さて、今回は1992~1993年に発売されました「機神兵団」です。

時代は第二次世界大戦の頃。中国大陸…満州地区を走る列車の中に、一組の家族がいた。両親と少年が一人のその家族には、何かしら緊張感が漂っている。その夜、列車の急ブレーキに少年が目覚める。すると父親が、この人を尋ねるのだと、いきなり鞄と名前の書かれた紙マッチのケースを渡した。そして、少年には隠れているように指示する。
部屋の隣では何者かが、両親と言い合いになっている。いや、言い合いですらない。いきなりの発砲音。それが父親の命を奪ったのを少年は知る。
その発砲した人物…軍人は少年の前に立ち、鞄を渡せと迫ってきた。
しかし、その時、空が紅く光る…そして、空から異形の人形をした何かが降ってきた。
それは手に銃を持ち、誰であろうとも、発見した人を片っ端から撃っていった。その異形の者に恐怖した軍人の一人が銃で対抗する。しかし、衝撃は異形の者を自爆へと追いこんだ。
爆発により背中に重症を負う少年。さらに異形の者に囲まれ絶対絶命となる。
その時、列車の線路を震わす何かが近づいてきている事に気付く。それは確実にこちらに近づいてきており、尚且つ、戦闘体勢に入っていた。
それは巨大な機関車。何かと対抗するために作られた戦闘機関車であった。
機関車の先頭に装備された機関銃が火を放ち、少年は九死に一生を得る。だが、それだけで戦闘が終わる事はなかった。更に異形の者が空から降ってきたのだ。
それに対抗するために、機関車より降り立ったモノ。それは巨大な戦闘ロボットであった。その胸には雷の文字。
だがしかし、背中の傷や緊張感から、少年の意識は薄れていき、しかも、近くにあった川へと転げ落ちていく。そこに停留されていた小さな舟の中に転がり込んだ少年は、岸を離れどこかに流されていった。
それから2ヶ月後。あの時の少年は、とある町にいた。戦災で両親を失った子供達と一緒に暮らしているのだ。その少年の命を救ってくれた医者が会いに来る。
その少年…鷹村大志は元気良く、アパートを飛び出していくのだった。
原作は、山田正紀氏の同名小説(全10巻)ですが、内容は大きく違っており、また、主役が鷹村大志という少年であり、本作は基本的に彼の視点で語られています。
元々は機神兵団VSエイリアン軍団という図式なのですが、このアニメ版では、((関東軍VSドイツ軍)×エイリアン)VS機神兵団という少し面白い図式になっているのです。
関東軍は強力な兵器である機神を奪取もしくは製造したい。でも、エイリアンの技術“モジュール”を使っているので、それを手にいれるのも難しければ、手に入れたとしても実用化には時間がかかる。
その間、ドイツ軍は総帥によって、エイリアンとのコミュニケーションに成功し、独自の機神=パンツァーカバリエの製造に成功する。しかし、搭乗者がバタバタと死んでいく事がクリアできない。
唯一機神という兵器(といっても、対人用ではなく、あくまで対エイリアン用)の運用に成功しており、これ以上、エイリアンのオーバーテクノロジーが蔓延するのも、エイリアンに大地を蹂躙されるのも防ぎたい。
…まさに三者三様の有様であるわけです。
その争いの中に、巻き込まれてしまうのが、主人公である鷹村大志。父がモジュール研究の第一人者である事から、関東軍に狙われてしまい、その命を奪われてしまうわけです。
モジュールとは、アニメの中で詳しくは語られていませんが、襲ってきたエイリアンの一部、もしくは根底を成す何かである事は示唆されています。これを利用すると、エネルギー効率が飛躍的に上がり、莫大なエネルギーを必要とする機械を動かすだけではなく、その機械とのシンクロも可能になっていくという代物であるらしいのです。
その負の描写といえる部分が最終話にあります。関東軍の新開というキャラがパンツァーカバリエに乗りこむのですが、モジュールに乗っ取られていく描写があるのです。
機械を支配するのか、それとも機械に支配されるのか。言い替えれば、それは力に溺れていくのか否かを示している事でもあるように思えるわけです。
何かを支配するというのも、傲慢なように思えるわけですが、それでも、その有り様にもよるのではないのでしょうか。
支配というより、何かの指示を出すに辺り、明確にして揺らぐ事のない意思を見せる事。それは指示を出す側にとって、大事な事なのですし、受ける側にとっては安心してその指示を受け取る事が出来るわけです。
道具を使う際に迷いが出ると、怪我をする事がある。大工さんでは良く言われていた事と記憶しています。気の緩みではなく、その道具は何をするためのものであるのか。それをしっかりと理解して使う事。そして、使う側もしっかりと意識をして使う事。その一例をこの作品は示しているように思えるわけです。
と言う感じで思うところとしては「汎用」と言う事で一つ。
機神兵団では、雷神は列車で地上を、風神は飛行艇で空を、竜神は単独で水中を進んでいきます。それぞれ、陸海空を担当しています。決してどの場所でも十分に行動できる=汎用には作られてはいないわけです。
一方、ガンダムはどうでしょう。リアルサイズ=18mのガンダムを観ていたという話をしましたが、そのガンダム、いずれ動いたとして、もしアニメ通りであれば、陸海空全てがカバーできる=汎用という事になります。
汎用とは、様々な場所、状況に対応が出来ると言う事であり、決して万能ではありません。
例えば、車を生産する工場があります。Aという車だけを作る工場「あいう」とAとBとCを作る工場「いろは」があり、それぞれに一種類の工作機器で製造したとします。Aという車を作るにあたっては、「あいう」は「いろは」よりも、効率が良い=沢山の車を素早く作れるという事になります。しかし、BやCを作る場合には、「あいう」の工作機器は、再度調整するかもしくは破棄して新しい機器をいれなくてはなりません。一方、「いろは」では、問題なくAと同じ様に生産が可能なわけです。
この場合、「あいう」の機器は専用、「いろは」は汎用という事になります。
じゃ、万能という場合はどう言えば良いのでしょうか。それは、何も教えなくても、Dという車を作れる工作機器があったとします。それは確かに万能です。既に、対応が出来ているという事なのですから。
しかし、汎用は対応できるのでしょうが、出来るように慣れさせなければならないわけです。
では、人は汎用なのでしょうか、万能なのでしょうか。あくまで人は汎用。様々な事に対応できるだけであり、それを習得するにはそれなりの時間がかかるというわけです。
ガンダムが汎用であるという理由には、その動作を行なうには、人の経験が必要になってくると条件があるわけです。それが、すぐに慣れるという事は、主人公がどれだけスゴイのかを物語っているわけです。
機神兵団では、それを操作するには、特別な何かが必要なのでしょうが、それぞれの得意フィールドにより特化した=専用の操縦技術が必要になってくると言う事になります。
どちらが、大変な事なのかは、時と場合によって異なるのでしょうが、少なくとも人が万能ではない以上、それを得意とする人の協力を得る事も時としては必要になると言う事になります。
それによって、効率良く結果が出るのであれば、それは良い事でありますし、それを自分の中に経験として取り込めるというのは、貴重な事であると思うわけです。
教える事、教えられる事、助け合う事、手を差し伸べる事。それは人が出来る、人との付き合い方、互いを成長させるための手段、その一つであると言う事なのです。
万能である=一人で大丈夫と思いこんでいるよりも、誰かを助け、誰かに助けられる方が、より成長が早く、しかも深く濃く出来るのではないのでしょうか。私はそう思うのです。
そんなこんなで本日はここまで。


