さて、今回は1983年に公開されました「里見八犬伝」です。

その国は悪霊が支配する国。里見家が治めていた国に現れたのは、怨霊・玉梓が率いる蟇田の軍。それはかつて悪政を行っていた蟇田を攻め民草を解放した里見家への復讐でもあった。
蟇田が求めるのは里見の血。その中でもただ一人逃げている一人娘の静姫を追いかけていた。
それと同時に諸国へその手を伸ばしていく、蟇田軍。
そうした中で、光る球の導きによって集っていく剣士たちがいた。八つの珠に導かれる八人の剣士。その里見家には一つの伝説があった。ある戦にて、敵の攻めに難儀していた里見の殿は、近くにいた犬・八房に戯れでこう言った。
「敵の大将首を取ってこられれば、娘、伏姫をお前にやろう」
その戯れが現実の物となった時、殿は驚愕した。だが、伏姫は約束どおりに八房にその身を預け、山深くへと連れ去られてしまう。しかし、戯れた約束の後悔から殿は八房討伐を命じる。
その討伐隊の攻撃が八房を庇った伏姫に当たってしまう。その時に伏姫の持っていた数珠が弾け、八つの大玉が天空へと散ってった。
その八つの球こそ、伏姫から放たれた珠。その光の中に輝くのは文字。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌…その珠を持つ者たちを八犬士と呼んだ。
それぞれに出生や生活が違っていたとしても、その珠に導かれ静姫の下に集まってくる。その目的は怨霊・玉梓を討ち果たす事であった。
その当時、CMで見ない日はないという程、広告が打たれていた映画であったと記憶しています。物語的には冒険活劇。しかも、ヒロインとヒーローが存在するもので、いわゆる原作である南総里見八犬伝やその翻訳である新・里見八犬伝とは全く異なる、今で言う所の二次創作物としてみるのが正解なのでしょう。
まずヒーローが異なります。南総における主人公は犬塚信乃、そして丶大法師がそれぞれ担っているわけですが、この映画版では犬江親兵衛がヒーロー役として最後に静姫と結ばれて終わります(明確にそうした表現はありませんが、そのように受け取れる終り方なのです)。
そして八犬士の象徴でもある珠。この珠が宿敵である玉梓を倒すアイテムになっており、これを収められていた不動尊に戻すと、光の弓矢が生まれるのです。
しかも、玉梓の後ろに御霊様という真の魔王がいるわけで、これを倒さないと玉梓たちは何度でも蘇るそうなのです。その唯一の弱点が光の弓矢なのです。
と、ここまで記載すると何かしら不思議な話に聞こえてきます。そう、これはまるで西洋のファンタジーではないかと。
その様相がないとは決して言えるはずもなく、インスパイアされた視覚効果もありました。最後に御霊様という魔神像の首が転がってくる所などは、明らかにインディジョーンズの大きな岩が転がってくるシーンその物でしたし。それに、敵である蟇田の城の様子などは、色こそ違えどダース・ベーダーが収める帝国軍のような感じでした。
その他にも、時代劇にロックと言われるきっかけを作った作品でもありますし、特殊メイクが本格的に使用された作品であるというのでも有名ではないのでしょうか。
こうなってくると、時代劇というよりは和製ファンタジー映画とした方が良いのかもしれません。もしくは時代考証のない時代劇…それでも、子連れ狼の無敵の乳母車も時代劇とは言いがたいんですけどねぇ…かもしれません。
それでも、アクションシーンは役者さんの身体を張ったシーンが素晴しい迫力を見せておりました。今ならば確実にCGだろうというシーンすらも、実際にアクションしているのですから、その迫力はスゴイものです。
そういう意味では、最近の映画は金をかけれるようになりましたし、CGで作れないものはないのかもしれないのですが、生身の迫ってくるような迫力のある演技…これを忘れている時がある気がしてならないんですよねぇ。
と言う感じで思うところとしては「二次創作」と言う事で一つ。
いまや二次創作と言いますと、同人誌のことのように思われるわけですが、しかし、元々は商業における作品の方が二次創作が多いのは事実なのです。
では何をもて二時創作というのか。一つは原作が存在するという事。もう一つはその原作をあくまで材料として利用している事。大まかにこの二点になるのではないのでしょうか。
元々好きな分野でもある漫画や小説に関しては、この二次創作によって製作されたアニメやドラマの題材のように使われているわけで、その内容は別にそれを材料として使わなくても良いんじゃね?という出来の物が多いのが事実です。
では何故、そうした作品が多いのか。これは散々記載してきましたが、単純に売上げが見込める=人気が出る可能性が高いからです。
オリジナルの作品を展開させるためには、その作品の持つ魅力を販促で文字通り世間に促す必要があります。ですがその費用は決して安いものではありません。こうした原因に、最近のアニメが行われている時間帯、その主力が深夜枠になっている事が挙げられます。
また、同時に放送される話数が極端に少ないのも起因になっている一つなのでしょう。
あるニュース記事で日本のアニメーションが海外で受けなくなってきているという話がありました。それは決して一過性のブームであったという話ではなく、数多く排出される作品のほとんどが放送期間が短いことに原因があるのではないのかと思われるわけです。
日本における現在の基本は13話。それを1クールとして数えるわけですけど、大体行われるのは1クールもしくは2クールです。1年…つまりは4クール以上行われる作品は本当に稀になりました。
しかし、海外では人気のある作品は1年以上やって当然であり、テレビ局も当然番組を長くやることに目標を掲げて製作しているわけです。だからこそ、視聴率の厳しさがより意味のある物になっているわけです。それは現時点での視聴率。つまりは生きている数字如何において、製作路線の変更から打ち切りまでを決めることが出来るのです。
これをシビアというのであれば、その通りなのでしょう。しかし、日本のように視聴率が番組に活かされる事なく終了を迎える番組が多い=視聴率はあくまで結果だけであり、その意味が希薄な割にはその数字を重宝がっているという不可思議な状況に比べれば誠実なのかもしれません。
さて、二次創作の話に戻しますが、いわゆるそうした放送事情からして、材料であったとしてもそれを活かしきれるだけの理解を製作者サイドが行い、それを視聴者サイドへとしっかり伝えているのかと言えば、それを行っている番組が少ないのです。
これは結果的に下泣くをしる視聴者のみを対象にした商売のやり方のようなもので、原作をとの差異を楽しめる人のみに訴える…つまりは自身たちでどんどん領域を狭めているわけなのです。
こうした中で新しく視聴者を確保する…というのは少し無理な話ではないのかと思うわけで、とあるアニメ制作会社が今年は売れる作品を作るという見当違いなコメントをしてしまうのも無理はないのかもしれないと同時に思ってしまうわけです。
売れる作品のノウハウが作れればそれほど楽な話はありませんが、それこそ、神様でも描けないシナリオではないのかと。
それよりも短いクールで無駄に材料を消費したりするのではなく、模倣であるのならば模倣なりの礼節と感謝を持って製作に望むべきではないのかナァと思う訳です。オリジナル作品や一年以上の放送で勝負を出来ないのですから、そうした状況を改善するのも大事な事だと思うんですけどねぇ。
そんなこんなで本日はここまで。

その国は悪霊が支配する国。里見家が治めていた国に現れたのは、怨霊・玉梓が率いる蟇田の軍。それはかつて悪政を行っていた蟇田を攻め民草を解放した里見家への復讐でもあった。
蟇田が求めるのは里見の血。その中でもただ一人逃げている一人娘の静姫を追いかけていた。
それと同時に諸国へその手を伸ばしていく、蟇田軍。
そうした中で、光る球の導きによって集っていく剣士たちがいた。八つの珠に導かれる八人の剣士。その里見家には一つの伝説があった。ある戦にて、敵の攻めに難儀していた里見の殿は、近くにいた犬・八房に戯れでこう言った。
「敵の大将首を取ってこられれば、娘、伏姫をお前にやろう」
その戯れが現実の物となった時、殿は驚愕した。だが、伏姫は約束どおりに八房にその身を預け、山深くへと連れ去られてしまう。しかし、戯れた約束の後悔から殿は八房討伐を命じる。
その討伐隊の攻撃が八房を庇った伏姫に当たってしまう。その時に伏姫の持っていた数珠が弾け、八つの大玉が天空へと散ってった。
その八つの球こそ、伏姫から放たれた珠。その光の中に輝くのは文字。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌…その珠を持つ者たちを八犬士と呼んだ。
それぞれに出生や生活が違っていたとしても、その珠に導かれ静姫の下に集まってくる。その目的は怨霊・玉梓を討ち果たす事であった。
その当時、CMで見ない日はないという程、広告が打たれていた映画であったと記憶しています。物語的には冒険活劇。しかも、ヒロインとヒーローが存在するもので、いわゆる原作である南総里見八犬伝やその翻訳である新・里見八犬伝とは全く異なる、今で言う所の二次創作物としてみるのが正解なのでしょう。
まずヒーローが異なります。南総における主人公は犬塚信乃、そして丶大法師がそれぞれ担っているわけですが、この映画版では犬江親兵衛がヒーロー役として最後に静姫と結ばれて終わります(明確にそうした表現はありませんが、そのように受け取れる終り方なのです)。
そして八犬士の象徴でもある珠。この珠が宿敵である玉梓を倒すアイテムになっており、これを収められていた不動尊に戻すと、光の弓矢が生まれるのです。
しかも、玉梓の後ろに御霊様という真の魔王がいるわけで、これを倒さないと玉梓たちは何度でも蘇るそうなのです。その唯一の弱点が光の弓矢なのです。
と、ここまで記載すると何かしら不思議な話に聞こえてきます。そう、これはまるで西洋のファンタジーではないかと。
その様相がないとは決して言えるはずもなく、インスパイアされた視覚効果もありました。最後に御霊様という魔神像の首が転がってくる所などは、明らかにインディジョーンズの大きな岩が転がってくるシーンその物でしたし。それに、敵である蟇田の城の様子などは、色こそ違えどダース・ベーダーが収める帝国軍のような感じでした。
その他にも、時代劇にロックと言われるきっかけを作った作品でもありますし、特殊メイクが本格的に使用された作品であるというのでも有名ではないのでしょうか。
こうなってくると、時代劇というよりは和製ファンタジー映画とした方が良いのかもしれません。もしくは時代考証のない時代劇…それでも、子連れ狼の無敵の乳母車も時代劇とは言いがたいんですけどねぇ…かもしれません。
それでも、アクションシーンは役者さんの身体を張ったシーンが素晴しい迫力を見せておりました。今ならば確実にCGだろうというシーンすらも、実際にアクションしているのですから、その迫力はスゴイものです。
そういう意味では、最近の映画は金をかけれるようになりましたし、CGで作れないものはないのかもしれないのですが、生身の迫ってくるような迫力のある演技…これを忘れている時がある気がしてならないんですよねぇ。
と言う感じで思うところとしては「二次創作」と言う事で一つ。
いまや二次創作と言いますと、同人誌のことのように思われるわけですが、しかし、元々は商業における作品の方が二次創作が多いのは事実なのです。
では何をもて二時創作というのか。一つは原作が存在するという事。もう一つはその原作をあくまで材料として利用している事。大まかにこの二点になるのではないのでしょうか。
元々好きな分野でもある漫画や小説に関しては、この二次創作によって製作されたアニメやドラマの題材のように使われているわけで、その内容は別にそれを材料として使わなくても良いんじゃね?という出来の物が多いのが事実です。
では何故、そうした作品が多いのか。これは散々記載してきましたが、単純に売上げが見込める=人気が出る可能性が高いからです。
オリジナルの作品を展開させるためには、その作品の持つ魅力を販促で文字通り世間に促す必要があります。ですがその費用は決して安いものではありません。こうした原因に、最近のアニメが行われている時間帯、その主力が深夜枠になっている事が挙げられます。
また、同時に放送される話数が極端に少ないのも起因になっている一つなのでしょう。
あるニュース記事で日本のアニメーションが海外で受けなくなってきているという話がありました。それは決して一過性のブームであったという話ではなく、数多く排出される作品のほとんどが放送期間が短いことに原因があるのではないのかと思われるわけです。
日本における現在の基本は13話。それを1クールとして数えるわけですけど、大体行われるのは1クールもしくは2クールです。1年…つまりは4クール以上行われる作品は本当に稀になりました。
しかし、海外では人気のある作品は1年以上やって当然であり、テレビ局も当然番組を長くやることに目標を掲げて製作しているわけです。だからこそ、視聴率の厳しさがより意味のある物になっているわけです。それは現時点での視聴率。つまりは生きている数字如何において、製作路線の変更から打ち切りまでを決めることが出来るのです。
これをシビアというのであれば、その通りなのでしょう。しかし、日本のように視聴率が番組に活かされる事なく終了を迎える番組が多い=視聴率はあくまで結果だけであり、その意味が希薄な割にはその数字を重宝がっているという不可思議な状況に比べれば誠実なのかもしれません。
さて、二次創作の話に戻しますが、いわゆるそうした放送事情からして、材料であったとしてもそれを活かしきれるだけの理解を製作者サイドが行い、それを視聴者サイドへとしっかり伝えているのかと言えば、それを行っている番組が少ないのです。
これは結果的に下泣くをしる視聴者のみを対象にした商売のやり方のようなもので、原作をとの差異を楽しめる人のみに訴える…つまりは自身たちでどんどん領域を狭めているわけなのです。
こうした中で新しく視聴者を確保する…というのは少し無理な話ではないのかと思うわけで、とあるアニメ制作会社が今年は売れる作品を作るという見当違いなコメントをしてしまうのも無理はないのかもしれないと同時に思ってしまうわけです。
売れる作品のノウハウが作れればそれほど楽な話はありませんが、それこそ、神様でも描けないシナリオではないのかと。
それよりも短いクールで無駄に材料を消費したりするのではなく、模倣であるのならば模倣なりの礼節と感謝を持って製作に望むべきではないのかナァと思う訳です。オリジナル作品や一年以上の放送で勝負を出来ないのですから、そうした状況を改善するのも大事な事だと思うんですけどねぇ。
そんなこんなで本日はここまで。



