さて、今回は2001~2009年に連載されました「仮面ライダーSPIRITS」です。
※現在、「新仮面ライダーSPIRITS」として月間少年マガジンで連載中ですが、今回は、月間マガジンZで連載されていた作品です。

ジンドグマという秘密結社があった。少なくとも、それが日本で確認された最後の秘密結社であった。彼らの目的…いや、それまでにあった幾つもの秘密結社の目的は、世界征服であった。世の中からすれば荒唐無稽も話であったのだろう。今の世の中でそれを信じるものは少ない。
だが、それを目の当たりにしてきた人物がいる。滝 和也…FBI捜査官でありあながら、しかし、その話をホラ話として笑い飛ばされてきた男であった。
しかし、彼は知っていた。ゴリゴリとする体の中に、人の心を燃やし、遥かに強靭な力で正義を成す男たちの事を…。
滝は彼らを友と呼ぶ。今も尚、どこかで戦い続けている男たちの事を、語り続けながら…。
だがしかし、悪夢は再び滝の前に舞い降りてきた。人ならざる者たちが、人を蹂躙し始めたとき、滝は彼ら友の名を語り立ちはだかる。
仮面ライダー。それは正義の名、悪への反逆の名前であった。
しかし、滝は人間。彼らとは違う。
脆弱な人の肉体を捨て、鋼鉄の皮膚、機械の内臓、そして人ではない動物の姿に変わり、強大な力を得た怪人たちに、滝の力は無力に近いものであった。悔し涙を流す滝…しかし、その時、一人の男が風と共に現れた。
男は言う。今日は俺とお前でダブルライダーだと。その男の名は、本郷 猛。またの名を仮面ライダーと言った。
昭和より平成の時代を経て尚、作品が続けられている仮面ライダー。その中でも、いわゆる昭和ライダーの作品を再編集し、マンガと言う領域で作品にしたのが、この仮面ライダーSPIRITSです。
1971年に放送が開始された仮面ライダーから、10号ライダーである仮面ライダーZXまでを題材にした本作品は、全ての仮面ライダーを主役としながらもその中心に仮面ライダーZXを持ってきており、その世界に連なるものとして、これまで登場した悪の秘密結社を、ZXで登場したBADANにつなげるという形にしました。
これは、AXのストーリーを踏襲するものとなっており、それまでの仮面ライダーとの特撮という世界では難しい、コラボレーションを実現したものとなっているわけです。
ちなみにZXは映像化はされておりますが、「10号誕生!仮面ライダー全員集合!!」というテレビスペシャルの一回のみとなっています。後は雑誌企画での連載となっていた仮面ライダーであるわけです。
コラボレーションと言う話しですが、実際、改造人間である彼らは年を取ると言う事はないのでしょう。しかし、特撮と言う世界では、役者さんも年を取ります。その昔、ライダー集合の話も幾つかありましたが、やはりそこに全員を集合させるのは、難しいものであります。
思えば平成ライダーでも同じように兆戦しましたが、それが成功したものであったかどうかは…受取りて次第なのかもしれませんね。
さて、そんなライダー大集合な作品なのですが…少し、というか一人足りないなぁと思う次第なのです。
それは、仮面ライダーブラック、およびRXです。
平成の仮面ライダー作品の一つである仮面ライダーディケイドにも出演していたのは記憶に新しいのですが、しかし、このマンガの中では出てくる事はありません。
その理由はただ一つ、ブラックとRXはZXの後になるという事なのです。
これは仕方がない話しなのですが、それはそれとして、原作者である石ノ森先生とは異なる、この作品を描き続けている村枝先生版のブラック…いえ、南幸太郎を、その変身を見てみたいと思うのです。
何故なら、この作品。仮面ライダーが必殺技を使うシーンにも迫力があります。また、その変身後の姿も、特撮で見なれたスーツの特色を良く掴んでいます。
ですが、何より心を掴んで離さないのは、彼ら仮面ライダーの変身シーンなのです。
そう、変身ベルドがあれば尚良し、なくても、腰にそれがあるつもりでやった変身ポーズ。それが、彼らの覚悟と共にマンガとして描きつづられている。
そこにあるのは憧れであり、そして必ず何処かにいるはずの正義の味方。その登場シーンであるのです。
と言う感じで思うところとしては「変身」と言う事で一つ。
その昔、例えば紫頭巾とか月光仮面とか、僕等を守ってくれるヒーローはテレビの中に必ずいまして、それを真似してみたものです。
年齢によって、それが仮面ライダーやウルトラマン、変身忍者嵐であったり、忍者部隊月光とか、宇宙刑事ギャバンだったり、超人機メタルダーであったり…平成になってみても、それは変わらないと思うわけです。
しかし、最近の変身シーンは、正直、結構淡白だなぁと思う次第。でも、ロボットアニメでも、いわゆるリアルロボットがより多く出てくると、必殺技も叫ばなくなりましたと思うのです。
そうした背景にあるのは、恐らく、時代劇が少なくなったからなのだろうなぁと、個人的には思っております。
最近、水戸黄門の再放送で、第一部から始まっているのですが、「この紋所が目に入らぬか!」って印籠を出すのは、三部以降からなんですよね。しかも、台詞が微妙に違う。
何かしっくり来ないものを感じる次第です。面白いのは面白いんですよ。でもねぇ…って感じになるわけです。
日本は見得を切るという芝居に親しんできました。言い方が悪ければ、マンネリと言う奴です。
しかし、そこには安心感があったわけです。ただし、単なる安心感ではないのは、これまでの芸能の歴史が証明している事なのです。
見得とは見せ場でもあります。その見せ場をどうやれば、より素晴らしく見せる事が出来るのか。まさに、それが芸事の本懐でもあるわけです。
同じ様に、特撮の世界における見得、アニメやマンガに世界における見得というのがあるわけで、それが如何に素晴らしく見せる事が出来るのかが技術の進歩でもあると思うわけです。
決して複雑が良いのではなく、例えば、仮面ライダー1号と2号の場合は、技の1号に力の2号の異名がつけられた様に、その変身ポーズも少し違っているものになりました。
それこそ、見得を切ると言う事でもあり、舞台であれば掛け声の一つでもかかるような場面でもあるわけです。だからこそ、絶対にその場面は手を抜かずに放送していたのだと思うのです。
最近は見得を切る場所が変わってきました。必殺技の場面で多くなってきたわけですが、それも決して間違っているとは思えません。しかし、少なくとも、今やっている仮面ライダーWのように、少し変身ポーズに意味を持たせて見るのも良いのではないのかと思うわけです。
子供って案外そう言う事に敏感な部分がありますし、それがより真似やすい真似への第一歩にもなるのだと思うのです。
そんなこんなで本日はここまで。


