さて、今回は2009年に発売されます「JO-ZERO」です。

二足歩行ホビーロボットの源流である名作漫画「プラレス三四郎」。その作者神矢みのる氏がデザイン監修した二足歩行ロボレスラー「JO-ZERO(ジェイ・オー・ゼロ)」が、今ここに誕生!
「かっこよさ」「速さ」「人間らしさ」をモットーに開発されたJO-ZEROは、デザイン性・運動性能を高い次元で融合。スピードと力強さを備え持つ機体と初心者ユーザーにも優しい専用アプリケーションとのパッケージングで、あなたをかつて夢見たロボットバトルの世界へといざないます。
今回は、レビューではありません。
現在、週刊少年チャンピオンにて同誌創刊40周年を記念に、縁のある作家陣の描き降ろし作品を1作品ずつ掲載していくプロジェクトが進行中なのですが、遂に今週、プラレス3四郎が掲載になりました。先に作品のレビューをしている事からも、私はこの作品が大好きですので、当然雑誌を購入。その中表紙にこのような文面があったのです。
『科学がマンガに追いついた!リアル・プラレスラー遂に登場!!』
文面にも驚きましたが、その風貌を見て二度驚き。誰がデザイン案を提出したのかなど、説明の不要というやつです。
価格は12万ほどするので容易に手に入れられる物ではありません。こうしたロボットは既にROBO-1という競技に準拠した製品も発売されておりますし、中には自作で付くっていらっしゃる方もいますので、遂に時代が作品に追いついたとするのも決して間違いではないのだと思います。
こうしたロボットの基本はホンダのASIMOであり、現状においてはモーターによって各関節どうしが直接連結されている状況であるのも仕方がない話ではないのかと思います。
ただ、こうした商品が部品販売され、地道に小遣いを貯め購入し、完成に近づいていく。その昔のラジコンのような楽しみを復活させてくれるとしたなら、それは本当にプラレスという新しい遊戯の誕生に一歩近づく事になるのだと思うのです。
このJO-ZEROもKHR-2 HVやMANOI AT01などと同じ様に、そして更に飛躍して実際に漫画であったようなプラレスが楽しめるように進化しつづけて欲しいものです。
と言う感じで思うところとしては「身近になっていくロボット」と言う事で一つ。
こうしたロボットの進化は目覚しいものがあるわけです。最近では動画投稿サイトの普及により、既存のロボットではなく、改造品やフレームを自作したロボットなども見る事が出来ます。
確かに進化はしているのでしょうが、しかし、実際に人の動きと比べればどこかしら不自然な部分があるのは否めないわけです。
まず、歩きにしてもヨチヨチ歩き…いえ、しっかりと地面から足が離れているのかも疑問な歩き方をしているのが現状ですが、それも仕方がない話かもしれません。何せ、ASIMOでさえ人の歩き方をしっかりと模倣できているとは現状では言えないのですから。
その一番の理由は、やはり骨盤の動きが再現できていないからなのでしょう。
人の重心は臍の下…俗に丹田辺りにあると言われています。また、バランスを計測している器官…三半規管は耳の奥、つまり頭部にあるわけです。それだけ不安定な状況において、姿勢を正す計算を逐一しているわけですが、それをコンピュータがしようものなら、今の性能でも追いつかないのだとか。それだけ人の脳や感覚は優れていると言っても良いわけです。
そのバランスを保ったままで歩くという事を行なうのには、更に計算が必要になるのは言うまでもない話でしょう。
実際、人は今の一歩と先の一歩、前の一歩の幅や位置は違っていると言います。
それもそのはずで、目、足の感覚によって人の刻む一歩の幅など大きく違っているのです。同じ平面であったとしても、その起伏のナンと多い事か。アスファルトの上であったとしても、決して真平らではないのです。それを逐次確認して転ばないように歩く。そのためには、大腿骨を持ち上げる事も大事でしょうが、それを固定のままで…つまり、腰の回転がないままでの動きでは、どうしても一歩一歩を踏みしめる様にしか歩けないという事になってしまうわけです。
実際、ASIMOの歩き方を見れば、そろりそろりと歩いているのがわかります。その一歩の動きを早くすれば確かに走るようにもみえるのでしょう…が、それは人の走りではなく、歩く行為を走っているように見せかけているだけに過ぎません。言ってしまえばそれは進化ではなく、進歩でしかないという事なのです。
今、ASIMOのような膝を曲げたままで立つのではなく、膝を伸ばして立ち、そして歩くロボットの研究開発が成されています。そこには、股関節や腰に該当する部分がしっかりとあり、その動きは自然な人の歩き方に近くなってきています。
それでも、一歩を確かめながら踏みしめていく動作であるのに近しいのかもしれませんが、こうした研究が重なり現物となっていく事によって、静歩行からの脱却が見られるようになるのかもしれません。
その時、こうした技術が玩具や介護、生活にもに使われるのを望んでなりません。
人を楽しませる技術が決して人を苦しめる技術にならないように…それはまさにプラレス3四郎にて言われた世界とならないように、私達は見守り、そして狙っている者たちに諭していく必要があるのだと思うわけです。
あなたは未来の国に友人としてのロボットを望みますか?それとも、人の代わりとなって傷つけあうロボットを望みますか?
人の手によって生み出される新しい「命」をどう扱うのか…それは、まさに私達の「倫理」が問われる瞬間でもあるのです。
そんなこんなで本日はここまで。



