さて、今回は2009年に発売されました鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST Blu-rayとDVD 第1巻映像特典の「盲目の錬金術師」です。



 鋼の錬金術師ことエドワード・エルリックとその弟のアルフォンス・エルリックは、旅の途中でとある屋敷に寄った。その屋敷にかかえられている錬金術師の噂を耳にしたからだ。
 
その家…ハンベルガング家に仕える錬金術師、ジュドウが、禁断とされている人体錬成を成功させたというのだ。
 
大きな門、その内側にハンベルガング家の屋敷はある。大きな門を二人の警備員が開門し、エド達を中に入れると再び閉めた。中庭を進んでいく。エドはその短い間に、何か敵意を感じていた。門番に庭師…何をしたのか、皆目検討もつかないが、忌み嫌われている様子であるのは理解できた。
 
気がつくと、屋敷の方から、この屋敷の主であろう奥方と、その横に執事に手をひかれた錬金術師がやってきた。彼こそ、ジュドウであり、噂の錬金術師であったのだ。
 
エドは挨拶もそこそこに話題を切り出した。人体錬成…その言葉に奥方とジュドウは驚きの表情を見せる。一緒にやってきた娘のロザリーをその場から離そうとするが、しかし、ロザリーはアルが気に入った様子。
結局、アルはロザリーと一緒に遊び、エドはジュドウと奥方と一緒に池の中央にある東屋へ向かった。
 
東屋でエドは噂ではなく、きっぱりと自分の言葉で質問した。人体錬成は成功したのかと。すると、ジュドウと奥方は笑って応える。エドは既にその成果を見ているのだと…。そう、ロザリーこそ、ジュドウが人体錬成した結果であるというのだ。
 
アルと遊んでいたロザリーは、アルの兜が外れ、中身がカラッポであるのを知る。しかし、その事にあまり驚きを見せないロザリーはアルをどこかに連れていこうとする。
そこには、ロザリーの秘密があるのだと言うのだが…。
 
 
 
 鋼の錬金術師 パーフェクトガイドブックという冊子に外伝という形で漫画掲載されたものを特典映像化したもので、内容的にはほぼ忠実に再現されています。
 
15分ほどの作品ですが、もう少し長めにして、TV用にしたとしても十分に話をして使えるように出来ています。と言いましても、今現在進んでいる個所に入れようもないんですけどね。1クール目中盤の辺りであれば、十分にインパクトのある一話として活用できた。それぐらいいに十分な出来であると言う事です。
 
この回では敵が出てくるわけでもなく、軍に関係するわけでもなく。あくまで身体を取り戻そうとしている兄弟の旅路、その物語の一つという描き方がされているわけですけど、これも鋼の錬金術師では有り得た作風であるのは間違いなく、思い出せば第一話、リオールの街は、まさにその様子に近しいものであったと思う訳です。
 
物語も最終に向かうにつれ、どうしても善悪の形骸化が起こり…といっても、その方が伝わりやすいわけですけど、アクション面が強くなってきた状況にあって、こうした物語が特典映像としてもアニメ化された事は個人的に嬉しいのです。
 
今、原作では最終話に向かい、アニメもそれに準拠する様子で進んでいるわけですが、その終わり方が同一であれアニメオリジナルで終わることになるとしても、敵を倒してハイ終わり…はやめて欲しいものだと思うわけです。
 
賢者の石が命であるとするのであれば、禁忌と真理は何を指すのか。その答えとは言わなくても、何か何処かを指し示し、訴えて欲しいのだと思うのです。
…決して万事めでたしでは終われるとは思いませんしね、この物語は。でも、何がめでたしなのかも、わからないのも事実。
 
完全調和ではないからこそ物語だと思うのですし、それが面白いのだと思うのですけどね。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「命」と言う事で一つ。
 
鋼の錬金術師では、複数の生きた人の命を使って賢者の石を錬成します。その命という対価を支払う事で等価交換の原則を無視したかのような錬成が出来るわけですけど、それは命の等価交換という価値からすれば、十分に価値のある結果という話なのでしょう。
 
人が死ぬと、約2グラムほど軽くなるのだそうです。これが、魂の重さなのだといわれるのですが、これは死ぬと人は魂が抜けると言われているからなのでしょう。
 
霊感があるという人が稀にいます。意外に身の回りでも、強弱はあるものの、気配を感じる、目に見えるという人がいるはずです。霊気というのは、命でも魂でもないそうです。
 
人や動物だけではなく、植物にも生体エネルギーというのがあるそうで、それをオーラと言うのだそうです。…
 
 
…と話して行きますときりがありません。霊気、魂、精気、命…カタカナ語も含めれば、もっと多くの言葉が出てくる事でしょう。
 
人は人…いえ、物質が成長していく過程を厳密に理解しているわけではなく、結果としてそのように成長していくのだと理解しているに過ぎないのです。その過程で栄養が必要で運動が必要で太陽が必要で酸素が必要で…しかし、同じようにたんぱく質などを組み込んだとして、その生命足り得るのかといえば、それは出来ない事なのだそうです。
 
簡単に言えば、人は人以外から人を作り上げるのは無理と言う事です。
 
その原因は命そのものにあると言われています。
命…言葉では知っているものの、それが何であるのかは理解できない。もし、こうした文章を打つ、運動をする、物を見る、話しをする、食事をとる、排泄をする…そのほかも含めた諸々が脳内の化学反応で説明できるのであれば、人は人を介さずに人を作り上げる事が出来る様になるのでしょう。
 
精子も卵子もいりません。化学物質だけで人足り得る何かを作り上げるのですから。
 
ただ、それが人であるのかどうかはわかりません。人という定義への問題にもなるのでしょう。何より、今の人類がそれを人として認めるのかも疑問です。
 
 
命とは何か。一つの答えとしてあるのは、生まれ生き、そして死ぬものである。それが命であると厳密に言えるのです。
 
宗教が生まれる以前より、それは厳格に遂行されていた事柄であり人の何たるかの根本である、まさに命題のようなものなのです。
今一度、命とは何かを、宗教や経済などから離れ考えてみるべきではないのかと思うわけです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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