現実は時として希薄な状況を作り出すものです。それを容易に感じ取れる方法、それはテレビを見ることでしょう。テレビの向こうに起こっていることは事実であるのかもしれません。しかし、それを事実と立証できる方法はあまりにも少なく、また難しいものです。
だから逆に言えばあり得ないこともあり得ないと立証する事が難しいのでしょう。それを冤罪というわけですが…。
そこにある問題は、決して人事ではなく、そして遠くにあるものではないのです。テレビの虚構が現実になるとき、それが幸せならばいざしらず、不幸せならば、どう理解するべきなのでしょうか。
その答えはその時にしか出せないものかもしれません。
さて、今回は2004年にスカイパーフェクTVにて公開開始されました「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」です。

TVシリーズ前作の続編として製作された2nd GIGは、基本的な設定は当然継承しつる、しかし、最終ボスはあえて設定しないまま話を進めていくドラマ性の強い作品といえます。前作では明確な笑い男という存在があったのに対し、今作における個別の11人はその存在自体がありながらも存在しない…テレビドラマの登場人物のような形を取っています。
その事件は、自衛隊の訓練から始まる。訓練中に戦闘ヘリ・ジガバチのパイロットが死亡。しかし、電脳は生きている為に防衛プログラムが働き、帰還命令に従わないという事故が発生する。秘密裏に解決を模索している中、公安9課課長・荒巻は、その事件を嗅ぎつけ、同期に接触する。情報を聞き出し、9課に戻ろうとする荒巻の前に一人の男が声をかけた。
合田一人・内閣情報庁戦略影響調査会議代表補佐官という肩書きを持つ彼は、今起こっている事件に対しての秘策があるという。しかし、その条件として一切の命令を自分が出すというものであった。合田の指令下に一時的に入り、無事、ジガバチの帰還を成した素子たちであったが、素直に喜べるものではなかった。
その当時の日本は、戦後における難民問題が国の財政を圧迫しており、同時にそれを排除しようとする動きがある。しかし、政府…特に現政権のトップである総理大臣・茅葺よう子は特別救済法の立法を、自分の公約としていた。
この物語の中核にある難民問題は、実の所、今の日本にも無関係とはいえない話であるわけです。正確には単なる難民問題ではなく、移民問題とした方がいいのではないのでしょうか。日本は国外からすれば先進国として知られているわけですが、しかし、その先進国でありながらも、現在、海外からの労働力を求める声は日増しに上がってきており、代わりに日本国籍にある者の労働力がそがれていくという問題に直面しています。
おおよそ、日本国内の労働力にて賄いきれない場合であるのならば、海外にその労働力を求めるのも当然の話でしょうが、企業がもとめるのは、既に能力のある労働者か、もしくは賃金の低い初心者であるわけです。
そこまではっきりと描かれているわけではないのですが、しかし、この作品の中にも浮浪者は数多く存在し、そこから格差社会である事も容易に想像できるわけです。
難民は九州地区の出島に隔離されており、そこから出てくることはまずあり得ない。ならば、と難民たちが動き出したのは、出島自体を独立させるというものであった。そのために、動き出したのは、かつて難民救済を非難し自決騒動を起こした個別の11人と名乗った上の一人、クゼ・ヒデオである。
彼は、自身の義体と頭脳を駆使し、電脳化している難民の意識を自分にリンクさせ一つとさせていた。それによって、暴動を起こさせることなく、纏め上げていた。だが、その無線通信は妨害電波によって遮断される。リンクが切れた難民たちは、恐怖からデマを信じ、自分から発砲を始めてしまう。
当初、ありえるはずのなかった暴動が現実化してしまい、それを抑える為に行動するクゼ。そのクゼを抑える為に素子たちは出島に侵入する。
上に記載しませんでしたが、当初は核という武力によって独立を果たそうとしていました。これも現実世界にリンクしたものです。しかし、その核が偽物であったとわかった時、誰がという重要な部分を除いて、クゼは全てを理解したようです。そしてクゼ自身が選んだ選択は、素子にとって以外なものであったのです。
前作は病気、今作は軍事。いずれも日本にしてみれば、重要となる案件であるのは間違いありません。現在、日本には武力は存在しません。自衛隊はあくまで防衛力であり武力ではないというのが法的見解であるわけです。しかし、隣国…いえ、世界をみればどれだけの武力が散らばっているのでしょうか。日本はそれでも「戦争は起こるはずがない」と言っています。
しかし、現実を見てください。実際に戦争は今、この瞬間も起こっているのです。
軍事力を持つことがアジアに対する刺激であるというのならば、その相手の持つ軍というのは如何なるものなのでしょう。あまり、気持ちの良い話ではないのですが、しかし、いつか…いえ、今でも避けられない問題、それをテーマとしている作品ではないのかと思うのです。
去る6/21の記事にイラク特別措置法が成立したと記載されています。この特別措置法は間違いなく戦争の続きが未だに成されているという証拠であり、そこに大国の意思が未だに介入しているという現状を示しているものでもあります。
戦後六十数年という言葉が使われるわけですが、未だに戦争は続いています。
ただ、それらは形を変え、状況を変えて続いているだけであり、それが露呈した状態になれば、イラクのように全ての命を無駄にする破壊行動へとなっていくわけです。
我々日本人は六十数年前に自衛以外の暴力を放棄した民族であるはずです。なのに、どうして戦争の加担をしているのでしょうか。その疑問に答えれる政治家は恐らく一人もいないのでしょうし、そうした政治家を選び続けている国民もまた同罪なのかもしれないのです。
そんなこんなで本日はここまで。


