知人と話をして、あ、これ話として良いかも…と思いましたので、今回はその話をば。
アニメ、特撮、小説、ゲーム。作品を発表する中で、こうした区分けというのはどうしても出てくるものです。こうした各媒体で見ていて面白くないと感じている人も少なくは無いのでしょう。
例えば、特撮は苦手とか、アニメは苦手とか。そうした話を聞いていると、面白くないその原因は「白々しさ」に我慢できないというものらしいというのが分かってきました。それは一体どういうのかといえば、つまり、堅く書いてしまえば、正視できないというものです。
この話の前提として、その媒体の作品である事を否定する事は含まれません。作品としての批判ではなく、単なるその媒体では見る事が出来ない場合と言う場合にです。
私にも経験があるのですが、嫌いというより、苦手としている分類がるわけですが、その関係の番組を見るたびに「ぎにゃぁぁぁぁぁっ!」と叫び倒したくなります。それは、気恥ずかしくて堪らないわけです。その事を知事に話した際、「わたしは特撮がそうだわ」と言われました。
そう考えると、いわゆる物語としての嘘=白々しさがどうにも我慢できなくなるからこそ、苦手としている…という事が考えられるようになるわけです。
さて、今回は1989年に発売されました「未来忍者 -慶雲機忍外伝-」です。

ナムコシステムII基板の第3弾として登場した、近未来を舞台とした忍者アクションゲーム。 ロボット忍者・白怒火(しらぬい)を操作し、剣と手裏剣を武器に、森・都会・山・洞窟などを回りながら機忍軍団と戦い、サキ姫を救出する…というものですが、この作品、実はゲームだけに留まるものではなかったのです。
同年、同タイトル(正確には「慶雲機忍外伝 未来忍者」)でオリジナルビデオ作品として発売されたものですが、その内容は根本=サキ姫を救出するものとしては同じなのですが、その道中があまりにも異なるものでした。
ゲームの方は基本的にはアクションシューティングゲームで、主人公の白怒火を操作し、現れる敵を倒して進んでいくタイプのもので、様々なアイテムが出てくるのですが、操作はかなりシビア。明らかに初心者向けには作られていない…というよりはオリジナルビデオ作品に便乗させるような形での発売となったわけです。
ただし、音楽はかなりの評判であったらしく、映像作品のサントラと一緒に一枚のCDとして売り出されたのですが、結構、遜色なく楽しめるものに仕上がっていました。
オリジナルビデオ作品の方は、別の機会にレビューするとしまして…といいましても、かなり特徴のないゲームであるのは間違いなく、また、褒める部分も少ない、かといって、貶す部分もない…空気のようなゲームであった印象が拭えません。
ステージ数は全部12。残機数ではなく体力メーター(これもオリジナルビデオ作品の方では気力メーターとして使っていたはず…)となっており、それが0になればゲームオーバーになるものです。
基本的には覚えていけば先に進めるパターンタイプのゲームですので、自然にお金を投入する機会が増えていくわけですが、それだけリピートが高かったのか…それはわかりません。
個人的に言えば、面白い面白くないではなく、あればやっているゲームでした。ワンコインでどこまでいけるのかを試すと言う意味では、立派なシューティングとしての要素があったと言えるのでしょう。そうやって楽しんでいる人が多かったような気がします。
ただ、オリジナルビデオ作品の中にあった様々なアイテムや乗り物など、もう少し、そうした要素を取り込んで欲しかったというのも事実であり、今ならそうしたアイテムを取り込んでくれているのだろうと思いつつ、それでも、そうしたアイテムを取り込んでしまうと、よりつまらなくなってしまうような気がして、何とも微妙なバランスの上に立っているゲームであると再認識しました。
様々な媒体で一つの作品を紹介し、相乗効果で売り出す=マルチメディアミックスは最近では当然のように使われている手法です。それにおける弊害は、一つに他媒体における作品の変化が最ものような気がします。つまり、雰囲気の変化というものです。
原作にこだわる場合(それがどの媒体であろうとも)見た場合のは批判は凄まじいものがあります。言い換えれば排除行動です。ただし、中には原作となった媒体を知らずに別媒体を始めて見たという人も大勢いることでしょう。そうなると、原作の方に違和感を感じるのは当然の話です。
これは作品の白々しさというのにも通じるもので、よく起こる現象です。ただし、考えてみれば、その原作における表現はその媒体を基準にして考えたものである以上、それを別媒体にする際には、やはり違和感が出て当然なわけです。よほどうまく作っていたように見えても、全ての原作ファンを喜ばせると言う事は、場合によっては新規顧客が獲得できない可能性も出てくるわけです。
こうして考えると、媒体とジャンルの白々しさが掛け合わされればそれだけ、得手・不得手の作品が出てくるのも当然の話。不得手=排除にならないような楽しみ方を見つける事が一番、楽しい事ではないのかとも思えてくるわけです。何せ、時間が過ぎれば苦手としたジャンル・媒体も見れるようになってくるかもしれませんし。そうなった時に変な先入観=嫌いという事で楽しめなかったらつまらないですから。
苦手な場合は苦手と認めたうえで付き合っていくのも良い事かもしれません。
そんなこんなで本日はここまで。


