さて、今回は1980~1982年に連載されました「すくらっぷブック」です。



 長野県小諸市の芦ノ原中学校。2年7組、出席番号2番・市野清文、7番・柏木晴、9番・坂口光明は、新学期早々、音楽の授業で残り練習をさせられていた。市野清文…通称イチノは算数とサッカーが得意、柏木晴…通称晴ボンは国語と美術が得意、そして坂口光明は工作と柔道が得意、なのだが三人とも音楽は苦手としている。
そこに、イチノの恋人である隣りのクラスの女子、青木理美が居残りの話を聞き音楽室にやってきた。音楽な得意な彼女にコーチを頼むイチノ。
 
その時、晴ボンが不吉な話をし始める。
 
夕方、一人で音楽室に残っていると、何処からともなく不気味な呻き声が聞こえてくるというのだ。だが、この部屋に残っているのは四人。しかも、そうそう出てくるものではないのだろうと高をくくっていた矢先…。
 
場が騒然となったその後、気が強い事で有名なイチノは気絶をし、イチノの恋人であるはずの理美は間違えて坂口に抱きついてしまう。翌日から四人のドタバタ劇が始まってしまうのであった…。
 
 
 
 連載第一話、冒頭のお話です。すくらっぷブックは、2年7組に在籍する中学生たちの何気ない生活の中にあって、友情や恋愛、出会いと別れのエピソードを書き記した、文字通り彼らのスクラップブックです。
冒険談が出てくるわけでもなく、異世界に行くわけでもない。単なる日常絵巻が実に二年間…彼らが2年から3年へと進級し、そして卒業するその時までが描かれました。
 
異世界に行くわけではありませんが、到底、人間とは思えない技を数々使うのも、この物語の特徴であるのかもしれません。
 
晴ボンは残像が見える四歩足で走り回り、時には妖怪油すましに変化し、イチノの幽霊が怖いわりにぬりかべ電卓に変化し、坂口に至っては月ノ輪熊に変化します。それどころか、晴れボンのライバルであり悪友の小宮山雅一郎は妖怪土ころびに…まぁ、書いていてコレの何処が普通の青春群像劇であるのかと思うのですが、こうしたことを含め…ようするに彼らなりの馬鹿をやっているその一瞬までも、彼らの青春であるという事なのですね。
 
笑いも涙も、苦悩も戸惑いも、全てはちょっと苦い喜びに向かっていく。物語の中で彼らはそれを学んでいったのだと思うのです。
 
この物語は、キャラクターの年齢がその時の読者とマッチしています。1980年から1982年の春まで。彼らは私たちと同じ時間を漫画の中で過ごしてきました。中学から高校に向かうにあたり、必須となる受験。その後の卒業式を経て、彼らの芦ノ原中学校の話は終りを迎えます。
そして、同時に新しい物語が始まるのです。
 
最後の101話で第一部・芦ノ原グラフティは終り、第二部・それぞれの学級日誌が始まります。その先にあるのは、紙に描かれない物語。作者である小山田氏は彼らの物語は、まだまだ続くことを明言し、その物語を閉じました。
 
ある、中学校のあるクラスが経験した日々。表題であるすくらっぷブックは、読者に対して贈られたそんなほろ苦いスクラップブックなのだと思うのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「思い出」と言う事で一つ。
 
人生を重ねていけば…などと言うまでもなく、一日を過ごせば、それだけでも思い出はできるものです。変な話になりますが、その情報量たるや、一分一秒、いえ、一時間ごとの事さえ覚えている事が難しいのは当然の話です。
 
そこで、記憶チェックと言う話ではありませんが、有名な一文字についての確認をば。
 
その年を象徴する京都清水寺の行事、漢字一文字ですが、2008年の文字は「変」でした。では2007年は何であったのか覚えていますか?
答えは「偽」…捏造問題における偽証、食品問題における偽装が象徴したのだそうです。
では、一気に、2006から遡り、2001年…21世紀分を覚えていますか?
答えは以下の通りです。
 
  2008年=変
  2007年=偽
  2006年=命
  2005年=愛
  2004年=災
  2003年=虎
  2002年=帰
  2001年=戦
 
それぞれの一文字に込められた思いは、ぜひ調べていただくとしまして、こうした事に思いを馳せる事は大事な事だと私は思うのです。
私たちが営んでいる歴史は、決して、過去をおざなりにして進んで良いものではありません。同時に、過去ばかりを懐かしんでも意味がないわけです。
 
省みるという言葉は、後ろ向きなものではなく、過去を省みることによって同じ過ちを繰り返さない反省の意味が込められています。
つまり、思い出は昔を懐かしむ物であるのと同時に今を省みるものでもあるわけです。
 
今の世の中において、それを思い出したときに、結果的にどんな時代であったのか。それすらも理解できないままになっているのではないのかと思えてなりません。その原因の一つは間違いなく、私たちが誰かのせいにばかりしている…言い換えれば、責任を他者に押し付け、同時に利益を他者に依存している姿勢に他ならないわけです。
 
昭和の時代は良かったという状況を単に懐かしむのか、それとも省みるのか。私たちはその帰路に立たされているのかもしれません。
 
過去を消すことなど出来ません。過去があるからこそ現在があり、そして未来に向かっていけるのです。政府にしても経済にしても、本当の意味で省みていただきたいものだと思うのですけどね。
あんまり無慈悲な方法ばかりでは、結果的に自分たちの首を絞めるだけになる。その事に気付いて欲しいものです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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