騙される人が悪い…いいえ、騙す方が悪いに決まっています。ただ、私たちにも注意が必要なのは当然なのですけどね。
さて、今回は2005年に公開されました「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」です。

先週の続きと言う事になります、劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者。これはTVで放送されました最終回の続編…ではなく、完結編と位置付くものです。
エドワード・エルリックがいるのは、1923年ワイマール共和国ミュンヘン。
第一次世界大戦末期のその時代、それでも人々はその日の糧を求め生活をしている。何事も変わりなく、ただ戦争という非日常的な状況が、人々の心を荒廃させたのは事実であったらしい。その戦争も終結し、しかし、ドイツ帝国にとって屈辱的なヴェルサイユ条約締結後、国の名も、ドイツ共和国と帝国時代の名残を残さないようにされてしまった、そんな時代にエドはいた。
その世界において、錬金術はあくまで想像上の産物であり、代わりに科学が発達していた。同じ様に、この世界に住んでいる父、ホーエンハイムによって、この世界では動かす事ができない機械鎧からこの世界に即した義肢を付けていた。
この世界に骨をうずめる覚悟をしているホーエンハイムとは異なり、エドは自分の世界に帰ろうと様々な人物や文献を探している。
錬金術が命を利用するというのであれば、それを使わない方法で扉を開けようとしていた。
この世界でエドはルームメイトと暮らしている。アルフォンス・ハイデリヒ。名も顔も、エドが記憶する弟にそっくりのアーリア人である。アルフォンスはエドの話す異世界の話をエドの創作であると思いこんでいるらしい。
だが、その情熱は認めている。何故なら、自分にも情熱を注ぎ込んでいる事があるからだ。
ロケット。それも有人飛行が可能な高速で空を飛べる機械。それの完成が病に犯され先の短い自分の生きた証…それを信じて仲間と共に情熱を注いでいた。
だがしかし、その情熱すらも自分の欲求のために使おうをしている者たちがいる。
それは、伝説にあるシャンバラに向かい、その奇跡なる力で世界をその手に収めようとしている者たち。そして、エドは知る。そのシャンバラこそ、エドの知る自分の世界であり、奇跡なる力こそ錬金術であると。
自分の世界に帰る事と自分のいた世界を守る事。その相反する葛藤の中でエドは一つの選択を決める事になる…。
エドたちがエドたちの世界で使っている錬金術。それが映画でのエドのいる場所、もうひとつの世界で失われた命がその原動力であるという事に驚愕するばかりです。
ですが、これは原作にも通用する話で、原作におけるアメストリアの錬金術は、ホムンクルスたちが言う所の「父」によって制御されている節があります(実際にそのような描写がありました)。つまり、命を媒介にしている状況に代わりがないという事になります。
エドにとって、原作であれアニメであれ、それが命である事に違いがないのは間違いなく、これから原作ではその葛藤と向き合う事がやってくるのでしょう。
アニメ版では、そうした葛藤は終盤にありました。ただ、一つ問題となるのは、その錬金術を使用不可能にはしていないという事実です。要するに命の搾取は終わっていないという事になります。
一つにそれをすると言う事は、恐らく2~3年はアニメを続ける必要があったのかも知れません。現状であれば、それも可能なのかもしれませんが、当時におけるアニメというのは基本的に深夜枠。ガンダムなどのネームバリューでもない限りは、一年間持つことすら疑わしかったわけです。
しかも、原作途中のアニメ製作には、何かと人気にかげりが出やすくなるものです。
実際に、このアニメ版でも原作好きの中から批判される状況にありました。ただ、先週にも記載しました事を更に追記させていただきますと、原作(漫画)をそのままアニメにするのは不可能な話です。何故なら、それは漫画というフィールドにあって完成されたものであり、材料ではないからです。
とすれば、アニメはあくまで原作を材料にした作品なのではなく、大半、原作者が関われない、アニメ関係者責任の上での別作品と言う事になるわけです。
それは一つの完成品。その仕上がりの是非はすべてアニメ製作者の双肩にかかっているだけであり、原作はなんら関係はなくなるという事になるわけです。
私自身の原作とアニメの見解は、やはり原作が終了してからアニメ化するのが望ましい事に代わりがありません。ですが、それを個人的な良し悪しであり、だからアニメが駄作であるとはいえないわけです。
実際に、鋼の錬金術師に関しては、TVから始り、劇場版まで見て行きますと、その世界観に引きずり込まれ、話の終焉に納得いく出来になっている事でしょう。
その上で、あえて、先ほどの命の搾取の話を持ってきたのですが、さて、エドはそれから先、どのようにその事と向き合っていくつもりなのでしょう。
少なくとも、劇場版の終りにて生活している場所のままでは、その疑問がおざなりにされても仕方がない。むしろ、その事に悩まず、苦しまず、その目的の成果が出なかったとしても、精一杯生きて欲しいと思うのは私だけではないと思うわけなのです。
一生懸命に生きている人もいる中で、そうした人を騙す人がいる。なんとも嘆かわしい事です。
ニュース記事でありましたが、東京都における振り込み詐欺が激減しているそうです。それはしかし、逮捕されているからというわけではなく、所轄の方々が銀行を回ってるからなのです。
問題は、いつまでもそうした事は出来ないという事でしょう。
それだけが仕事ではありませんし。そこにしかいないとわかれば、別の犯罪のきっかけになる可能性もあるのですから。
やはり一番は、家族や知り合い同士で気をつけあうように確認する事。自分だけは大丈夫だとは思わないことでしょう。
以前、我が家にもかかってきました。それはとある業種に関するものであったのですが、上司を名乗る人物からです。しかし、声がどうにも若い。年を経ている感じが全くしないのです。若々しく感じるというわけでもありません。
電話には私がでました。こちらの名前は言いません。すると、いきなり●●の△△と言います…と話を始めました。これはおかしい。少なくとも、そのように例えば、企業や部署、役職などを示すはずがないと思いまして、どちらの△△さんでしょうか、このように尋ねました。
すると、一瞬慌てた様子で、もう一度同じ●●の△△ですと言ったので、ですからどちらの□□の△△さんでしょうか、と尋ねたわけです。その瞬間、電話は切れました。これで確信が持てます、その電話は間違いなく詐欺の電話です。
直後、関係各所に電話を入れました。思ったとおり、同じ様な電話が別の方にもかかってきており、危うく、騙される所だったといいます。
人を疑う事は、決して気持ちいいものではありません。ですが、少なくとも自分の身分を明らかにしない相手に、新説丁寧に対応をしたとして隙を見せれるものではありません。そうした緊張は伝わるものだと思うのですけどね。
我が家の家族には、少なくとも、そうした電話がかかってきたとして、本当に不利になるのだとしても本人に対して直接確認が取れなければ相手にする必要はないと伝えてあります。少なくとも、自分であれば、非通知などで所在も明らかにしないままで家族に電話しませんし。
そうした状況になれば、警察から話が行く事などないのも知っていますし、電話があるときは、入院しているか死亡確認に来てくださいという時ぐらいです。少なくとも未成年でなければ、そうした事故・事件は本人と司法との関係しかありませんから。
家族に迷惑がかかるのは、その関係で家宅捜索がある場合ですし、令状もなくそうした行動を取ることなどありませんから
本当に身に覚えのない場合、すぐさま警察に連絡するのが良いでしょう。たとえ、それが本当に警察であったとしても、電話をするのは自由ですから。それで確認してもらえば良いんです。
それが本物であれば、電話する事に躊躇する事もないのでしょうしね。それで躊躇するようであれば…いろいろ考えると怖い話ですねぇ…。
そんなこんなで本日はここまで。
さて、今回は2005年に公開されました「劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者」です。

先週の続きと言う事になります、劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者。これはTVで放送されました最終回の続編…ではなく、完結編と位置付くものです。
エドワード・エルリックがいるのは、1923年ワイマール共和国ミュンヘン。
第一次世界大戦末期のその時代、それでも人々はその日の糧を求め生活をしている。何事も変わりなく、ただ戦争という非日常的な状況が、人々の心を荒廃させたのは事実であったらしい。その戦争も終結し、しかし、ドイツ帝国にとって屈辱的なヴェルサイユ条約締結後、国の名も、ドイツ共和国と帝国時代の名残を残さないようにされてしまった、そんな時代にエドはいた。
その世界において、錬金術はあくまで想像上の産物であり、代わりに科学が発達していた。同じ様に、この世界に住んでいる父、ホーエンハイムによって、この世界では動かす事ができない機械鎧からこの世界に即した義肢を付けていた。
この世界に骨をうずめる覚悟をしているホーエンハイムとは異なり、エドは自分の世界に帰ろうと様々な人物や文献を探している。
錬金術が命を利用するというのであれば、それを使わない方法で扉を開けようとしていた。
この世界でエドはルームメイトと暮らしている。アルフォンス・ハイデリヒ。名も顔も、エドが記憶する弟にそっくりのアーリア人である。アルフォンスはエドの話す異世界の話をエドの創作であると思いこんでいるらしい。
だが、その情熱は認めている。何故なら、自分にも情熱を注ぎ込んでいる事があるからだ。
ロケット。それも有人飛行が可能な高速で空を飛べる機械。それの完成が病に犯され先の短い自分の生きた証…それを信じて仲間と共に情熱を注いでいた。
だがしかし、その情熱すらも自分の欲求のために使おうをしている者たちがいる。
それは、伝説にあるシャンバラに向かい、その奇跡なる力で世界をその手に収めようとしている者たち。そして、エドは知る。そのシャンバラこそ、エドの知る自分の世界であり、奇跡なる力こそ錬金術であると。
自分の世界に帰る事と自分のいた世界を守る事。その相反する葛藤の中でエドは一つの選択を決める事になる…。
エドたちがエドたちの世界で使っている錬金術。それが映画でのエドのいる場所、もうひとつの世界で失われた命がその原動力であるという事に驚愕するばかりです。
ですが、これは原作にも通用する話で、原作におけるアメストリアの錬金術は、ホムンクルスたちが言う所の「父」によって制御されている節があります(実際にそのような描写がありました)。つまり、命を媒介にしている状況に代わりがないという事になります。
エドにとって、原作であれアニメであれ、それが命である事に違いがないのは間違いなく、これから原作ではその葛藤と向き合う事がやってくるのでしょう。
アニメ版では、そうした葛藤は終盤にありました。ただ、一つ問題となるのは、その錬金術を使用不可能にはしていないという事実です。要するに命の搾取は終わっていないという事になります。
一つにそれをすると言う事は、恐らく2~3年はアニメを続ける必要があったのかも知れません。現状であれば、それも可能なのかもしれませんが、当時におけるアニメというのは基本的に深夜枠。ガンダムなどのネームバリューでもない限りは、一年間持つことすら疑わしかったわけです。
しかも、原作途中のアニメ製作には、何かと人気にかげりが出やすくなるものです。
実際に、このアニメ版でも原作好きの中から批判される状況にありました。ただ、先週にも記載しました事を更に追記させていただきますと、原作(漫画)をそのままアニメにするのは不可能な話です。何故なら、それは漫画というフィールドにあって完成されたものであり、材料ではないからです。
とすれば、アニメはあくまで原作を材料にした作品なのではなく、大半、原作者が関われない、アニメ関係者責任の上での別作品と言う事になるわけです。
それは一つの完成品。その仕上がりの是非はすべてアニメ製作者の双肩にかかっているだけであり、原作はなんら関係はなくなるという事になるわけです。
私自身の原作とアニメの見解は、やはり原作が終了してからアニメ化するのが望ましい事に代わりがありません。ですが、それを個人的な良し悪しであり、だからアニメが駄作であるとはいえないわけです。
実際に、鋼の錬金術師に関しては、TVから始り、劇場版まで見て行きますと、その世界観に引きずり込まれ、話の終焉に納得いく出来になっている事でしょう。
その上で、あえて、先ほどの命の搾取の話を持ってきたのですが、さて、エドはそれから先、どのようにその事と向き合っていくつもりなのでしょう。
少なくとも、劇場版の終りにて生活している場所のままでは、その疑問がおざなりにされても仕方がない。むしろ、その事に悩まず、苦しまず、その目的の成果が出なかったとしても、精一杯生きて欲しいと思うのは私だけではないと思うわけなのです。
一生懸命に生きている人もいる中で、そうした人を騙す人がいる。なんとも嘆かわしい事です。
ニュース記事でありましたが、東京都における振り込み詐欺が激減しているそうです。それはしかし、逮捕されているからというわけではなく、所轄の方々が銀行を回ってるからなのです。
問題は、いつまでもそうした事は出来ないという事でしょう。
それだけが仕事ではありませんし。そこにしかいないとわかれば、別の犯罪のきっかけになる可能性もあるのですから。
やはり一番は、家族や知り合い同士で気をつけあうように確認する事。自分だけは大丈夫だとは思わないことでしょう。
以前、我が家にもかかってきました。それはとある業種に関するものであったのですが、上司を名乗る人物からです。しかし、声がどうにも若い。年を経ている感じが全くしないのです。若々しく感じるというわけでもありません。
電話には私がでました。こちらの名前は言いません。すると、いきなり●●の△△と言います…と話を始めました。これはおかしい。少なくとも、そのように例えば、企業や部署、役職などを示すはずがないと思いまして、どちらの△△さんでしょうか、このように尋ねました。
すると、一瞬慌てた様子で、もう一度同じ●●の△△ですと言ったので、ですからどちらの□□の△△さんでしょうか、と尋ねたわけです。その瞬間、電話は切れました。これで確信が持てます、その電話は間違いなく詐欺の電話です。
直後、関係各所に電話を入れました。思ったとおり、同じ様な電話が別の方にもかかってきており、危うく、騙される所だったといいます。
人を疑う事は、決して気持ちいいものではありません。ですが、少なくとも自分の身分を明らかにしない相手に、新説丁寧に対応をしたとして隙を見せれるものではありません。そうした緊張は伝わるものだと思うのですけどね。
我が家の家族には、少なくとも、そうした電話がかかってきたとして、本当に不利になるのだとしても本人に対して直接確認が取れなければ相手にする必要はないと伝えてあります。少なくとも、自分であれば、非通知などで所在も明らかにしないままで家族に電話しませんし。
そうした状況になれば、警察から話が行く事などないのも知っていますし、電話があるときは、入院しているか死亡確認に来てくださいという時ぐらいです。少なくとも未成年でなければ、そうした事故・事件は本人と司法との関係しかありませんから。
家族に迷惑がかかるのは、その関係で家宅捜索がある場合ですし、令状もなくそうした行動を取ることなどありませんから
本当に身に覚えのない場合、すぐさま警察に連絡するのが良いでしょう。たとえ、それが本当に警察であったとしても、電話をするのは自由ですから。それで確認してもらえば良いんです。
それが本物であれば、電話する事に躊躇する事もないのでしょうしね。それで躊躇するようであれば…いろいろ考えると怖い話ですねぇ…。
そんなこんなで本日はここまで。


