さて、今回は1992年に連載されました「新鎧伝サムライトルーパー」です。

 1992年---人々は平和だった。かつであった妖邪界との戦いの傷もいえ、人々は、また、おのれだけの歴史をつづり始めていた…。しかし、人に捨てることの出来ない欲望があるかぎり、妖邪界は、たえることなく存在し、妖邪帝王・阿羅醐は、つねに人々の心のすきを狙い続ける。そしていま、そんな両者に、新たなる伝説が付け加えられようとしていた…。
 
 
 
 …という感じで始まるのですが、媒体は漫画雑誌、今はなき少年ボンボンにて6回だけ連載された作品です。
 
以前にも記載しましたが、元々、サムライトルーパー自体、一回15分作品で企画がだされた物であったわけですが、それが、TVシリーズを経て三度のOVAまで発売されたというのはサンライズにとっても驚きではなかったのでしょうか。
確かにその当時、ロボット物の低迷から等身大ヒーローへの移行がなされていたわけです。それでもロボット物を模索していた中において、いわゆる枠を停滞させないための作品。それがここまで人気がでるとは思っていなかったはずです。
 
実際に、声優がキャラソンではなく実名で歌手デビューし、コンサートまで開けた作品としては、その当時からしても異例であったはず。キャラクターがそうしたバンドを組むもしくは、歌手の真似事をするというわけではなく、あくまで歌っているのはそのキャラの声優さんであるというスタンスも、明確に表示されたのはその当時からしても数少なかったのです。
 
言い換えれば、それだけ人気の高かった作品であるにも拘らず、これまでリメイクの名前が出てこなかったのは不思議な事です。
 
1991年にOVA最終作となるメッセージの後に出てきたこの新鎧伝サムライトルーパーには、再びこの作品を世に出そうとし、様々な模索をしていた経緯が伺えます。
キャラクターデザインも、そのキャラクターたちがまとう鎧デザインも、テレビスタッフと同じ方がデザインをし、そして、設定画もあります。実際、雑誌連載時には、もしかすればテレビ化をするかもしれない…そんな文言もあったぐらいです。
 
ですが、1991年と言う時代には、すでにサムライトルーパーを放送していた時の条件とは大きく異なる状況になっていたのです。
 
その一つは、それまで放送していた名古屋テレビ(現メ~テレ)制作枠が消滅していた事。その前の年、1990年より始まった勇者シリーズ。その番組の放送途中で、放送時間帯が変更され、さらに、その番組を最後にそれまで名古屋テレビ制作であった同系列に連なる作品をテレビ朝日に移行するという事が起こったのです。
 
また、サムライトルーパーでもスポンサーであったタカラ(現タカラトミー)との提携が取りにくい現状もあるのだと容易に推測できます。
1994年にサンライズが資本提携という形でバンダイ(現バンダイナムコホールディングス・トイホビー バンダイ)の傘下となった関係で基本的にサンライズの作品はバンダイが玩具・ゲーム発売することになったわけです。それでも勇者シリーズをタカラで行っていたのではスゴイ事なのですが、それでも勇者シリーズ終了の後、タカラがスポンサーとなるサンライズアニメがない(ここら辺は記憶が曖昧なのですが、あえてこう言い切らせてもらいます)ために、こうしたリメイクもしにくいというのがあるのでしょう。
 
そういう意味では、魔神英雄伝ワタルもタカラであったわけですが、その権利は現在、バンダイにありますので、もしかすればこうした作品が今後ちらほら出てくるのかもしれません。
 
その一つがトルーパーであると言い切れるわけではありませんし、そうなったからと言って、この新鎧伝~がアニメ化されるとは到底思えません。また、トルーパーファンの中にはこうした新しい動きに否定的である人もいるぐらいです。それも仕方がないのかもしれません。
 
ただ、リメイク作品が全て失敗であったのかといわれれば、決してそうではない。新しい作品であると受け入れられれば、新しいファンを獲得することも不可能な話ではないのです。
そういう意味では、この新鎧伝~は、前作品とは一線を画して、新しい話として描く事もありえると言えなくもないのです。
 
そうした作品がこれまでなかったわけではないので、そう考えるのならば、この作品もリメイクが出ないとは限りません。
 
…と書き記してきたわけですけど、作品の中身に関しては記載していない…。
簡単に記載しますと、第三勢力が出てきてしまったので、何とかしなきゃイカン!・・・と言う感じなのですが、これでは端折りすぎ。上でだらだら記載しましたけど、もう少しお付き合いをば。
 
 
作品自体は、先ほども記載しました通り、サムライトルーパーと銘打ってありますが、TV放送のものとは別次元の物語であると認識した方が良さそうです。その一番の理由は、鎧ギアそのものにあります。
 
鎧ギアは元々、敵側の阿羅醐の体(と表現されていますが、これも鎧です)を九つに分けて、そこに仁義礼と言った、人の心を封じ込める事によって作り上げられたもの。しかも、その鎧自体が敵である妖邪の力を封じているのですからさぁ大変。
それを御するのに人の心を磨かなくてはならないという事になって言ったわけです。ところが、それに付けこむかのような存在、輝煌帝が鎧世界よりちゃちゃを入れてきたもんだからスッタモンダとなりました。しかも、その影というのが日本の遥かとーい場所に現れまして、日本に現れちゃって、烈火と光輪はさらわれるわ、んで鎧は暴走するわで…。
 
ま、↑の文章は読まなくてもOK。簡単に言いますと、鎧ギアというのは、OVA第二弾「輝煌帝伝説」において破壊されてしまったわけです。
 
あれ?じゃ、「MESSAGE」の鎧ギアは?…となりますが、これは、スズナギという「MASSEGE」オリジナルキャラの怨念が作り出した鎧ギアに代わる鎧ギアなのです。
さらに言えば、その鎧ギアを託された遼たちがそんなに簡単に次代へと鎧を継がせるというのもおかしな話です。鎧の力をその身に染み込ませたサムライトルーパーたちが、その力を持って何とするのか、その答えがそんなに簡単に出るとも思えませんしね。
 
もう一つ、TV版最終回で煩悩京に行ってしまったカユラが現世にいる事自体がパラドックスになっているのですから、これはもう別次元の物語と結論付けるしかありません。
勇者に対する超者、宇宙の騎士にブレードが付いたようなものです。
 
そうした物語であったとしても、その中身は続きが読んでみたくなる話であったのですが…最初に記載したとおり、これは6回で終わってしまったのです。人気がなかったといえばそれまでかもしれません。内容的に幼年誌向けでは、なかったかもしれません。
 
残念なことですが、これの復活はまずありえないでしょう。
まず、ボンボンと言う媒体もなくなりましたし、オリジナルアニメを行うのが難しいというのも、今の世情をみれば判ると言うもの。さらに言えば、等身大が戦うにしても、鎧をまとうはなくてもカッコよいキャラで同じ様な作品を作れてしまい、そうした作品の方…つまりはキャラの姿がより露出している方が人気が出るという事も逆風になっている要素なんでしょうね。
 
現状においては、脳内補完で続きの物語を作っていくしかない…というのが残念な作品であるわけなのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「時代劇」と言う事で一つ。
 
昨今の戦国ブームは凄まじいものを感じます。しかも、その主導権を女性が握っているというのは、何かサムライトルーパーの時を思い出させてくれるわけです。
 
このトルーパーと言う作品も、鎧を身にまとうという事から、戦国武将の名前がつけられていました。真田に伊達、羽柴に毛利、あと一人いるんですが、設定上では源の子孫であるとなっています。
こうした戦国時代に生きた人物に思いを馳せるのは、別に今のブームに限った話ではなく、NHKの大河ドラマにおいては長年積み重ねてきた物語が多数あるわけです。
 
アメリカでは西部劇、日本ではチャンバラと言われるように、日本人が時代劇を見るというのは、DNAのなせる業かもしれません。それもトンデモ時代劇であろうとも楽しめるのですから、素晴しいものです。
 
そのDNAは時代と共に、老若男女の住み分けをしていくわけですが、それでも同じなのは、その一瞬における生死の緊張感。これは西部劇における早撃ちの決闘と酷似しています。
次の瞬間には、どちらかが地面に倒れる儚さ。そこに有終の美を感じているのかもしれません。
 
戦国時代こそ、人が人として生きた時代…なんて事は言いませんけど、それでも、今の我々よりはずっと激しい時代を生きてきた。それだけではなく、この国の事を、民の事を考えていた。そんな風に感じてしまうのは、仕方がない話なのかもしれませんね
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。


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