さて、今回は2009年に放送されました「仮面ライダーG」です。



 2009年…世界各地でテロが多発。日本政府は対テロ組織としてシェードを創設。あらゆる分野の精鋭が集められ、相当な成果を挙げた。だがしかし、人間を洗脳し兵器化する改造実験計画が発覚し、組織は解散。その創始者である徳川清山も逮捕された。
 
しかし、ある日のテレビ朝日にて事件が起こる。
 
いきなり振ってくる人間。そして、平和な日本には不具合な装備を身に付けた男たち。その場にいた人々は、テレビ撮影であるかのように沸いていた。警備員が駆けつけ、問いただす。だが、彼らに向けられた銃口より出てきたのは本物の銃弾。それは演技などではなく、本物のテロ集団…いや、テロ組織と化したシェードの精鋭部隊であった。
 
ある番組の収録スタジオに彼らはやってくる。
そこで行われていたのは、ワインの紹介。そして、そこにいたのは、一人の女性であった。
 
シェードの精鋭部隊はそのテレビを通じて犯行声明を読み上げる。それを任された一人の男、No.5。その顔を見た瞬間、女性は声を詰まらせた。その顔、それは自分に愛を語ってくれた男性であったからだ。
 
犯行声明を読み上げたNp.5。しかし、その鼻をくすぐる豊潤な香り…振り返ると、そこにあったのは、グラスに注がれたワインであった。女性は叫ぶ。そのワインを口にして…と。
訝しげに見つけるNo.5であったが、何かに誘われるかのように、そのワインを手に取り、口に運んだ。
 
その瞬間、自分の置かれた状況がありのままに浮かんでくる。洗脳、改造手術。だがそれ以上に、彼は思い出したのだ。愛する女性を…No.5、いやゴローはシェードから逃げ出すことを決意したのだった。
 
 
 
 テレビ朝日50周年の記念番組、SMAP★がんばりますっ!!で行われたコーナーの一つ、SMAPチャレンジで、稲垣悟郎氏が行ったのが、仮面ライダーになる事。そして石ノ森プロ全面協力の下で生まれたのが仮面ライダーGです。
 
奇しくも、今年は平成仮面ライダーの10周年(平成仮面ライダーとは、仮面ライダークウガより以降を指します)。番組としては仮面ライダーディケイドを放送しているわけですが、それとは別のライダーとして放送されました。
 
ですが中身は実に昭和テイスト。1号、2号ライダーの臭いがしてくる内容でした。
 
平成ライダーの大半は、肉体の生物的変性もしくは機械的武装の装着が前提のもので、仮面ライダーGはそのどちらでもない改造手術をうけた改造人間であるのが特徴です。
シェードという組織の中で法を逸脱した行為として行われていた改造手術。最初から悪の組織でなかったにしても、悪の組織として結果出てくる所も、最近の仮面ライダーではありませんでした。
 
当然、改造手術を受けているのですから、普通の人間ではありえない身体能力を発揮します。それは変身前でもそうである…そういう描写もきっちりありました。
 
変身後はそのパワーは遺憾なく発揮できるわけですが、変身シーンは今の平成ライダーの様相でした。ベルトにちっちゃなワイン瓶を装着するというのが面白かったです。
 
武器も使いますが、その武器もソムリエナイフを模したものであったり、必殺技であるキックにもワイン好きな主人公が伺える名称が付いていました。
その必殺キック。その名称を叫ぶ仮面ライダーは本当に久しぶりではないのでしょうか。
 
「スワリング・ライダーキック!」
 
ワイングラスを回して、より香りを立たせるものなのですが、確かにライダーGが回っておりました。
 
さて、この仮面ライダーG。この企画のためのライダーであるわけですが、しかし、石ノ森プロは懐が広い。平成仮面ライダーの系列にきちんと入っている正式な仮面ライダーなのです。その証拠をいえる場面も劇中にあります。
最新のディケイドを始め、これまでの平成ライダーが一同に介するシーンがしっかりあるのです。しかも、仮面ライダーGの名付け親が彼らであるのだから、確実ではありませんか。
 
出来れば、この仮面ライダーG。また、どこかで活躍して欲しいものだと、心から思うのです。ディケイドも劇場版やるようですし、そこに出演してもらえれば、嬉しい限りですね。後、敵の総帥がVシネマに沢山出演している哀川翔氏がやっているのですから、ビデオでの販売というのもありではないかと。
CSの東映チャンネルの放送でも良いかナァ…など勝手に希望を出してみたくなるライダーでありますね。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「勧善懲悪」と言う事で一つ。
 
この仮面ライダーGは実の所、完全な勧善懲悪ではなく、元々は日本政府の立ち上げた機関の一部が暴走。要するに手綱を引く事が出来なかったと言う事になります。
 
このような話は至る所にニュースとして毎日のように伝えられています。
本来であれば、悪を取り締まるべきもしくは諌めるべき人自身が取り締まられているのが問題ではないのでしょうか。
 
そうなりますと、この世の中に勧善懲悪はないと言う話になってきます。
 
それはその通りだ。宗教や資源などの関係からすれば勧善懲悪などありえるはずがない…その通りです。同時にそれは正義ではありません。それを指し示すのは都合という言葉であるわけです。
 
では正義とは何なのでしょう。
それは単純明快。人のためになり迷惑にならない事。それだけしかありません。
 
戦争は他国に迷惑をかけるのですから、先ほど記載したように、正義ではなくあくまで都合であるという事になります。つまり正義の戦争というのは、その国の都合で行う戦争の勝手な呼び名でしかないと言う話になります。
言い換えれば、それは大人の都合でしかなく、そうした事が結果的に次世代に正義が何かという疑問と疑心だけを残していくのであれば、そこに正義を伝えていく事が本当に出来るのかといわれれば、それは無理な話でしょう。
 
そうした大人の都合が結果的に矛盾を作り、それが山のように積もっていくのですから、的確な説明など出来るわけがないのです。
結果、子共に対して諦めのように勧善懲悪など存在しないという事になっていき、正しいことの意味も不明瞭になっていくわけなのです。
 
諦めるのは大人の勝手です。しかしそれを、次世代に残していくことは身勝手ではないのでしょうか。
その灰色の連鎖をとめられるのは、今、大人である人たちの覚悟であるのかもしれないと思うのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

■GOOD JOB!
この記事よいネ!クリック!→