンは当初、カラーリングが赤ではなく青であり、また額の飾りがなかったというのは、結構有名な話。すると、劇中では動かなかったその機体をどうにかして再現してみたいという気持ちになってくるわけです。
つまり、そこで考えるのは、立体化…一から作るのは難しいので既存のプラモデルからの改造をするわけです。
そのような魅力もそうした情報には含まれているのは、有名どころではガンダムが立証している話です。
ただし、最近では既に完成したプラモデルを購入する方が多いようで、それを本当に既存のプラモデルという媒体であるのかと突っ込みを入れたくはなるのですけど…。なければ作るが合い言葉であったのは、昔の話なのですねぇ…。
OVAにあっても、未登場の機体がありまして、それは何かと言えばアゾルバです。
TV劇中でもそれほど活躍をしている印象はないのですが、それでもあのデザインは何か印象を覚えます。OVAで水辺が出てきたのは最初の辺り。後は雨やら、波打っていても溶岩であったりとか、アゾルバが活躍できる隙はなかったですねぇ。全3巻(実際のビデオ発売は合わせて三巻ですが、内二巻はTVの総集編でありましたので、完全オリジナルストーリーは三番目に発売された、鉄の紋章だけなのです)ぐらいの規模であれば、活躍できた可能性はあったんでしょうけどね。
ガリアンにおける商品展開は、ガンダム再放送移行のガンプラブームに追従した形であったのは、当然の話です。つまり、ポストガンダムを狙っていた気質がありました。昨今では、エヴァンゲリオンがガンダムに並ぶ作品のように言われているわけですが、しかし、あれほどまでに搭乗するロボットに対する熱狂的な状況にならなかったのは、結果的に年齢を上げすぎた結果によるもの、そして、何よりプラモデルという商品媒体にしにくかったのが原因であるのは仕方がない話です。
それはガリアンであったり、ダグラムであったり、ボトムズであっても同じことが言えるのでしょう。ボトムズは、ガンダムのような未来型のロボットではなく、今にもどこかから出てきそうな近未来型であったのが、伸びを見せれなかった原因であり、これはダグラムにもいえる話だと考えます。
一方のガリアンはあまりにもファンタジー色が強かったように見受けられました。つまりは、その要素を踏まえた上で楽しまなければならないという前提が見ていた側にあったのかもしれないと言う事なのです。
今の時代なら、ファンタジーの定義も広がっていますので、より幅の広い楽しみ方が生まれてきたのだろうなぁと残念でならないわけです。
当時、こうした作品は、玩具を売るための媒体であったのは言うまでもありません。そのために、いわゆる打ち切り、テコ入れなど当然のようにあったのだと推測できます。どんなにファンの受けが良かったとしても、玩具が売れなければ不出来のレッテルを貼られるのは仕方がない話なのかもしれません。その上で物語を作っていくのは大変な事ではなかったのかと思います。
しかし、最近では別媒体における人気作品、しかもその別媒体で終了していない作品をアニメ化する傾向が多分に見られるわけです。当然、そうなりますと、アニメに関しても途中で終了したり、アニメ独自の終り方になってしまうのがあります。それが正しいのか正しくないのかは別の時に記載してみるとしまして、しかしながら間違いなく言えるのは、そのアニメに予測する楽しみが少なくなったのは間違いない話なのです。
こうしたムック本を見るにつけ思う事は、やはり作品というのはあくまで発信する側が何も理解できないであろう状況から理解できるように仕向け、また見る側はそれを理解し予測する楽しみがある事が大前提ではないのかと思うわけです。単に踏襲するだけの作品に売れる売れないで一喜一憂する状況はどうなのかと。更に言えば、そこに自分たちの誇りを賭けるのは愚か者のする事に思えるわけです。
プロであるからには売れる作品で勝負をかける…これを言ってしまっては、それは作り手ではなく売り手です。少なくとも、売れる商品を探すにしても、自分たちのアイデアの中から探していく器量と度量が、今こそ必要ではないのかと思う次第なのです。
今のアニメの乱立は、まるで少し昔に乱立した似通ったドラマを見せ付けられているように思えますな。オリジナル性もない、単なる技術だけで感動させようとしていると。残念な話です。
本来なら別の作品を今週、記載しようかと思ったのですが、思う事があり書いてみたいのでコチラにしてみました。
今回、レビューした冊子ですが今月で閉店してしまう本屋さんで購入しました。昨今における不況…というよりも大型書店の乱立に押されてしまった形なのだと思います。本当に残念な話であると思います。
私自身は、大型書店…いえ、最近のショッピングモールの構造に飽き飽きしている状況があります。
ちなみに、今近所、と言いましても半径20kmほどの中にどれだけのショッピングモールがあるのかを考えてみますと…モレラにロックシティにサティにイオンにプラントにダイヤモンドシティに平和堂…近場だけでもイオン系列多すぎと言う状況です。それだけ多くても中身が違っていればそれぞれで楽しめるのですけど、中を見てみても同じ様な店舗が同じ様に並んでいるだけ…これでは、一つに行くだけで十分に楽しめるというものです。
これは単純に売れ筋しか置かない事に起因している事であるのは明白です。
全体の売れ筋を理解して、客を招く。当然ポイントカードなるものに入ってもらって、それを貯める事によってお得感を演出。ついでにクレジットカード機能のあるポイントカードならば割引までつけちゃおう!…という感じでしょうかね。
昔からその場所その店に行く目的など、唯一つしかありません。それはその場所でしか楽しめない物、それを楽しみに行くというものです。
どの業種であれ、その原則原理は変わりません。だからこそ、多少遠くても足を運ぶ人が出てくるというものなのです。
もう一つは、その場所が社交場でなければならないと言う事。
特に子供たちにとっては、そうした社交場がある事によって社会とのつながりが出来、また、仲間内やそれ以外との付き合い方を学んでいく場所になるわけです。昔の駄菓子屋さんなどはそうですね。握った百円の中でいかに多くの駄菓子を購入するのか。それがお金の大切さを学んでいく事でもあったはずです。
そう、私が懸念しているのは、結果的に何も変わらず何も学べない、単純に物があり購入だけ出来るという場所が周りに多すぎるという点にあるのです。
これではテレビにおける情報発信の偏りがそのまま現実世界に出現したかのように思えてきます。
薬屋さん、本屋さん、駄菓子屋さん、おもちゃ屋さん、模型屋さんに服屋さん、八百屋さん、お肉屋さんに魚屋さん。こうした親しみやすい名称の中にあるのは社会とのつながりではないのでしょうか。それをショッピングセンターの単一な状況における対応で感じることなど出来るはずがありません。
全てが同じである事に問題があるのではなく、全てを同じにする事に問題があるのではないのでしょうか。
人もそうですし、物もそうです。先ほども記載しましたが、同じ様に何処に行ってもサービスが受けられるのであれば、複数店舗ある意味などないのです。それは特色でもなければ売り物でもありません。単純に提示しているだけの話なのです。
社会に浸透する事は決して、サービスによる満足だけではないと私は思います。むしろ、そのサービスというのが付加と言う意味で使われるのであれば、それは尚更です。根付く事の意味を今、大型店舗を有する巨大企業は考えるべきではないのでしょうか。
最近の記事でイオンが撤退戦略を考えているそうですが、結果的にそれはそこにあった小さなつながりを潰す覚悟を持っての展開ではなかったのか、それを結果的に撤退する事に対する問題は皆無であるのかを考えるべきではないのでしょうか。
正直、私自身はショッピングモールに買い物に行く事が決して多くはありません。それよりも少し遠くてもスーパーであったり、小売店舗に足を運ぶようにしています。
その理由はそこにしかないかもしれないワクワクした物を手に入れるためです。人に一期一会があるように物にも一期一会はあるのです。それが結果的に物に対する大切さを学ぶ事になるのだろうと私は考えるのです。
全てが確実に簡単に手に入る昨今の情況に、便利である反面、達成感が少なく、更に言えば期待感もない。それでいながらより利便性を求める。全てが追求ではなく要求になってしまっている状況は、そら恐ろしさを感じてなりません。それもその利便性の取捨選択を売り手側が決定している事実…与えられているだけの情況に選択している錯覚を覚えている現状…これから先、大丈夫なんでしょうかね。
ちなみに、自分に十分な資金があれば、駄菓子屋に模型屋をやってみたいと本気で思っております。だって、近くにないもの、そういうも。十円で遊べる機械を設置したりしてね。
ちょっとした夢のような話であります。
そんなこんなで本日はここまで。
さて、今回は2008年に発売されました「機甲界ガリアン コンプリートアートワークス」です。

1984~85年にテレビ放映、そして1986年に果然オリジナルのOVAである鉄の紋章が発売となった、機甲界ガリアン。その設定資料集が発売となりました。
一番驚いたのは、その発売元です。新紀元社なのですが、どうにもケイブンシャの臭いがするのは何故でしょうか。ケイブンシャでこうした大百科でもやっていた方が新紀元社で働いているのでしょうか…というぐらいに、同じ様な臭いがするんですけど…その真偽はわからないまでも、ある意味欲しい情報が、ある意味足りない情報が過不足なしにあるのは嬉しいものです。…つまり、懐かしいと言う意味で、ですけどね。
少なくとも、ガリアンにおける設定資料においては、TVシリーズに関してはデュアルマガジン、そして、OVAに関してはニュータイプを網羅していれば十分なのです。問題は、それらを手に入れるのに物凄く労力を必要としていると言う事。
そういう意味では、こうした設定資料集はその作品が大好きなファンにとってはありがたいものです。
今回のこのムック本が発売されると同時に、サントラも復刻されました。
こちらは手に入れていないのですが、それでも、当時の雰囲気を楽しみたい人には必須のあいてむであるのは間違いないのです。こうした復刻はアニメというサブカルチャーにとっては大事な事。いわゆるリメイクではなく、当時のありのままを提示してみるには格好の時代なのかもしれません。
こうしたムック本における大事な要素の一つに、ムック本を購入したからこそのプレミアを期待するわけです。
それは何かと言えば、没デザインです。
例えば、主人公機であるガリアンは当初、カラーリングが赤ではなく青であり、また額の飾りがなかったというのは、結構有名な話。すると、劇中では動かなかったその機体をどうにかして再現してみたいという気持ちになってくるわけです。
つまり、そこで考えるのは、立体化…一から作るのは難しいので既存のプラモデルからの改造をするわけです。
そのような魅力もそうした情報には含まれているのは、有名どころではガンダムが立証している話です。
ただし、最近では既に完成したプラモデルを購入する方が多いようで、それを本当に既存のプラモデルという媒体であるのかと突っ込みを入れたくはなるのですけど…。なければ作るが合い言葉であったのは、昔の話なのですねぇ…。
OVAにあっても、未登場の機体がありまして、それは何かと言えばアゾルバです。
TV劇中でもそれほど活躍をしている印象はないのですが、それでもあのデザインは何か印象を覚えます。OVAで水辺が出てきたのは最初の辺り。後は雨やら、波打っていても溶岩であったりとか、アゾルバが活躍できる隙はなかったですねぇ。全3巻(実際のビデオ発売は合わせて三巻ですが、内二巻はTVの総集編でありましたので、完全オリジナルストーリーは三番目に発売された、鉄の紋章だけなのです)ぐらいの規模であれば、活躍できた可能性はあったんでしょうけどね。
ガリアンにおける商品展開は、ガンダム再放送移行のガンプラブームに追従した形であったのは、当然の話です。つまり、ポストガンダムを狙っていた気質がありました。昨今では、エヴァンゲリオンがガンダムに並ぶ作品のように言われているわけですが、しかし、あれほどまでに搭乗するロボットに対する熱狂的な状況にならなかったのは、結果的に年齢を上げすぎた結果によるもの、そして、何よりプラモデルという商品媒体にしにくかったのが原因であるのは仕方がない話です。
それはガリアンであったり、ダグラムであったり、ボトムズであっても同じことが言えるのでしょう。ボトムズは、ガンダムのような未来型のロボットではなく、今にもどこかから出てきそうな近未来型であったのが、伸びを見せれなかった原因であり、これはダグラムにもいえる話だと考えます。
一方のガリアンはあまりにもファンタジー色が強かったように見受けられました。つまりは、その要素を踏まえた上で楽しまなければならないという前提が見ていた側にあったのかもしれないと言う事なのです。
今の時代なら、ファンタジーの定義も広がっていますので、より幅の広い楽しみ方が生まれてきたのだろうなぁと残念でならないわけです。
当時、こうした作品は、玩具を売るための媒体であったのは言うまでもありません。そのために、いわゆる打ち切り、テコ入れなど当然のようにあったのだと推測できます。どんなにファンの受けが良かったとしても、玩具が売れなければ不出来のレッテルを貼られるのは仕方がない話なのかもしれません。その上で物語を作っていくのは大変な事ではなかったのかと思います。
しかし、最近では別媒体における人気作品、しかもその別媒体で終了していない作品をアニメ化する傾向が多分に見られるわけです。当然、そうなりますと、アニメに関しても途中で終了したり、アニメ独自の終り方になってしまうのがあります。それが正しいのか正しくないのかは別の時に記載してみるとしまして、しかしながら間違いなく言えるのは、そのアニメに予測する楽しみが少なくなったのは間違いない話なのです。
こうしたムック本を見るにつけ思う事は、やはり作品というのはあくまで発信する側が何も理解できないであろう状況から理解できるように仕向け、また見る側はそれを理解し予測する楽しみがある事が大前提ではないのかと思うわけです。単に踏襲するだけの作品に売れる売れないで一喜一憂する状況はどうなのかと。更に言えば、そこに自分たちの誇りを賭けるのは愚か者のする事に思えるわけです。
プロであるからには売れる作品で勝負をかける…これを言ってしまっては、それは作り手ではなく売り手です。少なくとも、売れる商品を探すにしても、自分たちのアイデアの中から探していく器量と度量が、今こそ必要ではないのかと思う次第なのです。
今のアニメの乱立は、まるで少し昔に乱立した似通ったドラマを見せ付けられているように思えますな。オリジナル性もない、単なる技術だけで感動させようとしていると。残念な話です。
本来なら別の作品を今週、記載しようかと思ったのですが、思う事があり書いてみたいのでコチラにしてみました。
今回、レビューした冊子ですが今月で閉店してしまう本屋さんで購入しました。昨今における不況…というよりも大型書店の乱立に押されてしまった形なのだと思います。本当に残念な話であると思います。
私自身は、大型書店…いえ、最近のショッピングモールの構造に飽き飽きしている状況があります。
ちなみに、今近所、と言いましても半径20kmほどの中にどれだけのショッピングモールがあるのかを考えてみますと…モレラにロックシティにサティにイオンにプラントにダイヤモンドシティに平和堂…近場だけでもイオン系列多すぎと言う状況です。それだけ多くても中身が違っていればそれぞれで楽しめるのですけど、中を見てみても同じ様な店舗が同じ様に並んでいるだけ…これでは、一つに行くだけで十分に楽しめるというものです。
これは単純に売れ筋しか置かない事に起因している事であるのは明白です。
全体の売れ筋を理解して、客を招く。当然ポイントカードなるものに入ってもらって、それを貯める事によってお得感を演出。ついでにクレジットカード機能のあるポイントカードならば割引までつけちゃおう!…という感じでしょうかね。
昔からその場所その店に行く目的など、唯一つしかありません。それはその場所でしか楽しめない物、それを楽しみに行くというものです。
どの業種であれ、その原則原理は変わりません。だからこそ、多少遠くても足を運ぶ人が出てくるというものなのです。
もう一つは、その場所が社交場でなければならないと言う事。
特に子供たちにとっては、そうした社交場がある事によって社会とのつながりが出来、また、仲間内やそれ以外との付き合い方を学んでいく場所になるわけです。昔の駄菓子屋さんなどはそうですね。握った百円の中でいかに多くの駄菓子を購入するのか。それがお金の大切さを学んでいく事でもあったはずです。
そう、私が懸念しているのは、結果的に何も変わらず何も学べない、単純に物があり購入だけ出来るという場所が周りに多すぎるという点にあるのです。
これではテレビにおける情報発信の偏りがそのまま現実世界に出現したかのように思えてきます。
薬屋さん、本屋さん、駄菓子屋さん、おもちゃ屋さん、模型屋さんに服屋さん、八百屋さん、お肉屋さんに魚屋さん。こうした親しみやすい名称の中にあるのは社会とのつながりではないのでしょうか。それをショッピングセンターの単一な状況における対応で感じることなど出来るはずがありません。
全てが同じである事に問題があるのではなく、全てを同じにする事に問題があるのではないのでしょうか。
人もそうですし、物もそうです。先ほども記載しましたが、同じ様に何処に行ってもサービスが受けられるのであれば、複数店舗ある意味などないのです。それは特色でもなければ売り物でもありません。単純に提示しているだけの話なのです。
社会に浸透する事は決して、サービスによる満足だけではないと私は思います。むしろ、そのサービスというのが付加と言う意味で使われるのであれば、それは尚更です。根付く事の意味を今、大型店舗を有する巨大企業は考えるべきではないのでしょうか。
最近の記事でイオンが撤退戦略を考えているそうですが、結果的にそれはそこにあった小さなつながりを潰す覚悟を持っての展開ではなかったのか、それを結果的に撤退する事に対する問題は皆無であるのかを考えるべきではないのでしょうか。
正直、私自身はショッピングモールに買い物に行く事が決して多くはありません。それよりも少し遠くてもスーパーであったり、小売店舗に足を運ぶようにしています。
その理由はそこにしかないかもしれないワクワクした物を手に入れるためです。人に一期一会があるように物にも一期一会はあるのです。それが結果的に物に対する大切さを学ぶ事になるのだろうと私は考えるのです。
全てが確実に簡単に手に入る昨今の情況に、便利である反面、達成感が少なく、更に言えば期待感もない。それでいながらより利便性を求める。全てが追求ではなく要求になってしまっている状況は、そら恐ろしさを感じてなりません。それもその利便性の取捨選択を売り手側が決定している事実…与えられているだけの情況に選択している錯覚を覚えている現状…これから先、大丈夫なんでしょうかね。
ちなみに、自分に十分な資金があれば、駄菓子屋に模型屋をやってみたいと本気で思っております。だって、近くにないもの、そういうも。十円で遊べる機械を設置したりしてね。
ちょっとした夢のような話であります。
そんなこんなで本日はここまで。


