リニアモーターカーを名古屋に止めよう!…志は分かるのですが、無駄のような気がするのは地元に住んでいても感じる話です。その一番の理由は、現行の新幹線で十分じゃない。東京まででも2時間弱、大阪でも1時間強。おそらくリニアで東京~大阪であれば1時間強~2時間ほど。途中でわざわざ止める必要があるのかしらと考えてしまいます。
例えば、1時間に5本走っていたとして、その内の1本が止まるというのであれば、九州まで、また東北までという長距離の移動には便利な事でしょう。あくまで東京から大阪に限定する可能性があるのならば、その1本もいるかどうかと思ってしまいます。
便利なものであるから、目新しいものであるから、だから、人が集まるという前時代的な発想はなくした方が良いと思うのですけどね。
ただし、新しい都市を作るというのであれば、それは候補地に入れる必要があると思うのですが、ではその候補地というのは何なのでしょうか。
さて、今回は1995~1996年に放送されました「新世紀エヴァンゲリオン」です。

もう、通常のレビューはいらないのではないのかと言われる作品の一つです。
簡単にストーリーをば。2000年に起こったセカンドインパクトという大災害後に生き残った人類に対して脅威として降臨する使徒。それを迎撃するために作られた戦闘都市「第三新東京市」。そして、決戦兵器として存在するエヴァンゲリオン。そのパイロットに指名されたのはいずれも14歳の少年少女であった。その一人、碇シンジは、自分の存在に悩みつつもエヴァンゲリオンに乗り、使徒を迎撃していく。しかし、その行為が何かに操られたものである事を知る由もなかった。そして、人と人の境界が崩れ…。
…と、簡単には記載できない濃い内容の作品であったと再認識。上の記述も間違いではないのですが、短すぎ。そして、一番の問題としては本質を語りきれていないと言う事にあるのです。
ただし、この本質と言う問題は、TV版に関して恐らくは監督であっても語りきれないであろうという事は、最終話を見れば理解できるのではと思います。まとめきれなかったと言うよりも、スタッフ内での論争があったのかな?という感じを放送当時印象として受けました。(※実際に何かしらの問題が多発した作品と聞いたのは、後日の事)
物語の根底にあるのは、宗教的思想・哲学的思想であるのは受け止められるのですが、それを絵文字にするのが難しいという作品であります。
当然、個人的な好き嫌いというのも個人のレビューである以上、加味されていくものですが、この作品はどちらでもないと言うのが自分の中における正解であると思うのです。その理由としては「未だ完結をしていない作品であるから」。好きも嫌いも決められないのです。好みか苦手かは区別できますけどね。
テレビにおいては26話。映画を二回公開し、今、新たに三作目(正確には三作目群)を公開中、更には漫画も連載中というこの作品。いずれも完結までには至っておりません。確かに、映画では完結したかに見えましたが、何を言いたいのか全く理解できない…いえ、出来ていない状況では完成したと言えるはずも無く、結果三作目の制作に取り掛かったというのが背景にあるのではないのかと思う次第です。
TV版に至っては、大きく広げた風呂敷をたたまないままで終わった事についての賛否両論が当時噴出してきたものですが、もし、それを無視し、なおかつ映画は全くの別物として製作していたら、それはそれで評価できた事でしょう。
作品中では「何かを行うと何かが終わる」という雰囲気を匂わせてきました。それぞれの立場によって匂わせてきたのです。でも、匂わせた割には、その匂いが消えることなく、ただ蔓延しただけ…それで、映画版でその匂いはコレですよ~と種明かししたつもりであったのが、実は少し分量を間違えていた事に気付き、再度、訂正してみた…。
これはアマチュアのやる趣味でならば許される事でしょう。ただし、本編はいざ知らず、その周りは爆発的に商品が生み出され、多額な利益を生んでいきました。その点に関しては、昨今のアニメなど足元に及ばないほどの評価が関係各所では、なされている事でしょう。関係各所ではね。
そういう意味では、今回公開している三作目関係にはある種の期待があります。どのようにまとめるのか。作品である以上、それは製作者の命題であるのは間違いない話なのです。
混沌であるなら混沌として、慄然とするのであれば、整然とするのであれば…様々な言葉はありますが、今、TV版を見直し、二作の映画版を見直し、そして今作品を見る。そうした見方も場合によってはありではないかと思うわけです。
少なくとも、個人的感想としては、新作一本目を見た感想としては、TV版は見ておくべきであろうと思います。何故なら話がつながらないから。漫画版でも十分に補完できるとは思いますけど、全く予備知識を持たずに見るのは辛いだろうなと思いました。
長々とそれてしまいましたが、実際この話、26話で完結できるような話ではないのです。恐らくは32~35話ぐらいまであって、完結できるような話ではないかと。一年やるには間延びするが、半年では短すぎる。そんな物語のような気がします。
話のつかみとしては大変、面白い作品で好みの分類と言えるのですが、それに関わる人間模様は思わず苦笑するしかない状況でありました。当然、知り合いと喧々諤々と話をしていったわけですが、今思えば、コレは既に製作者側の思惑にどっぷり浸かっていたのかと思う節もありました。
正確には製作者側といっても、完全に制作している人たちの思惑ではないのですけど。
でも、不思議な事にグッズには手を出しませんでした。LDとプラモだけかな、ムック本には手を出さなかったのです。ソレは何故だろうと考えてみれば、「設定はテレビを見ていれば分かるから。人物の心理は読解するものではないから」。
案外、親切な作りであったのですね。設定は見ていれば100%とまで行かなくても楽しむ分には理解できますからそれで十分。そして、登場人物の心理など、自分で考えてみるべきものですから解説などで理解する事など物語としてあってはならないわけです。それを汲み取れるように制作するのが物語というものですから。そういう意味では見事であったと思うわけです。
ただし、それが製作者の能力を超えた結果もこの作品では見せてくれたわけで、それが終盤も終盤、残り二話に言える事であります。
その結果が未完成の傑作を生む原因になったのは否めません。思うに、こうした作品の締めというのは、本当に難しいものです。言ってしまえば、何十年、何百年とかかって作られるはずの神話を一ヶ月で完成させよと言っているようなものだからです。しかも、多くの人の手によってではなく、極限られた人の手によってです。
決して、この作品に携わった方々が才能不足であるわけではないのです。作品がその才能を超えてしまったと言うだけの話です。言い換えれば、関係した人々の経験不足によって完結できなかったと言えるのかもしれません。つまり、当時という時代においては早過ぎた名作であったと言えるかもしれないわけです。
今回記載した作品には東京は存在しません。今の日本では考えられない話ですが、しかし、それが現実に起こらないとはいえない状況でもあります。言い換えれば、絶対に存続する保証などどこにも無いといえるわけです。当然、これはどこの場所にも言える話ですが、しかし、東京の問題は日本の機能が一極集中しすぎている点にあります。
政治・経済がこれほどまでに集中している国を私は知りません。確かに、日本という国は狭いわけですが、今、地方格差も出ている関係上、何かを移動させる必要はあるのかもしれないと思うのです。
経済の移動はまず不可能でしょう。それを行うための労力も資金もありはしないのです。しかし、政治というのはどうなのでしょうか。
例えば、次期新幹線であるリニアモーターカーの停車駅を長野付近にしてみる。そこに政治の中心を持ってきてみる。地震・台風の被害に遭い難い場所であれば、それだけ日本が危機的状況であったとしても、機能が損なわれる事はありません。何より、富士山が噴火した際に、その火山灰は東京方面に流れる予測もされているわけです。そう考えても、かなり良い場所であると思うのです。
何より、過疎に悩んでいる村に資金が流れていく事になります。地盤も整備されていく事でしょう。更に言えば、そうした緑の中での政治はこれから重要視される地球規模の環境問題に目を向けるためにも良い環境ではないのでしょうか。
乱暴な話ですが、しかし、こうした構想はあっても良いはず。何も東京だけに全てを集中させ、そこが壊滅してしまっては意味がありません。豪雨や豪雪で不便になるような場所なのです。無理に留めておく必要もないと思うのですけどね。
そんなこんなで本日はここまで。


