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2009年12月12日

作り手の消費【「デュアルマガジン」(1982-1985年 タカラ/丸善)】

 さて、今回は1982~1985年に季刊発行されました「デュアルマガジン」です。

 サンライズとバンダイのヒット作品、機動戦士ガンダムに触発されるように、同業種他社メーカーは、こぞってリアルロボット路線を発表しました。それはタカラも決して例外ではなかったわけです。
 
そうした作品を紹介する上で、当時としてもっとも重要な媒体が、雑誌であったのは言うまでもありません。
 
雑誌社におけるそうした、いわゆるアニメ雑誌、または模型雑誌は当時の少年たちのバイブルにもなっていったわけです。そうした中、玩具メーカーが自社の商品とそれに絡んだアニメ作品を掲載するための雑誌を発行し始めたのです。
最初は、小さなポケットサイズであったそれも、次第にA4サイズの雑誌へとシフトしていき、バンダイからはB-CLUBが、そしてタカラからはデュアルマガジンが発行されたのです。
※デュアルマガジンに関しては、季刊という事もあり、1984年から発売されない月には「3Dジャーナル」という小冊子を発売していました。
 
ただし、デュアルマガジンは季刊の発売で、全十二巻の発売に留まりました。しかし、その内容はマニアをニヤリとさせるだけの力があったのだと思うわけです。
 
当時のタカラが発売していたリアルロボット路線と言えば、太陽の牙ダグラム、装甲騎兵ボトムズ、そして機甲界ガリアンでした。
 
ダグラムに関しては、正直、盛り上がりが少なかったと記憶していますが、ボトムズに関しては、その後独自に展開していく事になる、青の騎士ベルゼルガ物語が掲載されたのが、この雑誌ですし、ガリアンに関してはオリジナルの機甲兵を読者から募集するという、眼D舞うで言えばオラザク(オラのザクは世界一…雑誌上のプラモデルコンテストです)のようなこともやっていました。
 
それだけ、盛り上がりを見せていたわけですが、最初に記載しました、機動戦士ガンダムを追いぬく所か、追いつくのもやっとな状態。
中には玩具の売上が思う様に伸びない作品も珍しくはなかったのです。
 
そうした玩具の売上不審は、こうしたメディアミックス戦略に影を落とす事になります。
 
結果、季刊で十二回を持って休刊。個人的には、休刊になる事が残念でなりませんでした。
 
 
 と言う感じで思うところとしては「メディアミックス」と言う事で一つ。
 
最近の言い回しでは、コラボと言った方が良いのかもしれません。ただ、日本アニメに関しては、これまでの歴史において、目ディミックスではない作品を探すのが意外に苦労するのかもしれないのです。
特に最近はその傾向が強いのではないのでしょうか。
 
深夜アニメの大半はライトノベルが原作ですし、そうでなくても、テレビゲームが原作と言う場合もあります。
これらは立派にメディアミックス戦略と見るのが良いのでしょう。
 
ただ、そうしたアニメに関しては、今が旬=完結していない時にアニメ化する事も多いので、最後は原作の途中で終わるのか、もしくはアニメオリジナルの結びとなります。
こうした状況にある方は「アニメと小説は異なるのだから、終わりが違っていても問題はない」という趣旨の発言をされました。
 
これは本当にそうなのでしょうか。
 
こうした問題…ご当人たちは問題とは見ていないのかもしれませんが、あえて、問題と言う事で…を解決する方法は、ただ一つしかありません。
それは完全なオリジナル作品とする事です。
 
玩具が元媒体になっているアニメ作品、特撮作品のほとんどには、原作作品がありません。それ自体が物語としての原作になるからです。
 
 
ハリウッドでもそうですが、既にマンガとして人気のあるもの、あったものを映画化する傾向にあります。
その理由としては、脚本化の才能不足と資金調達のスムーズ化のためというのを耳にするのですが、それは長期的に見れば、緩やかな破滅を目指しているに他なりません。
 
物語を作ると言う事は、想像を掻き立てる事そのものであるはずです。それは決して、それに関わった方全てが楽になれる方法ではないのです。…しかし、今、求められているのはその楽であるように思えてならないわけです。
 
想像が創造を生む。
 
その想像が様々な意味で貧困のであり、そうあり続け様とするのであれば、それは創造ではなく、浪費でしかないのです。浪費の果てにあるのは、廃棄される媒体のみ。それこそ、深夜アニメのような貴重な財産を散在していく事に他ならないわけで…と、これ以上はデフレスパイラル並みの繰り返す話になりますので、ここら辺で。
 
 
言い得て妙であるのは、こうした事実に気付いている人も多いはずなのに、何故にそれを破壊する人が出てこないのだろうかという事なのです。そこにも、現実的な問題が多数あるのだろうと言う事はわかりますが…さて、国は一つの有益な輸出産業に関して、同考えているのでしょうかねぇ。
 
結局こうした問題は、伝統産業となんら変わらないわけで、後継者問題に保護問題。それが有益「だったのか」…では、まさに先見の明も省みる目もないわけで…。
こうした分野に、国からの援助と監視と保護の手が早急にして的確に入ってくれる事を願うばかりなのです。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2009年08月29日

企業とファンの間に…【「NAMCO COMMUNITY MAGAZINE NG」(1983-1993年 ナムコ)】

 さて、今回は1983~1993年に発刊されました「NAMCO COMMUNITY MAGAZINE NG」です。



 ナムコ(現バンダイナムコゲームス)が当初、季刊で発行していたフリーマガジン。その中身は、ナムコのアーケード(業務用)ゲームから、コンシューマ(家庭用)ゲーム。さらには、当時では珍しい独自開発のグッズ紹介。そして、直営店の店舗紹介に社員が描いた漫画の掲載がされていた。
 
その当時にいた、ナムコファンとの交流を目的にしたもので、しかし、予算面で決して潤沢にファンに回る冊子ではなかった。
 
それでも、直営店にファンを呼び込むアイテムとしては絶大な効果を発揮していたのは間違いない。
 
 
 
 今回はフリーマガジンの紹介です。
 
ナムコというゲーム会社は、その黄金期において多くの固定ファンがいたゲーム会社のひとつでした。そのファン…言ってしまえばフリークと呼称しても差し支えがないかもしれません。
今では、珍しくもない独自開発のアイテムも数多く発表し、あまりにも先を行くその営業展開に他のゲーム会社はついてこれない状況であったわけです。
 
一方で、そうしたゲーム会社である以上の行動をするナムコに批判がなかったわけでもないのです。
 
ただ、こうしたゲームファンとの交流が昨今においてなくなっているのも事実。すみわけと言えば聞こえが良いのかもしれませんが、悪く言えば、ファンの声が届きにくくなった…ビジネスライクに傾倒しすぎている感があると言っても過言ではないのかもしれません。
 
その当時、こうしたフリーマガジンと同じようにナムコを支えた出版社に電波新聞社がありました。そこから発行されたアーケードゲームムック「ALL ABOUT NAMCO」も珍しいムック本であったといえるのでしょう。
そうした雑誌もNGが発行されていればこそのアイテムであったのかもしれません。
 
NGの中でも、今でも伝説的な語り草になっているのは、いくつかあるわけですが、その中でも私自身が推したいのは、やはり、漫画の存在ではないのでしょうか。
 
冨士宏氏の「午後の国」そして「迷廊館のチャナ」はその冊子でしか読むことできない漫画であったわけです。ちなみに、冨士宏氏はファミコン版ワルキューレの冒険のパッケージデザインを手がけているイラストレーターさんです。
あの、淡い色使いにやさしい線で表現されたワルキューレは、今でも多くのファンを虜にしています。
 
NG発刊中にあった大きな出来事。それは、筑波で行われた万博「EXPO'85」でしょう。そのマスコットキャラクターであるコスモ星丸のロボットを製作したのも、実はナムコであったわけです。
もともと、デパートにあった屋上遊園地の施設から営業をはじめたナムコは、そこで子供たちを楽しませるロボット開発にも力を入れていた時期があったのです。そうしたノウハウが、コスモ星丸に活かされる事になったというわけです。
 
ASIMOが登場するずっと前に、子供たちにそして世界の人たちに親しまれていたロボットがいた。今では家庭用ゲームを主流にしているナムコにも、そんな歴史があったのです。
 
 
 
 と言う感じで思うところとしては「フリーマガジン」と言う事で一つ。
 
フリーマガジンの現在における利点は、客を呼び寄せることができるという事でしょうか。割引券によって、顧客の最初の一歩を踏み出させる効果を期待するわけです。
 
今回ご紹介しているNGのようなフリーマガジンには、そうした効果は期待できません。最初の一歩というよりも、すでにその一歩を踏み込んだ人向けにさらに一歩を踏み込めるような造りになっているからです。
そう、NGはあくまで固定客を増やすというよりも、ひきつけ続けていくためのアイテムとして活用されていたと言える訳です。
 
今、こうしたフリーマガジンが果たして効果があるのかといわれれば、それはある程度条件が決まってくるのは当然の話です。
 
その店もしくは商品を、長年愛用している人であれば、新しい情報はいち早く欲しいのでしょうし、また、それに連なる情報も欲しいと思います。
そうした情報提供は今、形を変えています。そう、携帯電話のメールです。
 
あれもフリーマガジンであるという事では違いはないのでしょう。不定期であったとしても、情報提供を求める顧客に対して、送信することができる。しかも、人数に応じてのサービス提供や新たな顧客獲得のための行動に移ることできるわけです。
動きという事を考えれば、紙媒体におけるフリーマガジンよりも、的確に情報が得られるのかもしれません。
 
でも、そうならば、すべてメールに切り替えれば良いのに、いまだに紙媒体におけるフリーマガジンがある理由はなんでしょうか。
 
思うに、それは手に取り眺めること、そのゆとりを楽しめるからではないのでしょうか。
メールになくて、紙媒体にあるもの、それは眺めるということかもしれません。
 
アナログであるからこその利点。それがある以上、どれだけ通信機器が進歩しようとも、紙媒体はなくなることはありえない、そんな気がします。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

2008年11月29日

駄菓子屋さんやら本屋さんやら…【「機甲界ガリアン コンプリートアートワークス」(2008年 新紀元社)】

 十年近く利用していた本屋さんがなくなる事が残念でなりません。



 さて、今回は2008年に発売されました「機甲界ガリアン コンプリートアートワークス」です。



 1984~85年にテレビ放映、そして1986年に果然オリジナルのOVAである鉄の紋章が発売となった、機甲界ガリアン。その設定資料集が発売となりました。
 
一番驚いたのは、その発売元です。新紀元社なのですが、どうにもケイブンシャの臭いがするのは何故でしょうか。ケイブンシャでこうした大百科でもやっていた方が新紀元社で働いているのでしょうか…というぐらいに、同じ様な臭いがするんですけど…その真偽はわからないまでも、ある意味欲しい情報が、ある意味足りない情報が過不足なしにあるのは嬉しいものです。…つまり、懐かしいと言う意味で、ですけどね。
 
少なくとも、ガリアンにおける設定資料においては、TVシリーズに関してはデュアルマガジン、そして、OVAに関してはニュータイプを網羅していれば十分なのです。問題は、それらを手に入れるのに物凄く労力を必要としていると言う事。
そういう意味では、こうした設定資料集はその作品が大好きなファンにとってはありがたいものです。
 
今回のこのムック本が発売されると同時に、サントラも復刻されました。
こちらは手に入れていないのですが、それでも、当時の雰囲気を楽しみたい人には必須のあいてむであるのは間違いないのです。こうした復刻はアニメというサブカルチャーにとっては大事な事。いわゆるリメイクではなく、当時のありのままを提示してみるには格好の時代なのかもしれません。
 
こうしたムック本における大事な要素の一つに、ムック本を購入したからこそのプレミアを期待するわけです。
それは何かと言えば、没デザインです。
 
例えば、主人公機であるガリアンは当初、カラーリングが赤ではなく青であり、また額の飾りがなかったというのは、結構有名な話。すると、劇中では動かなかったその機体をどうにかして再現してみたいという気持ちになってくるわけです。
つまり、そこで考えるのは、立体化…一から作るのは難しいので既存のプラモデルからの改造をするわけです。
 
そのような魅力もそうした情報には含まれているのは、有名どころではガンダムが立証している話です。
ただし、最近では既に完成したプラモデルを購入する方が多いようで、それを本当に既存のプラモデルという媒体であるのかと突っ込みを入れたくはなるのですけど…。なければ作るが合い言葉であったのは、昔の話なのですねぇ…。
 
OVAにあっても、未登場の機体がありまして、それは何かと言えばアゾルバです。
TV劇中でもそれほど活躍をしている印象はないのですが、それでもあのデザインは何か印象を覚えます。OVAで水辺が出てきたのは最初の辺り。後は雨やら、波打っていても溶岩であったりとか、アゾルバが活躍できる隙はなかったですねぇ。全3巻(実際のビデオ発売は合わせて三巻ですが、内二巻はTVの総集編でありましたので、完全オリジナルストーリーは三番目に発売された、鉄の紋章だけなのです)ぐらいの規模であれば、活躍できた可能性はあったんでしょうけどね。
 
ガリアンにおける商品展開は、ガンダム再放送移行のガンプラブームに追従した形であったのは、当然の話です。つまり、ポストガンダムを狙っていた気質がありました。昨今では、エヴァンゲリオンがガンダムに並ぶ作品のように言われているわけですが、しかし、あれほどまでに搭乗するロボットに対する熱狂的な状況にならなかったのは、結果的に年齢を上げすぎた結果によるもの、そして、何よりプラモデルという商品媒体にしにくかったのが原因であるのは仕方がない話です。
それはガリアンであったり、ダグラムであったり、ボトムズであっても同じことが言えるのでしょう。ボトムズは、ガンダムのような未来型のロボットではなく、今にもどこかから出てきそうな近未来型であったのが、伸びを見せれなかった原因であり、これはダグラムにもいえる話だと考えます。
一方のガリアンはあまりにもファンタジー色が強かったように見受けられました。つまりは、その要素を踏まえた上で楽しまなければならないという前提が見ていた側にあったのかもしれないと言う事なのです。
 
今の時代なら、ファンタジーの定義も広がっていますので、より幅の広い楽しみ方が生まれてきたのだろうなぁと残念でならないわけです。
 
当時、こうした作品は、玩具を売るための媒体であったのは言うまでもありません。そのために、いわゆる打ち切り、テコ入れなど当然のようにあったのだと推測できます。どんなにファンの受けが良かったとしても、玩具が売れなければ不出来のレッテルを貼られるのは仕方がない話なのかもしれません。その上で物語を作っていくのは大変な事ではなかったのかと思います。
しかし、最近では別媒体における人気作品、しかもその別媒体で終了していない作品をアニメ化する傾向が多分に見られるわけです。当然、そうなりますと、アニメに関しても途中で終了したり、アニメ独自の終り方になってしまうのがあります。それが正しいのか正しくないのかは別の時に記載してみるとしまして、しかしながら間違いなく言えるのは、そのアニメに予測する楽しみが少なくなったのは間違いない話なのです。
 
こうしたムック本を見るにつけ思う事は、やはり作品というのはあくまで発信する側が何も理解できないであろう状況から理解できるように仕向け、また見る側はそれを理解し予測する楽しみがある事が大前提ではないのかと思うわけです。単に踏襲するだけの作品に売れる売れないで一喜一憂する状況はどうなのかと。更に言えば、そこに自分たちの誇りを賭けるのは愚か者のする事に思えるわけです。
 
プロであるからには売れる作品で勝負をかける…これを言ってしまっては、それは作り手ではなく売り手です。少なくとも、売れる商品を探すにしても、自分たちのアイデアの中から探していく器量と度量が、今こそ必要ではないのかと思う次第なのです。
今のアニメの乱立は、まるで少し昔に乱立した似通ったドラマを見せ付けられているように思えますな。オリジナル性もない、単なる技術だけで感動させようとしていると。残念な話です。




 本来なら別の作品を今週、記載しようかと思ったのですが、思う事があり書いてみたいのでコチラにしてみました。
 
今回、レビューした冊子ですが今月で閉店してしまう本屋さんで購入しました。昨今における不況…というよりも大型書店の乱立に押されてしまった形なのだと思います。本当に残念な話であると思います。
 
私自身は、大型書店…いえ、最近のショッピングモールの構造に飽き飽きしている状況があります。
 
ちなみに、今近所、と言いましても半径20kmほどの中にどれだけのショッピングモールがあるのかを考えてみますと…モレラにロックシティにサティにイオンにプラントにダイヤモンドシティに平和堂…近場だけでもイオン系列多すぎと言う状況です。それだけ多くても中身が違っていればそれぞれで楽しめるのですけど、中を見てみても同じ様な店舗が同じ様に並んでいるだけ…これでは、一つに行くだけで十分に楽しめるというものです。
 
これは単純に売れ筋しか置かない事に起因している事であるのは明白です。
全体の売れ筋を理解して、客を招く。当然ポイントカードなるものに入ってもらって、それを貯める事によってお得感を演出。ついでにクレジットカード機能のあるポイントカードならば割引までつけちゃおう!…という感じでしょうかね。
 
昔からその場所その店に行く目的など、唯一つしかありません。それはその場所でしか楽しめない物、それを楽しみに行くというものです。
どの業種であれ、その原則原理は変わりません。だからこそ、多少遠くても足を運ぶ人が出てくるというものなのです。
 
もう一つは、その場所が社交場でなければならないと言う事。
特に子供たちにとっては、そうした社交場がある事によって社会とのつながりが出来、また、仲間内やそれ以外との付き合い方を学んでいく場所になるわけです。昔の駄菓子屋さんなどはそうですね。握った百円の中でいかに多くの駄菓子を購入するのか。それがお金の大切さを学んでいく事でもあったはずです。
 
そう、私が懸念しているのは、結果的に何も変わらず何も学べない、単純に物があり購入だけ出来るという場所が周りに多すぎるという点にあるのです。
これではテレビにおける情報発信の偏りがそのまま現実世界に出現したかのように思えてきます。
 
薬屋さん、本屋さん、駄菓子屋さん、おもちゃ屋さん、模型屋さんに服屋さん、八百屋さん、お肉屋さんに魚屋さん。こうした親しみやすい名称の中にあるのは社会とのつながりではないのでしょうか。それをショッピングセンターの単一な状況における対応で感じることなど出来るはずがありません。
全てが同じである事に問題があるのではなく、全てを同じにする事に問題があるのではないのでしょうか。
 
人もそうですし、物もそうです。先ほども記載しましたが、同じ様に何処に行ってもサービスが受けられるのであれば、複数店舗ある意味などないのです。それは特色でもなければ売り物でもありません。単純に提示しているだけの話なのです。
 
社会に浸透する事は決して、サービスによる満足だけではないと私は思います。むしろ、そのサービスというのが付加と言う意味で使われるのであれば、それは尚更です。根付く事の意味を今、大型店舗を有する巨大企業は考えるべきではないのでしょうか。
最近の記事でイオンが撤退戦略を考えているそうですが、結果的にそれはそこにあった小さなつながりを潰す覚悟を持っての展開ではなかったのか、それを結果的に撤退する事に対する問題は皆無であるのかを考えるべきではないのでしょうか。
 
正直、私自身はショッピングモールに買い物に行く事が決して多くはありません。それよりも少し遠くてもスーパーであったり、小売店舗に足を運ぶようにしています。
その理由はそこにしかないかもしれないワクワクした物を手に入れるためです。人に一期一会があるように物にも一期一会はあるのです。それが結果的に物に対する大切さを学ぶ事になるのだろうと私は考えるのです。
 
全てが確実に簡単に手に入る昨今の情況に、便利である反面、達成感が少なく、更に言えば期待感もない。それでいながらより利便性を求める。全てが追求ではなく要求になってしまっている状況は、そら恐ろしさを感じてなりません。それもその利便性の取捨選択を売り手側が決定している事実…与えられているだけの情況に選択している錯覚を覚えている現状…これから先、大丈夫なんでしょうかね。
 
 
ちなみに、自分に十分な資金があれば、駄菓子屋に模型屋をやってみたいと本気で思っております。だって、近くにないもの、そういうも。十円で遊べる機械を設置したりしてね。
ちょっとした夢のような話であります。
 
 
 
 そんなこんなで本日はここまで。

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※2009年4月19日 19:00より開始

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