前回も記載したわけですけど、今回も同じ様な話をしませう。
さて、今回は2007年より開始されました「ルニア戦記」です。
ローデシア大陸。そこは、人間、エルフ、ホビット、ゴブリン、トロールなど多くの種族が住む、冒険の世界……。
これらの種族は互いに交流を持ち、あるいは争いをし、広大なローデシア大陸で広く暮らしているのです。
各種族はそれぞれの守護神に仕えています。神話によれば、神々はおのおのがひとつずつ種族を創造し、その種族による信仰をもとに神としての力を維持しているといいます。ローデシア大陸の歴史については、人間族の有名な歴史家「ルザー・フレッド(Ruther Fred)」が、120年前、世界中を旅してまとめた「ローデシア史書」に詳しく書かれています。
太古の神々が大陸と海、そして大自然を創造しました。
この時代に生を受けたものは創造と混沌の巨大なエネルギー、そして大気に充満したマナを受け、大きな肉体と大きな力を持っていました。 大陸には、ドラゴンや巨大なワームが君臨していました。彼らこそ、混沌と創造の力が入り混じった太古時代の天と地の支配者だったのです。この時代に生きていた人間型生命体は、ジャイアント (砂巨人、山岳巨人など)たちでした。
現世に残っている古代遺跡の大部分が伝承時代の遺産です。
伝承によると、この時期、太古の神々が影をひそめ現世の神々が世界に降臨しました。そして様々な種族を創造したのです。月の女神ルニア(Lunia)は人間を、森の神であり音楽の神でもある男神フォリエル(Foriel)はエルフを、豊饒の神セレス(Ceres)はホビットを、平原の神ウィルドゥール(Wyldur)はオーク族を創造しました。その後、太陽神ソルディン(Soldin)が創造した光の種族シカンが、他の種族に対して戦争をしかけます。
この激戦のときに生まれた、神々がそれぞれの種族に授けたという伝説の武器・指輪などは、今もローデシア大陸のどこかに存在しているとか。この戦争は、長年続きました。けれども終結は一瞬でした。シカン族の本土であった「アスース島」が、一夜にして海の中に消えてしまったのです。それは神々の怒りだったのか、それともソルディンになにかが起きたのか……今もって真実は不明です。
戦争が終わると、神々は二度とこのような惨事が起きぬよう「神々の大協定」と呼ばれる取り決めを行ったといいます。
そして自分の創造した種族から能力を取り去ったり、性格を変えたりするなど、種族の第二次創造がなされました。これから先は、各種族が自分たちの歴史を自分たちの文字で記録する――「歴史」が始まりました。これより後、今に至るまでが「歴史時代」と呼ばれています。
そして現代。それぞれの種族は王国を築き、太古より現代にいたるまでの神話、歴史、知識を受け継いでいます。同時に、大陸各地の奥深くに眠る未踏の遺跡が存在しているとか。
そしてそこには太古から脈々と生き続けた生命がいると噂されています。
プレイヤーは7人のキャラより選択してプレイします。最初から選べるキャラもいれば、クエストによって獲得できるものまでいます。そして各キャラには、元々名前が付いています。もちろん、独自の名前をつけて遊ぶわけですが、言い換えれば、同じキャラが複数存在する、変わった世界ともいえるのかもしれません。
町は1つしかありません。今までのMMORPGにあるように、どこかの町まで出かける…というシステムではなく、基本的に一つの町からクエスト(このゲームでは伝説と呼称)に出かけるわけです。そこまでの道のりはなく、選択画面を表示させ、プレイするクエストを選択することによって、そのクエストをプレイする事が出来るわけです。
また、このゲームの特徴は、アクションゲームであるという事です。
敵を倒すことによって成長していくのですが、そのためには、まさに自在にキャラクターを扱えるようにならなくてはなりません。
各キャラには特定の技がありますが、それとは別に通常攻撃も存在します。それらを上手く連結させ、大ダメージを敵に与えていく必要があるのです。
そのためには、1に訓練、2に訓練。とにかく回数をこなして慣れていくしかないという一風変わったゲームなのです。
明らかなアクションではなく、クエストをクリアしていく毎に物語がわかっていくという、ストーリー性も重視した作りになっています。また、アクションに重きを置いているためか、同じパーティ内であっても、中々、すぐに話をする事が難しい場合があります。
そのために、ボイスチャットが用意されています。これは、プレイヤーが話すのではなく、それぞれのキャラで決められた台詞をショートカットキーによって示すもので、これでもある程度の挨拶なら十分に対応できます。
これほどロールプレイングでありながらもアクション性の高いゲームは珍しいですね。それも、ネットゲームでとなれば、ネクソンの得意とする分野なのでしょうか。
結構、アクションや格闘が好きな人には向いているのかもしれません。
ただし、それだけパソコンの負担が大きくなるのは仕方が無い話です。アクションに夢中になっていると、突然、パソコンが落ちる!なんて事もないとは言えませんので、やる方は公式サイトにある必要スペックは熟読し、用意するようにした方がいいのでしょう。
やってみたのですけど、楽しいですね。しかも、クエストが単なる一回死んだら終わりというのではなく、二回までは復活できるというのも、昔からあるアクションゲームの要素が高く、なじみやすいものでした。
やられたら終わり!というわけではなく、町に帰れば全て戻ります(獲得したもの=経験値やアイテムはなくなりません)ので、すぐに再挑戦する事もできる所も慣れが必要なアクションゲームとしては嬉しいですね。
尚、パーティプレイも出来ますが、一緒にパーティを組みたい人と町で先に組んでおかないと、全く知らない人とパーティを組む事になる可能性が高いのです。
逆に言えば、様々な人とのパーティプレイが気軽に楽しめるというのも、このゲームの魅力の一つであるわけです。
※そのほかの詳しい内容は公式サイトをご覧下さい。
…といいましても、少し視点を変えます。
最近、秋葉原で行われた惨殺事件の模倣が多いわけですけど、その理由が目立ちたい。これは捕鯨反対をのたもうておりますグリーンピースら自称事前保護団体らと何ら変わりがないのです。
人が生き物を殺すのは、実に単純な理由で捕食するから。これだけなのです。そこにいらん理由をグダグダグダグダ。情けないったらありゃしません。
至極、本当に至極簡単な話として、人は捕食します。そうしなければ生きていけないからです。これ以上でも以下でもないのです。
さて、では問題。捕食して良い物、悪い物。厳密に言いましてこうした区分はあるのでしょうか。
答えはNOです。
それを資源として考える場合には、YESかもしれません。しかし、考えてみてください。自然とはなんでしょうか?
人類の総人口はどれぐらいいるのでしょう。いえ、言い換えます。人類の総人口を賄える食糧とはどれぐらいを言うのでしょうか。
日に三食という国もあれば、五食が当たり前という国もあります。小麦粉でも、麺にしたりパンにしたり団子にしたりと色々です。米にしても長いの短いの、グルテンの多いもの少ないもの…野菜、野草でもいいのですけど、それはどこに生えているのでしょうか。それは人類だけが食するものですか。肉・魚にしても同じです。
当たり前の話ですけど、人間は無機質なものを取るのに、有機質なものから摂取しなければなりません。要するに食料を摂取しなければ栄養が取れないという事です。
別に鉄分を摂取するのに、釘でもなめていればいいのであれば、それが一番なのです。しかし、効率の良い摂取方法はやはり、そうしたミネラルを含んだ食材を食べる事なのです。
何が言いたいのか。それは殺すという動機に関しての話です。もしくは、それに類する抗議でも良いのです。
もっと単純にしましょう。殺すという動機に関して、自己主張をする。これですっきりします。
誰かに認めてもらいたい、軍資金が欲しい。何でもいいんです。一様に言えるのは、それが全部くだらない事であるというだけの話なのですから。
何を言おうとも、これだけは変わりません。人は食しなければ生きられない。
食人という風習があります。これは大概が戦った相手に対して、その強さを身に入れる儀式であるわけです。ただ、文化人はそれを嫌います。それは人を崇高なものとして見ているからです。それ故に人の損壊は見るに耐えられないわけです。
それを鯨のような特定の生き物に見出す人もいます。理由は様々ですが、その根底には軍資金が得られるということがあるのでしょう。金は経済の潤滑油。これがなければ経済の中で主義主張はできませんから。
ただし、人が人を食うという以外における、食に関しては、基本的に生きるための行為であるわけです。
その目の前にした食材を自分が食べられるようにして来た歴史が、それぞれの国には存在するのです。これを無視した上で、しかも自国人が行為を事態を蔑むというのは、歴史を放棄するのと同じです。
それと同じ様な行為が、目立ちたいという理由からだけの殺戮行為です。これは生を馬鹿にする卑劣な行為でしかありません。司法の判断などとは別に、明らかに生を愚弄しているのです。
命が命を奪う事。これには生きるという事が関わって初めて正当化されるものです。そこにあるのは、純粋な感謝でしかなく、それによって生き延びられる喜びがソレであるはずなのです。
その命は次の命を結びますが、その紡ぎ方にも様々な事が想定されるわけです。しかし、確実に命は紡がれていきます。これを忘れての行動など許されるべきではない。殺人だけではなく、花壇を荒らしたり、白鳥や黒鳥、犬やネコなどを傷つける行為もあってはなりません。そういう意味では、薬殺される犬猫も問題であるわけですし、それが全て人の勝手で行われる事をもっと問題にするべきであるのです。
食は必要ですが、美食が必要であるのかはわかりません。それを文化というのでしょうが、問題は無駄に命を奪われてはいけないという事、それと地産地食という食の原点を見直す事が必要なのでしょう。
それが引いては、命の勉強につながり、結果、無用な殺人などが起きなくなれば幸いな話ではないのかと思うわけです。
そんなこんなで本日はここまで。
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